事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

Auld Lang Syne

2008-04-15 | 情宣「さかた」裏版

Danforgelberg   一、
  ほたるの光、窓(まど)の雪。
  書(ふみ)よむ月日、重ねつつ。
  いつしか年も、すぎの戸を、
  明けてぞ、けさは、別れゆく。
 ニ、
  とまるも行くも、限りとて、
  かたみに思う、ちよろずの、
  心のはしを、一言(ひとこと)に、
  さきくとばかり、歌うなり。

 ……季節はずれでもうしわけない。これはもちろんおなじみ卒業式の定番「蛍の光」。正直、美しい詩だと思う。原曲はスコットランド民謡"Auld Lang Syne"=Old Long Since「むかしむかし」。原詩は、旧友と昔を懐かしみながら一杯やろう、という内容。スコットランドでは国歌に匹敵するぐらいメジャーで、みんなで手をつなぎ合って歌うのだという。アイルランドにおけるダニー・ボーイみたいなものだろうか。

遠く離れたスコットランドの歌がどうしてこれほど日本人に愛されているかというと、「蛍の光」が他の多くのスコットランドの歌と同様、日本の伝統的な音階「四七抜き(よなぬき・ファとシがない)」の五音階で作られていることが大きな理由だと言われている。唱歌に採られたのもこのためかもしれない。事実、明治期に文部省の委嘱で唱歌選定を一任された「お雇い外国人」の米国人教育学者ルーサー・W・メイソンは、日本の生徒に西洋音楽を教える難しさのなかで、ファとシを歌えないことをあげている。

 この曲について、先日行われた県教研で、講師となった北村小夜さん(元教員、障害児を普通高校へ全国連絡会世話人)が意外な話を聞かせてくれたので紹介しよう。実は「蛍の光」には、戦後歌われることがなくなった三番と四番があるというのだ。

 三、
  筑紫(つくし)のきわみ、みちのおく、
  海山(うみやま)とおく、へだつとも、
  その真心(まごころ)は、へだてなく、
  ひとつに尽くせ、国のため。
 四、
  千島(ちしま)のおくも、沖縄(おきなわ)も、
  八洲(やしま)のうちの、守りなり。
  至らん国に、いさおしく。
  つとめよ わがせ、つつがなく。

Albumcoversdanfogelbergtheinnocenta ……戦時中は地名が樺太や台湾、はてはアリューシャンとサイパンに言いかえられた歴史もあるのだという。意外なほどの軍事色。学習指導要領のなかで、他の教科と違い、教材そのものが提示されている音楽科で、この曲が採りあげられ続けている意味を考えてくださいと北村氏は語った。「へぇ」と言っているだけではすまない問題が、「蛍の光」の背後にはある。

※軍事色が強い背景には、文部省唱歌(著作権は文科省にある)の成り立ちと関係がある(「蛍の光」は文部省唱歌ではなく、国定教科書に載ったこともないが)。明治初頭、当時の文部省は、伝統的な日本音楽を捨てて西洋音楽を採用するにあたり、原曲とは関係のない歌詞を、国文学者を動員してつけたのである。友だちと一杯やる詩とかは教育的じゃないからまずかったわけだ。

画像は「懐かしき恋人の歌」Same Old Lang Syneダン・フォーゲルバーグ(合掌)
美しい旋律、どこまでも透明なボーカル。お前は小田和正かと思うほどナンパな曲。ちょっと今聴くのは恥ずかしい。しかし「蛍の光」のメロディが効果的に使われていてかなり泣ける。傑作アルバム「イノセント・エイジ」(‘81)所収。わたしはこのアルバムをいとこからぶんどった。

「情宣さかた」裏版2003年11月14日号。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「転々」('07 スタイルジャム)三木聡監督 藤田宣永原作

2008-04-15 | 邦画

Tenten_2   何度でも言う。いま日本でいちばんうまい役者は文句なく三浦友和だ。異常な役であろうが普通人の役であろうが、スクリーンの温度そのままに、自然にそこに存在する。“力演”とか“熱演”とはほど遠いように見えるが、そう感じさせないあたりがみごとなのだ。

 ちょっと彼のフィルモグラフィーを見てみよう。

伊豆の踊子(1974年)
潮騒(1975年)
絶唱(1975年)
風立ちぬ(1976年)
春琴抄(1976年)
泥だらけの純情(1977年)
霧の旗(1977年)
ふりむけば愛(1978年)
炎の舞(1978年)
ホワイト・ラブ (1979年)
天使を誘惑(1979年)
古都(1980年)

