時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

記憶の中のおもしろい光景

2014-03-30 | essay



おもしろい、というか ありえない光景ってすごくすきだ。

小さい頃から夢想の中で遊ぶようなところがあったせいか
はっきりと光景を覚えているのに
それが現実だったのか、夢でみたのか、
はたまた寝惚けていたのか
確かめようのない記憶がいくつかある。

そんな記憶の中のひとつ。
いつのことか定かではないのだけれど
電車の中で黒い大きなコウモリ傘をさす男の人を見た。

悠々と大きな傘をさして立つひとりの男。
なんともフシギなありえない光景がわたしのこころに焼きついている。

けれども、わたしの脳内でいつしかそれは
車窓の外から遠くガラス越しに見ている構図に変わる。

これは記憶の改ざんか?
それともはじめからわたしの夢の中の出来事だった?

どうにも確かめようがないんだよね。

山高帽のダークスーツの男だったような気がするのは
マグリットの絵をすきになってから記憶が塗り替えられたに違いない。

遠い記憶と夢想の世界の境界線なんて曖昧なものだ。

その曖昧さ、いい加減さがわたしの実体をつくっているのだとしたら・・・

わたしの実体は、この世にあって ないような?


所詮すべてはユメの如し。

 
   
  

 

 


三つの背中

2014-03-28 | essay



三歳違いで三人の子を持つと
三年に一度は気忙しい春がくる。

今年の春はそのピークかなあ。
三つの卒業式と
三つの入学式。

それぞれの旅立ち。あたらしい日々のはじまり。

あたらしい気持ちで、姿勢を正して
それぞれ数年かじった武道(空手道・弓道・合気道)の精神!を
ちょびっとは思い出して 背筋をしゃんと伸ばして歩いて行きなはれ~。

自分の歩幅でいいんだよ~。

歩いて行くその三つの背中を
ここで見送ることしか
母にはもうできないけれど。

晴れの日もあれば、嵐の日もあって
転んだりつまづいたりすることもあるだろうけれど
転んだついでに道端にちっこい花が咲いていることに気づいたり
誰かに素直に助けてもらったり、そしてまた誰かを助けてあげたり。

ひとつひとつの小さな出来事を
ひとつひとつのささやかなつながりを
たいせつに出来るひとであってほしいな。

と、密かに願う 春です。

   卒業おめでとう。

      






CHICCHAI

2014-03-26 | essay



ちっちゃいなあ 自分。
まだまだ すっごいちっちゃいなあ って思う。

どこまで歩いていこうと
すべてに大満足!なんてことはまあ、ありゃしないってことくらいわかっているのだけれどね。

何かに「がっかりさせられる」 っていうのは
「そうあっていてほしい」 というこちら側の過剰な期待と
勝手な理想が破られたからに過ぎない。
そんなことだって、もうとっくにわかっちゃいるんだけどね~。

ひとはひと。
わたしはわたし。
究極の個人主義に徹したら、傷つくこともないのかもしれない。

でも、自分はそんなふうにドライに生きられるほど器用ではないから
この先も、UP&DOWNの続くジェットコースターから降りる日はこないのかもね。

まあ、それはそれでいい。

きれいな夕焼けにこころを奪われたり
見上げた夜空にキレイな月を見つけてウットリしたり。
誰かと涙が出るほど笑い転げたり。。。

そんな時間を少し持てれば、もうそれでいいや。

時に、「ちっちぇーよ!」って自分に喝を入れつつ
時に、ややこしい現実は見ないことにして(?)

過ぎた時間を追いかけてすがったりも決してせず

朗らかに手を振って時間を見送ってあげられるような大らかなひとでありたいものだなあ。

あれ。 「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」 みたいになっちゃった。
 

何はともあれ、ちっちぇーなりにわたしはわたしらしく。
そう思うことにしとこかな。

    

 

 

 


いつの間にかみえてくるもの

2014-03-23 | essay




みるつもりがないのに

みえてくるもの

透明なものに浮かび上がる色


そこに元々あったのに ただみえていなかっただけなのか。

永い永い間に潮が引いて顕わになっただけのこと?

