outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

携帯電話

2009年06月15日 21時27分19秒 | 退職生活
「最近の若者は携帯電話が離せない」と大人たちが非難したりしていますが・・老人の僕も離せません

多分殆どの人がそうだと思うんですが・・・僕の場合・・家の番号は知らないけど携帯番号は知っている人のほうが多いんです

それから・・・誰かに連絡したいと思ってもその人の家の番号も携帯電話を見ないと解りません

だから携帯電話を離れると連絡が出来ない事になってしまいます

家の電話しか無かった時代はどうしていたのか??と思うほど家には居ないし・・・

確かに「連絡する」には便利になりました

しかし・・・です。

老人になるとこの携帯電話が充分使いこなせないんです。

色々な機能があっても・・・メールを打つのと受けるのは出来ます

電話も掛けれるし受けれます。

でも・・・

呼び出し音を大きくしたいと思うと・・誰かに頼みます。

迷惑メールを受けたくない時のやりかたはまたまた難しい

おまけに・・・

見るのを忘れたり・・持って行くのを忘れたり・・時には何処に置いたかも忘れてしまうんです

誰かに電話を掛けて貰って心当たりの周辺を歩き回ることは度々です

離せないほど必要なのに・・・忘れてしまうからどうしようもありません。

そんな携帯電話で今日は慌てました

朝電話が二回掛かって来て徳島へ出て行く事に決まったんですが・・・ふと気づくとバッテリーが殆どありません

徳島で電話連絡することになっているしもうすぐ電話が掛かる予定だから・・・慌てて充電を始めました。

電話が掛かってくるから離れるわけにいきませんから充電器から離れられません

しかし・・充電をするのって結構時間が掛かります

待つ時間パソコンを開いて過ごしたんですが・・・完全に充電が出来ないまま出発しました。

幸い出ている間にバッテリーは切れませんでしたが・・・

便利だけど不便な携帯電話から離れることが出来ない生活。

これで良いのか悪いのかの判定も難しい携帯電話は悩みの種でもあるけれど大事な物の一つでもあります。

みなさんはどうでしょう??

今日はあまりに多く来る青虫対策としてキャベツとブロッコリーの葉の殆どをもぎ取ってしまいました

今やキャベツは握りこぶしより小さくなっています

でも青虫は探しやすいです。

写真に写してアップしようと思ったけど・・・あまりに寂しい姿なので止めました

昼食後徳島へ出掛け先日ヨットを買った中西氏一家と近藤氏の5人で「セブンオーシャン」を出し大神子海岸前でアンカリング(錨を打つこと)の練習をして来ました

戻った所へ八十氏が寄ってくれて少しお話し

高部氏から電話があって明日宝田の家を借りたい人が見に来るとの事。

もしそれが決まると引越し荷物がまだ一杯残っているから・・・大変な仕事になります
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6匹の鯉

2009年06月14日 18時58分24秒 | 退職生活
昨日は「ウナギ宴会」で呑み過ぎて(4時前から12時半まで)ブログアップできず済みませんでした

昨日のことです。

10時前、橘港のホロホロに集まったのは八十氏、是松氏、近藤氏、森田氏と珍しくも悲しい男ばかり

人数が少ないのでホロホロに5人乗りテクは出港せず。

風も無いので帆を揚げず機走で椿の入り江まで行ってアンカーを入れました。

八十氏は「大牡蠣とり」僕は「魚突き」に一時間半ほど潜って

獲物は大牡蠣が50個ほどとチヌ(黒鯛)2匹、アッコ一匹

宴会に充分です

倉庫ハウスへ戻って3時から牡蠣を割ったり魚を裁いたりして準備。

今回一つのセレモニーとして前の川へ鯉をその時の頭数(みかちゃんが加わった)で6匹を逃がしました。

そして四時を待たずにデッキで宴会が始まりました

ところが・・・すぐに全ての鯉の姿が見えなくなって

どこに居るのか探そうと言う事になってカヌーが出動

初めは僕と近藤氏が乗り探したけどいません

次に森田氏、 みかちゃんと3回出動したけど・・・たった6匹でも色がついてるから見つかると思ったけど・・・一匹の姿も見えませんでした

牡蠣を焼いたのやらウツボの唐揚げ、ウナギは白焼きにポン酢で食べ、チヌは塩焼き、我が家で収穫したレタス、ブロッコリーや新ジャガのポテトサラダにみかちゃん差し入れの焼き鳥などで・・鳴門から佐藤氏も先日頼んだオートパイロットの部品と焼酎を持って来てくれて

それから・・・12時半まで

朝起きたら美由紀が「猫に荒らされている」と

デッキで宴会の後・・片付けずに寝てしまったから・・・外には猫が居る事を忘れていました

朝・・矢張り呑み過ぎで元気がありませんでしたが・・

青虫はどうしてこんなにも次々沸いて出るのか

三度で二百匹以上とりました。

ペンキ塗りをしたり川へ続く斜面に植えている果樹の周りの草を刈って肥料をやったり・・・

かぼちゃやトマトに受粉させたり

それから昨日の鯉を探して川の上流や下流へと行ってみましたが・・・何処にも一匹も居ませんでした

すでに鵜に食われてしまったのか

まだ最大で25センチ足らずだったから・・・

夕方柳田氏がウガンダへ行った娘のブログのアドレスを教えに来てくれました。

興味ある方は見てください

http://ugap.exblog.jp/

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目の難病 網膜色素変性症

2009年06月12日 22時29分25秒 | 退職生活
キャベツとブロッコリーに異常繁殖するアオムシ

一昨日の雨で一日退治しなかった事が今日も尾を引いて朝一番の見回りで美由紀と二人で100匹以上捕獲して鯉の餌に。

しかし・・・一時間ほど経って再度見回ると 何処に隠れていたのかまたまた多量のアオムシが

それらを捕獲してもう全滅させたと思っていたのに・・・また数時間後に見回るとまたまた何十匹も居たんです

夏にキャベツ系統を無農薬で栽培するのは至難です

そんな合間にN氏が奥さん連れで来てくれました。

奥さんも昔ダイビングを習いに来た事があって良く知っているんですが・・・

お茶を飲みながら話を聞くと・・・現在48歳なんですが十年近く前から視界が狭くなる難病「網膜色素変性症」になって現在は左目の視力は殆ど無く右目も少しづつ悪くなっており車の運転も出来ず、仕事も出来なくなって一年余り前に仕事を辞めざるを得なかったそうです

