私が 23 歳の頃、職場で知り合い、付き合っていた彼女 ( 後に妻になる ) は、祐天寺 ( 東京都目黒区 ) に住んでいて、私は深沢 ( 東京都世田谷区 ) に住んでいました。 同じ東急東横線です。 彼女が私のアパートに訪ねて来る事は少なく、多くの場合私が祐天寺に遊びに行っていました。
ある日 会社の同僚が 「 おい昨日お前のアパートに遊びに行ったんだけど、女の靴があったので帰った ..... 彼女が来てたんだろう?」と言うのだ。 周りを見回して彼女が近くにいなかったので胸を撫で下ろしました。 確かに女性が私の部屋にいたんです。
その女性、実は、江古田 ( 東京都練馬区 ) に住んでいる私の友人 S の彼女で、彼と同棲してたらしいのですが、大家から 「 契約違反 ( S がひとりで住む契約 ) 」 で彼女が追い出されてしまったのです。 彼曰く 「 お前ちょっとの間面倒見てやってくれ 」 と言う訳で私のアパートで寝泊まりをしていました。 私と彼女が何か有ったかどうかはご想像に任せるとして ...... 実に 「 昭和 」 な話だと思いませんか ?。 あの頃 ( ♬ 神田川 ♬ ) は同棲がトレンディーだった ?。
その後どうなったかと言いますと、突然、彼女の母親から私に手紙が来て 「 娘がご迷惑をかけております。 同封のお金と新幹線の切符を娘にお渡し頂けます様お願いします 」...... なんと、16 才の家出娘だったんです。 ちゃんと帰ってくれたかは私の知るところではありませんが、この年頃は、なかなか素直になれないんで心配でした。 今思えば母親の我が子を探す執念には感服です。 おそらく江古田経由だったんでしょう。
私が 19 才の頃、親友の N 君が家出をしました。 東京都立川警察署に彼の母親と私で出向き 「 探して下さい 」 と申し出たが、けんもほろろに 「 彼が事件を起こすか、巻き込まれる様な事にならないと探し出すことは無理だ 」 と言われ、その時の母親の落胆ぶりは憐憫でした。 「 親の気持ちなんて自分が親になってみないと分からない 」 と言いますが、大抵の場合気付くのが遅すぎます。
私なんて親の教えや忠告に背き、融通無碍に生き、気づいた時は親は床に臥せっていましたからね、毎日、本当に毎日、亡くなるまでの 3 年間、孫を連れてお見舞いに行きました。 贖罪のつもりでした。 ひ孫と会話する母親はとても嬉しそうでした。 92才で他界しましたが、最後の 3 年間は穏やかな日々を過ごしてくれたと思っています。