交番を襲うのは元自衛官と決まっているのだろうか。令和元年の今年もまた大阪の交番が元自衛官に襲われた。西武新宿線の中村橋駅の交番がひとりの元自衛官に襲われて警官二人が殺されたのは奇しくも平成元年だった。
警官は自衛官に比べて近接格闘に圧倒的に弱い。自衛官の訓練が拳銃や小銃、ナイフなどを持つ屈強な男を想定して、相手を殺すことを目的としているのに対して、警官は一般人を相手の逮捕術の訓練しか受けていない。警官は丸腰の素人にしか勝てないのだ。
訓練の差は覚悟の差でもある。自衛官は軍人だから人を殺すのに一瞬の躊躇もない。しかし警官はもともと人を殺すことを目的としていない。だから発砲するのは勿論、特殊警棒で殴打することさえ躊躇いがある。その差は決定的であり、闘う前から勝負は見えている。
警官が自衛官並みの訓練をすればいいというのではない。それでは治安の悪いアメリカみたいな社会みたいになってしまう。暴力に暴力で対抗しようとするとどこまでもエスカレートする。武器から兵器への移行は境目がないから、個人の武器争いがいつの間にか国家の軍事力競争になる。アメリカは個人から国家まで武装している。日本で武器を揃えている連中がいるとしたら、暴力団か半グレ集団だ。ろくでなしである。アメリカは国家総出でろくでなしということなのだ。
日本がそうならないためにも、自衛隊は解体する必要がある。武器や格闘術を放棄して、災害対策専門の部隊となればいいではないか。毎年5兆円もの経費をかけて、憲法で放棄しているはずの戦争の準備をするくらいなら、自衛隊などないほうがいい。自衛隊は階級社会だから、かつての日本軍のような陰湿ないじめが発生しやすい。自殺者も多分相当数に上るだろう。
元自衛官であることをクローズアップすれば、自衛隊が抱える問題もクローズアップすることになる。だから報道は犯人の父親がテレビ局の常務であることばかりを報ずる。しかも内輪に甘いからしばらくはこの情報さえ出さなかった。このまま自衛隊が存続すれば、いずれはペルシア湾に派遣せざるを得なくなるだろう。戦闘になれば戦死者も出る。世界に誇る憲法第9条がなし崩しに破られてしまうのは見たくないのだ。
「お前じゃなくて社長が出てきて謝れよ」
昔クレーム対応をしていた時に、よくお客さんから言われた言葉である。こういう言葉に対して「社長を出せなんて無礼だ」などという返事はありえない。迷惑を被ったのはお客さんで、こちらは加害者の立場だ。確かに言いがかりみたいなクレームもあった。そんなときは社長に連絡することはないが、お客さんが怪我をしたとか火傷をしたとか、そういう重い被害のときには場合によっては社長が対応することもある。被害者からすればトップが出てきて謝罪するのが当然だと思う心理は、確かに当然だ。
さて韓国の国会議長が「天皇が謝罪すればいい」と言ったとか。国家と国家を人格になぞらえて言うならば、韓国はどう考えても被害者である。豊臣秀吉の昔から、中国と日本で朝鮮半島を好き勝手に踏み荒らしてきた。その歴史を踏まえれば、トップが謝罪するのは当然で、ましてや第二次大戦は大東亜共栄圏などという滅茶苦茶な大義名分で韓国の国土と国民を蹂躙してきたのは明らかである。A級戦犯たちは、遠山景元の白洲であれば市中引き回しの上打ち首獄門に処せられたであろう。
現代は一部の国を除いて残虐刑が禁じられているから、A級戦犯たちも打ち首獄門にならずに済んだ。中にはうまく立ち回って不起訴となった者もいる。安倍晋三の祖父、岸信介である。それに昭和天皇だ。アメリカは日本と日本人を研究して、権威に弱いその国民性から、A級戦犯である筈の昭和天皇を断罪しなかった。精神力の弱い国民性だから、天皇という拠り所を失えば何をしでかすかわからなかったからだ。
そうやってアメリカに勘弁してもらったとはいえ、昭和天皇は戦争犯罪人であることは明らかだ。息子である明仁がその重荷を背負ってアジア各地を行脚したことは誰でも知っている。父親の犯罪から逃げないで、立派に天皇としての務めを果たしてきた。再度韓国に謝ることにどれほどの抵抗があろうか。父が大変な迷惑をかけた。本当に済まなかったと言えばいいだけである。心からなどという言葉はない。内心の自由は天皇にだってある。心から詫びているように見えればそれでいいのだ。
