「世界一の大金持ちになる」
「世界一速い飛行機乗り(アビエイター)になる」
子どもだったハワード・ヒューズのつぶやきは、すべて現実のものになる。しかしだからといって彼は幸せだったのか……
監督はマーティン・スコセッシ。ロバート・デ・ニーロと組んで傑作を連発したニューヨーカー。何度もアカデミー賞の候補になりながら、オスカー受賞は「ディパーテッド」まで待たなければならなかった。
彼の作品でわたしが好きなのは、いかにも傑作然とした「レイジング・ブル」よりも、初見のときのショックもあってダントツに「タクシー・ドライバー」。確か3回観ている。ベトナム帰還兵が“壊れながら”暴走する過程がみごとに描かれていた。
この「アビエイター」も、実は同じ構図をとっている。潔癖性の母親に育てられ、しかも早くに両親を亡くしたヒューズに欠けていたものは“成熟”であり、代わりに与えられたのが“あふれるほどの金”だったため、必然と言えるぐらいに彼は壊れていく。このあたり、スコセッシの語り口はさすがにうまい。
でも。
無い物ねだりを承知で言うが、やはりこの役はディカプリオのものではなかった。彼が本当にうまい役者であることはよーくわかった。でも、表情に肝心の陰翳が感じられない演技には、出ずっぱりであることも手伝ってちょっと辟易。ごひいきケイト・ブランシェットが大女優キャサリン・ヘップバーン役を軽々とクリアしていたのと対照的。まあ、ディカプリオのファンには至福の三時間なのだろうが。
さて、後半生を隠者として過ごしたハワード・ヒューズの人生が、はたして幸せなものだったかという冒頭の問いに、スコセッシは絶望を回避するように描いている(ようにわたしには思えた)。幸福ではなかったかもしれないが、彼がいちばん怖れたであろう退屈からは逃避できたのだ。それで、十分だろう。