右目も長くて十年、それからは全盲になるだろうと言うんです

そんな病気がある事を知らなかったので・・・驚いたんですが・・・

もしもその通り全盲になるなら「僕ならこうする」と言う事を伝えたんですが・・

帰ってから色々インターネットで調べるともっと早くから漢方薬を服用していたら左目も失明せずに済んだと思える記事を発見しました。

今からでも服用すれば右目だけでも進行が止まるかも知れないので急いで電話したんですが・・・・


例えばの話しですが・・もしも僕が「網膜色素変性症」と診断されたとします。

現代の西洋医学では殆ど手の施しようが無い「難病指定」されている病気です

そんな場合今ならインターネットで丁寧に治癒した人や進行を止めた人の情報を集めます。そして自分が治ったり進行が止まる可能性があると思う方法を選んで一つまたは複数を実行します。

知ってる限り話せる限りの人達に現状を話し何か良い情報があったら教えてくれるように頼みます。(一人より二人、二人より三人、多いほど情報が集まりますから)

そのように可能性がある方法をとりながら・・・

最悪(全盲になる)の場合を考慮して計画を建てます

今の彼女の状態だとすれば「残り10年」と考えて・・・たとえ片目でも見たいものを少しでも見ておこうと考えます。

経済的な問題も考慮しながら・・・

まだ行ってない外国や日本各地のほか演劇なども少しでも多く見たいです。

本も読める間に少しでも読みたい。 映画もみたい。絵画もみたい。としたいことが山ほどになってきます。

それを順序よくする為に表が必要です。10年間のカレンダー形式にして目の進行具合を4段階に予測して書き込みます。

その進行に合わせてしたいこと出来ることを書き込みます。

そして明日から実行するんです悔いが残らないように・・・

見える事を愉しんでおけば将来例えば困難な手術であっても勇気が出ると思うし


でも・・・今の僕が余命30年になって慌てているように計画を立てるとどうしても忙しくなってしまうんです

この辺が問題なんですが・・・程よい計画とか丁度良い加減の計画なんて・・・あるようで無いもんです。

でも「この病気になったから充実して生きれた」と思えるような生き方を選んで欲しいと願っています。

寿命があるから充実して生きれるように・・・

60になっても余り「死」を意識せずにダラダラしている人もいますけど

出来る間にしたいことは何でもしないと後悔しますよ

それから・・・したいことが解らないと言う人へ

遊びもいきなり愉しくなるものではありません。 解らない人は何でも人がして愉しいと言う事を何回もまた色々することです。

そのうちしたい事が一杯になって忙しくなってしまいますが・・・



「旅は疲れる」という人はツアーに参加するから疲れるんです。 疲れない旅を自分で考えればすみます。

誰でもやがて全盲はおろか呼吸さえ止まってしまいます。

生きている間に、動ける間に、目が見える間に精一杯色々な経験をしましょう

そうすると・・・優しくなれるような気がします



明日はヨットで潜りに行って夕方4時頃よりデッキで「ビアガーデン天然ウナギ宴会」です

呑み過ぎないよう注意しないと
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ビアガーデン

2009年06月11日 21時39分47秒 | 退職生活
朝一番に畑を見回ると

昨日一日雨で見てなかったから・・青虫が100匹以上

一日休んだだけであれほど大量に増えかつ大きくなるとは

旅に出たらたちまちの内に全滅しそうです。

午前一杯は今度の土曜日に予定している「天然ウナギ宴会」に備えてウナギを裁きました

何しろ素人なのでなかなか裁けません

水槽の中に入れている寝屋?から出したウナギを銅丸カゴに入れて一時間ほど外の流し台に水を溜めて井戸水で流します。

それから漬物用ビニール袋に移して暴れるウナギを一時間ほど冷凍庫へ。

その間にウツボを3匹開いて薄塩水に漬けました

冷凍庫から出したウナギは冬眠状態でほとんど動かないんですが・・・温まるとすぐ元気になるので氷を割ってウナギと共にクーラーボックスに入れて流し台の横へ。

そして一匹づつ開いていくんですが・・・

開いている間にクネクネし始めるのもあったりして

でも合計13匹ありました

そのうち4匹は小さいですが・・・他は上等のサイズでその内の二匹は特大です

ウナギが裁き終わって先ほど塩水に漬けてあったウツボを吊り下げて干しました

昼飯の後ウナギの素焼き(白焼き)を美由紀に頼んで僕は畑を耕して余っていたトウモロコシの種を蒔き終わったら4時。暑かったです

干したウツボが丁度良い干し加減になったので下ろしてハサミで小さく切って・・・美由紀に油と鍋を準備してもらって倉庫の横で唐揚げにしました

出来上がったウツボの唐揚げの味見をすると

塩加減、揚げ加減が絶妙でうまいウマイ

「ウツボの干物唐揚げ」とはビールの友に生まれてきたようなモノなんです

時間は5時

丁度デッキは暑い太陽が西に傾き日陰になっています

椅子を二つ出して・・・素焼きが終わった美由紀も呼んでウツボの干物唐揚げを真ん中へ盛り上げて

前の川に今日は色鯉が3匹とも来ていました。黒鯉は100匹はいます。

それらを眺めながらビールを飲んでいたら

この倉庫を改造して二、三日デッキで食事をして「元を取った」と思っていたのに・・・これでは折れて曲がって又折れて・・・・ほんまに元のとり過ぎ。

間もなく川向いを先日のタヌキが通ったり

大川氏が寄ってくれてウツボの味見をしてもらい・・・

僕だけドンドンビールがすすんで・・・実は飲みすぎて目が覚めたら10時前でした

それで慌ててブログを書いているんですが

まだ頭がクラクラしていますのでおやすみなさい
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新製品のオヤツ

