三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「グライムズ・オブ・ザ・フューチャー」

2023年08月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「グライムズ・オブ・ザ・フューチャー」を観た。
映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』オフィシャルサイト

映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』オフィシャルサイト

8.18 Fri 新宿バルト9ほか全国公開|デヴィッド・クローネンバーグ監督 ヴィゴ・モーテンセン×レア・セドゥ×クリステン・スチュワード 未体験のアートパフォーマンスへよ...

映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』オフィシャルサイト

 実験的な作品である。
 人類から痛みという感覚がなくなった設定だ。生物の進化は誕生からだから、かつて痛みを感じていた人間が急に痛みを感じなくなるわけではない。ある世代から、痛覚のない人間が生まれるということだ。つまり痛みの感覚だけでなく、その記憶もない訳だ。そうなると、不安や恐怖の感じ方も劇的に変わるだろう。同様に快感や幸福の感じ方も劇的に変わる。痛みを感じたことがないまま生きている人間にとって、痛みの感覚はある種の憧れとなるかもしれない。

 痛みがないということは、外的な刺激に対してだけではなく、頭痛や腹痛も腰痛もないということだ。痛みに悩んでいる人にとっては羨ましいかもしれないが、逆に言えば、体の不調があっても自覚できないということでもある。医師の仕事は激減し、当然ながら平均寿命は短くなるだろう。生き方は刹那的になり、生産性は落ちる。社会全体が退廃的になるのだ。

 人間の精神と身体と食と性。何がどのように変わるのか。食はもはや栄養補給に過ぎず、性は身体の触れ合いというよりも、痛みの感覚の模索となる。進化の過程でミュータントも誕生し、食と性が大きく変化する。その果てには何が待っているのか。

 人類はこのようにして絶滅していく。そんなふうに予言されているように感じた。レア・セドゥがどうしてこの作品に参加したのか、分かる気がする。

映画「高野豆腐店の春」

2023年08月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「高野豆腐店の春」を観た。
映画『高野豆腐店の春』オフィシャルサイト

映画『高野豆腐店の春』オフィシャルサイト

豆腐は、人生の処方箋。 主演 藤 竜也 × 監督・脚本 三原光尋

映画『高野豆腐店の春』オフィシャルサイト

 尾道は坂の町だ。一度訪れたときには、幅の狭い坂道を郵便屋さんや宅配業者が徒歩で運んでいた。坂には人々の息遣いがある。そんなふうに感じたことを思い出した。

「男のくせに」「男でしょ」「ちんちくりん」
 現在の日本社会では差別用語と指摘されかねないこれらの台詞をあえて使ったのは、戦後昭和の精神性で生きる高野辰雄の人となりをそのまま描きたかったからだろう。多分20世紀なら気にもならなかったことを気にしてしまう時代になったということだ。もちろん差別はよくないが、息苦しさを感じるのもたしかである。
「これからはもっと生きづらい世の中になるだろう」と辰雄が言うのは、時代の閉塞感を老人なりに感じているからに違いない。その気分は娘の春にも伝わっていて、春は時代に逆らうように大きな声を出す。反骨の父娘なのだ。

 時代は変遷するが、豆腐の美味しさは変わらない。辰雄が守り続けている味だ。販路を広げたり販売数を増やそうとすると、どうしても自分の手が届かない場所での生産となる。すると必ず味が落ちる。味は絶対に落としたくない。地元に密着して、味が分かる人だけが買ってくれればいい。辰雄の職人気質は誰もが頷ける。

 豆腐屋の朝は早い。前日からふやかしていた特注の大豆は、いい按配に水を含んでいる。今日も真剣勝負だ。美味しい豆腐屋は生活を豊かにしてくれる。近所の人は幸せだろう。
 穏やかに見える豆腐屋の四季だが、地元の人々との関わり合いで生活が成り立っている以上、出逢いと別れがある。豆腐屋にも春が来る。来る者は拒まず、去る者は追わず。辰雄は淡々と触れ合うように見えるが、相手の心を思い遣ることは忘れない。辛かった原爆の記憶。そして後遺症。辰雄と春の親子関係は単純ではない。種明かしに驚かされる場面もある。幸せに生きるんですと豪快に笑う辰雄は、年齢を経てようやく原爆の災禍を乗り越えたようだ。

 藤竜也は流石の迫力で、もう地元の豆腐屋のおじさんにしか見えない。その優しさを受け継いだ娘は豆腐愛に満ちている。麻生久美子は春を演じられて幸せだっただろう。観ているこちらも幸せな作品だった。