映画「ジェーンとシャルロット」を観た。
一曲のシャンソンのような作品である。シャンソンは人生を歌う。人生は幸せと不幸せのまだら模様だ。充足感に満たされるときもあれば、不安と恐怖に苛まれるときもある。シャンソンは人生の幸せや悲哀を歌いながら、どこか俯瞰しているところがあって、人生なんてそんなもの、人間なんてそんなものと、諦観とも肯定ともつかぬ複雑な世界観がある。本作品にも似たような世界観を感じた。
日本の歌でシャンソンのような深みがある歌を歌うのは中島みゆきだ。青春の感傷的な恋愛ソングばかりが多い中、人生の真実のシーンを切り取ってみせる。23歳のときに歌った「時代」の世界観は、シャンソンに通じるものがある。その2年後に歌った「店の名はライフ」は、コミックソングのような面白さがあって、中島みゆきの懐の深さが伺える。歌詞の中に次の一節がある。
店の名はライフ おかみさんと娘
母娘でよく似て 見事な胸
本作品の母娘は愛情深いけれども、自分に正直なところがある。他人を愛するために自分の人格を犠牲にすることはない。諦めもある。他人は他人。決して思い通りにはならない。母親にとっての娘も同じで、決して思い通りにならないし、しようとしてはいけない。
娘には娘の人生がある。そして、母には母の人生がある。互いに尊重しなければならないし、出来れば助け合うのが望ましい。ぶつかったら話し合う。怒りにまかせて傷つけ合うのは愚かなことだ。大人の母娘の距離感がなんとも言えない人間関係の機微を描き出す。シャンソンみたいだなと思ったら、浮かんできたのが中島みゆきの歌という訳だ。
おかみさんと娘がカウンターの中で甲斐甲斐しく動いている。すれ違うときに大きな胸同士が擦れることもあるだろう。最初は気恥ずかしさを感じていたが、いまはもう慣れた。変な目で見る客もいるが、そんな視線にも慣れた。どうしようもない甘えん坊ばかりだが、そんな客たちに囲まれているのが楽しい。ときには辛いこともあるが、人生は楽しいものだ。いずれこの店もなくなるだろうし、客たちも時が来ればひとりずつ死んでいくだろう。しかし実際に存在するのはいまだけだ。過ぎ去った過去を悔やんでも、まだ来ない未来を案じても、あまり意味がない。今夜も胸を擦り合わせながら働くのだ。
人を愛おしく思う気持ちは、自分を幸せにしてくれる。他人を肯定することは自分を肯定することに等しい。人生がまだら模様なら、なるべく幸せな時間を増やしたい。人の幸せを願うことが自分の幸せという関係は、とてもいい関係だ。やはり本作品はシャンソンである。