2009年06月10日 17時33分06秒 | 退職生活
先日した大腸内視鏡検査でサンプルを採ったポリープの結果を聞きに日赤病院へ

そして再度血圧測定から血液検査など

随分待って診察室へ

結果は血液検査など全く異常なし

大腸も下剤を飲んでヤギのウンコサイズの塊が7~8個出てから痛みが消えて非常に調子がいいんです。

でもポリープは「悪性になる可能性がある」ポリープだそうで一年後に再度大腸内視鏡検査を受けるように言われました

まあ一年間が置けると言うことはそれ程心配は要らないんだと思います。

昨日入梅で今日は朝から雨でした

昼前に帰って美由紀と早めの昼食。

美由紀は今日もプールへ

僕はホロホロのコクピットテーブルに最後の仕上げをしてオヤツを齧りながら読書

太ると解っていても・・・動けないとついつい口にものを運んでしまうんです。

そして食べ足らず思い出したのが軽トラに乗っていた土曜日ヨットで出たときに食べ残したスナック菓子でした。

えみちゃんが「新製品なんよ」と言いながら持ってきてくれたそれはグリコのチーザ?と言う確かに初めて食べるお菓子でした。

チーズを焼いたような匂いがして結構いけるんですが・・・食べ終わって袋に鼻を突っ込んで臭うと

白人女性のアソコの匂いとそっくりなんです(本に書いてあっただけです)

それで思ったんですが・・・

徳島の田舎と東京や大阪などの大都会で育った人では同じ歳でも子供の頃に食べたものは大きな違いがあると思います

僕が子供頃(小学校へ行くまで。幼稚園は出来たばかりだったけど遠いから行かなかった)のオヤツは家でとれるミカンや柿などの果樹が中心で保存が利く干し柿などは大量に作ってありました。

また干し芋も良く齧っていました(食べ過ぎると胸焼けするけど)

とうもろこし、大豆やソラマメを炒ったのも良く食べました。

お菓子のようなものは「ヘギモチ」(餅を搗いた時に箱の中で四角に固めたものを薄く切って焼いたもの)でした。

時に店のあるところへ出るとホタ羊羹とか栗饅頭、薄皮饅頭、最中、カステラが定番でそれ以外の物があったのかどうかさえ覚えていないほど「店」は遠くて

飴のメインは芋飴で一円で二個か三個買えたように思います

キャラメルやニッキアメ、ショウガアメもありました。

そう言えばいつも大きな瓶にミズアメが入っていて箸を突っ込んでクルクル捻って取り出し舐めてもいました

年に一度か二度大阪のオジサンとかが里帰りしたり、近所の誰かが大阪へ行ったりすると・・・大阪名物「粟おこし」(イワオコシと言っていた。)が定番でした。

食べれるものなら何でも喜んで食べていた。 それで幸せでした。

あれから55年。

今やお菓子の種類はどの位あるのか??

子供達にとってそんなに種類があるのが良いのか悪いのか?

迷うだろうな~・・・と思ってしまった午後でした。

迷うって結構重労働なんですよね

そして殆どの場合・・・後で悩んだりします。

お金が一杯あって何でも出来る人が・・・何にも出来なくなってしまうのもそんなところからきているのかも??



少しの間だけ雨が止んだのでモロヘイヤ、パセリ、サンドマメ、カギレタスの種を蒔きました

次の土曜日は近藤氏も来るのでテクとホロホロの二艇で出港予定です

そして夜は釣り貯めて飼っている「天然ウナギ」で宴会(倉庫ハウス)したいと思います

来られる方は連絡ください

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人の所為

2009年06月09日 20時15分40秒 | 退職生活
最近気がかりな事があります

それが・・・子供だけならまだそれほど心配はしないんですが・・・大人まで

それも定年退職した老人までが

「人の所為」にする人が多くなったように思うんです

色々な場面で人の所為にすれば簡単に諦めがつくのかも知れませんが・・・

僕は思うんです。

人の所為にして良いのは「良い事だけ」だと

当然悪い事、思った通りにならなかった事は「自分の力が及ばなかった」と思ったほうが幸せになれると思うんです

60歳を過ぎて子育ても終わり持ち家があって退職金や年金で充分食べていける人からそれ以上にゆとりある官僚、天下り蛭人間、会社役員、政治家達が席を譲れば現在の「働かなければ食べられない人達」が犯罪に手を染める必要なく今より安心して暮らせる社会になると常々言っています。

そんな人達が続いて強欲な生活を続けると・・・危険な社会になるとも・・・

しかし・・・現在仕事をしなければならない人達にも言いたいんです。

確かに就職が難しい大変な時代に生まれた事に同情いたします。

我々の時代は高度成長期で殆ど何の努力もせずに会社へ入れ一生を過ごす事が出来ました。

とは言ってもその中の何割かは家が貧しく今日、明日の食を得るため不平不満も言えず厳しい肉体労働をしつつ技術を見に付け職人となった人も居れば経営者にまでなった人もいます

不平や不満を探すことは簡単です。人の所為にすることも簡単です。

でも幾ら不平不満を並べてもどれだけの人の所為に出来たとしても・・・

幸せにはなれません。

幸せは・・・一般的な考えで言うと正しい心で頑張った人の所へやってきます。

たとえ収入が少なくても幸せな人も居ます。お金があっても恥ずかしい事をしていて本当の幸せを知らない人もいます。

今は苦しいかも知れませんが人の所為にせず、人のため社会の為に努力を重ね堂々と生きてみてください。

ボロを着てても錦の心、汚い仕事をしても綺麗な心。

その反対が偉そうにしている日本の社会ですが・・・人の所為にしないで頑張って欲しいと願っています。

現在子育て中の方も退職している方も・・・都合が悪いと・・人の所為にしてませんか?


と・・そんな事を書いた僕も時に美由紀の所為にしたくなりますが

話は変わって今日はすっきりしない阿南市でしたが・・・

このブログを見てくれた人の数が驚く数字になりました

1242779ブログ中 IP数で1529位に

有名人でも芸能人でも無く、お金儲けにも関係ない日々の遊びや考え方を書き綴ったブログなのに・・・

少しづつ順位が上がっているのは本当に嬉しいです

皆さんありがとうございます。偏見が多いとは思いますし一部公務員の方からバッシングと言われていますが・・・目覚めて幸せに堂々と生きれるようにと思って書いていますので誤解なきようお願いいたします

今日は午前中青虫退治とトウモロコシの種蒔き、かぼちゃ、トマトの受粉、ヨットのコクピットテーブルを磨いてニス塗り。蜜蜂巣箱のアリ退治

午後美由紀は水泳教室に出かけましたが・・倉庫部全体(工作場を含む)の床(コンクリートだけど)が汚れていたので掃除機を掛け、テーブルへニスを重ね塗り、畑の空いている場所にパセリ、リーフレタス、モロヘイヤの種を蒔こうと肥料を撒いて暗くなるまで耕しておりました

大川氏が一番なりのスイカを届けてくれました

写真はデッキの下に置いている日本ミツバチ飼育用3段重箱式巣箱です

左寄りに数匹のミツバチも見えています。右寄りに小さな小さなサイズですがアリが多いんです

写真をクリックするとミツバチも見えます









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旅をする理由(2)

2009年06月08日 20時27分39秒 | 退職生活
「旅をする理由」を書くにあたっては最終に書きたい事があるので色々と考えました

それは・・・それを書かなくても「溝田教」などと言ってくれる?口が悪い?人も居たりするからなんですが・・・

それはさて置き決定的に「旅」へ駆り立てたのは「目の事故」でした。

中学一年の時、コタツの中の炭を直した後間違ってヒバシ(太目の針金で出来た箸の様なもの)の先を左の目に差し込んでしまったんです

すぐ目のお医者さんに行き、その後も色々治療しながら随分長く通いました。

視力は2・0から0.6へと落ちましたがとりあえず見えるようになったんですが・・・

当時の医学で並みの人間の場合40歳位で見えなくなるなるだろうと言われたんです

そうなると・・・片目生活とはどういうものかと考えるのは普通です。

そして・・距離感が解らなくなる事と物が平面的にしか見えなくなることに気付きました。

両目が見える間に色々なモノを見ておきたい

と考えるのも当然の対処でした。

一般の旅行は勿論、当時人がそれほど行かない山や海底、海外へと脚を伸ばす事になるんですが・・・

予想に反して?か40歳になってもまだ両目が見えていました

医学も進み左目の失明の心配もなくなりました(一昨年殆ど視力が無くなり手術を受けたけど)

でもまだ旅を続けるつもりでいるのは・・・計画を立ててしまっているからだけではないんです

これが極めて重要で今回これを書き始めた真の理由であり、人に長い旅を薦める理由でもあるんですが・・・

それはホロホロで世界を回っている時、美由紀に突然訪れました。

多分それをある人は「神が降りてきて自分に宿った」と表現するかも知れません。

僕自身がそうなるまで理解が出来なかったんですが

そうなると・・・平常に戻ると(これが情けない事に何時の間にか普通に戻ってしまう)自分でも信じられない位全ての人(爺も婆も男も女も子供も・・・)に対して同じように優しく愛しく接し困っている人には自然に手を差し伸べてしまう状態になるんです

見るものも全て耀いてそれは素晴らしいです。

今は醒めていますから「オンナ」にしか手を・・せんが

そしてその時の気分を後になって思うと「真の幸福」とはあんな状態の時でないだろうか??と思えるんです。

ただ・・・美由紀は僕が見る限り「神になった」時もありました

僕はまだ経験が出来ていませんが・・・・

悲しいかな凡人の僕らは長くて二ヶ月、短ければ10日かそこらで何か極めて人間的な出来事にぶつかり普通に戻ってしまうんですが・・・

「その気分に戻りたい」と思う心が今一番僕を旅へ駆り立てるのかも知れません。

これは10日や20日の旅でそうなれるとは思えません。

僕らは初めてそうなるまで10年近く掛かりました。

でも一度なると次はかなり短い間隔でそうなれるようです。

最初から考えていたら案外早く訪れるものかも知れません。

こんな事を書くと「頭がおかしい」と思われるかも知れませんが事実です。

そしてそれを経験すると昔の人達が修行の旅をした理由も解る気がするんです。

僕は一般の人達に「幸せ」とは「不幸でない時」とか「幸せは探して見つけなければ・・」とか本に書いてあったありきたりを言っていますが本心ではありません

「真の幸福」とはあんな状態のあんな心の時でなかろうか?と思っています。

なにしろ・・まだ美由紀がなった「神状態」を経験してないから(もっと上があるかも知れない)

一人でも多くの人に僕がなったような経験をしてもらいたいと思って「精神異常者」と思われないかと心配しつつ勇気を出して書いてみました

どう思いましたでしょうか?

凡人に戻っている僕は朝から畑仕事をし、昼から先日エンジンの調子を見てあげると約束していた竹内氏のヨットへ行き、調子を見て少し走って戻り、間もなく留守にするので野菜の収穫をしてくれるよう人に頼みながらニンニクを収穫した後へ旅から戻った頃収穫できるようサンドマメを植えようと肥料を撒いて暗くなるまで耕しました







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旅をする理由(1)

2009年06月07日 21時59分51秒 | 退職生活
カラリと晴れ、北東からの爽やかな風

掘り上げなければ・・・と思いながら梅雨のような天気が続いて延び延びになっていたニンニクとタマネギを掘り起こし天日に晒しました

成長が遅く半ば諦めていたタマネギも少し小粒で縦長ながら家で食べるには充分です

ニンニクは「芽」も楽しみにしていたんですが・・これは何故か殆ど伸びずに葉が枯れてしまったんですが・・芋のほうは思った以上に膨らんでいて「売っているのと変わらない」と大川氏からお褒めの言葉を頂いたほど

ヨットのコクピットにあるテーブルなんですが・・・ニスが剥げ落ちて汚くなっていたのが気になっていたので昼食後それを外しに行って帰りにホームセンターでニスを買ってきました

