32基が都大路練る 京都・祇園祭の山鉾巡行 2007年7月17日 京都夕刊
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007071700047&genre=I1&area=K10
日本三大祭りのひとつ祇園祭は17日、ハイライトの山鉾巡行を迎えた。豪華な懸装品で飾られた山鉾32基が祇園囃子(ばやし)を奏でながら夏の都大路をゆっくりと進んだ。町衆の心意気を乗せて巡行する山鉾が沿道を埋めた観客を魅了した。
曇り空。先頭を行く長刀鉾が午前9時に四条烏丸を東へ出発した。鉾に乗った稚児が四条麸屋町で通りに渡された注連縄(しめなわ)を太刀をかざして切り落とす。沿道からいっせいに拍手がわき起こる。
山鉾はきらびやかな装飾品を際だたせて進んだ。途中の「くじ改め」では今年の山一番・芦刈山から順次、巡行順が確認される。四条河原町の交差点では見せ場の「辻回し」。路面に青竹を敷いて水をまき、その上に車輪を乗せて、豪快に滑らせる。10トンを超す巨大な鉾が90度方向を変えると、ひときわ大きな歓声があがった。
沿道には14万人(午前11時、京都府警発表)の観客が詰めかけた。激しく雨が打ち付けた昨年の巡行を同時間帯で4万上回った。
伝統支える町衆の心 祇園祭 山鉾巡行 2007年7月17日 京都夕刊
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007071700116&genre=I1&area=K10
祇園祭の山鉾巡行が17日、京都市中心部で行われ、沿道から20万人が見守った。見せ場のひとつ「辻回し」では重さ10トン以上の鉾が青竹を使って向きを変える伝統の技を披露した。祭りの将来を担う子どもたちも大活躍。小学生が囃子方として歩き、中学生は随行車にかける幕をデザインした。
■豪快辻回しに歓声
「ヨーイヨーイ、ヨイトセ」。音頭取りの掛け声とともに、大勢の曳(ひ)き手が鉾の綱に力を込める。ズズッ、ギギー。2度、3度と車輪が悲鳴を上げ、鉾の進行方向が直角に変わる。巡行で最も見応えのある辻回しだ。
巡行路沿いの交差点には早朝から二重、三重の人垣ができた。沿道の大きな拍手と声援。曳き手のほおが緩む。
京都市下京区の大倉数枝さん(79)は今年こそ間近で見たいと朝5時半に起き、四条河原町交差点の最前列を確保した。鉾の巨体が方向転換する迫力に、大倉さんは「みんなが一体となって動かす姿に胸が熱くなった。帰ったら今日の情景を俳句にします」と喜んだ。
■北観音山―南観音山 8基連なり行列美
北観音山から最後尾の南観音山までの8基は御池通で巡行列を整え直し一斉に進んだ。8基は本来、神輿の還幸祭に合わせて24日の「後祭(あとまつり)」に巡行していたが、1965年を最後に現在のかたちが取られている。
後祭先頭の北観音山が御池通富小路に待機。最後尾の南観音山が河原町御池で辻回しを終え、西に向いたのを合図に、8基は再び動き始めた。途中、役行者山と黒主山は山を回して見せ、観客から大きな拍手を浴びた。
後祭の伝統を忘れず、存在をアピールする巡行に、愛知県東海市の原口光造さん(68)は「真松をつけた北、南観音山がほかの山(舁山(かきやま))を囲むようにはさみ、美しい巡行列ですね」と話し、写真を撮った。
■飾り幕製作や囃子方初参加 小中生も重責
山鉾巡行には地元の小中学生もさまざまな形でかかわった。
白楽天山では地元の下京中学生の作った飾り幕2枚が山の後ろを走る随行車に飾られた。保存会が昨年随行車を新調したのを機にデザインを依頼。3年生31人が美術の授業で製作した。
片面には青地に鉾の車輪、もう一方の側面にはピンク地にクジャクの絵が描かれている。それぞれ幅248センチ、高さ170センチ。ビニールシートにアクリル絵の具で、2カ月かけて完成させた。3年の大野茜さん(15)は「デザインを決めるのが大変だった。多くの人に見てもらえてうれしい」と胸を張った。
巡行に復活して20年目になる四条傘鉾には囃子(はやし)方に初めて小学生が加わった。洛央小5年の村山巧(たくみ)君(10)は昨年踊り方を希望したが、すでに定員がいっぱいになっており、参加できなかった。祇園祭にどうしても参加したくて、今年は囃子方に申し込み、昨年秋から練習してきた。
