これまでも大新聞が日本を駄目にしてきたし、これからも駄目にする。今や亡き山本夏彦の口癖であったが、多くの日本国民はそう思ってるのではないだろうか。それはテレビも共通しており、知りたいことを報道せず、足並みをそろえて同じことを伝える。これでは誰も信用しなくなって当然だ。私の周囲は県紙をとっている人が多い。間違ってもそれは論説を読むからではない。死亡欄があるからで、冠婚葬祭は地域社会の大切な絆だ。それとテレビ欄があれば、それだけで用が足りるのである。自分たちの言論が世の中を動かしていると勘違いしているのだから、勘違いも甚だしい。消費税が増税されても、新聞だけは例外にして欲しというのも、奢りがあるからだろう。「日本の誇るべき文化や民主政治が後退する」からだという。臆面のなくそんな主張ができたものである。恥ずかしくはないのだろうか。今の大新聞がつまらないのは、記者が官僚と大差がないからだ。何かすると法律を持ち出したりで、現実に斬り込む勇気がない。「法匪」の類なのである。それと比べるとネットの方が面白い。意見が様々ですぐに反応があるのも、マスコミとは違う。文章的にも記者の書くものは主語がなく、立場が不明瞭である。それでいて、識者や関係者に語らせることで、世論を誘導しようとするから姑息だ。大新聞やテレビといったマスコミは、高度経済成長時代の産物であった。画一的な情報で満足する時代は終わったのであり、もはや守旧派以外の何物でもない。
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