工作場でそのテーブルの古いニスをペーパーサンダーで落としていたら鳴門から佐藤氏が来てくれました

実は先日の「ひろこちゃん宴会」の後、ヨットの電気式自動操舵装置の一箇所のプラスチック部品が非常に壊れやすいので真鍮で作ってもらいたいと頼んでいたんです。

佐藤氏は金属加工の会社に勤めているので「見てみて出来れば作ってあげる」と言っていたのを見にきてくれたんです

そこでまあとりあえずヨットへと言う事でヨットへ行って・・良い風なので一時間ほどセーリング

音も無く走るヨットと言うのは気持ちがいいもんです。

さてその部品は・・・二つが噛み合わさるようになっているんですが・・・「まあ・・何とかなるかな~??」ということで見本を持って帰ってもらう事に。

倉庫ハウスのデッキが日陰になってきたので椅子を出してお茶

前の川の鯉を眺めながら世間話をしていたら川の対岸をタヌキが餌を探しながら一時間ほど散歩していました

タヌキを見たのは今日が初めてなんですが・・・美由紀も喜んで見てました

僕がブログに「リゾート気分うんぬん」と書くからもあるんでしょうが・・・佐藤氏もリゾート気分になれるな~・・と言ってくれました

それから・・残業してテーブルを磨いていましたが・・・なかなか磨けません

次の雨の日に・・と考えています

話は変わりますが・・・

僕は旅が好きで・・・もしかすると・・・現在でも日本人の歴史の中で10本の指には数えられる位長く遊ぶ旅をしているのでは??と思います

今後も計画通りに旅をすれば・・・「一番長く旅をした夫婦」は確実?もしかすると「一番長く旅をした男」や「女」になるかも知れないな~・・・などと思ったりする位なんですが・・・

僕が旅をする理由です。

これには幾つかの理由があるんですが・・・

先ず一番に挙げなければならないのは「生まれた場所」です。

近所に数軒の家があるから「人里離れた」と言う表現はおかしいですが・・・

「お店」まで6キロある山奥でした

一番隣は200メートル離れていて次の隣は二キロ離れています

一応「隣組」として6軒の家の人達は月に一度ほど「当家」とかで行き来がありましたが・・・小学校に入るまで隣組の子供以外は親戚の子供くらいしか知らない生活でした。

物心がついて・・爺に連れられて徳島市内へ行った時のショックは大変なもので・・・今も覚えていますが・・・「大人も子供も皆が洋服を着ていた」事でした

いや~・・・ほんまに驚きました。昭和27~8年頃です。

その時のショックが・・・「広く世界を見ないと遅れてしまう」的コンプレックスとなり10代からユースホステルを利用しての旅が始まり、今なをそれは絶えずに続いているようです

次に決定的出来事に続くんですが・・長くなるので続きは明日書く事にいたします



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セーリング日和

2009年06月06日 21時53分44秒 | 退職生活
「ひゃー、きゃぁぁー、わわわわ~!!」とえみちゃんは叫び続け、ほとんど声は出ないけど口だけはパクパクしているみかちゃん

それはそれは賑わしいセーリングでした

今日はヨットに良い風だったので近藤氏のテク(Y25MKⅡ)で出港。

こんな風の時は僕のホロホロより風に敏感なテクで帆走するほうが面白いんです

最初の叫びはヨットが風を受けてヒール(横に傾く事)がきつくなった時の声なんですが・・・僕らにはそれ程でもない傾きでも初心者の二人が交代で舵を持って操船していると転覆するように感じるようです

小さくてもY25MKⅡは外洋クルージング艇ですからどんなに下手に操船しても転覆は絶対しないんですが・・・

1時間余り帆走を愉しんで高島の影へアンカーを入れて昼食

その後またヒールさせながら帆走で帰りホロホロに横抱きし、ホロホロへ移ってゆっくり休息。

えみちゃん曰くゼットコースター位興奮したそうです

八十、是松、湯浅の各氏と溝田、えみちゃん、みかちゃんで居るところへ三谷氏も顔をだして

少し「大富豪(トランプ)」もしました。

解散後一旦家に戻り軽く食事をしてウナギ釣りへ

早い時間に・・一番に釣れたのは小型ながらスッポン

今年初めてのスッポンです。

間もなく大うなぎ

・・・に言わせると立ったチンチンと変わらない太さとか

ところが・・・それからなかなかあたり無く八十氏の竿に来たのは巨大ナマズ

これほどのサイズは滅多に居ない

なんだかんだと4人でシモネタ話しをしながら9時前まで釣ってウナギ特大二匹、スッポン小一匹、大ナマズ二匹、ギギ一匹、亀3匹でした。

数は少なかったけど今日はセーリングとウナギ釣りの二つを愉しみました

朝畑を見回り青虫退治をしたんですが・・・キャベツは巻いても巻いても青虫に食べられるので・・・口に入りそうにありません

でもキューリが次々と実を付けているし、トマトもナスもピーマンも順調です
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大腸内視鏡(カメラ)検査の現状

2009年06月05日 18時44分35秒 | 退職生活
受付時間は9時だったけど8時15分に日赤病院へ到着

すぐに受付をして内視鏡室へ。

少し待って9時過ぎより説明があり一人一人の前に二リットルの下剤が入った袋と紙コップが置かれました

「10分程度間隔を置いてコップ八分目づつ呑んでください」との事。

透明の液体で少し塩味があって最初の一杯は「割といける」と参加者7人は口を揃えました

ところが・・・二杯目になると「まずいな~・・・」という味に

でも呑んで腸の中を綺麗にしないと検査が出来ませんから・・・10分ほどの時間は病院の中を美女を探して歩きました

しかし・・・時が時で全員がマスクをしているから・・・判定が難しい

でも挫けずに毎回徘徊してました

5回飲んだ時に初めて便意を催し(この時5人がそうなったが二人は気配なし)

6回飲んだら半分が終わり7回目で又便意。ここまでは軽い下痢状態。

それからは飲むごとに便意があってトイレ4つに7人いるから忙しい

一人の75歳のオジサンは少し漏らしていました

最終的に二リットルでは7人中6人が合格とならず追加の下剤を分けて飲んで全員OKとなったのは12時を過ぎていました。

僕は最終的に16杯飲みました

全く水便になったら看護婦さんに見てもらいOKを貰うんですが・・・16回も続けてウンチをすると尻の穴の周りが炎症を起こしてウオッシュレットの水圧が強いと飛び上がるほど痛いです

