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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守民族派の攘夷はあくまでも外圧に抗するためだ!

2013年09月25日 | 政局

 安倍晋三首相は消費税増税を容認することになるのだろう。それをめぐって保守派内部で意見の対立があるようだが、攘夷としての思想運動と位置付けるならば、大騒ぎするほどではない。在野の私たちのような者の意見が通るのは、維新が達成されたときだ。それまでは幾多の挫折を経験しなくてはならない。内需を拡大して日本の経済のパイが大きくなることに対して、アメリカが警戒している。そんなことをされれば、アメリカの金融資本家にとっては、とんでもない痛手になる。民主党であろうと、自民党であろうとも、アメリカの言いなりである。二つの政党の違いは、東京裁判史観を肯定するか、それとも認めないかだけである。それも割合の問題であり、自民党が丸ごとそうだというのではない。「チャンネル桜」の私はファンであるが、水島総社長は、あまりにも人が良過ぎる。ここで消費税増税を阻止できなくても、責任を感じる必要はないのである。自分たちの力不足を反省し、次の目標に向かえばいいのだ。政治を舵取りしている人間が、難しいと思うことでも、あえて問題提起するのが思想運動だ。一歩でも二歩でも前進すれば、インパクトがあったのである。そして、思想運動なわけだから、政治的な力学を無視した攘夷になりがちだ。それでいいのである。かえってそれがアメリカとの交渉をやりやすくする場合だってあるからだ。保守民族派にとっては、これからが本当の意味での闘いなのである。

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日本人は民族として「運命共同の意識」の下に結集すべきだ!

2013年09月25日 | 思想家

 民族の定義について、人種的なことにこだわるべきではないと思う。血が共通にしているというのは、あくまでも信念でしかなく、血が純粋な人種は、世界中どこにも見当たらないのである。それと同じく言語や信仰や魂の故郷についても、漠然としたものでしかない。矢部貞治は『政治・民族・国家の話』のなかで、民族について「ひとしくその中で育まれ、その中に溶けこんでいる文化や習俗や、祖先から伝わっている伝統や、父祖を含めて自分らが共通に持った歴史などが基礎になって、そのような複雑な土台の上で、永い間に形成されてきたものなのである」と書いている。しかし、それも下部構造として認めただけであり、矢部は「運命共同の意識」にこそ民族の核心部分を求めたのである。朝鮮人による日本人へのなりすましが批判されている。いかに帰化しようとも、そうした意識がなければ、団結できるわけがない。民主党政権の誕生時の異常なマスコミの報道に関しても、在日と言われる人たちの影響力があったといわれる。今こそ一緒になって日本を支えようとする者たちが団結すべきなのである。それと同時に、民族をなおざりにしてきた戦後日本の歩みを、日本人自身が反省すべきだろう。「自分らが運命を共同にしているという意識、そしてその自分らが共同の生活体をなそうという意欲」を、私たち日本人が軽んじてきたことが原因ではないだろうか。国家解体にストップをかけることができるのは、民族としての「運命共同の意識」なのである。

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