お客さんに大きな迷惑をかけたら、会社であれば社長が謝罪する。ましてや日本はたくさんの朝鮮人の命を奪っているのである。トップが謝罪して当然だし、謝罪で済むならこれほど有り難い話はない。逆に謝罪さえできないとなれば、朝鮮半島と日本の関係は更に悪化する。安倍晋三のゴミみたいなプライドのおかげで戦争になったりすれば、目も当てられない。それは平成天皇も浩宮も同じ気持ちだろう。特に明仁はすぐにでもソウルに行って謝罪をしたいと思っているはずだ。これまでの彼の地道な活動を考えれば、当然のことである。
朝鮮半島の文化は日本と同じ神道である。それもそのはず、神道は日本古来ではなく、朝鮮半島から伝わったとされているのだ。神道は権威を重んじるから、総理大臣よりも天皇が謝罪したほうが一度で済む。世界の王のランキングで言えばエンペラーに当たる日本の天皇の権威は最高ランクである。それより上の謝罪はないのだ。自由な精神の持ち主は、エンペラーの権威など歯牙にもかけないだろうし、そもそもそういう人は謝罪など求めないだろう。権威主義の国家と国民が権威からの謝罪を求めるという、低レベルの言い争いが今回の話の本質だ。だからこそ、そんな子供の喧嘩みたいなレベルで戦争がはじまってほしくない。そう思っている人間は皇室にも国民にもたくさんいるだろう。
韓国の駆逐艦が日本の自衛隊機にレーダーを照射したということで、何か揉めている。照射は戦争行為だとかなんとか、軍事評論家を名乗る中年男たちが韓国の行為に憤って見せているが、一連の報道に強い違和感を感じているのは、多分私だけではないだろう。
そもそも互いに武器を所持しているから、こういう問題が起きる。例えば堅気の人間同士が道路ですれ違ったときに、互いに目が合ったとしても特に危険を感じることはない。しかし一方、または両方が懐にチャカやドスを隠している暴力団員だったらどうだろう。「ガンをつけた」などと、相手に因縁をつけることがあるだろう。
今回の一件はまさに、暴力団員同士がすれ違って揉めているような、そういう印象を受ける。ガラが悪いのだ。日本も韓国も文明が進んだ先進国ではないのか。北朝鮮や昔のリビアみたいに無法者国家同士の主張のように見える。日本海を飛んでいた海上自衛隊というチンピラが、韓国軍がガンをつけたと兄貴分に報告。これまでなら、おそらく兄貴分が先方の兄貴分と話してそれで終わりだっただろう。しかし兄貴分は親分に報告。単細胞の親分が先方の親分に文句をつけた。それが今回の一件の構図である。
武器を持たない国は、相手を攻撃する意志がない。街を歩いている堅気の人間と同じである。だからすれ違う人も危険を感じない。武器を持ち、他国を敵と想定しているから、こんなことが起こる。そして国民は報道に踊らされて相手国が悪いと思う。権力者のモリカケ問題は忘れてしまう。実はそれが狙いなのではないか。そうこうしているうちに権力者同士は互いに引くに引けなくなり、やけくそで宣戦布告などという事態になりかねない。権力は過ちを決して認めないから、そのときになって国民が政府を止めようとしても、時すでに遅しである。
日本国憲法の前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という一節がある。政府は決して戦争を起こしてはならないと書かれてあるのだ。しかしいまは、政府も国民も、この格調高い前文を忘れてしまったかのようである。日本人はどこまでレベルが下がれば気が済むのだろうか。
貴乃花の弟子貴ノ岩による付き人暴行事件でワイドショーが賑わっている。本人の自覚や相撲協会の姿勢などが問われているようだが、暴力事件が起きる本質はそんなところにはない。
人は何故人に暴力を振るうのか。大まかに言えば、自分を肯定して相手の人格を否定するからである。相手の人格を否定するには力関係という条件がある。例えば学校の友達が遅刻したりミスをしたりしても、簡単に暴力を振るうことはない。これが力関係が著しい関係性ではどうか。軍隊では上官が部下を殴るのは日常的だろうし、暴力団ではヘタを打った子分を親分や兄貴分が殴ったり指を詰めさせたりする。親は子供を殴るし、教師は生徒を殴る。体育会の先輩は後輩を殴るし、応援団の団長は団員を殴りまくる。創業社長は社員を殴って言うことをきかせる。日本中に暴力が溢れていると言っていい。
