三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ノートルダム 炎の大聖堂」

2023年04月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ノートルダム 炎の大聖堂」を観た。
映画『ノートルダム 炎の大聖堂』オフィシャルサイト

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「死者ゼロ」の奇跡。“嘘のような衝撃の真実”が今明らかになる/原題:Notre-Dame

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 この3月に観た「エッフェル塔〜創造者の愛〜」の中で、エッフェル塔の高さについて、ノートルダム寺院より高いのはけしからんという意見があったことが紹介されていた。本作品の序盤で鳥瞰のシーンがあって、そこにエッフェル塔が映っている。感慨深いものがあった。
 火災の原因は禁煙場所での喫煙か、それとも電気系統のショートサーキットか、いまも不明のままであるが、スプリンクラーの不設置や、警報装置が屡々誤報を発していたことなど、メンテナンスの不備も火災の一因だろう。世界的な観光名所だから、管理も万全でなければならないはずだが、どの世界でも正常性バイアスに由来する手抜きはある。

 見どころはもちろん消火活動だが、聖なる遺物である「いばらの冠」の救出がどうなるかにも焦点が当てられている。現代のフランスは無宗教の人が約半数と、必ずしもキリスト教国とは呼べないが、それでも他人の信仰を否定することはない。ノートルダム寺院はキリスト教の財産であると同時に、国家の財産でもある。消防隊は人々の生命、身体と財産を守るのが仕事だ。
 専門知識のないお偉方が現場に来るとろくなことはない。マクロンが現場に行ったのは人気取りだったのか、それとも演説逃れだったのか。いずれにしろ現場は対応に追われる。しかし大統領にしか承認権限のない活動もあり、マクロンは意外にちゃんとした役割を果たす。3年後に再選された遠因となった可能性もある。

 消火の様子はとてもリアルだ。自分も消防士の一員になった気がして、炎の熱気や息苦しさを感じた気がした。どのシーンもそれほどよく出来ていたということだと思う。「呼吸を整えろ」という消防士ならではの号令には納得した。循環器系だけでなく精神状態も整える必要があるのだろう。訓練と実際は違う。現場でうまくいかないこともあるが、訓練していなければ何も出来ない。現場を重ねてプロフェッショナルになっていくのだ。
 火災の現場は常に異なる。現場での臨機応変な対応と創意工夫が求められる。消防隊員の安全も確保しなければならない。消火のプロであっても、現場は危険に満ちている。油断は出来ない。
 緊迫感で息もつけない展開が続き、終映時にはどっと疲れてしまった。とても面白かった。

映画「ガール・ピクチャー」

2023年04月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ガール・ピクチャー」を観た。
映画『ガール・ピクチャー』オフィシャルサイト

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2023年4月7日(金)より 新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー!|“たった3度の金曜日”で、全てが変わることもある――友情とは、恋愛とは、セック...

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 原題の通り、ミンミとエマとロンコの三人の女の子の物語である。5歳から15年というエマのキャリアからすると、三人とも20歳くらいか。学校に通っている二人は18歳かもしれない。
 80年代アメリカの青春映画みたいなテイストだが、スマホとインターネットのお蔭で知識だけは段違いに豊富だ。セックスについての知識も、20世紀とは比べ物にならないほど多い。それでもロンコは自分は人と違うのではないかと悩む。知識が増えても、個人の悩みは減らないのだ。
 ジェンダーフリーの時代らしく、恋愛はヘテロに限らない。ミンミはロンコと違って、ありのままの自分を受け入れる。それは他人に対しても同様で、ありのまま生きる母親のことも受け入れる。自由なミンミと不自由なロンコの対比が、本作品のポイントである。
 三人とも十人並みの容姿だが、率直で自分を誤魔化さないところに魅力がある。言ってみれば普通の女の子たちのどうでもいい日常を描いているだけで、流れる音楽は雑音にしか聞こえないのに、何故か飽きずに鑑賞できる理由がそこにあると思う。誰しも他人の本音を聞いてみたいのだ。
 ミンミはエマの15年の努力を無駄にさせたくない。「自分の反抗に他人を巻き込むな」という激しい口調に隠されたミンミの優しさにエマが気づくかどうか。ヤキモキしながら鑑賞できるのも、優れた青春群像劇の特徴だと思う。

映画「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう」(英題「What Do We See When We Look at the Sky?」)を観た。
映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』オフィシャルサイト

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4月7日(金)すれ違いから、始まる。ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺|ジョージアの美しい街で、偶然に出会った男と女。呪いによって外...

