中国古典では、"竹"や"月"を題材にした俳諧は多い。それを題材にするようになったのは、中国 唐の時代に画家であり詩人であり政治家であった“王維(おうい)”の自然詩の影響が大きいといっても過言ではない。
王維の詩の中でも「竹里館(ちくりかん)」は、その代表的なものであり、日本の国語の教科書に紹介されていたくらい有名な五言絶句の詩である。その「竹里館」を紐解いていくと自然詩の情感や情景が見えてくる。
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
和訳すると、
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず
明月来たりて相照らす
解りやすく説明すると
ただ一人で奥深い竹やぶの中に坐って、
琴を弾いたり、声をひいて詩を吟じたりしている。
この竹林の中の趣は、世間の人は誰も知らないけれども、
天上の明月だけはやって来て、私を照らしてくれる。
という意味になる。
煎茶席で、師匠からこの詩を知っていますか、という問いに誰一人として声が上がらない。我々の当時の国語の教科書にも紹介されていたほどの有名な漢詩ですよ。と、言われても反応がない。それなら、いまからでも遅くないので、覚えましょう、と。師匠の後について何度も何度も唱和した。
王維の自然詩は “詩中に画あり” といわれる作風が多い。詩を読むだけで画が浮かんでくるといわれ、俳諧の創作手本になっている。また、 “画中に詩あり” という逆もいえる。
一般的には、独り竹林で琴を奏でるイメージは暗さが先行する。しかしながら、この自然詩にはその暗さや寂しさは微塵も感じられない。自然に同化し、俗の世界から超越したイメージが伝わってくる。
王維は自分の世界観をこの短い詩の中で表現している。それが後世に残る詩となっていまに伝え継がれている。この情感が素直に理解できるのはいつのことや、と思いながら夏の夕暮れに煎茶で喉を潤した。
写真は、「王維の詩」の画像から転載
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