そして・・・その痛いのはOKを貰ってからも出続ける水便の回数6~7回となると痛さもだけど・・・オンナが小便する時はこんな気分でなかろうか??と思いつくに至るのでした

さてさて順番が来て着替え室で下半身裸になって用意された「穴あきパンツ」に着替えます。

当然ながら尻の穴のところが開いています。

そしてベットでエビのように左を下にして寝ます。すぐに腸をリラックスさせる注射を臀部へ

それからお医者さんが尻の穴へ指を突っ込んで麻酔薬を塗ります。

「息を吐いてください」と言ってカメラを差し込むんですが・・・結構痛いです

オカマさんなら良かったのに・・・と誰もが思うでしょう

さてさてそれから中に残っている水便を吸いながらどんどん奥へカメラが入っていきます

寝ている体位も上向きになり脚を組みます。

所々でかなり苦しく唸る場所もありましたが無事終点の盲腸まで行きました

そこで・・・しっかり見るためにシワを伸ばす必要があるらしく今度は空気を入れるんですが・・・カエルの尻から麦わらを差し込んで膨らませて遊んでいた子供の頃の罰を受けていると思って諦めるしかありませんでしたが・・・結構苦しいです

小腸のほうにも少し入って見ますがそれも苦しいです

少しづつ引き抜きながら見ていくんですが・・・間もなくポリープ発見

テレビの画面を見ている僕にも解ります。

青い液体を噴射させてみると益々ポリープがはっきり浮かび上がりました

大きさを聞くと4~5ミリ位なんだそうですが・・テレビで見ると5センチ位に見えますから見たときは驚きました。

サンプル採取でゲームセンターの挟んで縫いぐるみを取るようなものがカメラに映りやがてそれを掴んで千切ります・・・が痛さは殆ど感じません。

でも血が出ているのが解ります

それから・・・出たり入ったりしながら壁を丁寧に見て行きました。至る所(数が読めないほど)に憩室(腸の壁にヤギの糞一つくらいの窪み)がありました。



最後の方(肛門の近く)になって又横向きに体位を変え間もなくポリープ発見。

それは小さいからと先ほどの抓む機械で全て毟り取りました

この辺りは兎に角腸の中の空気が一杯で気分が悪くなるほど辛抱が必要です

実際終わってから暫くトイレで「なが~いオナラ」が10発くらい出る間は動けませんでした。

それからお医者さんの説明があって・・・下腹が痛いのは憩室炎を起こしているからだろうけど・・場所は特定できなかったとの事。それからサンプルを採った二箇所のポリープは次回に検査結果が出るだろうからその時まで待つようにとの事でした。

多分悪性では無いと思うと付け加えてくれましたが・・・

カメラを差し込み始めて抜き終わるまで僕の場合はポリープが二箇所にあってサンプル採取や毟り取り作業があったので四十分ほど掛かりました。

そして会計へ行き国保3割負担の13700円を払って終了

しばらく休んで一階へ降りたら中学の時の同級生、一楽氏とばったり

久しぶり(数年前の同窓会)なので一時間ほど座ってお話しを

近々家かヨットへ来てくれるようになっています。

帰り道、燃料が少なくなっていたので岸石油へ寄り岸氏と長話

そして戻って三本目のキューリとニラとネギ、大根を収穫。

またまた青虫が沢山繁殖していました

夕食は終わったんですが・・・現在もなを腹がグーグチュと鳴り続け時々オナラが出ます。

今晩は風呂は駄目でシャワー、消化が良いものを食べてくださいと言われたけど・・そんなものは食べていません

明日は昼前からホロホロ出港予定です

ヨットで出たい方は連絡ください。

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余命一年

2009年06月04日 19時48分14秒 | 退職生活
世の中、先の事で「確実」と言うのは極めて少ないものです

そんな中で一番身近な自分自身がやがて死ぬと言うのは確実です

今日のタイトルですが・・・

多くの退職者のうち特に男性に言えることなんですが・・・

「何々がしたいんだけど・・家内が・・・」と言うのを良く聞きます

長く話してみると・・・・多分ですが・・・殆どの人は「反対されなくても実行する勇気がない」人のように思います。

何事も「実行」するのには勇気や根性、気合が必要です

そして・・・それらを持ち合わせていて実行しても必ずしも良い結果ばかりでないのが現実です。

何かをすれば必ず苦しいことや辛いことは付いて来ます。

しかしそんな中でも一生懸命すれば愉しく充実したそして思い出深い日々になります

「したい事が何も無い」と言う人もいますが間違いなくそれは「嘘」だと思います。

したい事が無い人なんて居るはずがないと思うんです。

もしそんな人が余命一ヶ月とか一年と宣告されると急に忙しくバタバタ何かを始めます

確実にやってくる「死」を常に意識して生きれば悔いが無い人生が送れると思うんですが・・・

実際に健康そのものであっても明日事故で死ぬかも知れないのが人です。

したい事はあっても実行する勇気や気力がない人に提案します。

余命は実際に僅かしかありませんから掛け声をかけてでも立ち上がってください

殆どの場合「やって良かった」と後で思えますから・・・

ほんとに「動ける期間」は少ししか残ってないんですよ

グズグズして過ごす時間ほど勿体無いものはありません。

とは言いましたが・・・殆どの人は死ぬ間際に人生を振り返って「まあまあだった」と思うそうなんですが

それってもしかすると何もしなかった多くの人達の「諦めの言葉」かも知れませんね

僕は愉しかったぁ~・・「良く頑張ったな~・・・」と自分を褒めて死にたいと思って日々一生懸命生きています

とは言っても多くの人達に助けてもらいながらなんですが・・・

明日は大腸内視鏡検査の日です

余命一年なんて言われないとは思うんですが・・ちょっと心配です

今日は・・梅雨になったような天気で残りのトマトに雨除けの屋根を付け、山芋を植え、トウモロコシの種を蒔くウネを広げました(二列に蒔こうと思って)

ミツバチの巣箱に沢山のアリが来て見つけたアリは潰したんですが・・アリは数が多いんで・・・これは暫く悩みそうです
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獲物用ブイとアンカー他