みたくないからみえなかったのかもしれないね。

みえてくる ってのは
それが今のわたしに必要だから?

いくつになっても自分の中にはいろんな発見があるものだ。

まったく 「ニンゲン」 ってやつは!!

 

 


石造りのまあるい美術館

2014-03-22 | 古い建物 のこと



先日の「松濤美術館」
ここを訪れたのは今回がはじめてのこと。

閑静な住宅街にぴったりな、重厚でいてなお重苦しくないとてもすてきな建物でした。

この石造りの外観がいいですねえ。
昭和53年(1978年)竣工。設計は白井晟一氏。

中の落ち着いた造りもしっとりとしたレトロ感が漂っていていい感じ。
建物全体がまあるくコンパクトで、なんだか自分も内包されているような気持ち。

この階段にはかなり、か~なり魅かれます。





このうずまき感がたまりませんね。



なんともうつくしい階段です。



ガラス越しに見下ろした中庭部分の地底部分は池のようになっていて
外光の反射がとてもきれい。

今度お邪魔する機会があったなら、今度はゆっくり建物を観て廻ることにしよう。

 


 


High Red Center

2014-03-21 | 展覧会・アート のこと



「赤瀬川原平さん どっかで展覧会やってないかなあ~」 と
思い立って検索してみたら・・・

ヤバイ。スゴイ。やってる!
やってるどころかもう終わっちゃう。

というわけでとんぼ返りで行ってきました。
「ハイレッドセンター 直接行動の軌跡展」 in 松濤美術館

赤瀬川さんの文章も写真もアートもトマソンも わたし、大好物。

「ハイレッドセンター」の、当時のイロイロが直接観れるなんて
時代を超えてドキドキしちゃう。

日常の中の非日常。
芸術か?イタズラか?
そういうのこのうえなくすきだなあ。

1964年。銀座並木通りでの白衣を着た団体の突然の清掃運動とか
ばったり遭遇して翻弄されてみたかったなあ。
まだ生まれてなかったけれどね~。

帝国ホテルで行われた「シェルター計画」は
人間を前後左右上下6方向から写真を撮って
人間展開図にしてそれを箱型に組み立てる・・・というもの。

参加者に若き日の横尾忠則氏や小野洋子さんもいらしてびっくり!
オノ・ヨーコさんの人間展開図!たいへん貴重なものを拝見してしまいました~。

ところでハイレッドセンターは、高松次郎さん・赤瀬川原平さん・中西夏之さんの三人の
苗字の高・赤・中 を英語読みにして付けられた活動団体(?)の名前。

図録のコトバによると、高度成長期へとまい進する1960年代、
平穏な日常のなかに「芸術」を持ち込むことで
退屈な日常を撹拌しようと試みた のだそうだ。
正に日本のアバンギャルドだ~。

ロシアン・アバンギャルド、ダダイズム、シュールレアリスム・・・ 
惹かれるものには素直に惹かれてしまおう。

高松次郎さんの「影」の作品もファンです。
1964年の作品「影A」 すきだなあ。
壁にハンガーや帽子、ブラシなどがまるでそこに掛けてあるみたいに
「影」だけ描かれている・・・。
数年前、国立新美術館で行われた展覧会「陰影礼賛」でも
高松次郎さんの人影の作品に見惚れてしまったことを思い出したよ。

この度の展覧会。
行きそびれてしまわなくてよかったな~。
ギリギリセーフで観に行けたのは、
実はクラフト・エヴィング商會さんのお蔭です。

急に思い立って赤瀬川さんの展覧会を検索してみたのは、
先週買ったクラフト・エヴィング商會の「ないもの、あります」という本の中に
赤瀬川さんの「TORIAEZUBEER」の文章をみつけたことから。

すきなものってのは、みえないどっかが繋がっている。
辿り着くべきところには、ちゃんとみちがつづいておるのですねえ。
ありがたいことです。

  
この展覧会は2014年3月23日まで!
ヤバ。 って思った方はお急ぎください。





森をあるく

2014-03-20 | essay



モノクロ写真みたいな曇り空の森へ。

ちょっと肌寒い3月の森。それでもあちこちに新芽が。
ちゃあんとちゃあんと、春の準備はそれぞれのからだの中で進められている。

 

足元に、正真正銘の春をみっけ。

 ふきのとう!

