福田恆存は『言論の自由といふ事』のなかで、新聞の文章を理解するのが難しい理由として、「比喩的俗語」の濫用を挙げている。事実を述べるにあたって「腹」「運命」「左右される」「筋違い」「深刻な波紋」「死守」「邁進」などで表現すると、かえって事実を伝えることにはならないからだ。福田は「俗語の特徴は比喩にある。眼にみえぬ心理的なものを、具体的な事実や行動に、あるいは行動より具体的な行動に、あるいはまた団体的な行動を個人的な行動に、たくみにすりかへて実感をだすのは比喩的表現の面目である」と述べている。そして、その悪弊として「かういふ比喩的俗語の濫用によって、一見記事はヴィヴィッドでおもしろくなるが、おそらく事実や真相から遠ざかるにちがひない。同時に、事実や真相があいまいであるばあひ、この種の表現法はなかなか便利だといふ結果も生じる」と指摘した。新聞記者であるのなら「文章を書く人間という自覚がなければならぬ」と批判したのだ。ちなみに、今日付けの朝日新聞の「天声人語」でも「比喩的俗語」の濫用が目立つ。「粒ぞろい」「ひときわ光る」「寄り添う」「胸に迫る」「筆紙に尽くせまい」「負わされる責任」。事実で語らせるよりも、インパクトのある「比喩的俗語」に頼っているのである。ブログを執筆している身としても、気を付けなくてはならないが、新聞が信用されないのは、その文体にも起因しているのであり、形式が内容を決定するのである。
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