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 おそらくジョージア国民が鑑賞したら面白い作品なのかもしれない。多分流れる時間が日本人と違うのだ。ずっと間延びした描写が延々と続くので、かなり飽きる。オルガンのBGMで長々とドアを映すシーンに何の意味があるのか、理解できなかった。そういうシーンがかなりある。すべて省略して、俳句みたいに引き算の編集をしたら、多分1時間ちょっとで収まる作品だと思う。


 日常を舞台にしたファンタジー作品ではあるのだが、ファンタジーなら不思議な現象が起きるのは当然で、理由などなくていい。にもかかわらず、ラストシーンで言い訳を並べ立てたのには呆れてしまった。「前置きが長くてすみません」と言いながら延々と前置きを喋るオッサンのスピーチみたいだ。中身がない。
 映画製作部隊が登場した時点で、展開は誰の目にも明らかになる。そうなるんだろうなと思った通りに進んでいくのだが、なにせ寄り道が多くて長い。ジョージアの風景の美しさは分かるし、英題を直訳した「空を見ると、何が見えますか?」という問いも分からなくはない。しかし街の階段や道路や川の堤防などの様子を見ると、経済的には豊かでないことも分かってしまう。
 経済だけではない。町中の人がサッカーのワールドカップに熱中しているのは、画一的な精神性であり、精神的にも豊かになっていないことが分かる。豊かさは多様性にある。画一的な社会は決して豊かではない。それは戦前の日本社会と同じで、差別と排除の温床である。
 しかし本作品は街中がサッカーに熱中することを肯定的に描いている。そのあたりにも違和感があった。祖母のレシピの料理を披露するシーンはよかったが、全体としては、まとまりのない稚拙な童話を、大げさなBGMと動きのない風景のシーンで冗長に披露したような作品だった。

映画「仕掛人・藤枝梅安 第二作」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「仕掛人・藤枝梅安 第二作」を観た。

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

池波正太郎生誕100年豊川悦司主演映画「仕掛人・藤枝梅安」二部作2023年2月3日・4月7日連続公開

映画「仕掛人・藤枝梅安」公式サイト

 

 2月に先立って公開された第一作に続いて、期待通りの面白さだった。
 本作品は時代劇としては斬新でスタイリッシュだ。出会いも別れもあっさりしたもので、とてもリアルである。そこには他人に何も求めない諦観がある。人に何も期待しなければ、別れに笑顔も涙もいらないのだ。
 リアルと言えば、梅安や彦治郎はどちらかというと闇討ちタイプだから、正面からの戦闘は向いていない。刀を持った侍に対しても人間離れした強さを発揮したらドッチラケのところだが、本作品はそんな野暮なことはしない。仕掛人は人間であって、スーパーマンではない。
 今回の仕掛は彦次郎の都合と梅安自身の過去が絡まった立体的な人間関係になっている。そこに本作品の見どころがある。佐藤浩市は流石の存在感で、虚しい人生をさまよう孤独な侍を演じた。

 菅野美穂のおもんの表情がいい。現代社会ではNGワードかもしれないが、女の優しさというものがある。梅安が気に入るのも当然だ。高畑淳子のおせきやでんでんの患者など、素朴で欲の浅い庶民らしさを漂わせている人々のことも、梅安は大切にしている。医者は患者に希望を与える職業だ。今日死んでしまうかもしれなくても、おせきに「明日も頼む」と声をかけたのは、梅安の優しさである。このシーンは素晴らしい。
 椎名桔平は白昼堂々と強盗を働く極悪人を存分に演じたが、そんな人間にも、奈良で不自由なく暮らす双子の兄への嫉妬と憎悪という複雑な心理がある。その兄の複雑な心境をふとした表情で上手に表現していて、俳優としてのポテンシャルの高さを見せている。

 今回も彦次郎との絶妙なパートナーシップで修羅場をくぐり抜けていく梅安だが、その恬淡とした人生観には感服する。作品がスタイリッシュなのは、梅安の潔い生き方に由来するのだろう。演じたトヨエツも見事だった。


映画「Knock ノック 終末の訪問者」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Knock ノック 終末の訪問者」を観た。
映画『ノック 終末の訪問者』

映画『ノック 終末の訪問者』

『シックス・センス』『オールド』をはじめ、数々の大ヒットスリラー作品を生み出してきた鬼才M.ナイト・シャマラン監督最新作。作家ポール・トレンブレイの全米ベストセラ...