わー。ふきのとうのてんぷらはすきだけど
けなげにまだ冷たい土を破って懸命に出てきたこの子らを
摘んでしまおうとはちょっと思えないなあ。

 あともうひと雪くらいはありそうな予感・・・

冬と春の隙間を歩く 束の間の森の時間でした。

つくづく・・・森の空気はええなあ。

 

 


 


自分を騙す

2014-03-19 | essay



自分のこころを騙して
無理をするのはよくない。

そう思ってこころのままに生きてきたけれど

自分のこころを騙す必要がある時も
こころが自分に騙されていることを知りながらも
知らんふりしてがんばらなくちゃならない時もある。

 ってことに気がついちゃったんだなあ・・・・・・。

人生はすこぶるフクザツなものだけれど
それでも本質はシンプルなんだよね。

いろんなもんを削ぎ落としたら
もっと大事なことが見えてくるかな。

 

 


本に呼ばれる

2014-03-18 | 本 のこと


古本市があると足を運ばずにはいられない。
今回もちょっとおもしろい本をみっけ。

 ぱらぱらとめくると
なんだかとてもいい感じの写真がたくさん載っている。


「AMERICAN PHOTOGRAPHY」 という布張りの事典風。シリーズの一冊みたい。
1927年の写真の勉強のための本みたい。
これは専門的過ぎてじっくり読みそうにはないけれど写真はじっくり観たいな。

だいすきな絵本「もりのなか」の原書をみっけ!

 「IN THE FOREST」
このエッツさんの絵本を読むと、今すぐ森へいきたくなるんだよね。


そして、これまたすきな安野光雅氏の絵本「野の花と小人たち」
わたし小さい頃、コロボックルに憧れてたんだよねえ。
ちいさくなって庭の植え込みに潜ってみたいなあと夢想していたものです。

この他には、小林秀雄の対談本とローズ・オニール・キューピーの本。

古い本は、いい具合に時間が降り積もって色褪せて茶色いくらいなのがすき。
程度の良さはまったく要求していないので、どれも廉価で購入です。

大量の冊数の古本だらけの中をゆっくり歩いて、本に呼び止められる瞬間を待つ。
これもわたしの至福のひとときです。

  

 


真上の満月

2014-03-17 | essay


お店のシャッターを閉める時に

いつも真上の空を見上げる。

藍色の空に丸いの浮かんでないかな。
今夜は星が光っているかな。

月は今 どこにいる?

あのマンションの向こうかな。

ひょいと、丸い顔がのぞいたら
なんかイイコトありそうな。

                   

 

 


「すき」の嗅覚

2014-03-16 | 展覧会・アート のこと


世田谷文学館の帰りに柴崎駅で降りて手紙舎2nd Story へ。

ここは、ぴゃ~~~って声を上げたくなるほど(上げませんが)
魅惑的な紙モノの宝庫のお店。(&カフェ)



今回もカワイイペーパーをみつけました。
これは早速、この日購入したクラフト・エヴィング商會の「ないもの、あります。」の文庫本にくるり。
いい感じのブックカバーになりました。

このしろくま~。この色合い。たまりません。すごくすきです。

この配色・・・このふんわり感・・・なんだかどこかで・・・と思ったら
何年か前にたまたま娘と一緒に寄った吉祥寺のギャラリーで
一目ぼれした作家さんの作品でした。福田利之氏。
以前も、暖色の冬ごもりっぽいくまと、色とりどりのきのこの絵柄をとても気に入って
ポストカードを買って帰ったのを思い出した~。
すきなものとは、やはりこうしてまためぐり逢うことになっているのねえ。

ここの3階に最近オープンした手紙舎さんの手芸店も
とても素敵なお店でした。
かわいい生地がたくさん。しかしわたしにはお高くて生地には手が出ず。

ten to senさん の布の一部分で出来ている缶バッチと、
フランス製アンティークのボタンをひとつ、買いました。
だいすきな色、ブルーグレーのお花型。これに金具を付けてちいさなブローチにしようかな。

すきなもの。すきなこと。
こころの嗅覚もたいせつにしたいものです。       

 

 


おかしな展覧会

2014-03-14 | 展覧会・アート のこと



「クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会」 星を賣る店 へ。

世田谷文学館でおもしろそうなのやってるよ と ともだちKさん。
ネットでチェックしていて、わたしもおもしろそうだなあ・・・と思っていました~。
というわけで、一緒に行ってみました。

ふしぎなどこか別の国へ迷い込んだみたいな
いろんなおかしな品々の並ぶクラフト・エヴィング商會の棚卸。

ありそうでなさそうな。
なさそうでありそうな。
ないだろうけどあったらほしいよって品物たち。

ことば と もの の関係って
みえないアイやキズナ と似ている。

ものにことばが添えられて初めて 具現化するような 納得するような。

雲砂糖 羊典 睡魔のコレクション 
地球をぐるっと回って自分の背中が見える望遠鏡・・・
などなど。
説明をよく読むとクスッと笑ってしまう品物たち。

商品番号2165番 シガレット・ムーヴィー をわたしはぜひ注文したい。
いつでもどこでも、これを吸えば自分の脳内に映画が上映される品物。
有害かどうかは、観る映画によって変わる というような注意書きがいいわ。

さまざまな本の装丁も手掛けていらっしゃって(これは現実に)
表紙が並ぶとひとつひとつがすてきなアート。
紙モノ好きとしては、「紙」として販売していただきたいほど魅力的なデザイン。

これまで著書は一度も読んだことがなかったのだけれど

この展覧会ですっかりふしぎな魅力に引き込まれてしまったので
とりあえず一冊購入して帰りました。

「ないもの、あります」 クラフト・エヴィング商會著

空想・夢想・妄想は どこまでもどこまでも自由です~。

        




テーブルにひろげる

2014-03-12 | essay



モンダイをテーブルに広げて
何がモンダイであるのかを明らかにすることで
自分がどうすべきであるのか、
一体自分がどう対処したいと望んでいるのかがみえてきたりする。

次男が学校へ行くのをやめてからこの一年と半年。
わたしの、教育相談員さんとの定期的な面談は
モンダイをテーブルに乗せて、自分のこころとも向き合うたいへんありがたい時間でした。

自分の気持ちをコトバにすることで、みえてくることもある。

いろんな心模様を辿りながら、彼もいよいよ義務教育卒業。。。
中2の初夏までは普通に学校へ行っていた次男。
思いがけない険しい回り道だったけれど
これもあれも必要な時間だったと思いたい。

通信制高校への進学を選んだ彼。
卒業資格をちゃんと取れるようこれから三年、踏ん張ってもらいたいものだ。

もともと本人に行かせるはずだった教育相談室。
「おれは相談することがないから行かないよ」という息子に代わり
ほぼわたしのカウンセラーの役目をしてくださった相談員さん。

たった一度だけ、次男が突然「挨拶だけなら行こうかな」と
足を運んだのは彼岸花の咲いていたこの前の秋のこと。
以来、結局一度も相談に行くこともなく、本当に挨拶だけになっちゃったね。

わたしもしばらくご無沙汰してしまったし
卒業に当たり、ご挨拶に行こうと誘ってもやっぱり行かない彼に
じゃあ、なんか伝言ない?と言うと

  「母がお世話になりました、って伝えといて!」 ときた!

わたし、思わず大爆笑。
あんたのモンダイであたしが話に行ってたんじゃないのさ~!!わかっておるのか!?