四条傘鉾は約5キロの鉦(かね)を首に掛け、歩きながら演奏するため体力が心配されたが、無事に役目を果たした。村山君は「疲れて途中で休んだけど、くじ改めとか間近で見られて楽しかった」と話した。
今年の山鉾巡行は小雨が時折ぱらつく中、開始され、屋根のない一部の山でご神体にビニールを被せている山もあり、少し残念な結果になりました。また、同様の理由で蟷螂山のかまきりが動くからくりも、天候が怪しいために、残念ながら演出は中止で巡行のみ。最も気温も11時頃まではあまり上がらなかったために、救急車が活躍する?という事態もほとんどなく、観客の側も、立ち続けるのがつらくてリタイヤすることはあっても、暑さのために最期まで見ることがきついということは、それ程なかったように思います。
『北観音山から最後尾の南観音山までの8基が御池通で巡行列を整え直し一斉に進んだ』というのは、大津祭を意識した演出でしょうか? 10月7日に開催される大津祭は、各曳山が集合場所に一旦集まり、その後30分程度、曳手が休憩をとる時間があり、その間観客は自由に曳山を撮影できる瞬間があるのですが、こちらは一面に曳山が並んでいて、その後街中を回る時もずっと並んで巡行するために、とても見ごたえがあります。
実は、私は後の祭と呼ばれる、こちらの方が美しい山が多くて好きで、夢中でカメラを回していたのですが、先の巡行の船鉾が通り過ぎると帰る人も未だにいるようで…。南観音山の観音様の絵はとても綺麗ですし、後の巡行の山々は個性的なものばかり。もっともっと後の巡行の山々にも注目が集まると良いと思います。
そうそう…。鶏鉾が辻回しをしようとする時に、某社のカメラマンが交差点の中に侵入して、鶏鉾の曳き手の1人(多分鶏鉾のお偉いさんの1人)に激しく怒られていました。
カメラマンは一般の観客と異なり、道路の内側での撮影が許されるのですが、それでもあれだけ大きな山鉾を引っ張るのですから、道路の中に入ることは危険ですし、そのカメラマンが叱られたのもある意味当然な話。良い絵を撮りたいという気持ちはわかりますが、お祭の運営には協力して欲しいと感じた瞬間でした。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007071700047&genre=I1&area=K10
日本三大祭りのひとつ祇園祭は17日、ハイライトの山鉾巡行を迎えた。豪華な懸装品で飾られた山鉾32基が祇園囃子(ばやし)を奏でながら夏の都大路をゆっくりと進んだ。町衆の心意気を乗せて巡行する山鉾が沿道を埋めた観客を魅了した。
曇り空。先頭を行く長刀鉾が午前9時に四条烏丸を東へ出発した。鉾に乗った稚児が四条麸屋町で通りに渡された注連縄(しめなわ)を太刀をかざして切り落とす。沿道からいっせいに拍手がわき起こる。
山鉾はきらびやかな装飾品を際だたせて進んだ。途中の「くじ改め」では今年の山一番・芦刈山から順次、巡行順が確認される。四条河原町の交差点では見せ場の「辻回し」。路面に青竹を敷いて水をまき、その上に車輪を乗せて、豪快に滑らせる。10トンを超す巨大な鉾が90度方向を変えると、ひときわ大きな歓声があがった。
沿道には14万人(午前11時、京都府警発表)の観客が詰めかけた。激しく雨が打ち付けた昨年の巡行を同時間帯で4万上回った。
伝統支える町衆の心 祇園祭 山鉾巡行 2007年7月17日 京都夕刊
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007071700116&genre=I1&area=K10
祇園祭の山鉾巡行が17日、京都市中心部で行われ、沿道から20万人が見守った。見せ場のひとつ「辻回し」では重さ10トン以上の鉾が青竹を使って向きを変える伝統の技を披露した。祭りの将来を担う子どもたちも大活躍。小学生が囃子方として歩き、中学生は随行車にかける幕をデザインした。
■豪快辻回しに歓声
「ヨーイヨーイ、ヨイトセ」。音頭取りの掛け声とともに、大勢の曳(ひ)き手が鉾の綱に力を込める。ズズッ、ギギー。2度、3度と車輪が悲鳴を上げ、鉾の進行方向が直角に変わる。巡行で最も見応えのある辻回しだ。