他人の人格を否定するまでに力関係が出来てしまうのは、封建的な精神性がいまだに生きているからである。封建主義は簡単に言うと、生活の糧を与えてくれる人に従うということである。一般に、社員は社長に従わなければならないし、子は親の言うことをきかなければならないが、何でもかんでもという訳ではない。労働契約で労働時間は企業の利益のために働き、命令系統には従う必要がある。家庭を維持するために親の言うことをきくのも当然である。しかし、憲法で保障されている基本的人権まで投げ出す義理はない。社長から頭を坊主にして土下座しろと言われても従う必要はないのだ。
ところが基本的人権を否定する封建主義が行き渡っている日本では、容易に相手の人格を否定して、暴力を振るう。軍隊の上官にとって部下の人格などないに等しい。暴力団の組長にとって組員は、親にとっての子と同じく、生活の糧を与えているのだから、言うことをきかないのは許せない。口答えをする子供を親が殴るように、親分は子分を殴る。教師は生徒を殴る。社長は社員を殴る。監督は部員を殴る。
日本は市民革命なしに民主主義が成立した国である。自分たちで勝ち取った自由や人権ではないのだ。だからいまだに人の人格を金で買えると思っている人がたくさんいる。経営者の多くに、労働時間外でも社員に電話をしたり深夜の出社を強要したりする人間がいる。本人は給料を払っているのだから当然だと考えている。人権蹂躙になるとはちっとも思っていないのだ。人を殴ることについても、殴られる側の人権などこれっぽっちも脳裏に浮かばないだろう。
封建主義の精神性を世の中から駆逐しない限り、暴行事件は永遠になくならないのだ。
北朝鮮の問題について、世界中の人がすでにみんな気付いていることだが、誰も言い出せない解決策がある。
それはアメリカが核兵器を廃絶することだ。現実的にはトランプにはもちろんできないだろうし、議会も承認しないだろう。アメリカの世論も核兵器廃絶には反対だろうし、軍需産業も黙ってはいないだろう。
しかし北朝鮮の核がダメでアメリカの核はOKだというのはどう考えても道理が通らない。日本で警察官が拳銃の所持が許されて一般人はダメだというのとは話が違うのだ。国と国とは対等でなければならないし、アメリカはもはや世界の警察としての役割を果たし得ない。日本の警察官も職務以外の拳銃の携行は許されないのだ。
オバマはそれがわかっていた。世界を核の脅威から救い出すためには、まずアメリカが核を廃絶しなければならない。無論大変な勇気のいる決断である。その勇気を彼はアメリカ国民に訴えた。やればできる、イエス、ウイキャン。
しかし残念ながらアメリカ国民はオバマの期待に応えることができなかった。軍需産業複合体と全米ライフル協会に代表される抵抗勢力が先頭に立ち、オバマの願いを悉く踏みにじったのだ。それは世界が核の脅威にさらされ続けることで緊張が持続し、武器の需要が継続するからだ。戦争は人と人との争いが生むのではない。武器が戦争を生み出すのだ。中東の紛争でどの国の武器が使われているか、報道を見てみればいい、大半がアメリカ製かロシア製だ。
もしトランプが世界一の権力者である合衆国大統領として、数十兆円の収益を上げる軍産複合体関係者の全員を無職に追い込むことも辞せず、侵略兵器の放棄に踏み出すなら、稀代の大統領としてリンカーンを抜いて歴史的に最高の評価を受けることができるだろう。オバマに続いてノーベル平和賞を受賞もするだろう。
軍需産業の収益は、大半がアメリカ国民の税金だ。それが侵略兵器でないものに使われれば、社会の底辺をさまよう膨大な人数が、人間の尊厳を回復できるだけの暮らしに復帰できるだろう。武器を作っていた人々は、平和のために働くことができ、尊敬を受けるだろう。アメリカが武器を作らなければロシアも作らなくなる。中東に回る武器がなくなって、子供たちが爆弾や銃弾や地雷の犠牲になることもなくなるだろう。
こんなことは世界中の人が分かり切っている。しかし誰も言葉にできない。何故なのか。そこに人類の不幸の秘密がある。武器商人はいつまでもいつまでも武器で稼ぎ続けたいのだ。日本の原子力ムラと同じ構図である。人類がアメリカの核を肯定し続ける限り、世界に平和が訪れることはない。