映画『ノック 終末の訪問者』

 新約聖書の「ヨハネ黙示録」の第七章から第九章を要約してみると、第七章には、地と海を損なう権威を授かった四人の御使いが世界の四隅に立っていると書かれている。第八章には、子羊が第七の封印を解くと、七つのラッパを持った七人の御使いが現れて、第一から第四までの御使いが順にラッパを吹き、災いがもたらされたとある。第九章には、第五の御使いがラッパを吹くと、ひとつの星が天から落ちて災いをもたらし、第六の御使いがラッパを吹くと、四人の御使いが人間の三分の一を殺すために解き放たれたと書かれている。

 本作品は予告編も観ずに鑑賞したが、はじまってしばらくすると「黙示録」に関係のある話なんだろうなと見当がついた。しかしそれにしてはちょっとおかしい。「黙示録」には人間の三分の一を殺すとは書かれていたが、人類を皆殺しにするとは書かれていなかったし、マタイ福音書には「私は生贄を求めない」と書かれている。何か変だ。
 結局、最後まで何か変だという感覚は消えず、納得がいかないまま終わってしまった。シャマラン監督の作品は前作「Old」もそうだったが、ディテールがいい加減でご都合主義なところがある。新約聖書の解釈が一番のご都合主義だが、それ以外にも、学校の教師が入れ墨だらけの大男だったり、護身用の拳銃が車に置きっぱなしで弾が込められていなかったりする。そもそもどうしてこの山小屋をノックしたのか、その理由もわからない。結末ありきでストーリーやディテールを強引に合わせたみたいだ。お陰で映画としてのリアリティを損ねてしまった。
 それでその結末が感動的かというと、まったくそんなことはない。クリスチャンのヒステリーみたいな作品だ。強引に深読みすれば、世界の平和や地球の未来を人質にして国民に我慢を強いている政治家を揶揄しているという可能性はある。しかし本作品を観ただけでそんな風に受け取るのは至難の技だ。どのシーンにも権力者への批判的なスタンスはない。それどころか、作品作りの動機さえ見えてこない。失礼だが、単に売れる作品が作りたかっただけではなかろうか。「Old」と同じように、シチュエーションのアイデアだけに頼った失敗作だと考えていいだろう。

映画「オオカミ狩り」

2023年04月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オオカミ狩り」を観た。
映画『オオカミ狩り』オフィシャルサイト

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2023年4月7日(金)新宿バルト9ほか全国公開|ソ・イングク主演最新作!極悪犯罪者VS警察VS怪人 生死を掛けた海上監獄バトルロイヤルがいま、始まる。

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 面白かった。登場人物の殆どは悪人で、盲目的な役人や、職務にテキトーな刑事たちが間を埋めている。昭和の日本映画みたいな権威主義やパターナリズムが見受けられるのは、暴力に直結する精神性だからだろう。ゴア描写満載のサバイバルアクションだが、生き延びようとするエネルギーが、作品を人間ドラマにしている。

 巨大な輸送船が舞台で、警察の隊長の「ここには人権なんてものはない」という言葉の通り、人の尊厳など無視され、力関係は腕力に由来する。暴力と暴力のぶつかり合いは、より残忍な方が勝つことになる。無駄な間を排除したスピーディなアクションシーンは迫力十分で、それだけでも本作品を観る価値がある。中途半端な暴力シーンは好きではないが、ここまで振り切っていれば、むしろ爽快だ。

 予備知識は何もなかったが、過去が見える能力の登場人物がいたりして、作品の中で徐々に設定が明らかになる。このあたりの演出や構成は見事だ。それでも謎は残っていて、ラストシーンの余韻は、続編でその謎に挑む予感に満ちている。続編は必ずあると思う。かなり楽しみだ。

映画「エスター ファースト・キル」

2023年04月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「エスター ファースト・キル」を観た。

 念のため動画配信サービスで2009年の第一作(原題「Orphan」=「孤児」)を観てから鑑賞した。当時12歳だったイザベル・ファーマンが主人公のエスターを演じたのは特に違和感なく観ることが出来たが、それから13年経って、25歳になったイザベル・ファーマンが第一作よりも2歳若いエスターを演じることが出来たのは、VFXなどの技術の賜物だろう。ちょっとしたどんでん返しもあって、面白く鑑賞できた。

