日本維新の会は攘夷であるべきなのに、変に物分かりがよいのが欠点ではないか。韓国ともめている竹島にしても、「共同管理」を持ちだして、さもリアリストのような顔をしている。日本が日本として自己主張すると、決まって外圧と衝突する。それでナショナリズムに火が付き、日本国民が一丸となるのである。明治維新を達成した若者も、ある意味では常軌を逸していた。しかし、その激情が日本の国を動かしたのだ。マスコミによる日本維新の会へのパッシングが始まっている。これまで応援するような振りをしていたくせに、急に態度を一変させたのである。日の丸を掲げ国歌を斉唱するのが、気にいらないらしい。私が日本維新の会に不満なのは、取り巻きに新自由主義者がいることだ。小泉構造改革以来の日本の荒廃ぶりは、あまりにも深刻である。日本維新の会が彼らと一線を画すれば、国民の見る目も違ってくると思う。橋下徹大阪市長に期待したのは、閉塞感を打破して欲しいからだ。橋下市長自身も、それを理解しているので、ぜひともホームランを打ちたいはずだ。その気持ちはよく分かるが、場外大ファウルでもよいので、突破力が物を言うのである。リアリストである必要はないのだ。戦後レジームというのは、私たち日本人のなかに深く染みついている。将来のビジョンを云々する以前に、真に日本の平和と主権を守ろうとするならば、戦後レジームを即刻叩き潰すしかないのである。
←橋下市長はリアリストである必要はないと思う方はクリックを