三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「徒花ADABANA」

2024年10月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「徒花ADABANA」を観た。
映画『徒花-ADABANA-』公式サイト

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10月18日(金)テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテ他全国順次公開 甲斐さやか監督最新作。日仏合作映画。井浦新×水原希子ほか豪華キャストにて現代に解き放つ、命の問題作。

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 画面が薄暗いのは、未来では明かりを煌々と照らしたりしないという想定なのだろう。エネルギーを無駄に使う反省が、未来にはあるに違いない。

 本作品には、いくつもの問題提起があると思う。そもそも人間のクローンを作ることは、倫理的にどうなのだろうか。神をも畏れぬという視点はひとまず横に置いておいて、生殖以外の方法で人間が人間を作ることが認められると、真っ先に軍事利用が頭に浮かぶ。というのも、近代の技術革新の多くは、軍事的開発から生まれているからだ。優秀な兵士のクローンを大量生産してクローン部隊を作る。かつてプロイセン王のウィルヘルム1世が身長2メートル以上の兵士を集めて「巨人軍」を作ったのに似ている。「巨人軍」は破格の強さだったらしい。

 本作品はクローンの医学利用で、自分の遺伝子からクローンを作り、将来的に臓器などに疾病が生じた場合に備えるという設定である。生命が自己複製のシステムだとすれば、クローンはオリジナルとほぼ同じで、自己複製が可能だから、それは生命そのものである。臓器移植は、移植元の生命を断つことになる。それは殺人ではないのか。
 自分と同じ遺伝子の健康体があるのなら、脳の情報をそちらに移してしまえば、再び健康な人生が送れる。本来の意図とは逆だが、そう考える人が出てきてもおかしくない。クローンを生かして、自分が死ぬというパターンだが、この場合は、自殺幇助または殺人とならないか。そもそも人格とは何なのか。

 井浦新の演技力に、改めて感心した。身体はもちろん、精神的にも病んでいるオリジナルと、きわめて健康で前向きなクローンを、全く違う人物であるかのように演じ分ける。死を前向きに捉えるかどうかの違いなのかもしれない。

 本作品に似たような作品として、2022年の映画「プラン75」がある。75歳になった人に、死を選ばせる政策を仮定した作品だった。このところ、死をテーマにしている作品が、洋画、邦画ともに増えた気がする。高齢化社会を反映しているのだろう。人類全体が、真剣に死と向き合わねばならない時代になったのだ。戦争で殺し合いをしている場合ではない。

映画「ジョイランド わたしの願い」

2024年10月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ジョイランド わたしの願い」を観た。
映画『ジョイランド わたしの願い』公式サイト

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家族への愛と、自由に生きたいという願い。その狭間で揺れ動く若き夫婦を映像美で描く 10月18日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

映画『ジョイランド わたしの願い』公式サイト

 これまでに鑑賞したイスラム圏の映画は、その殆どが、弱い人々がイスラムの戒律や家父長制、階級制度によって苦しめられている様子を描いている。特に女性の受難は多くの作品で描かれる。本作品も例外ではないが、LGBTを描いた作品は初めて観た。映画紹介サイトには、政府が上映禁止命令を出したと書かれていた。2022年製作の映画が2年後の今年になってようやく日本で公開されたのも、そういった影響があったのかもしれない。

 主人公のハイダルはとても情けない男で、先ずそこにリアリティがある。彼は、イスラム社会のパラダイムに逆らったら生きていけないことを知っている。おかしいと思っても、声を上げることができない。
 ハイダルは、結婚の前に妻に仕事を続けていいと言っておきながら、家父長制を笠に着た父親から、妻に仕事をやめさせろと言われると、従ってしまう。本当に情けない男だが、イスラム社会ではやむを得ない選択なのだろう。ハイダルを非難することはできない。誰も他人に蛮勇を強制できないのだ。
 妻は自分に未来がないことを知って絶望する。義姉に誘われて行ったジョイランドは楽しかったが、現実世界にジョイはない。自分にはジョブも禁じられた。

 パキスタンはイスラム原理主義のタリバンが仕切るアフガニスタンほど極端ではないが、イスラム教の家父長制が幅を利かせていて、女の仕事は子供を産むことだみたいな、日本では考えられない主張が表立ってまかり通る。
 成年の男たちには自由があり、性的マイノリティのショーを面白がる。しかし一方では、自分の家族がそうなることは絶対に許さない。本作品が面白いのは、ハイダルが自分に同性愛の傾向があることに気づくところだ。ドラァグクイーンのビバと惹かれ合い、ビバは手術を望んでいるが、ハイダルは手術しないほうがいいと言うシーンがあり、ハイダルの性的嗜好がわかる。
 激しいキスを交わすのだが、それより先はビバに拒否されてしまう。キスで唾液の交換を行なえば、別のところでも粘液の交換をしたくなるのは自然で、ハイダルに罪はない。ビバが烈しく拒否したのは、ビバの心にも、イスラムの戒律が染み込んでいると考えれば納得がいく。

 こういう作品を見ると、イスラム教というのは、社会的に強い人の利権を守り、弱い人々から自由を奪う宗教だというふうにしか思えなくなる。しかしイスラム教徒は年々その人数を増やしている。異教徒をイスラム教に改宗させるのがジハード(聖戦)だから、世界中がイスラム教徒になるまで、弱い人々の不幸は続く。
 そして世界中がイスラム教徒になってジハードが終わると、イスラム教は目的を失い、内部分裂を起こして、世界は大混乱に陥る。その終末の景色はイスラム教徒にも見えていると思う。にもかかわらず、どうして人々はイスラム教徒をやめないのか。イスラム教には、棄教した者は殺すという戒律がある。やめないのではなくやめられないのだ。

 当方はお酒が好きである。豚の生姜焼きやトンカツも大好きだ。ビールを飲みながら生姜焼きやトンカツを食べれば、至福の時間を過ごせる。お酒や豚肉を禁じられるのは、その時間を奪われることで、とてもじゃないが受け入れ難い。

 本作品のような映画はこれからも製作され続けるに違いない。20億人の教徒を擁する巨大宗教に真っ向から反対するのは、さぞかし勇気のいることだろう。しかし当方の至福の時間が奪われないためにも、作り続けてほしいものだ。