 前作と同様に、エスターに慈悲の心はない。自分が窮地に追い込まれるかもしれない恐怖心は持っているが、人と対峙したときの恐怖心は持っていない。我々は体の大きな人、膂力に優れた人と相対すると、どうしても怯んでしまう精神の働きがあるが、エスターにはそれがない。状況は恐れるが、人は恐れないのだ。
 殺し合いにおける強さというのは、体力だけではなく、人を殺すことに抵抗がないという精神性によるところが大きいのだなと、改めて思う。無慈悲な人は、ある意味で怪物である。武器を大量購入するけれども、困っている人には手を差し伸べないで見殺しにする政治家も、エスターと何ら違いはない。そういう政治家に投票する人も無慈悲だ。
 そして残念なことに、世界はどんどん無慈悲になっている。エスターの精神性は、時代の象徴なのかもしれない。

映画「トリとロキタ」

2023年04月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「トリとロキタ」を観た。
ダルデンヌ兄弟監督最新作『トリとロキタ』3月31日(金)公開

ダルデンヌ兄弟監督最新作『トリとロキタ』3月31日(金)公開

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督最新作『トリとロキタ』3月31日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほか全国順次ロードショ...

ダルデンヌ兄弟監督最新作『トリとロキタ』3月31日(金)公開

 変な言い方だが、人間は物心ついたときには、すでに生まれている。自意識が目覚めて自分の生を認識したときには、否応なしに自分には生命があって、現実に存在しているということを思い知るのだ。そして他の動物が考えないことを考える。自分はどうして生まれてきたのか、自分の存在に意味はあるのか、自分は何をすべきなのか。ゴーギャンの有名な絵のタイトルのようだ。

 誰も貧しい国の貧しい家庭の子供に生まれてきたくはないだろう。しかし自分の生まれは自意識が目覚めてからやっと気がつくものだ。そして気がついたときには既にのっぴきならない状況にあることが多い。人間は実存なのだ。
 本作品のトリとロキタは、残念ながら貧しい国の貧しい家庭の子供で生まれてしまったようだ。両親は教育レベルが低いと推測され、自分たちの生活の向上のためにロキタを出稼ぎに出したのではないかと思われるが、本作品はトリとロキタがベルギーにいるところから始まるから、背景は観客が想像するしかない。
 非合法に出国して非合法に他国に入国するには、非合法の業者の手を借りるしかない。トリとロキタがどうやって故郷の国からベルギーに渡ってきたのか、その悲惨な道程は想像に難くない。辿り着いた場所で紹介された仕事は、やはり非合法だ。トリとロキタにとって、現実はどの場所にいても厳しい。

 ダルデンヌ兄弟監督の作品は本作品以外に「La fille inconnue」(邦題「午後8時の訪問者」)と「Le jeune Ahmed」(邦題「その手に触れるまで」)を鑑賞した。いずれも人間を冷徹に等身大に描いて、実存をあぶり出す作品だ。本作品でもニュートラルな立ち位置はそのままで、登場人物を冷徹に突き放す。トリとロキタも例外ではない。

 我々の立っている地盤は、丈夫そうに見えても中身は流動化している可能性がある。いつトリとロキタの境遇に陥らないとも限らないのだ。自分の幸運に胸を撫で下ろすのではなく、トリとロキタが自分と同じ実存であることを認めて、その上でどうすればトリとロキタの人権が擁護される社会になるのかを考えなければならない。合法が非合法を駆逐する社会になるために、いま何をしなければならないかを考えなければならない。決して他人事でも対岸の火事でもない。トリとロキタは我々なのだ。
 世界的に国家主義のパラダイムが広がりつつある時代だ。危機感を覚えている人は多いと思う。戦争は人権蹂躙の究極である。トリとロキタの人権を守ることが戦争回避への道だ。それは我々自身を守ることでもある。

 トリとロキタを演じたふたりは、演技が初めてだったらしい。それにしては演技が自然で臨場感に満ちていた。見事である。

映画「映画 ネメシス 黄金螺旋の謎」

2023年04月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「映画 ネメシス 黄金螺旋の謎」を観た。
『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』公式サイト

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大ヒット上映中!『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』公式サイト。広瀬すず×櫻井翔W主演の大人気ドラマが映画化!新時代の探偵物語を描く超ミステリーエンターテイメント!

