時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

免許更新と星占い

2011-01-31 | essay




ペーパー暦約20年。
もったいないので5年ごとに免許の更新には行く。
運転免許って、ペラっと一枚だけれど、
わたしの人生で最初の高額なお買い物だったんだもん。

いつも更新の場で思うのは、
ここにいるひとびと、ほとんど全員同じ星座なんだ~!ってこと。
見ず知らずの同じ星座のひとがたくさん集まる場所って、
免許の更新以外には思いつかないよね。

更新は誕生日の前後一ヶ月間。
以前、この大勢のひとはほとんどみんな「うお座」なんだ!
って気づいてから、星座占いがチャンチャラ可笑しく思えてきちゃった。

だって、こうしてここにいるたくさんの人々全員、
「今日の運勢」が同じだなんて到底信じられない。
「今日のラッキーカラー」もみんな同じ???なんてことはありえないよねえ。

それにしても、老若男女、年齢がさまざまでも
み~んな同じ早生まれなんだなあって思うと、
知らないひとなのになんだか勝手に親近感を持っちゃったりもする。

しかし、つくづく、免許は持っていても
あんな大きな鉄のかたまりを運転するなんて、今のわたしにはまるっきり自信がない。
免許をとった二十歳から一年余り、父のアメ車で都内を走り回っていた当時のわたし。
無事故だったのは奇跡!?

自分の幅もわからずに肩をぶつけるようなおっちょこちょいには
車は凶器以外のなにものでもないよねえ。

ペーパードライバー用更新って制度があればいいのにな。
もちろんゴールドなんだから10年毎とかね!?


 


映画「BIRDY」

2011-01-28 | 映画 のこと




1984年アメリカ映画 「BIRDY」 監督:アラン・パーカー
昔何度も観たお気に入り映画。

ニコラス・ケイジ、これで好きになったんだった・・・、わたし。

今の路線からはほど遠い、わたしのすきだった「ニコラス・ケイジ」たる名演技。
久しぶりにDVDを借りて観た。

ベトナム戦争により、体を負傷したアル(ニコラス・ケイジ)と
こころに傷を負ったバーディ(マシュー・モディーン)。

バーディーは純真さゆえに、現実を受け入れられず、だいすきな鳥になったようにこころを閉ざす。

戦争という狂気に、こころも体もダメージを受けた現在の彼らと、
共に楽しく過ごしたふたりのティーンエイジャーの日々の回想シーンが交互に綴られてゆく。

バーディーを現実に引き戻すために、ふたりの思い出をひとり語り続けるアル。
言葉に出して語ること、思い出すことで、アルもまた、徐々に現実を受け止めていく。

ラストシーンがこれまた、すごくいい。
重いテーマなのに、ラストは泣き笑いで観終えられる映画って、スゴイ!と思う。

回想シーンの愉快なふたりは見もの。
恐いもの知らずで、なんでもできちゃう十代。
男の子の友情の、憧れちゃうようなハチャメチャさと美しさ。

この映画を音楽で彩るのは、ピーター・ガブリエル。
これまたいい感じです。

それにしても、この映画を観るとつくづく、ニコラス・ケイジ氏には
そろそろ、原点に戻ってほしいものだなあ~、と思ってしまう。

彼の「バーディー」や「月の輝く夜に」のころのような本来の名演を
年を重ねた壮年の今の姿でも観たいものだ~。

若いころにショーン・ペンと共演した「月を追いかけて」も名作! 


うちのオカメさん

2011-01-27 | essay

長男のペット、オカメインコの「シェイク」
お年玉で彼が購入し、我が家の一員になってからちょうど一年。

小鳥屋のおじさんの「この子はオスだと思うよ」ってコトバを
無条件に信じてしまっていたのだけれど・・・。

え?ええ~?
ある朝、餌入れにぽつんと卵が!

女の子だったのか~~君は!
餌入れが深いせいなのか、温めるそぶりなどまるで見せない彼女。

もちろん無精卵なのだけれど、なんだか同性としては(?)ケナゲでいとおしくなってしまう。

オカメインコは30年くらいは軽く生きるというし、
卵は産めど、やはりまだおこちゃまなのかな??