最後の面談へお邪魔して、相談員さんに彼の言葉を伝えると
相談員さんもやはり大ウケ。
わたしも一緒に笑いながらも
いや、あながち間違ってもいないなあ。 と思えてきたよ。

母親のわたしが大きく傾いて座礁せずにいられたのは
定期的に相談員さんに息子の話をどっぷり聴いてもらっていたお陰です。

お仕事とはいえ、わたしのぶちまける息子の先行きのいろんな不安や不満を
受け止めて共有してくださったお陰で、
わたし 何とかバランスがとれていたのかもしれない。

息子の言う 「母がお世話になりました」は、正にその通り真実なのでありました。

息子がいわゆる「不登校」になり、母として暗中模索の戸惑いの日々、
周りのひとびとの温かさも本当にこころに沁み入りました。
思い返せば、いろんな温かいコトバにいつも助けられてきたんだよね。

言うなれば・・・まるで、高い所で綱渡りをしているのに
太い命綱が何本も何本も四方八方からわたしの体を支えて持ち上げてくれているような・・・?

ひとのつながりというものは、本当に命綱のようなものなのかもしれないねえ。
周りのひとびとのお蔭で、わたしはわたしらしくわたしの時間を過ごすことが出来たのだと思う。。。
ありがたいことです。

完結、最終章というような文になってきちゃったけれど、
いやはや、次男坊のムズカシイ生き方はまだ終わったわけではなく
不安や葛藤はこの先も続くことでしょう。

母親のわたしにできることは、彼の明るい未来を信じることだけ。
人生を謳歌するこの先の彼のイメトレでもしておこう!


この春、移動が決まっている相談員さん。
最後にきちんとお礼を言うことが出来てよかった。
本当にお世話になりました。

次男の中学卒業と一緒に、わたしも相談室から卒業です。

     



テレビの暴力

2014-03-11 | essay



震災の教訓を忘れないようにするためのドキュメント映像も
後世のためには必要なものだとは思うけれど。

衝撃的な津波の映像をテレビで唐突に流す、というのは
被災者の気持ちに寄り添っているとは到底思えない・・・。

たった3年で、こころの傷が癒えるわけはない。
映像を見せつけられなくとも
脳に焼きついてしまった映像を消したくても消せずに苦しんでいる人々が
どれだけたくさんいることだろう。
ニュースが映し出す映像は、見たくないひとにとっては突然暴力を振われるのと同じこと。

「報道」という正義を盾に、何を映してもいいってわけじゃないと思うよ。。。

「知ること」はたいせつなことだけれどね。

今日はテレビの電源を落として
ひっそりと遠くからご冥福をお祈りしたいと思います。





ちいさなお客様

2014-03-10 | essay



おとなでも子どもでも「すきなもの」がちゃんとある って、たいせつなこと。
自分のこころとちゃんと対話できているということ。


うちは、まちの時計屋。
ほぼ修理がメインなので、アンティークなボンボン時計もたくさん並んでいる。

古時計がすきな大人のお客様はたくさんいらっしゃるけれど
稀に時計がすきな小さなお客様もみえる。

目を輝かせたかわいい小さなお客様。今までに ほんの数人なのだけれどね。
2歳~5歳くらい、なぜかみんな男の子。

振り子なのだろうか?まるい文字盤なのだろうか?
それとも回る針?コチコチとなる音?
きらきらつぶらな瞳に魅惑的に映っているものはなんだろう?

先日も小さなお子さんを連れたママさんが
「見せてもらってもいいですか・・・?」とご来店。

「おともだちはみんな電車や車に夢中なのに
この子は時計なんです~。」とほほ笑む若いおかあさん。

まだ言葉もたどたどしい2歳の坊や。 いつでもいらっしゃいな~。

うちの長男も時計屋の息子ゆえか、時計好きな幼児だったので
よくわかるわ~。
ちいさい頃に図書館に行くたびに彼が手にとる絵本があったことを思い出した。
パット・ハッチンスの「ヒギンズさんととけい」
なんどもなんども読んだものだなあ。

きっとこの坊やも気に入るはず、とおかあさんに
「ヒギンズさんととけい」をお薦めしておいた。
久しぶりにあの絵本、わたしも開きたくなっちゃったな。

時計の部品をピンセットでつまんでは分類するお手伝い(遊び?)が
すきだったうちの時計好き坊やも、あっという間にこの春大学生。(しかも生物学)

彼が将来、店を継ぐ気になるのかどうか???は未知数だけれど
これから先も、いろんな「すき」をこころの向くまま掘り下げて行ってほしいものだなあ。

  





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