『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』公式サイト

 面白かった。テレビドラマはあまり人気がなかったようだが、当方は興味深く鑑賞していた。本作品はテレビドラマと同様に、遺伝子操作やマインドコントロールマシンなど、現代のテクノロジーに対して疑問符を投げかける。探偵ものらしく謎解きもあって、意味不明の出だしから徐々に謎が解れていくところもいい。最後まで飽きずに鑑賞できた。
 予告編で紹介している通り、夢を操るテクノロジーを資金力の豊富な富裕層が操ったらどうなるか、そこに焦点が当てられて、佐藤浩市が謎を一手に引き受ける。さすがの存在感だ。広瀬すずの演技もドラマよりも進化していて、安定感がある。それに身体を鍛えているのだろう、悪夢から目覚めて荒い息遣いでベッドに手をつくシーンの、筋肉質でたくましい二の腕に好感が持てた。

映画「生きる LIVING」

2023年04月01日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「生きる LIVING」を観た。
映画『生きる-LIVING』公式サイト

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黒澤明×カズオ・イシグロ 不朽の名作がイギリスを舞台にいま、よみがえる! 本年度アカデミー賞最有力!

 ミュージカルの「生きる」を2度観劇した。主演は鹿賀丈史と市村正親のダブルキャストだ。一度目は2018年10月に鹿賀丈史が主人公渡辺勘治を演じた回、二度目はその2年後の2020年10月に市村正親が渡辺勘治を演じた回を観た。どちらの渡辺勘治もそれぞれの俳優のよさが出ていて、とても感動したことを憶えている。特に2020年のときは、コロナ禍の真っ最中であり、マスク着用必須で会話も控え、前方の何列かは客席として使用しないという対策が取られている中での観劇だったが、演出の宮本亜門をはじめ、ほとんど同じキャストが揃っていた。共通して助役を演じた山西惇が存在感があって、役所という前例踏襲と保身のヒエラルキーの組織を象徴していた。それは悪意の象徴でもあった。

 その2公演の記憶をベースにして本作品の公開を迎えたので、否が応でも期待は膨らむ。主演はビル・ナイだ。「マイ・ブック・ショップ」や「ニューヨーク 親切なロシア料理店」での厚みのある脇役ぶりが印象に残る。さぞかし感動的な作品になるに違いないと思っていた。
 しかし期待とはちょっと違っていた。それはミュージカル版の「生きる」とは違っていたという意味で、本作品も悪くない。悪くないが、期待したほどの感動はなかった。それはおそらく、舞台の違いによるものだと思う。

 黒澤明監督の「生きる」が公開されたのが、戦後7年しか経っていない1952年。大空襲や原爆投下がまだ記憶に新しいときだ。戦前から戦時下、戦後へと社会が変わっても、少しも変わらなかったのが役所の渡辺課長である。心の中には戦争に協力した過去に対する忸怩たる思いもあっただろうが、表面的には事なかれ主義で、陳情を平気で塩漬けにする。
 行動が習慣を変え、習慣は性格を変え、ひいては人生を変えると言ったのは、ウィリアム・ジェイムズだったかマザー・テレサだったか。渡辺もかつては、世の中の役に立とうとして役人になったはずだ。しかし保身と責任回避の、謂わば暗黙のパラダイムが蔓延する役所に長年勤務しているうちに、無気力で無関心な人間になってしまった。行動が性格を変えた訳だ。本作品も同様のストーリーが語られるが、いささか上品すぎる感がある。
 日本が舞台の作品では、戦後復興のエネルギーが満ちていて、誰もが自分だけ得をしようという欲望が滲み出ていた。おばちゃんたちの下品で下世話な雰囲気にもそれが現われていて、渡辺勘治はいささかうんざりしているように思えた。それはある意味で人間性の否定である。
 対して、ロンドンのご婦人たちは上品で、悪態をつくこともない。ウィリアムズ課長はやや離れた距離で眺めているだけだ。そこに人間性の否定はない。

「生きる」の見どころは、課長の心が人間性の否定から肯定に大転換するプロセスにある。本作品は、そこが少しだけ弱かった。優良可で言えば、良程度の評価が妥当だろう。