映画「苦悩のリスト」を観た。
アフガニスタンでタリバンが2021年に復権したときのカブール空港の大混乱の様子は、強く記憶に残っている。残っているどころか、いまだにアフガニスタンは国中があんな感じなのだろうという印象さえある。タリバンはイスラム原理主義を掲げて、女性の権利や、人々の幸福追求の権利を蹂躙し、行動を制限して思想統制もする。まさにジョージ・オーウェルの「1984」のリアル版のイスラム教バージョンのようで、おかげでイスラム教に対する偏見がますます強まった感がある。そして、暴力を背景にした圧政の下でも、アフガニスタンの人口は増え続けている。
3年前のタリバンの復権は、農村を中心としたタリバン支持を背景にしている。イスラム教は避妊も堕胎も禁じているから、子供が増え続けているのは仕方がないが、自分たちの権利を蹂躙しつづけるタリバンを支持する精神性は、先進国の人々には少しも理解できない。しかしそこを理解しないと、中東の紛争は永遠に解決しない気がする。その鍵は、イスラム圏で活躍している芸術家たちが握っていると思う。
本作品では、タリバンを単に暴政の徒の集団として捉えていて、自由な精神の持ち主である芸術家たちが弾圧されることを心配し、なんとか回避させようと努力する人々が電話とインターネットで奮闘する様子が描かれる。彼らをアフガニスタンから、EU各国のどこかに亡命することができれば、アフガニスタンを救う道が残るということなのだろう。
全体主義のタリバンを支持する一方で、女性の権利の解放を求めたり、イスラム教に頼りながらも、イスラム原理主義に苦しめられるという、意味不明の精神性には、それなりの理由があることはわかっている。それが人間の弱さだというなら、人類はいずれイスラム教に席巻されてしまうだろう。救われない魂は、永遠に救われないままになる。
人類の愚かさに加え、なんだか底知れぬ恐ろしさを実感する作品であった。