巡行路沿いの交差点には早朝から二重、三重の人垣ができた。沿道の大きな拍手と声援。曳き手のほおが緩む。
京都市下京区の大倉数枝さん(79)は今年こそ間近で見たいと朝5時半に起き、四条河原町交差点の最前列を確保した。鉾の巨体が方向転換する迫力に、大倉さんは「みんなが一体となって動かす姿に胸が熱くなった。帰ったら今日の情景を俳句にします」と喜んだ。
■北観音山―南観音山 8基連なり行列美
北観音山から最後尾の南観音山までの8基は御池通で巡行列を整え直し一斉に進んだ。8基は本来、神輿の還幸祭に合わせて24日の「後祭(あとまつり)」に巡行していたが、1965年を最後に現在のかたちが取られている。
後祭先頭の北観音山が御池通富小路に待機。最後尾の南観音山が河原町御池で辻回しを終え、西に向いたのを合図に、8基は再び動き始めた。途中、役行者山と黒主山は山を回して見せ、観客から大きな拍手を浴びた。
後祭の伝統を忘れず、存在をアピールする巡行に、愛知県東海市の原口光造さん(68)は「真松をつけた北、南観音山がほかの山(舁山(かきやま))を囲むようにはさみ、美しい巡行列ですね」と話し、写真を撮った。
■飾り幕製作や囃子方初参加 小中生も重責
山鉾巡行には地元の小中学生もさまざまな形でかかわった。
白楽天山では地元の下京中学生の作った飾り幕2枚が山の後ろを走る随行車に飾られた。保存会が昨年随行車を新調したのを機にデザインを依頼。3年生31人が美術の授業で製作した。
片面には青地に鉾の車輪、もう一方の側面にはピンク地にクジャクの絵が描かれている。それぞれ幅248センチ、高さ170センチ。ビニールシートにアクリル絵の具で、2カ月かけて完成させた。3年の大野茜さん(15)は「デザインを決めるのが大変だった。多くの人に見てもらえてうれしい」と胸を張った。
巡行に復活して20年目になる四条傘鉾には囃子(はやし)方に初めて小学生が加わった。洛央小5年の村山巧(たくみ)君(10)は昨年踊り方を希望したが、すでに定員がいっぱいになっており、参加できなかった。祇園祭にどうしても参加したくて、今年は囃子方に申し込み、昨年秋から練習してきた。
四条傘鉾は約5キロの鉦(かね)を首に掛け、歩きながら演奏するため体力が心配されたが、無事に役目を果たした。村山君は「疲れて途中で休んだけど、くじ改めとか間近で見られて楽しかった」と話した。
今年の山鉾巡行は小雨が時折ぱらつく中、開始され、屋根のない一部の山でご神体にビニールを被せている山もあり、少し残念な結果になりました。また、同様の理由で蟷螂山のかまきりが動くからくりも、天候が怪しいために、残念ながら演出は中止で巡行のみ。最も気温も11時頃まではあまり上がらなかったために、救急車が活躍する?という事態もほとんどなく、観客の側も、立ち続けるのがつらくてリタイヤすることはあっても、暑さのために最期まで見ることがきついということは、それ程なかったように思います。
『北観音山から最後尾の南観音山までの8基が御池通で巡行列を整え直し一斉に進んだ』というのは、大津祭を意識した演出でしょうか? 10月7日に開催される大津祭は、各曳山が集合場所に一旦集まり、その後30分程度、曳手が休憩をとる時間があり、その間観客は自由に曳山を撮影できる瞬間があるのですが、こちらは一面に曳山が並んでいて、その後街中を回る時もずっと並んで巡行するために、とても見ごたえがあります。
実は、私は後の祭と呼ばれる、こちらの方が美しい山が多くて好きで、夢中でカメラを回していたのですが、先の巡行の船鉾が通り過ぎると帰る人も未だにいるようで…。南観音山の観音様の絵はとても綺麗ですし、後の巡行の山々は個性的なものばかり。もっともっと後の巡行の山々にも注目が集まると良いと思います。
そうそう…。鶏鉾が辻回しをしようとする時に、某社のカメラマンが交差点の中に侵入して、鶏鉾の曳き手の1人(多分鶏鉾のお偉いさんの1人)に激しく怒られていました。
カメラマンは一般の観客と異なり、道路の内側での撮影が許されるのですが、それでもあれだけ大きな山鉾を引っ張るのですから、道路の中に入ることは危険ですし、そのカメラマンが叱られたのもある意味当然な話。良い絵を撮りたいという気持ちはわかりますが、お祭の運営には協力して欲しいと感じた瞬間でした。