大アジア主義について私は、何度となく否定的な文章を書いてきた。今の中共や朝鮮半島の反日の動きを見れば、手をつなぐに値しないからだ。しかしながら、葦津泰國氏が、父で保守民族派の論客であった葦津珍彦の著『大アジア主義と頭山満』の前書きにおいて、「終戦60年、もはや戦後といって過ごしているのは許されない。日本は紛れもないアジアの一国であり、独自の文化を数千年にわたり育み続けてきた国である。日本人が再び明治維新のころのような情熱を取り戻し、アジアの同胞と深い友好関係を再び築き、隣国とも手をつないで、ともに明日に向かって栄えていくことを願ってやまない」と書いているのを、無視することはできない。葦津珍彦は玄洋社の頭山満を高く評価していた。それを受けて私も、あえて今日の中国を「中共」と呼び、かつての清と同じように考えている。他民族の支配ではなくても、一党独裁の統治システムは、中国の国民を不幸に陥れているからだ。さらに、現在の韓国も頭山らが韓国独立党を支援していた時代と似ている。当時の韓国は清に隷属して、亡国の様相を呈していた。このために頭山らは、金玉均らを物心両面で支えたのだった。中国共産党が権力の座から引きずり降ろされるのも、そう遠くはないだろう。韓国の反日政権もそれと一緒に没落するだろう。大アジア主義がもう一度復活するとすれば、そのときではないだろうか。当面は私たち日本人は、抑圧された二つの国の人たちを、裏から応援すべきだろう。すぐに大アジア主義を実現するのは難しいが、後10年もしないうちに状況は変わってくるのではないだろうか。そうなるためにも、日本は国家として毅然としなくてはならない。なぜなら声には出さなくても、それらの国には、隠れた親日家がたくさんいるのだから。
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