愚かにもほどがある。菅直人元首相を始めとする民主党政権は、今になって脱原発だとか口走っているが、国としてやるべきことは何一つやっていなかった。福島第一原発の5、6号機の廃炉にしても決断できず、東京電力に責任をなすりつけて、それですまそうとした。安倍首相が今日午後、そのことを口にするまでは、政治は機能していなかったのである。それが許されることなのだろうか。全てを東電の丸投げをした結果が、深刻化している汚染水問題ではなかったか。民主党のやってきたことは、自分たちが悪くはないという弁解に終始した。原発を自民党同様に推進し、海外にも売る込んできたのは事実だ。さらに、自民党以上に温暖化対策の特効薬として、原発をバックアップしていた過去を隠すつもりだろうか。それ以外のエネルギーに目を向けようとしたのは、かえって自民党だったのである。このままでいけば、自民党は東電をつぶすことになるだろう。国が前面に乗りだすというのは、当事者能力がないということであり、それなりの責任は取らされることになっても、それは仕方がないことだ。しかし、もうここまでくれば、東電を責めても意味がない。発電をしてそれを供給していただけであって、事故への対応が困難であるのは、当初から分かっていた。人的な対応も限界にきているはずだ。危機を乗り切るには、まず国が国民に向かって、決意を明らかにしなければならない。その点では安倍首相は立派である。絶望から希望に向かうには、政治の主導力が問われるのだから。
←安倍首相の廃炉決定の決断は当然だ