国会では働き方改革でアベシンゾウが出したデータが嘘ばかりだったと喧(かまびす)しい。もともとアベシンゾウはトランプ、金正恩と並んで世界三バカトリオのひとりだ。嘘と開き直りと整合性のなさは天下一品である。整合性がなくてもいいということは論理が破綻しても平気だということだから、どんな議論にも対応できる。論理的に勝つことはできないが、なんでも言い返せるのだ。たった今自分で言ったことと正反対のことを平気で主張すれば、相手はあきれ返るだけである。それでもへっちゃらなのだ。だから東大法学部卒業で元検事の山尾志桜里にだって憲法論争で堂々と渡り合える。山尾志桜里は相手のあまりの頭の悪さにあきれ返っているが、意味不明だろうが論理が破綻していようが、声を張って自信ありげにやり返せば、堂々と渡り合えているように見せかけることができる。国民にはそう見えると思っているのだ。
まったくもってガキ大将レベルのクズみたいな人間である。そんなクズを選んだのが日本の有権者たちだ。選んだ者たちもまたクズばかりである。
そんなアベシンゾウに嘘のデータを渡した公務員は、労働基準法の適用を受けない。その代わりにお手盛りの手当てが山ほどある。一度、国家公務員の年収を200万円にして、年間4000時間働かせてみたらどうか。10年たっても過労死がひとりも出ず、誰も退職しなかったら、その時は嘘のデータも働き方改革も、堂々と主張すればいい。
暗愚の宰相アベシンゾウによるモリカケ隠しの敵前逃亡解散から、総選挙に突入した。解散に合わせて小池百合子の希望の党が新党の名乗りを上げて、あたかもアベに対抗する一大勢力でもあるかのようにマスコミを操作している。
しかし小池百合子という政治家の来し方をよく調べれば、アベシンゾウと同じく戦争に向かおうとする超タカ派であることがわかる。戦争を美化する青嵐会出身の政治家なのだ。そんなことを知らなくても、公認の条件として安保法制を支持し、憲法9条を変えることに賛成しなければならないということなら、これはアベ自民党とまったく同じではないか。つまり自民党も希望の党も同じ穴の狢なのだ。自民党に投票したくないからと、間違えて希望の党に投票したら、自民党と合わせて巨大なタカ派政権が誕生することになる。そんな政権ができてしまったら、北朝鮮の脅威をあおって国民を好戦的な雰囲気に導くだろう。戦争へまっしぐらに向かう道だ。誰が見てもヒトラーの手口とまったく同じだ。マスコミはどうして指摘しないのか。
この選挙は国民が戦争か平和かを選択する選挙になる。平和を望むなら、自民党にも希望の党にも投票してはいけない。共産党や社民党、または枝野幸男や辻元清美などのリベラル派がつくる新党に投票するしかない。もし戦争を望むなら、希望の党に投票することだ。政権が発足したらほどなく徴兵制が始まるだろう。
戦争とはきれいごとではなく、理不尽な人殺しであることを思い出してほしい。北朝鮮の国民は圧政に苦しんでいる。情報が閉ざされていて、世の中に民主主義というものがあることを知らない。自由や人権というものを知らなければ、親の言いなりになる子供のように反日の意見を言うのも当然だ。そんな無知で気の毒な人々を最新の武器で殺しに行くのが戦争なのだ。そして殺しに行くのは顔のない兵士ではなく、あなたの優しい夫であり息子である。息子を人殺しにしたい人は希望の党に投票すればいい。願いはかなうだろう。
鳩山由紀夫が総理大臣としてやろうとしたことをご存じか。平和憲法を守り、軍備を放棄し、沖縄から米兵を退去させることだ。それは被爆国としての日本がなすべきことだ。しかしアベ自民党がやってきたことは、それとは逆で、平和憲法を破壊し、アメリカから兵器を買って軍備を増強し、沖縄の米軍基地を拡大し援助する。鳩山由紀夫はCIAの陰謀で挫折した。核兵器を世界から廃絶するというオバマ大統領の悲願は、世界中の抵抗にあって挫折してしまった。しかしアベはトランプとキムジョンウンを味方にして戦争する国にしようとしている。それどころか、核兵器も持とうとして虎視眈々だ。
世界は軍産複合体の利益のために各地で戦争を起こしている。武器商人のための戦争だ。武器や弾薬は時間で劣化する。使わなければ不良在庫となるのだ。そんな武器商人の資本主義のために無辜の人が何人も死んでいく。理不尽でなくて何だろう。恐ろしいのは、核兵器も劣化するということだ。使わなければ無駄になる。無駄になったウランやプルトニウムをどうするのか。実はそのために原発がある。日本が脱原発できないのは核兵器を持つ野望があるからだ。同じ野望を持つ希望の党は、当然原発をやめるつもりなどない。希望の党ではなく野望の党だ。