上の12作品が、後に奥さんになる(って言わないと知らない読者だっているかも。いないか)山口百恵との共演作。東宝はこの当時、夏と正月を百恵映画でしのいでいたわけ。彼女のレコードが名前ほど売れていたわけではないように、百恵映画自体もそんなに大ヒットしていたわけではない。松竹の寅さんや、東映のトラック野郎シリーズの方が観客動員数は多かったはず。

 このころの友和は、まさしく無色の存在。よけいな個性がないものだから、女性観客たちがヒロインに感情移入するのにぴったりだった。そう、百恵映画は明らかに女性向けにつくられていたのだ。高校時代に「泥だらけの純情」を観ていたとき、隣に坐ったOLが激しく泣き出したのを観て「これは女性にしかわからん」とため息をついたのをおぼえている。

 で、このままだったら次第にフェイドアウトしていっただろうに(百恵抜きの場合、「姿三四郎」など、興行成績はふるわなかったし)、「台風クラブ」での相米慎二の徹底した演技指導で開眼したか、彼はいっきに名優への道を歩んでいる。【百恵の亭主】という称号に、誰よりもいら立っていたはずなのに、演技力でくつがえしてみせたわけだ。

大日本帝国(1982年)
海峡 (1982年)
さよならジュピター(1984年)
台風クラブ(1985年)報知映画賞助演男優賞受賞。
彼のオートバイ・彼女の島(1986年)
野ゆき山ゆき海べゆき (1986年)
無能の人(1991年) 毎日映画コンクール第46回助演男優賞受賞。
M/OTHER(1999年)
なごり雪(2002年)
茶の味(2003年)
Mr.インクレディブル(2004年)=声優
サヨナラCOLOR(2005年)
ALWAYS 三丁目の夕日(2005年)
松ヶ根乱射事件(2006年)
転々(2007年)
ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007年)

 この「転々」でも、ある理由で吉祥寺から霞ヶ関まで“歩かなければならない”さえない取り立て屋を、アイドルだった時代を微塵も感じさせずにもっさり演じている。これがまた、実にいい。

 こんな友和に、オダギリジョーと小泉今日子がからむんだよ。三木聡の「時効警察」ノリと、“偽の家族”を描こうという藤田宣永の意図とは微妙に食い違っているけれど、面白くないわけがないのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「甘い人生」a Bittersweet Life

2008-04-15 | 洋画

Abittersweetlife  息子を映画に連れて行く、という名目で家を出たものの、息子は“「コンスタンティン」が観たいのに時間が合わないので「名探偵コナン」”わたしは“「クレしん」ならともかく「コナン」かよ”という気合いの入らなさ。映画興行の業界から始まったといわれる黄金週間というフレーズだが、今年(2005年)はどうも今ひとつのような気が……

 で、わたしは同じ2時間を過ごすなら、絶好調の東宝アニメに貢献するまでもあるまいと通常なら絶対に観ない映画を選択。

「甘い人生」a Bittersweet Life

甘い、人生ですよ。キャッチコピーはこうだ。
愛した俺が間違いなのか
普通、中年男はこういう映画は観ないのである。でも、ネットなどでチェックすると、どうもこう、悪くない予感がする。匂い、というか。

館内は予想通りおばさま韓流ファンでいっぱい。ファーストデー割引で一律入場料金が千円なのも影響したか。連休中なのでヒゲはボサボサ、黒いスウェットに黒いジーンズというくたびれ果てた中年はそぉーっと席につく。

お?

上映後、おばさまたちは「つ、疲れたー!」とため息をついている。そりゃそうだ。だってこれ、どう考えてもあなた方のために作られた映画じゃないぞ。暴力シーンはさすがR指定だし、ラブストーリーなのに主演女優は10分ぐらいしか出てこないし(笑)。これは、東映やくざ映画と任侠映画をあびるほど観て、近頃の日本映画にもの足りなさを感じている淋しき中年のための不健康な代物だ。しかも、韓流の好調さを物語るように本気でスタイリッシュ。エンドタイトル後に、主人公演ずるホテルマンが死に場所に選んだバーの名が一瞬画面に出るあたり、悪くない。

 まあ、まもなく再開するドッペルゲンガーシリーズ風に言えば、イ・ビョンホン、キム・ヨンチョル、シン・ミナの三角関係は、油断すると原田泰造と浅田次郎が杏里を奪い合っているように見えなくもないのだけれど、そのコテコテぶりも含めてわたしは満足。意外におすすめな一本。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする