何度失敗を繰り返せば、日本人はまともになるのだろうか。民主党による政権交代ごっこ、さらには日本維新の会の結成に向けた動き。いずれもマスコミが煽りたてたブームである。私があえて保守の立場を主張するのは、そんな世相に冷水を浴びせたいからだ。鈴木成高は「保守ということ」(『保守の思想』収録)で、保守の精神について「いまだテストされない未知のものよりも、仮令不完全ではあるにしても、すでにテストせられた既知のものを択ぶ」と解説している。経験を重んじなければ、保守を語ることはできないのである。「エラー・アンド・トライアル」が全てなのである。ある種の政治的な技術も求められる。強引にイデオロギーで押し切るわけではないから、反対勢力に対しても、妥協の余地を残すことになる。さらに、自己を絶対化しないことで、寛容さと柔軟性を持ち合わせている。白か黒かで決着を付けるのではなく、日本の精神的基盤に依拠し、争いよりも和を尊ぶのである。大衆化社会ということもあって、「パンとサーカスの政治」がまかり通っているのが、今の日本の政治ではないだろうか。大衆迎合的な政策を掲げることだけは、断じて慎むべきだろう。それに歯止めをかけるのが保守であり、お花畑の夢を語るのではなく、一つひとつ善処する練達の政治が保守なのである。サヨクや新自由主義と相容れないのは当然だ。試行錯誤こそが政治なのだから。
←かけ声だけの改革はもうたくさんだと思う方はクリックを