アメリカをはじめとする死の商人の国は、世界で戦争がなくならないようにセールスマンが武器を売り歩く。トランプによるトップセールスもそのひとつだ。さしずめ日本はお得意様だろう。今日も多くの人が武器で死んでいる。明日をそんな世界にしたくないのなら、希望の党や自民党に投票してはいけない。しかし日本の有権者の想像力には期待できない。たぶんこの選挙で再び自民党が勝利するか、または希望の党と一緒になって巨大連立政権を樹立し、翼賛体制を敷くことになるだろう。ことあるごとに先の大戦への反省を口にしてきた天皇はさぞかし悲しむに違いない。日本はもうおしまいだ。
南朝鮮の朴槿恵大統領が一般人に国家機密にも等しい情報を漏洩したとして大問題になっている。当該の一般人は逮捕されたようだ。韓国の憲法では現職大統領は刑事訴追を受けないという決まりがあるので、現段階では大統領の逮捕はない。任期はあと1年残っているが、その間に検察の捜査は着々と進み、大統領を辞任した途端に逮捕という段取りになるかもしれない。
韓国の歴代大統領の末路は、なんとも悲惨だ。
李承晩は不正選挙を実施したことで起きた革命によって失脚し、亡命している。
朴正煕は約16年大統領を務めたが、最後は射殺されている。
崔圭夏は全斗煥と盧泰愚の軍事クーデターで辞任させられた。
全斗煥は退任後に死刑判決を受けている。
盧泰愚は退任後に懲役刑を受けている。
金泳三は息子が逮捕されている。
金大中はノーベル平和賞を受賞したが、3人の息子が全員不正で逮捕されている。
廬武鉉は自殺。
李明博は退任後に告訴、告発をされた。
そして現職の朴槿恵だ。父親の朴正煕と母親の陸英修がいずれも射殺されたという悲惨な出自である。
韓国の国家公務員は100万人を超えており、日本の64万人よりも多い。韓国の人口は約4800万人で、日本の約12600万人の半分以下だ。
日本の官僚機構が国民よりも組織を守ることを第一義としているのと同じで、韓国の役人たちも自分たちの組織が第一だ。100万人もいれば悪事不祥事は日常茶飯事だろう。下っ端のこそ泥みたいな横領や袖の下から、上席の巨悪に至るまで、収賄や脱税、不正蓄財などのオンパレードだ。しかし日本と同じく、報道されることなく内々で処理されている。
日本の政治家は死ぬまで政治家で、官僚機構の支配下にあるが、韓国の大統領は辞任したらただの人だ。韓国の国家公務員にとってこれほど危険な人物はいない。お飾りみたいな大統領でも、対外的に国家の代表なのだからそれなりの情報を与える必要がある。完全つんぼ桟敷に置くわけにはいかないのだ。すると100万人の国家公務員にとって不都合な情報も自然に入ってしまう。そしてその情報を持ったまま辞任する訳で、公務員にとって脅威である。公務員は国家権力そのものであり、特に警察と検察は実力行使をする暴力装置だ。アメリカのCIAに倣ったKCIAもある。これは暗殺組織だ。設立した朴正煕自身がKCIAによって射殺されている。
韓国の歴代大統領の多くが悲惨な末路を辿るのは、国家公務員の自己保身のためである可能性がある。来年12月で任期が終わる朴槿恵は、今回の事件で支持率が17%と急落しており、再選は絶望的だ。となると退任ということになるが、果たしてどんな目に遭うのか。他人事ながら、今から気の毒な気がしている。
読売テレビが放送している平日の昼のワイドショーに「情報ライブミヤネ屋」という番組がある。宮根誠司という元アナウンサーの冠番組だ。
10月26日に高樹沙耶の大麻所持の疑いでの逮捕について、高樹の主張を「間違った知識に基づいた主張」と一刀両断していたが、本当に間違った知識だったのかという論拠はない。また、コメンテーターに対して、「大麻は脳に悪影響を与えるんですよね」と決めつけるような質問をして、大麻が悪だという答えを強制している。
高樹沙耶の逮捕は厚生労働省の麻薬取締部によるものであるが、逮捕の正当性についての検証がない。本来は第三の権力としての報道機関が行政権力の暴走を防止するために、逮捕に足るだけの根拠を調査するべきなのだが、現代の報道機関は権力の犬と化しており、行政の発表を垂れ流すだけの報道をする。しかも「推定無罪」の原則はどこ吹く風、完全に有罪の論調で断罪する。このような報道は報道機関としての体を成しておらず、個人としての国民の利益よりも組織を重んじる国家主義者のハンドスピーカーに等しい。行政から「このように報道しなさい」という指示書が来ている可能性さえある。
