ジョナサン・スウィフト「ガリヴァー旅行記」岩波文庫
やっと読み終えました。
ようやく、長い長い旅から帰還したようなキモチです。
そして、ありがたいことに
訳者・平井正穂氏の「解説」の中のコトバにハッと我に返りました。
「スウィフトの人と作品を対象にするとき、われわれは自分自身のアイデンティティーを
喪失させられる危険がある。私はそれを避けたい。」
お陰様で、このくだりに、バシャっと水をかけられたように目を覚まさせていただきました。
それほど、わたしはこの本の中にすっかりはまり込んでいたようです。
特に、フウイヌム国での、ガリヴァーのニンゲンへの侮蔑は
全うでありその通りではあるけれど、けれども、それだけではないという自分の気持ちをも
かき消されてしまいそうなほど強烈なもので、
時を超えて本に洗脳されかかっていたようであります。
物語の最後に訪れたフウイヌム国は、馬が高等な生き物として世を統治しており、
野蛮で下等な「ヤフー」という生き物がニンゲンとして描かれています。
(あのyahooはここから付けたそうですね)
以前、ビジュアル版絵本の「ガリヴァー旅行記」を読んだときに
長編でしっかり読んでしまったら人生観変わりそうな気がする。。。と思ったものですが
正にその通り。危うく、現実の人間とヤフーをわたしまで混同してしまいそうに。。。
そもそも、数年前にたまたま夢に現れた「地名」ラグナダ(ラグナグだったけど!)から辿り着いた
「ガリヴァー旅行記」。
長い辛い旅ではありましたが、確かに時に深く考えされられ、時にハラハラする冒険記でもありました。
誰もが知っているガリヴァーの冒険記として要約された児童書として読む分には、楽しい本ではありましょう。
全編読むには、それなりの覚悟と忍耐が必要な本であることだけは否めませんね。
古典文学の隠し持つ暴力性や異常性には、時として、
不意打ちにあったようにココロが痛めつけられてしまうことがあります。
あまりにも不条理な物語であった場合、訳者後記や解説は必読です。
時代背景や、著者の人物像を知ることでようやくココロに折り合いをつけることが出来るのです。
そこまでハマり込んで読むヒトは少ないとは思うのですが
わたしのように、物語はじっくりと時間をかけて
情景や空気、匂いまで感じとりながら読みたい者には、
名著とはいえ、時に注意が必要でもあるのです。
本の持つチカラの怖さをまざまざと見せつけられた
ジョナサン・スウィフト「ガリヴァー旅行記」(Jonathan Swift
GULLIVER'S TRAVELS 1726年発行)
覚悟の上で、どうぞ!?