三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ミャンマー・ダイアリーズ」

2023年08月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ミャンマー・ダイアリーズ」を観た。
映画『ミャンマー・ダイアリーズ』

映画『ミャンマー・ダイアリーズ』

映画『ミャンマー・ダイアリーズ』

 観ていて苦しい作品である。10人以上と思われる人たちが撮影した、それぞれの弾圧のシーンが並列的に映される。いずれも軍事政権の暴力に対する怒りに満ちている。

 デモで目立つ赤い服を着ていたせいか、見せしめのように撃たれた若い女性。警官隊に向かって顔出しで朗々と演説する67歳の女性。警官隊に追われて逃げ惑う人々を撮影しながら、思わずこちらに入ってこないでと本音を漏らす撮影者。家に押し込まれて逮捕される母親と、泣き叫ぶ幼い娘。デモで亡くなった彼女のアパートで、残された電子ピアノで彼女が弾いていたエリーゼのためにを弾いて弔う男性。政府に雇われた暴力団員が無抵抗の市民を棒のようなもので殴る様子。自宅の窓に警官隊から石を投げられて、暴力はやめてくれと懇願する男性。妊娠がわかって男に打ち明けようとする17歳の女性と、逮捕者リストに載せられたからジャングルに逃げるという恋人。なんとかタイに逃れはしたものの、置いてきた家族や友人たちに対する罪悪感に苛まれる女性。

 どのシーンにも共通するのは、銃を構えた大勢の兵士や警官隊に対して、市民の非力さである。あまりの無力感に呆然としてしまうが、ミャンマーの市民たちは絶望しない。無抵抗非暴力の反体制活動を継続していく。戦前の日本とは大違いだ。多くの日本国民は、長いものには巻かれろと、軍事政権の嘘で塗り固められた大義名分を受け入れて日の丸を振った。
 ミャンマーでも同じように軍事政権のイヌになる人々はたくさんいる。兵隊や警官はたいていがそうだ。元々ヒエラルキーの上下に従うようにしつけられている。イヌはイヌなのだ。
 イヌではない人々の抵抗の仕方は様々だ。仕事を放棄して軍事政権に何も協力しない人や、本作品のように映像を発信する人がいる。若者たちを中心に、暴力で対抗しようとする人々もいる。アウンサンスーチーは相変わらず軟禁状態だ。経済活動は行なわれているが、徐々に貧しくなっていることは間違いない。難民として流出する人々もいる。状況は絶望的だ。
 国家主義者は国民の幸福よりも国家の体面を重視する。それが滅びの道に通じていることは歴史的に明らかであるにも関わらず、決して反省しない。国民に銃を向ける政権が支配する国は、国民のモチベーションを著しく下げる。そのうち外敵を想定して、戦争に突き進むことで国民の支持を得ようとするかもしれない。周辺の国々はとても警戒している。

 かつての日本も歩んだ道だ。戦争で負けることでしか、軍事政権を倒せなかった。ミャンマーもそうなるのだろうか。心配なのは、日本も再びミャンマーと同じ道を辿ろうとしていることだ。マイナンバーカードを強要して国民を管理し、インボイス制度で税の徴収を強化し、そして軍事費を倍増している。どう考えても恐ろしい状況なのに、相変わらず自民党が選挙で勝ち、更にタカ派の維新が躍進している。この状況を恐ろしいと感じない日本の有権者の鈍感さが、一番恐ろしい。

映画「リボルバーリリー」

2023年08月13日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「リボルバーリリー」を観た。

 大正デモクラシーという言葉がある。鎖国を解いて、欧米に追いつけ追い越せという富国強兵政策の明治から、対象に変わったタイミングで、欧米の民主主義の考え方が広まってくる。国民が主権だから民主主義で、国家が主権だと国家主義だ。民主主義者にとっては国家主義者は不自由な精神性で、人間の幸福追求よりも国家に対して役割を果たすことを大義とする窮屈な人々である。指導者は国家主義で自己実現できるところがあるが、下っ端は国家主義を刷り込まれた奴隷に等しい。つまり国家のイヌだ。

 という訳で、本作品は民主主義と女性の権利が声高に叫ばれるようになった世の中で、愛と自由に生きた小曾根百合が国家のイヌたちと戦う姿を描く。アクション映画のヒロインらしく、状況の分析と周囲に対する警戒は怠らないものの、本質的には究極のオプティミストだ。ミッションインポッシブルのイーサン・ハントと同じである。過去を後悔せず、未来を案じることもない。ただ現在を生きるのだ。

 昭和になってからの日本は、軍事国家の道を突き進み、東アジアに平和と繁栄を築くという大義名分で中国や東南アジアに侵略戦争を展開した。当時の国家主義者たちの精神性は「積極的平和主義」という意味不明の言葉を発した暗愚の宰相と同じだ。軍事では平和はもたらされないというヒロインの言葉は、為政者には未だに理解されていないのである。

 山本五十六は日本の軍事力の限界を悟っていたようで、戦時中でもとにかく講和を目標にしたのは有名な話だが、軍事的に優位なタイミングで講和しようという虫のいい思惑が実現するはずもなく、軍事と平和が相容れないものであることを身を以て証明した格好だ。戦争を仕掛ける連中は、例外なく平和を謳い文句にする。いまでも変わらない。国家主義者は、お国のためという大義名分を国民の義務であるかのように思わせる。ほとんど詐欺師だ。

 トム・クルーズの最新作を観たあとだったので、カメラワークやシーンの細部に今一つの印象を受けてしまった。行定勲監督はアクションはあまり得意ではないのかもしれない。原作がどうなのかは不明だが、数十人を殺しても布団で安眠できる冷徹なヒロインなら、感情を吐露するシーンは不要だった。イーサン・ハントは絶対に弱音を吐かない。

 綾瀬はるかは、暴力を否定し平和を希求する殺し屋という矛盾に満ちたヒロインの役柄がよほど気に入ったのだろう。とても楽しそうに演じていた。脇を固める豪華な俳優陣のおかげで、このあり得ないようなヒロインがどうにか地に足が着いた形になっている。カッコいいおじさんたちが多くて、それなりに楽しめた。