2009年06月03日 19時21分08秒 | 退職生活
目覚めたら本格的な雨が降っていました

迷わず考えていた「素潜り魚突き」で突いた獲物を付けておくブイに付ける小さなアンカーの製作に取り掛かりました

基本材料は宝田の家(以前の家)の向かいにある「四電工」で貰った電柱を支えるワイヤーです。

これは7本の硬い針金を捻って出来ていて一本ずつに分けると細くて頼りなげですが・・・ハガネなので見た目と違いしっかりしています

それに銅線をしっかり巻いてハンダ付け。 端のほうから解いて海底を掻く様に曲げました。

二ミリで10メートルの細いナイロン紐でブイとアンカーを繋ぎ、持ち運びの時は巻きつけて置けるように取っ手のところを細工

これで潜る場所の深さに応じて紐の長さが簡単に変えられます。

写真が出来上がった状態なんですが・・・緑色の網に獲物を入れます

ブイは4リットルの焼酎瓶。

アンカーの大きさは比較で解ると思いますが小さなものです。

使ってみないと解りませんが・・・見る限り「手応えあり」です。

そしてこれに予備のポイント(チョッキ銛)を二個つけているんですが・・・見てください。

簡単なつくりですが結構イケルでしょ

次回潜りに行く日(土曜日)が楽しみです

半ば出来上がって材料が足りなくなって100円ショップとホームセンターへ。

必要なモノを買うだけでなく、しっかり在庫を覚えておけば色々な工作する時の代用品になったりするから・・・

この二つの店は・・・何時間いても愉しいところで・・二時間半すごしました

戻ったら柳田夫妻が買い物に来たと大きな新ジャガを持って寄ってくれました

丁度シリコン細工が乾くのを待つ時間だったのでゆっくりお茶を飲んでお話し。

その後続いて高源ちゃんが焼きたてのパンを持って寄ってくれ再度お茶

高源ちゃんの家は徳島でも有名な老舗の大きな建築会社なんですが・・・

やはりこの不景気の影響で新築などは減ったそうです

仕事を請け負ってもお金を全て貰うまで心配しなければならない場合もあるし・・・気を使い続けるのは・・・と子供は公務員にしたいな~・・と言っていました。

確かに公務員は入ってしまえば後は何もしなくても死ぬまで安心だもんな~・・・

でも・・・我が家(倉庫ハウス)の向かいの中学生も僕が聞いた限り全員公務員になりたいと言っているし・・誰に会っても子供は公務員にしたいと言ってる・・・こんな日本という国は余程政治が狂っているのでは

明日は3食とも「検査食」を食べ下剤を飲む日です。

CTで異常があると判明している大腸検査日は金曜日

大腸内視鏡検査は・・・最近苦しくないと今日柳田氏奥さんが言ってくれましたが


写真をクリックすると大きく見えます
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胃カメラ検査の現状

2009年06月02日 21時13分27秒 | 退職生活
ここ数日何故か朝寝坊になている溝田です

今日は日赤病院で胃の内視鏡検査の日受け付け時間が8時四十分だったのに目が覚めたら7時45分でした

美由紀は毎日早くから花壇をいじっていて「時間忘れ」状態だから起こしてもくれませんでした。

慌てて準備して家を出て少し走ってから同意書などが入った予約用紙セットを忘れているのに気付き引き返すと・・・8時15分

日赤は隣の市で小松島市、混んでなければ間に合う時間だけど・・・通勤ラッシュ時間で・・・着いたら九時になっていました

でも「大丈夫です」と言ってくれて受付を済ませ検査室へ。

しばらく待って最初にコップに入った100CC程のやや粘りがある液を飲みます。

続いて肩へ注射。これが結構痛かった

そして検査前に今度は喉へスプレーを。

検査室へ入ると膝を少し折って左をしたにして横に寝ます。

斜め上にテレビ画面があってそれが見えます。

僕が以前胃カメラで調べたのは10年余り前でオーストラリアのケアンズでした。

その時一度目の説明で見せてくれたカメラが余りにも太いから心配してたんですが・・実際の検査の時は背骨に麻酔注射されて・・・気がついたら3時間が経過して訳がわからないまま検査が終わっていたんですが・・・

今回のカメラは「これなら」と思うくらい細かったです

でも喉を通る時はちょっと苦しい

しかし斜め上のテレビ画面を見ていると・・・ほんとにこれが自分の食道や胃のなかかと思うほど鮮明に見えました

20分ほど時々ゲップが出てしまうんですが空気を入れながらアチコチを調べて終了

胃カメラの技術が進んだのか??全く楽に検査は終わりました

結果は少々荒れや変形はあるけど特に異常なし

今回は胃に関しては余り心配してなかったんですが・・・でもはっきり解って良かったです。

検査料(国保30パーセント)で3700円を払ってしばらく休んで戻ってきたら11時。

朝を抜いていたから早めの昼ごはんを食べると何故か疲れが出て昼寝

このところ昼寝が続いているんです。寝不足ではないのに・・・

でも「出来る身分」だから

目が覚めて散髪に行き(60歳以上千円コース)その足でヨットを他の場所へ置けないかと北の脇漁港へ行って友達を探し話をしたんですが・・・

すぐには決まりませんでした。

でも聞いておいてくれるとの事。

その後・・ホロホロを見に行って近くにヨットを停めている竹内氏(初対面)と長くお話しをして戻ったら薄暗くなりかけていました

晩御飯を食べて工作場へ

実は先日橘湾で潜った時、突いた魚をブイの下へ付けて置くんですが・・・普通はブイと体を紐で繋いでいる人が多いようなんですが以前それをしたらロープが脚に絡んで具合が悪いのと・・もう一つブイと人の間を船が通った事を考えると・・怖いので今はただ浮かしているだけにしています。

