映画「徒花ADABANA」を観た。
画面が薄暗いのは、未来では明かりを煌々と照らしたりしないという想定なのだろう。エネルギーを無駄に使う反省が、未来にはあるに違いない。
本作品には、いくつもの問題提起があると思う。そもそも人間のクローンを作ることは、倫理的にどうなのだろうか。神をも畏れぬという視点はひとまず横に置いておいて、生殖以外の方法で人間が人間を作ることが認められると、真っ先に軍事利用が頭に浮かぶ。というのも、近代の技術革新の多くは、軍事的開発から生まれているからだ。優秀な兵士のクローンを大量生産してクローン部隊を作る。かつてプロイセン王のウィルヘルム1世が身長2メートル以上の兵士を集めて「巨人軍」を作ったのに似ている。「巨人軍」は破格の強さだったらしい。
本作品はクローンの医学利用で、自分の遺伝子からクローンを作り、将来的に臓器などに疾病が生じた場合に備えるという設定である。生命が自己複製のシステムだとすれば、クローンはオリジナルとほぼ同じで、自己複製が可能だから、それは生命そのものである。臓器移植は、移植元の生命を断つことになる。それは殺人ではないのか。
自分と同じ遺伝子の健康体があるのなら、脳の情報をそちらに移してしまえば、再び健康な人生が送れる。本来の意図とは逆だが、そう考える人が出てきてもおかしくない。クローンを生かして、自分が死ぬというパターンだが、この場合は、自殺幇助または殺人とならないか。そもそも人格とは何なのか。
井浦新の演技力に、改めて感心した。身体はもちろん、精神的にも病んでいるオリジナルと、きわめて健康で前向きなクローンを、全く違う人物であるかのように演じ分ける。死を前向きに捉えるかどうかの違いなのかもしれない。
本作品に似たような作品として、2022年の映画「プラン75」がある。75歳になった人に、死を選ばせる政策を仮定した作品だった。このところ、死をテーマにしている作品が、洋画、邦画ともに増えた気がする。高齢化社会を反映しているのだろう。人類全体が、真剣に死と向き合わねばならない時代になったのだ。戦争で殺し合いをしている場合ではない。