高樹沙耶は参院選で大麻の合法化について主張した。これは厚生労働省にとって、特に麻薬取締部にとって非常に不都合な主張である。麻薬取締部のレーゾンデートルが脅かされるからだ。選挙期間中は手出しができなかったが、選挙後には何としても高樹沙耶の口を塞いでしまいたいという悲願があっただろう。そして今回の逮捕である。
麻薬取締部はこれまでの取り締まりで押収した大麻や器具がたくさん保管しているはずだ。それらを麻薬取締官自らが高樹沙耶の家に持ち込んで「ありました!」と「発見」したと考えても全く不思議ではない。証拠の捏造である。そもそも家宅捜索の令状を出した裁判官は、先日の辺野古移設訴訟で国の主張を全面的に認めた裁判所と同じ穴の狢ではないか。
高樹沙耶や大麻の所持や使用を正当化するつもりはないが、悪いことをしたから逮捕されたという安易な認識は庶民レベルなら許されるが、報道機関としては公平な視点とは言えない。少なくとも彼女は日本国民のひとりであり、逮捕されるということは基本的人権が著しく損なわれる大問題だということを認識しなければならないのだ。行政という強力な権力がひ弱な一個人を逮捕するには確固たる証拠がなければならない。本当にそのような証拠があったのか。
わが国では行政に都合の悪い事実や組織、そして個人は、警察組織をはじめとする暴力装置によって合法、非合法を問わず排除される。現代社会の精神構造は、かつて拷問や赤狩りを行なった悪名高き特高警察の時代と、全く変わっていない。今も昔も、権力者に反対することは共同体に対する謀反だとする牽強付会が大手を振ってまかり通る。
こんな日本に未来などない。
「やっぱりオリンピックはメダルを取らないと、まったく意味がない」
ピンポンの3位決定戦で北朝鮮のカットマンに負けた福原愛の言葉だ。
福原愛を嫌いな日本人はそんなに多くはないだろう。私はそれほど好きではないが、少なくとも嫌いではない。性格も頭もよさそうだし、顔もそれなりに可愛い。それなのに、人生をオリンピックのメダルに賭けている価値観がなんとも哀れだ。勝つことだけに意味があるとする価値観は、敗れた者、弱い者に対して容赦がない。
テレビや新聞の報道もメダルと勝ち負けの話ばかりだ。近代オリンピックを始めたPierre de Coubertinが紹介した、神職者の次の言葉は顧みられることがない。
「L'important, c'est de participer」(「重要なのは参加することだ」)
日本では「オリンピックは参加することに意義がある」と原語よりも積極的な意味合いで紹介されている。にもかかわらず、重要なのは勝ち負けだけという価値観に蹂躙され、忘れ去られてしまった。
「参加することに意義がある」という価値観は、オリンピックのアマチュアリズムに通底し、同じ地球上に生きている様々な人種や民族が一堂に会して、利益を追求することなく楽しく競技することで、人類の親和を図るものである。人類に求められているのは相手を打ち負かすことではなく、相手の立場を慮り、互いに尊重しあって共存していくことだ。
それを再認識するのにオリンピックは重要な役割を果たして然るべきなのだが、残念ながら現在のオリンピックは商業主義に侵されて結果至上主義になり果ててしまっている。2020年の東京オリンピックなど、利権と金儲けと権力欲の三つ巴で生まれた前代未聞の醜いイベントだ。政治家の出世と、土建屋の金儲け、官僚の権限拡大、そしてアスリートの将来設計の、それぞれの思惑が一致して、マスコミも一緒になってオリンピックを礼賛する。ヒエラルキーの下方では、体罰や人格否定が横行する厳しい指導で主体性を失ってしまう子供たちがいる。虐げられた魂はいくつになっても恨みを忘れず、弱い者いじめに向かう。
勝つことだけに意味があるというオリンピックの価値観が、実は世の中の格差を作り出す価値観の現れであることを理解するのは、それほど難しいことだろうか。
今回のオリンピックでは、体操競技で競技を終えた選手が他国の選手にも握手で迎えられる場面だけが唯一の救いだった。