outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

新製品のオヤツ

2009年06月10日 17時33分06秒 | 退職生活
先日した大腸内視鏡検査でサンプルを採ったポリープの結果を聞きに日赤病院へ

そして再度血圧測定から血液検査など

随分待って診察室へ

結果は血液検査など全く異常なし

大腸も下剤を飲んでヤギのウンコサイズの塊が7~8個出てから痛みが消えて非常に調子がいいんです。

でもポリープは「悪性になる可能性がある」ポリープだそうで一年後に再度大腸内視鏡検査を受けるように言われました

まあ一年間が置けると言うことはそれ程心配は要らないんだと思います。

昨日入梅で今日は朝から雨でした

昼前に帰って美由紀と早めの昼食。

美由紀は今日もプールへ

僕はホロホロのコクピットテーブルに最後の仕上げをしてオヤツを齧りながら読書

太ると解っていても・・・動けないとついつい口にものを運んでしまうんです。

そして食べ足らず思い出したのが軽トラに乗っていた土曜日ヨットで出たときに食べ残したスナック菓子でした。

えみちゃんが「新製品なんよ」と言いながら持ってきてくれたそれはグリコのチーザ?と言う確かに初めて食べるお菓子でした。

チーズを焼いたような匂いがして結構いけるんですが・・・食べ終わって袋に鼻を突っ込んで臭うと

白人女性のアソコの匂いとそっくりなんです(本に書いてあっただけです)

それで思ったんですが・・・

徳島の田舎と東京や大阪などの大都会で育った人では同じ歳でも子供の頃に食べたものは大きな違いがあると思います

僕が子供頃(小学校へ行くまで。幼稚園は出来たばかりだったけど遠いから行かなかった)のオヤツは家でとれるミカンや柿などの果樹が中心で保存が利く干し柿などは大量に作ってありました。

また干し芋も良く齧っていました(食べ過ぎると胸焼けするけど)

とうもろこし、大豆やソラマメを炒ったのも良く食べました。

お菓子のようなものは「ヘギモチ」(餅を搗いた時に箱の中で四角に固めたものを薄く切って焼いたもの)でした。

時に店のあるところへ出るとホタ羊羹とか栗饅頭、薄皮饅頭、最中、カステラが定番でそれ以外の物があったのかどうかさえ覚えていないほど「店」は遠くて

飴のメインは芋飴で一円で二個か三個買えたように思います

キャラメルやニッキアメ、ショウガアメもありました。

そう言えばいつも大きな瓶にミズアメが入っていて箸を突っ込んでクルクル捻って取り出し舐めてもいました

年に一度か二度大阪のオジサンとかが里帰りしたり、近所の誰かが大阪へ行ったりすると・・・大阪名物「粟おこし」(イワオコシと言っていた。)が定番でした。

食べれるものなら何でも喜んで食べていた。 それで幸せでした。

あれから55年。

今やお菓子の種類はどの位あるのか??

子供達にとってそんなに種類があるのが良いのか悪いのか?

迷うだろうな~・・・と思ってしまった午後でした。

迷うって結構重労働なんですよね

そして殆どの場合・・・後で悩んだりします。

お金が一杯あって何でも出来る人が・・・何にも出来なくなってしまうのもそんなところからきているのかも??



少しの間だけ雨が止んだのでモロヘイヤ、パセリ、サンドマメ、カギレタスの種を蒔きました

次の土曜日は近藤氏も来るのでテクとホロホロの二艇で出港予定です

そして夜は釣り貯めて飼っている「天然ウナギ」で宴会(倉庫ハウス)したいと思います

来られる方は連絡ください

コメント (2)
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