三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 真生版」

2024年10月06日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 真生版」を観た。
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』公式サイト

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』公式サイト

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 オリジナル版を鑑賞したのは1年近く前で、殆んど内容の違いがわからなかったが、2度目の鑑賞でも十分に面白かった。
 今回、印象に残った台詞がある。それは幽霊族のゲゲ郎が幼い時弥に語る話で、世の中は変えたい人と、変えたくない人との戦いだという内容である。中島みゆきが「世情」の歌詞で表現したのと同じ意味合いだ。

 シュプレヒコールの波 通り過ぎていく
 変わらない夢を 流れに求めて
 時の流れを止めて 変わらない夢を
 見たがる者たちと戦うため

 本作品は、まさにその構図で出来上がっていた。

映画「ふれる。」

2024年10月06日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ふれる。」を観た。
映画『ふれる。』公式サイト

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『あの花』『ここさけ』『空青』を手がけた、監督:長井龍雪、脚本:岡田麿里、キャラクターデザイン:田中将賀の3人が贈る、オリジナル長編アニメーション映画。最新作『ふれ...

映画『ふれる。』公式サイト

 思考実験のような作品だが、ちょっと物足りない。伝説の生き物「ふれる」の力で、互いに身体を触れ合わせると、相手の考えが流れ込んでくるのだが、相手の考えというのが、意識の部分だけに限定されているところが、思考実験として片手落ちの部分だ。
 人間の心の働きは、意識1に対して、無意識が数万と言われている。また、言語によるコミュニケーションのことをバーバルコミュニケーション、それ以外をノンバーバルコミュニケーションと呼ぶが、伝達がうまくいくかどうかの85%は、ノンバーバルコミュニケーションにかかっている。
 本作品は言語に頼っている上に、表情や仕草の表現に乏しい。無意識のおどろおどろしさについても、おそらく何も考えられていない。3人の友達に共通するのは、本土の人間からバカにされる島の生まれだということだけで、目的を共有している訳でもなく、単につるんでいるだけだ。
 小中学校のときの友達と、大人になったら疎遠になるように、3人はそもそも互いに伝達するべきことが何もない。馴れ合いの関係は、簡単に終了する。設定は面白かったので、3人で同じ事業を共同運営しているとか、衝突するにしても共感するにしても、もっと濃密でのっぴきならない関係性にしていれば、コミュニケーションのありようが切実になったと思う。
「ふれる」の妖怪物語として観ても、あまり面白くないし、人間関係もスリリングでなかったことから、物語としての完成度も高くなかった。思考実験なら、もっと精密でなければいけない。

映画「ビリー・エリオット」(邦題「リトル・ダンサー」)

2024年10月06日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ビリー・エリオット」(邦題「リトル・ダンサー」)を観た。
映画『リトル・ダンサー デジタルリマスター版』公式サイト

映画『リトル・ダンサー デジタルリマスター版』公式サイト

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 本作品の舞台である1980年代は、IT関連企業が産声を上げようとしている時代ではあるが、スマートフォンとインターネットが次代を変えるにはもう20年ほどかかるという過渡期で、鉄鋼や化学工業などの重厚長大産業が主役の座を降りようとしているときだった。
 ましてや炭鉱は、前時代の名残みたいな産業で、終焉が目に見えていた。日本では1970年頃に、石炭産業はほぼ終了している。世界中の炭鉱町は、未来のない虚無感に満ちていて、大人は自分たちに明日がないことをなんとかごまかして生きていた。本作品のダラムは、その雰囲気が非常に濃厚で、尻すぼみの炭鉱にしがみついて生きていくしかない町の、虚しさに満ちた空気を感じさせる。

 住人たちはITも知らず、昔ながらの家父長的なパラダイムに縋って生きている。男はこうだ、女はこうだというパターナリズムで教育された子供たちは、主に女子がやることをやる男子を、差別用語で非難する。みずから進んで差別者になるのだ。目上とか目下という上下関係が存在して、目上の者が目下の者を殴っても、罪に問われることはなく、仕返しは許されない。
 そんな中でも、自由な精神性を獲得することはできる。パラダイムから外れることだ。変革は常に周辺から始まる。社会の中心にいる人間たちが、その安寧な居場所を手放すことはない。それは強者の立場だ。弱い者たちの中にこそ、変革があり、革命がある。

 ビリー・エリオットは立場の弱い子供だが、精神は自由だ。殴られても殴り返すことをしない代わりに、従うこともしない。好きなことをやり続ける強い意志がある。本当に弱かったのは、ビリーの父親であり、兄であった訳だ。見事なストーリーだったし、映画としても面白かった。