そうすると・・潜ってしばらく息を止めて魚を待っていますから・・ブイが風に流されて毎回泳いでとりに行かなければならないんです

それを何とかしたいとここ数日考えていました

そして思いついたのが小さなアンカーでした

明日は天気が悪いみたいなんで・・・それを作りたいと思います。

もし天気が良ければ今日会った竹内氏のヨットのスピードが出ないと言うので見に行ってあげることになっています

最後になりましたが・・オーストラリアで胃を調べた原因は・・・太平洋の島々で獲って食べた魚にシガテラ毒魚がいてそれが原因で吐き気その他障害が出ていたものでした。

特にフレンチポリネシア(タヒチ周辺)の魚は毒魚が多いので注意が必要です。

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ヨットオーナーへの道

2009年06月01日 19時42分40秒 | 退職生活
今日は6月1日

徳島の山奥で生まれ育った者にとってそれは夏への「節目の日」でもありました。

小学生低学年の頃からこの日は裸で唇が真っ青になっても川に潜り鮎を獲っていたんです

養殖鮎など無かった時代でしたから大きいのが獲れたら大事にイケスで飼って買い取り業者が回ってきた時に売って小遣い銭を稼いでいました。

だから・・・毎日学校が終わったら必ず川へ行って・・・

社会人となってから売ることはしなくなりましたがそれでも毎年6月1日が近づくとソワソワ、ウキウキ道具の準備をしたものです

そんなことで今日は鮎コロガシ漁に行ってきましたが・・・

今年は鮎が少なかったようで3時間半竿を振って4匹

残念な結果に終わりましたが・・・その頃テク近藤氏はケンチョピアからヨットで阿南橘港を目指していました

このところホロホロが橘湾で愉しんでいるので一緒に遊ぼうとやってきたんです。

迎えに行ってホロホロの横へ抱かせました

一週間ほどは出張で出れないそうですがその後は行動を共にしますので皆さん一緒に遊びましょう



さて昨日の予告のように今日は「ヨットオーナーになるには」について書きます。

新艇の場合ヨットは非常に高価ですが中古になると驚くほど安く買えるものもあります。

日本人は何故か20年余り経過したヨットを非常に古いと考える人が多いようで極端に値が下がります

その値段はおそらく世界一安い国でしょう。

ヨーロッパだと50年60年経過したヨットに普通に乗っているし、それほど値段が下がることはありません。

実際に手入れしながら乗れば半永久的に乗れるんです。

それと日本人が持っていたヨットは休暇が短いことと乗り方を知らないからはっきり言って古くても殆ど乗っていない物が多く殆ど傷んでいないヨットが多いです

だから狙い目は20年以上経過したヨットだと思います。

これは値段だけでなくその頃より以前に作られたヨットはビルダー(造った会社)が良心的なんです(最近は採算重視が多い)

それと独断と偏見かも知れませんが日本で乗る場合25フィートから30フィートの範囲がベストでそれ以上大きいヨットは「見栄」で実用的でありません。

そしてこのサイズで世界一周も行きたければ充分安全に(僕のヨットと変わらない程度。ただし快適さでは当然ながら差がある)行けます

ただヨットには設計段階からレース用とクルージング用、また両方備えていてもどちらかに重点を置いて造られています。

どちらを選ぶかは本人の使い方ですが・・・僕はクルージングに重点を置いた艇が安定性や安全性、対航性から考えて良いと思っています

そしてお奨めは25フィートならヤマハ25MKⅡです。

ちょっとインターネットで探してみたら下記のアドレスに出物がありました(念の為言っておきますが利害関係は全くありません。また現物を見てないのでこの艇が薦められるものかどうかは解らない)

http://yachts-japan.com/2009/05/25mk.html

このY25MKⅡが気に入っている理由は小さくても充分外洋に出る事ができる構造(本格外洋クルージングタイプ)と壊れ難く壊れても世界中何処ででも部品が手に入るヤンマーのディーゼルエンジンが載っている事です。(6人分のベットがある)

これが25万円ですよ新艇は600万円以上したと思うけど・・・

さてこれを購入したとします

先ず必要なのは船検(日本で無ければ必要ない。天下り組織、小型船舶検査機構がする)でこれまた別の天下り組織が認定する桜マーク付き備品(なぜか格別高いけど全く駄目なものが殆ど)を買って受けなければなりません

もしも海技免許が無ければ・・・これも日本だけですが天下り組織(日本船舶職員養成協会?だったかな)の免許を受けなければなりません(海外でヨットを買って日本に寄らず世界一周するなら免許も検査も不要です。外国のヨットが日本に寄港した場合誰も免許も検査も受けていませんが取り締まることは出来ません。日本だけの天下りがしている決め事ばかりですから

それはそれとして・・・腹は立ちますが「天下り蛭人間」の言う事を聞いて「限定沿海プラス沿岸5マイル」と言うのを受けると屋久島から南には行けませんが日本一周できます。費用は備品込みで五万円ほどです。

3年で中間検査があって中間検査は2万円ほどだったと思います。

それ以外に場所によっては高い係船料が必要なところがあります

特に関東地方では

しかし・・他の地域では・・・・探せば殆どの県ではタダで置ける場所があります

とは言ってもタダで置く場合「常錨」など母港とする場所に係船する用品が五万円位必要です

他に一年に一度ヨットを陸に上げて船底塗料を塗らなければなりません。(その時プロペラを守る亜鉛も換える)

この費用が3~4万円掛かります。

他に少々備品(錨やロープ)が必要になりますが・・・

これらの出費が覚悟できたら貴方もヨットオーナーになれヨットで日本一周が出来ます

早い話し50万円あれば数年間はヨットで日本を周る事ができる(日本中が別荘?燃料、食費は別だけど。燃料代は一日中エンジンで走っても1000円は要らない)と言うことです

30フィートのヨットとなると・・・僕のお奨め一番は「ヤマハ30CⅡ」でこれは100万円から150万円ほどするようです。(他の費用は殆ど変わらない)

30フィートは他にも良い船はありますから好みで選んでもいいでしょう。

出来る限り業者から買うより個人売買がお得です。ヨット雑誌の「売ります買いますコーナー」などを見るもの良いでしょう

ここでこれ以上書くのは難しいので・・・聞きたい事があればHPの掲示板にでも書き込んでください。

近藤氏を徳島へ送って戻ってきたら大澤さんから多量のキクラゲが届いていました

生のキクラゲは美味しいですよ。

大澤さん、有難うございました



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