時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

ジブン と ナニモノカ

2018-10-27 | essay

年齢を重ねると、
「時間」の観念が変わる。

今よりずっと若い頃、いつか「何者か」になりたくて生き急いでいた。

ひとりひとりが
すでに自分という「何者か」なんだということに気づかずに。

「何者か」は、ただの理想の誰かであって、それは自分ではない、ということにだんだんと気付いてからは、時間の使い方が変わってきたように思う。

いまはただ、自分がジブンであること、目の前の時間を味わって生きることを大事にしたいと感じている。


その、何でもないけれど
かけがえのない時間の一粒一粒を光りに透かして眺めたり、時にはペロリと舐めてみたり、高く高く投げてみたり、こっそりポケットにしまってみたり? 

時間の流れに身を任せてゆらゆらと泳いでいたい。




消えた木

2018-10-20 | essay






近所の大きな公園内の
ふしぎな窓を持つお気に入りだった木がある朝忽然と消えていた。

辺りには沢山の枯葉を遺して。

この時期にこんなにカリカリな枯葉。。。

きっと専門家の判断で伐採に至ったのだろう。

きれいな切り口が痛々しいな。

たくさんの時間をありがとうね。

これからはキミに腰掛けさせてもらってお茶を飲むよ。



「ガリヴァー旅行記」 本の持つ怖さ。

2018-10-13 | 本 のこと



ジョナサン・スウィフト「ガリヴァー旅行記」岩波文庫
やっと読み終えました。

ようやく、長い長い旅から帰還したようなキモチです。

そして、ありがたいことに
訳者・平井正穂氏の「解説」の中のコトバにハッと我に返りました。

「スウィフトの人と作品を対象にするとき、われわれは自分自身のアイデンティティーを
喪失させられる危険がある。私はそれを避けたい。」

お陰様で、このくだりに、バシャっと水をかけられたように目を覚まさせていただきました。
それほど、わたしはこの本の中にすっかりはまり込んでいたようです。

特に、フウイヌム国での、ガリヴァーのニンゲンへの侮蔑は
全うでありその通りではあるけれど、けれども、それだけではないという自分の気持ちをも
かき消されてしまいそうなほど強烈なもので、
時を超えて本に洗脳されかかっていたようであります。


物語の最後に訪れたフウイヌム国は、馬が高等な生き物として世を統治しており、
野蛮で下等な「ヤフー」という生き物がニンゲンとして描かれています。
(あのyahooはここから付けたそうですね)

以前、ビジュアル版絵本の「ガリヴァー旅行記」を読んだときに
長編でしっかり読んでしまったら人生観変わりそうな気がする。。。と思ったものですが
正にその通り。危うく、現実の人間とヤフーをわたしまで混同してしまいそうに。。。

そもそも、数年前にたまたま夢に現れた「地名」ラグナダ(ラグナグだったけど!)から辿り着いた
「ガリヴァー旅行記」。

長い辛い旅ではありましたが、確かに時に深く考えされられ、時にハラハラする冒険記でもありました。

誰もが知っているガリヴァーの冒険記として要約された児童書として読む分には、楽しい本ではありましょう。

全編読むには、それなりの覚悟と忍耐が必要な本であることだけは否めませんね。

古典文学の隠し持つ暴力性や異常性には、時として、
不意打ちにあったようにココロが痛めつけられてしまうことがあります。

あまりにも不条理な物語であった場合、訳者後記や解説は必読です。

時代背景や、著者の人物像を知ることでようやくココロに折り合いをつけることが出来るのです。

そこまでハマり込んで読むヒトは少ないとは思うのですが
わたしのように、物語はじっくりと時間をかけて
情景や空気、匂いまで感じとりながら読みたい者には、
名著とはいえ、時に注意が必要でもあるのです。

本の持つチカラの怖さをまざまざと見せつけられた
ジョナサン・スウィフト「ガリヴァー旅行記」(Jonathan Swift
GULLIVER'S TRAVELS 1726年発行)

覚悟の上で、どうぞ!?






川の水音

2018-10-06 | essay


川の水音。
緑のくうき。
なんて心地いいのだろう。

子どもたちが大きくなって、
川遊びにも行かなくなってしまったけれど
やっぱり流れる河がわたしはすきなんだなぁ、と実感。

多摩川上流にて。


「プーと大人になった僕」

2018-10-02 | 映画 のこと
プーさんは
子どもの時からだいすき。

ハチミツを食べすぎてお腹が突っ掛かって出られなくなるあの場面の絵本を幼稚園くらいの頃よく開いて見てた。

久しぶりに、この映画は映画館で観たい!って思った。

ムスメは行かないと言うし、思い立って観てきました。平日の都会。お昼。疎らな観客。

思いの外、男性の一人客が多い。男子同士も。
なんだかいいね。
かつてはみんなクリストファー・ロビン。

映画の内容はご想像にお任せしますが、わたしはタオルが必要なぐらいボロ泣きでした。

もちろん悲しくて、じゃなくて
こころが揺さぶられて。。

いま、正に「子ども時代」真っ最中の子どもたち!たいせつな子ども時間、ちからいっぱい遊んでおいてね。


(10代終わりの頃原文で読んでみたくて買ったペーパーバック。読み通した記憶はナシ!)

嵐の夜

2018-10-01 | essay


嵐の前の静けさ。。の一枚。



首都圏を今まさに台風通過中。

強風により家が揺れている。

なんでもないふつうの夜が
どれだけ在りがたいものか、こういう時に身に沁みて実感する。 


もっとつよくなりたい。大木よりももっと。


メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