三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」

2023年07月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」を観た。
映画『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』オフィシャルサイト

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内田英治×片山慎三 W監督が贈る 主演:伊藤沙莉×共演:竹野内豊の異色エンタメ、誕生!

映画『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』オフィシャルサイト

 屋上のゴジラのモニュメントが有名な新宿歌舞伎町のTOHOシネマズ新宿は、12スクリーンを擁するシネマコンプレックスだ。2015年の開館以来、年に10回以上訪問している。数えてみたら今年は既に7回行っていた。
 このビルの近辺に屯する十代のことを「トー横キッズ」と呼ぶと知ったのは2、3年くらい前だろうか。噂では、クスリをやって騒いだり、パパ活や援交(同じ?)をしたりと、デスパレートな暮らしをしているようだ。女子の中には月に60万円以上稼ぐ子もいるらしい。
 思い切ってここにシェルターを作るといいのではないか。いじめから逃れ、理不尽な親から逃れ、友達も頼れる人もいない子供たちや、夫や妻のDVから逃れてきた人たちのためのシェルターだ。

 今年の4月には、TOHOシネマズ新宿の西側に東急歌舞伎町タワーという地上48階地下5階の高層ビルが出来た。中に109シネマズプレミアム新宿というシネコンが入っているが、なんとなく足が向かないのでまだ訪問していない。
 歌舞伎町では常に「警察だ、客引きは条例違反だ、すぐにやめろ!」といった警戒放送が流れている。物々しい雰囲気だ。他の場所にはない歌舞伎町独特の緊張感がある。だからTOHOシネマズ新宿に行くときは、誰にもぶつからないように道を譲りながら慎重に歩きつつ、誰とも目を合わさず、真っ直ぐに映画館に向かって、帰りは真っ直ぐに駅に向かう。
 以前の歌舞伎町には歌舞伎町なりの暗黙のルールみたいなものがあったが、現在のトー横キッズたちには通用しない。109シネマズプレミアム新宿に行くには、TOHOシネマズを左に曲がってトー横キッズたちを横目に歩いていかねばならないから、ちょっと気が引けるのだ。ゴールデン街の店にも、最近はあまり行かなくなってしまった。

 歌舞伎町レポートみたいになってしまったが、本作品はそんな怪しさ満載の歌舞伎町の雰囲気を上手く出している。トー横キッズが登場しない歌舞伎町である。繰り広げられるストーリーは、大まかに言えばファンタジーだ。歌舞伎町に飲み込まれて堕ちていく人々や、歌舞伎町ならではの魑魅魍魎の跋扈も描いた群像劇でもある。あっと驚く結末がそれぞれに用意されて、エピソードごとに楽しめる。監督が複数であることの利点だろう。全体をファンタジーでまとめたところも愉快だ。

 マリコを演じた伊藤沙莉の女優としての特徴は、何が起きても普通の人の普通の感覚で対応する演技だ。現実離れしたストーリーを日常に引き戻す。漫才で言えばツッコミだ。起きている事件とマリコの日常のギャップが面白くて、スクリーンから目が離せない。もしかしたら傑作かもしれない。

映画「山女」

2023年07月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「山女」を観た。
山女|6/30(金)全国順次公開

山女|6/30(金)全国順次公開

6/30(金)ユーロスペース、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

山女|6/30(金)全国順次公開

 柳田國男の「遠野物語」の世界にかなり近い。

 共同体と個人の問題は、人類の歴史そのものと言ってもいい。共同体が自己目的化すると専制政治になったり戦争になったりする。個人が強くなると、格差が拡大して自殺率が増大したり、無法者がのさばるスラム化した社会になったりする。ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で主張したようなバランスの取れた共同体の実現は、愚かで欲深い人類には夢物語なのかもしれない。

 役者陣は総じて好演。理不尽なストーリーを力強く推し進めていく。山田杏奈は可愛い路線をかなぐり捨てて、共同体に蹂躙される少女凛を存在感十分に演じてみせた。彼女にとってこの作品がターニングポイントになる可能性がある。

 聖書には、いい羊飼いは、100匹の羊の中の一匹が迷ってしまったら、残りの99匹を置いて探しに行くと書いている。共同体のためとはいえ、誰かを犠牲にすることはやはり間違っているのだ。
 現代では、直接的な形で生贄にされることはないが、形を変えた生贄はある。全体のためと言いながら、一部の富裕層や権力者のために、最も弱い人達が犠牲にされている構図は、世界中に散見される。そして殆どの人が見て見ぬふりをする。ただ自分に災いが訪れないように祈るだけだ。もちろん日本も例外ではない。

 権力者が糊塗する粉飾と迷彩を取り払った赤裸々な様子を描いたのが本作品である。舞台は江戸中期だが、社会の本質は現代も同じなのだ。

映画「オレンジ・ランプ」

2023年07月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オレンジ・ランプ」を観た。
映画『オレンジ・ランプ』公式サイト

映画『オレンジ・ランプ』公式サイト

「ケアニン」「ピア」シリーズが贈る、認知症とともに生きる人々の、希望と再生の物語。

映画『オレンジ・ランプ』公式サイト

 タイトルの意味を考える。緊急警報が出たときに点灯するのはレッド・アラートだ。それではオレンジ・ランプはどうか。緊急というほどではないが、異常を知らせるという意味だろう。この違いは、実は大きい。家を捨てて立ち去るか、補強しながら住み続けるか、くらいの違いがある。
 認知症はオレンジ・ランプだ。直ちに生命の危険があるわけではないが、それなりに気をつけなければならない。ましてや人間である。捨て去る選択肢はあり得ない。それは家族だけではなく、地域や職場にとっても同じはずである。
 しかし現実はそうではない。タイトルの意味はそこにある。実際にはオレンジ・ランプなのに、誰もがレッド・アラートだと思ってしまう。恥ずかしながら当方も、本作品を観るまでは、そのひとりだった。言い訳をすれば、身近に認知症の人がいないということがある。それに、これまで認知症の介護の様子を扱った映画をいくつか鑑賞したが、そのいずれもが介護地獄のような表現だった。認知症の診断は死刑宣告のようなものだという印象を持ってしまった。

 考えてみれば、食事とトイレと入浴がひとりで出来ている分には、生活に支障はない。それ以外のことも、認知症がよほど進んでいない限り、ある程度は自分でできるだろう。認知症でなくても、ど忘れしたり、電車やバスで居眠りして、自分がどこにいるのかわからなくなったりすることはある。
 体は使わないと衰える。腰痛だからといって歩かないでいると、下半身が弱って歩けなくなり、腰痛も治りにくくなる。だから医師は痛くても歩きなさいと指導する。脳も同じだろう。使わなければ衰える。

 番宣番組で主演の貫地谷しほりが「こんな素敵な世界があるのは知らなかった」と言っていたが、当方も同じ感想だ。本作品は認知症についての正しい見方を提供している。医師は診断するが、診断の前と後とで患者の状態が劇的に変わるわけではない。同じひとりの人格だ。認知症の進み具合を確認しながら積極的に人とコミュニケーションを取れば、世の中は割と助けてくれるものだ。この話が実話であるところが凄い。当方の蒙を啓いてくれた気がする。

 貫地谷しほりが素晴らしい。不安、困惑という真央の精神状態が、信頼、安心、希望へと変化していく様子を見事に演じきった。堂々とした主役ぶりである。脇役が多いが、この人が出演していると作品に安定感がある。本作品でもきっちりと観客を引き付けている。大したものだ。