雌と思ってよくよくみれば、確かにこの子、なかなかの美人さんだ。


   
[2010年 1月 うちに来た日]                       [ヒナでも存在感アリ!]




NYの古いビル

2011-01-26 | 古い建物 のこと

ニューヨークへは行ったことがないのだけれど、
映画でよく観るアパートの外付けの非常階段って
なんだかすごくすきなんだなあ。とくに70年代以前の映画ね。

あの古い鉄骨感、無駄のないシンプルなデザイン、
重そうな引き出し式のハシゴとか。
ああいうアパートで一度暮らしてみたいものだ。

先日、ちょっと似ている光景を見つけてうれしくなった。
奥野ビルの裏側の非常階段。

昔の生活臭が残っているようでいいんだなあ。
昭和7年からここに建つこのビルが、本来のアパートメントだったころには、
ここは住人たちの舞台裏として交流の場になっていたりしたのかもしれないね。

きっとたくさんの物語があったことだろう。

叶うことなら、ここにすきなだけ座って
考え事をしたり、カフェオレを飲みながら本を読んだりしたいものだな。

 

 


加速する時間

2011-01-25 | essay

  

なんだか近頃、「ついこの前な気がするのに~」ってばっかり言ってる。

「この子、この前産まれた気がするのに~」
「ついこの前平成になった気がするのに~」
「ついこの前自分が高校生だった気がするのに~」 なわけないのよ。
息子にもすっかり背丈を越され、彼が高校生になるっていうのにね!
(無事受験終了~。春から高校生!)

昔のことをよ~く覚えている性質なものだから
なんでも「ついこの前」な気がしちゃうのだろうなあ。

いろんな時間の記憶もたいせつだけれど、
一番たいせつにしなきゃいけないのは、
現在進行形の「今」の時間だってわかっているんだ。

「今」って思ってるこの瞬間さえ、次の瞬間にはもう過去になっちゃう。

年々時間は加速する。
去年よりも今年はもっと早く過ぎるはず。

ふわふわと空の雲を見上げながらも、
ちゃんと足跡がつくように自分の時間を踏みしめて歩こう。
うっかり時間に置いていかれないように。ネ。

  

 


ヒヤシンスハウス

2011-01-22 | 展覧会・アート のこと

だいすきな詩人「立原道造」の夢のかたち。
ヒヤシンスハウス。

昭和13年に道造が夢をふくらませ設計したこの家は、
生前ついに建てられることなく、翌14年、彼は24歳という若さでこの世を去る。

没後65年の2004年、有志の方々のご尽力により
道造の夢を引き継ぐように、設計図通りにこの地に建設されたそうだ。



 (道造の直筆図)



 

  


 
道造の儚い想いと、ひとびとの温かい「善」の固まりだけで出来上がっているような夢の家。。。
まさに「奇跡」!すばらしいことだなあ。

案内の冊子に、
「ヒヤシンスハウスの建設は、実現することのない夢も いつかだれかにより
引き継がれる という希望を伝えるための『夢の伝承事業』でした。」 
と書かれてある。

なんて、すてきなコトバなんだろう!

ヒヤシンスハウスの存在を知ったのは数年前、「立原道造記念館」にて。
この度kさんと、念願叶ってようやく訪れることができた。

よいお天気の昼下がり。
別所沼の畔は風もなく穏やかで、陽射しの中のヒヤシンスハウスは
それはそれは幸福感に満ち溢れており、道造がこの地を好んで
恋人とふたりで週末を過ごすこの小さな家を建てようと夢見た気持ちが
沼面のさざ波とともに ひたひたと こころに伝わってくるのでした。

 とおいとおい空の上できっと歓んでいらっしゃることでしょう。


 [ ヒヤシンスハウスの所在地 ] : さいたま市南区 別所沼公園内
                                          JR埼京線 中浦和駅徒歩5分
                                            (開室日は要チェックです!)



     


「植田正治」写真展

2011-01-21 | 展覧会・アート のこと



埼玉県立近代美術館へ。

鳥取砂丘を舞台に数多くの傑作を生み出した写真芸術家「植田正治」の写真展。

砂丘にひとやモノを配置して撮った写真や
シュールな世界観を持つ写真などなど。

どっぷりと植田調にはまってまいりました。

山高帽に蝙蝠傘。だいすきなマグリットの世界に通ずるものがある。。。
なんだか、繋がっていて嬉しい。

「鳥取」は自分のルーツでもある。
両親が生まれ育った土地。子どものころ毎年夏を過ごした、こころの故郷。

次に鳥取へ行くときには、今度こそ訪れてみよう!
「植田正治写真美術館」

まっしろい砂丘をはだしで歩きたくなっちゃったなあ。




 


自分操縦法

2011-01-20 | essay

 (長男S撮影)


わたしは、石橋をたたいて渡るタイプではない。
気がついたら渡っているか、もしくは別の橋を渡っちゃっているタイプかな。

こころが「良し」と想うままに行動すること。
本能に耳を澄ますこと。

わたしにとっては、それが一番自然な方法。

時に、人生の道に迷った時には、自分の本能と感性に身を委ねる。
すると不思議なことに、こころに浮かぶイメージが
次第にカラーか、モノクロかに分かれてくる。

そんなんあるかい!?って思われそうだけれど、
わたしの場合はそう。としか言いようがない。

先の姿をイメージした時、それが光あふれるカラーであれば進むべき。
モノクロにしか見えなければ、やめるべき。 

決して解明のできない、わたしなりの自分操縦法なのであ~る。

    



磁界

2011-01-18 | 展覧会・アート のこと

惹き寄せられる場所、銀座奥野ビル。

今回は、手動エレベーターに乗ってみたい!というともだちを連れて
奥野ビル探訪&ギャラリー巡りへ。

さまざまなアートの個展をハシゴ。
「むむむ」とか「へええ」とか「ははあ!」とか「・・・・?」とか。

いろんなアートに接すると、脳もこころも活性化されるね。

そして、この特別な場所「奥野ビル」。
何度足を踏み入れてもその独特な空気にはいつも圧倒されて呑み込まれてしまう。
こんなふうに、ひとつの生き物みたいに「意思」を持ったビルってそうそうないよ。
ビル自体の個性を尊重する人々が集ることで、
ちゃあんと、ビルの持つその「意思」みたいなものが守られているのだろうなあ。
もちろん、このビルを所有するオーナーさんの意思でもあるのでしょう。

そのなかでも、とてもとてもこころ惹かれる306号室。
この部屋をそのままの状態で保存してゆこうというプロジェクトを昨年の今頃知り、
こころから感動してしまった。。。
こうして、部外者でもこの部屋を訪れて、変わらない空気を感じることができるのは
ほんとうにありがたいこと。

今回は「今道子」さんという写真家の個展が行われていて
またまた別の異空間に・・・!

この部屋で撮影された摩訶不思議なオブジェの写真が、ぽつん。ぽつん。と
置かれている。

現在の時間の中に置かれた、切り取られた別の時空。
なんとも奇妙な気持ち。
ただでさえ、この部屋はずっと前に時間が止まっているみたいな空間だというのに。
三つの時間の狭間に浮かんでいるような・・・フシギな感覚。

ひとりっきりでここに居たら、時空の隙間にひと知れず落ちてしまいそうだ。

ここは、なぜだかとっても「すき」な場所。
変わらずそこにあってほしい場所。

わたしは「変わらないもの」に憧れているのかもしれないなあ。




 


しあわせの味

2011-01-17 | essay



数年前にこのお菓子に出逢ってしまってから
わたしのなかでは全てのお菓子を押さえてダントツのNO.1。

行列に並ぶのは不得手なので、購入はお取り寄せで。
でも人気がありすぎて、注文締め切りなときもあり・・・。

そんなときに、たまたま知人から頂戴して、
「ぎゃ~~」と雄叫びをあげるほど嬉しかったわあ。ごちそうさま!

「ホワイトラスク」 絶品です

 


冬将軍

2011-01-16 | essay

天気予報を見ていると、この時期「冬将軍」という言葉を耳にする。
毎年この言葉を聞くと、ほんとうに寒い寒い気持ちになってしまう。

いつも見ているNHK・気象情報の平井さんの天気予報がわたしはすきだ。
「明日は冬将軍がやってくるんですね」と画面に向かって誠実そうに言う平井さん。
彼が言うといつも何だか本当に何者かがやってくるような気がして、ちょっとコワイ。

「冬将軍」の正体は・・・、大雪をもたらすシベリアからの非常に強い寒気のことなのだそうだ。

もちろん正式な気象用語ではないそうだが、
なんだかとっても、直接五感に響くこの「冬将軍」というコトバ、
ニッポンらしくてすきだなあ。
11月から12月によく聞かれる「小春日和」もだいすき。
(でも、「おしめり」ってコトバはどうもいただけない。)

「天気予報の平井さん」、何年か前に近所のホールで行われた講演会を聴きに行った。

天気予報のときと同じく、たいへん朗らかなお人柄の伝わる楽しい講演だった。
彼は、小学生のころから気象予報士になりたいと思っていらしたそうで、
卒業文集にもそう書いてあるのだそうだ。すごいなあ。
それも、台風の多い地方に住んでいたために、気象情報を局地的に早く予報できれば、
災害による被害を減らすことができるから・・・と切実に思ったからなのだそうだ。

小さいころからの、その高い志!感動してしまいました・・・
画面から滲み出るその「いいひとっぽさ」、そのまんま額面通り、いいお方なのでした~。

講演後、廊下でバッタリお逢いしてしまって、(出待ちではございませんっ)
思わずちゃっかりシェイクハンド!
にこやかな笑顔で、どこまでも爽やかな国民的な予報士、みんなのヒライサンなのでした 

    

 


映画「渚にて」

2011-01-14 | 映画 のこと

1959年制作のアメリカ映画「渚にて」ON THE BEACH

主演のアメリカ軍潜水艦艦長を演じるのは、
往年のスターのなかで一番すきなグレゴリー・ペック。
今まで不思議と観る機会がなかったこの映画、
初めて観たのだけれど、この映画はすごい。

第三次世界大戦が起こり、核兵器によりほとんどの人類が滅亡。
わずかに生き残っている人々が暮らすのは
オーストラリア大陸の一部の地域のみ、という設定の1964年の世界が舞台。

それでも、見えない放射能は確実に忍び寄り、終わりの日は刻々と近づく。
人々は、その日への恐怖や絶望を抱えながらも残された日々を淡々と過ごす。。。

最後の日に備え、安楽死できる薬が配られる列に静かに静かに並ぶ人々。
集会広場には「There is still time,brother」と書かれた幕がゆらゆらと揺れている。

「時間はまだある」というこの言葉は、観ているものに多くのことを問いかける。

取り返しのつかない戦争の愚かさ、人間の驕り。
幸福とは?生きるとは?
この状況下で、果たして自分ならどう過ごすだろう・・・?
静かな静かなこの昔の映画に深く考えさせられる。

時代設定が1964年という、とっくに過去の未来なのに、
平和の均衡のために核を保有する状況は、愚かにもなにひとつ進歩していない。
哀しいかな、ニンゲンはなんて傲慢な生き物なのだろう。。。


ところで。
カリフォルニアからの無線信号をキャッチし、生存者を確認するため現地へ赴くシーン。
無人の街に、防護服姿の隊員がひとり降り立つ場面の中、
わたし、観てはいけないモノを観てしまった~??

ひとの消えた街・・・。放射能に汚染されて生き物はいない設定のはずなのに、
カモメ(?)が一羽空を横切る・・・。
わたし、あれで、「まだ生き残っている人々がいた!」
って展開を暗示しているのかと思っちゃったんだけど~!?
あれってチェックミスなのか~~?

結局、やはりひとの生存は確認されず、無線は風のいたずらで打電されているだけだった。

とうとうひとが誰もいなくなった広場には、
あの「There is still time,brother」の横断幕がただ揺れている・・・というラストシーンが印象的。

それにしてもこんなに静かに世界の終わりを描いた映画ってきっとほかにはないわね。
騒々しいSFスペクタクル終末映画なんかよりも、よっぽど説得力があるわあ。

 


合気道のお免状

2011-01-13 | essay

 

お正月明けに合気道の稽古始めが行われた。
年末に初めての昇級審査を受け、初のお免状をいただく。

娘は八級に進級。次の稽古からは青帯だ。
すばらしい!
どんなことでも、まずははじめの一歩からだね!

神社にて皆で祈祷を受け、背筋もこころもシャンシャン!とスッキリ。

わたしも大人の部の審査になんとか通って、めでたく九級をいただきました
次は苦手な後方回転受身をモノにするぞー!首に気をつけなきゃ~~。

    


「チェブラーシカ」

2011-01-12 | 映画 のこと

     

小さいころおばあちゃんがよく歌ってくれたロシア語の手遊び歌に始まり、
バラライカにマトリョーシカなどなど、何かとロシアとは縁がある。

そして、ロシアの国民的アイドルパペット、「チェブラーシカ」にも
やっぱり引き寄せられて、数年前から娘とともにはまってしまった。
チェブラーシカに限らず、昔から人形アニメーションってとってもこころ惹かれるんだなあ。

1969年、ロマン・カチャーノフ監督の作品「チェブラーシカ」(四話)は
なんともかわいらしくてロシアらし~い哀愁漂う名作。

この冬公開の新作「チェブラーシカ」はなんと日本製!?と聞いてびっくり。

CGだらけだったらいやだなあ・・・ってちょっと心配だったのだけれど
ちゃあんとパペット・アニメーションで作られていると知ってホッとしちゃった。

新作「チェブラーシカ」 この冬休みに娘と観に行ってきた。
ちゃんと昔のストーリーに忠実に、チェブラーシカの愛くるしさもそのままに、
そして、新しいお話もとっても良心的で、素敵な映画だった。

でも、昔のと違ってやっぱりデジタル的な明るさゆえに
キレイ過ぎてCGに見えちゃうような場面も多々あるんだなあ。
せっかくのパペット・アニメーションなのに、技術の進歩のせいで
あの人形アニメ特有のぎこちなさが消えちゃっているのね。

それにしても、マーシャの目に溢れる涙なんて、
いったいどうやって撮影したのだろう!?すごい技術!
良いのか、悪いのか、まるでCGに見えちゃうのがなんだかもったいない。


ロマン・カチャーノフ監督、1967年制作の「ミトン」も可愛くてだいすきな作品。
10分の短編に愛がぎゅうっと詰まってる。機会があったらお見逃しなく~

     

 


デパートの玩具売り場

2011-01-11 | essay

  

先日、娘と「奥野ビル」を出たあと、銀座をぶらりぶらり。
「リカちゃん売り場」がを見たいなあ~という娘に、デパートの玩具売り場ツアー開始。

ところが・・・!いやはや、驚いた。
デパートから、いつの間におもちゃ売り場は姿を消したの??
あっても、ほんのちょっとのスペースだけ。
結局リカちゃんのような、オーソドックスなおもちゃが売られていたのは
松屋・三越・松坂屋の中では松屋のみ。
いくら少子化とはいえ、6ポケット、7ポケット(?)といわれるこの時代、
こんなに探さなくちゃおもちゃが見つからないってのはフシギなことだ。
「デパート」なのになあ。

それにしても、久しぶりにデパートを梯子したら、つくづく時代の流れを感じた。
老舗松坂屋はもうテナントビルのようないでたちで、
エスカレーターを上っていると自分がどこの街にいるのか一瞬わからなくなるくらいだ。

この街にはたのしい想い出がたくさん詰まっている。
時が経っても、変わらないものと変わるもの。
街は彩りを変えても、こころのなかの想い出はずっと色褪せないものだよね。

思い描いたようなリカちゃん売り場はなかったけれど、
屋上のペットショップで娘は気分が晴れた様子。

なんだかウラ寂しいデパートの屋上広場。
すっごい一等地なのに何だかもったいないような・・・
でも、この放置されたレトロ感がありがたいような。ね。



   


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