草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

大新聞やテレビがオピニオンリーダーの時代は終わった!

2013年09月27日 | マスコミ評

 これまでも大新聞が日本を駄目にしてきたし、これからも駄目にする。今や亡き山本夏彦の口癖であったが、多くの日本国民はそう思ってるのではないだろうか。それはテレビも共通しており、知りたいことを報道せず、足並みをそろえて同じことを伝える。これでは誰も信用しなくなって当然だ。私の周囲は県紙をとっている人が多い。間違ってもそれは論説を読むからではない。死亡欄があるからで、冠婚葬祭は地域社会の大切な絆だ。それとテレビ欄があれば、それだけで用が足りるのである。自分たちの言論が世の中を動かしていると勘違いしているのだから、勘違いも甚だしい。消費税が増税されても、新聞だけは例外にして欲しというのも、奢りがあるからだろう。「日本の誇るべき文化や民主政治が後退する」からだという。臆面のなくそんな主張ができたものである。恥ずかしくはないのだろうか。今の大新聞がつまらないのは、記者が官僚と大差がないからだ。何かすると法律を持ち出したりで、現実に斬り込む勇気がない。「法匪」の類なのである。それと比べるとネットの方が面白い。意見が様々ですぐに反応があるのも、マスコミとは違う。文章的にも記者の書くものは主語がなく、立場が不明瞭である。それでいて、識者や関係者に語らせることで、世論を誘導しようとするから姑息だ。大新聞やテレビといったマスコミは、高度経済成長時代の産物であった。画一的な情報で満足する時代は終わったのであり、もはや守旧派以外の何物でもない。

政治 ブログランキングへ

               ←これからの言論はネットが中心になると思う方はクリックを

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

にほんブログ村   blogramで人気ブログを分析

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノミクスを評価したスティグリッツと宇沢弘文の経済学!

2013年09月27日 | 思想家

 宇沢弘文の『経済学の考え方』はある意味では予言の書であった。1989年に出されたにもかかわらず、今日本が直面している経済の問題点について、鋭くえぐり出していたからだ。すでにその時点で、新しい経済学において、主導的な役割を果たしているとして、ジョージ・アカロフとジョーゼフ・スティグリッツの二人の名前を挙げていた。宇沢によると、アカロフは自動車の中古市場をモデルとして、「レモン」(中身がくさっているかどうか売手にはわかっているが、買手にはわからない)の市場を定式化して、情報の非対称性が、市場機構のパフォーマンスにどのような影響を与えるかを分析した。スティグリッツの業績は、市場経済の構成主体が、質点としての経済人ではなく、歴史をもち、社会的、文化的コミュニケーションを通じて自らの価値基準を形成してゆくという組織的な存在であることを強調して、情報、知識、技術などという制度的要因が、経済循環のプロセスにどのような関わりをもつかということを明示的に定式化し、分析した。今では世界的に著名な新自由主義に対抗する経済学者としに二人とも有名であるが、宇沢は早い段階から注目していたのである。それと同時に、日本人の経済学者として、安倍首相のブレーンとして内閣官房参与の浜田宏一を始めとして、伊藤元重、岩井克人、本間正明、古川洋らを取り上げて、先駆的、独創的な研究に携わっている、と紹介していた。アベノミクスがどうなるかは、新自由主義に反旗を翻し、アベノミクスを評価したジョーゼフ・スティグリッツの理論をどこまで踏まえるかなのである。そこを踏み外せば暗いトンネルに逆戻りするしかないだろう。

政治 ブログランキングへ

               ←安倍首相は新自由主義に与すべきではないと思う方はクリックを

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

にほんブログ村   blogramで人気ブログを分析

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする