今年の桜はとても長く咲いている気がするよ。
このところの寒さのお蔭かな。
あまりの暖かさにほころび出した上野の桜を見上げたのは
三月の半ば頃だったから、もう半月も咲いているのね!
こんなに長い期間咲いているのはめずらしいのではないかな。
お蔭で、今年は出掛けたついでにあちこちのいろんな桜を見ることができたなあ。
こちらは井の頭公園のさくら。この公園に桜を見に来るのは初めてのこと。
寒空の下にもかかわらずスゴイひと!
水辺の桜ってすきだなあ。
水面に舞い降りた花びらがきれい。
この日は吉祥寺でともだちたちと待ち合わせて、桜を眺めながらお散歩。
公園を後にして、美味しいお店であれやこれやと喋ったり飲んだり大笑いしたり。
「わたし」の、たのしい貴重な休み時間でした。
明日から4月。新年度スタートです。
あたらしい気持ちで、深呼吸だ~!
春休みなので。
娘をつれて「デザインあ展」へ。 ミッドタウンの21_21にて開催中。
Eテレの同番組が娘もわたしもお気に入りで、この展覧会は楽しみにしていたのでした。
体験コーナーもたくさんあるし、春休みということもあって、小さなおこちゃまがいっぱい。
もう少し空いていたら、はじから全部体験してみたいところでしたが・・・。
チビでも高学年の娘、小さなおこちゃまのパワーにはたじたじ。
番組の中でも、「解散」系の映像がとても面白いんだよねえ。これは、「器の解散」と「お寿司の解散」
「教室の作り方」という体験コーナーでは、何を作っているのかと思いきや・・・「あ」 でした。
「あ」に洗脳されとる~。
とっても面白かったのは、「ごちゃまぜ文庫」というコーナー。
上下を組み替えて、あたらしい題名にしちゃう遊び。
「くるみ割りジュリエット」とか「はだかのじいさん」とか「ああじぞう」とか。笑える~~。
これは、おとなもハマります!これ、空いてたらずっと遊んでいたい。
傍観していると、子どもにもいろんな子がいて、中には一生懸命元の題名に戻している子も・・・。
正しく直すゲームだと思っていたのかな?まあ、それもありよね。
またすぐ次の子にごちゃまぜにされて、ためいきついてる・・・ 真面目過ぎちゃうのね。
他にも、部屋の壁四面全部に映像が映し出されるコーナーや、お絵かきの出来るコーナーとかも。
全部体験できたら一日楽しめそう。
ここは「ふろしき」体験コーナー。娘、「びんつつみ」に挑戦しました。
この「デザインあ展」、木の素材が多いからかな、
六本木に居ながらにして、なんだかとても爽やかな木の香りを感じる展覧会でした。
外は桜も満開だったしね。
「デザインあ展」 2013年6月2日まで開催中。
オトナもコドモも一緒に楽しめる展覧会としては、この春の一押しですね!
青い空に ももいろの花びら。
この桜の木を見上げたあの春は、つい昨日のことのよう。
入学式の日。教室の窓の外の桜の花が風にそよいで、
彼らを応援するピンクのポンポンみたいに見えたものだ。
季節が変わるように
ひとも変わってゆくもの。
Hall&Oates の [ Change of Season ]
だいすきなこの唄が、この頃改めてこころに沁みます。
「・・・Cause time won't stop for you and me.
And the world keeps spinning 'round. 」
そうだよ~それでも地球は回り続けるのだ~~~。
時には 後方確認も必要だけれどね。
さあ、前へ前へ!
ひとりで夜の散歩に出たら、
突然視界に飛び込んできた幻想的な夜桜のライトアップ。
しいんと音もなく静かに立っているけれど
物凄い存在感だよ。
中までは入ったこともなかったお寺だけれど、
気づいたらふらふらと桜の下に吸い寄せられていました。
これはこれは、スゴイもんみっけちゃった!
子どもたちに教えてやろうと急いで家に戻り
末っ子とカメラをお供に再び夜桜の元へ。
ここのしだれ桜は有名だけれど、ライトアップをしているなんて知らなかったなあ。
さくらは、青空にピンク。がだいすきなんだけれど、
こういう漆黒の空にピンクの夜桜もいいもんだなあ。和服の柄を想わせるねえ。
「さんぽ」は、あたらしい発見の場です~。
「ドライイーストってうちにある?」と訊ねる彼。うちの中二男子。
あるとわかると、PCで調べたレシピで、とっととパンを作っちゃった。
子どもって、先入観がない分、「たいへん」とか思わないのかもね。
わたしも以前、ともだちのパン教室で教えてもらって
パンをよく焼いた時期があったのだけれど、
何しろ時間のかかる作業だから、たっぷり時間がなければこれがなかなか腰が上がらない。
次男坊、数度目には、ぱぱっと「ベーコンエピ」まで焼いちゃって
これがまた本格的なおいしさ。
朝食に手作りピザが焼かれていた朝もアリ。(ありがたや~)
パン教室ならもう上級者コースだね。
彼は現在、自分を再構築中。(のようです。)
義務教育という大きな流れから自ら外れて
わざわざ険しい曲がりくねった支流を漕ぎだしたうちの次男。
今は漂流中・・・だけれど、
大河をゆこうと、狭い支流をゆこうと
いずれは同じ大きな「社会」という場所へ流れ出るはず。って信じてる。
あちこちぶつかって、たんこぶ作るくらいの方が
ひとの痛みもわかるオトナになれるかもしれないしね。
(って思うより外ないし!)
そういうわけで、料理の腕があがるほど、
同じ年頃の子たちよりも今は時間はたっぷりあるのだけれど。。。
いつまでもいつまでもたっぷりあるわけでもない。
上手に使わないとあるようでないよね。
永遠に自動的に進級できる中学生ではいられないのだから。
《自分が自分らしくいること》 って
これは案外難しいものだよね。
だって、自分がナニモノなのか、自分らしいってどういう状態なのか
そんなこと十代くらいじゃわからなくて当たり前。
オトナだって皆が皆そんなこと考えて毎日生きているわけじゃない。
わからないまんま、がむしゃらに歩んでいるうちに
いつの間にか自分というものがだんだんわかってきて
無理のない居心地の良い生き方が見えてくる・・・
そんなもんなんじゃないかなあ。
今は、不器用でムズカシイ生き方しかできないキミだけど
それはそれで、それはキミの個性だよ。
いつかこの先、それはきっと粘りにも思慮深さにもなる。
それにね、キミは誰よりもやさしいこころの持ち主だってことを
こちとら、ちゃあんと知っているんだからね!・・・ハハは焦らず信じて待ってるよ。
あたらしい春です。
わたしも、どこかひとつ あたらしい自分になろうかな~~。
この季節、視線は桜に持って行かれがちだけれど
下方で咲き誇る「雪柳」も それはそれはかわいいお花です。
集まって咲くちいさな白いお花が、柳のようにしなってそよそよと揺れる様はなんとも優雅で楽しげ。
雪柳は母がすきだった花のひとつ。
この花が咲いているのを見ると、
昔、母が 「かわいいやろ?」と、一枝そっと持ち上げて
ふわりふわりと揺らしていた光景を想い出します。
近頃見る夢の中の母は、とても穏やかな表情で微笑んでいることが多く
わたしはそれだけで やすらかな気持ちになれるのです。
母は、いろんな花の中にたくさん楽しい思い出を詰めておいてくれたので
季節ごとにほころぶ花が、柔らかな光の中に、母の面影を仄かに映し出してくれるのです。
古本市で、いいもんみっけ。
半世紀前の「美術手帳」(しかもチャリティーコーナーで一冊50円!)
1957年発行の、現代作家150人という特集がこれまた感慨深い~。
だって、マグリットだって、デルヴォー、ピカソ、ミロにルオー、デ・キリコだって
その他有名なアーティストがみんなみんなまだご存命の「現代作家」という扱いなんだよ。
だから古本市ってすきなんだなあ。思いがけない面白さを発見できる。
それに、昔の雑誌の広告っていいんだよねえ。
昔の包装紙とかもすきだけれど、広告の色合いやデザインってまたなんとも味わいがあるよね。
その時代、そこに流れていた時間が手にとれるよう。
シンプルで粋!スローでユーモアに溢れてる。
このアナログ感、いいですねえ。
なんだかとっても、「すごい絵」に圧倒されたくて
先日行ってきました。 「エル・グレコ展」 in 東京都美術館
エル・グレコには、「グネグネした宗教画」という妙な先入観があったのだけれど
やはり、本物を自分の目で観なきゃだめですね~!
妙な先入観は吹っ飛んで、すっかり魅了されてしまいました。
エル・グレコは肖像画も多く残しており
どれも、こちらを見据えて今にも話し出しそうに見える。
この、「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」なんて
指を挟んだ本を今にも開いて、朗読を始めそう。
また、宗教画もまるで生きた人間の肖像画のように描かれていて、
他の宗教画と違って、血の通ったニンゲンっぽさを感じる。
そして、この展覧会の中の
テーマのひとつに挙げられている「見えるものと見えないもの」
現実と架空の二つの世界をとても自然に融合させて描き、
観る者に違和感を感じさせない。
また、光を多く取り入れた描かれ方のせいなのか、
絵の凹凸感にとても驚かされる。
絵の奥に描かれた空の色と透ける光もこれまた素晴らしく美しく
ず~っと遥か彼方へまで奥行きを感じさせてくれる。
「聖ラウレンティスの前に現れる聖母」という絵の中のこの衣装なんて
そのまま布が張り付けてあるのかと見紛うまでの凹凸感!
思わず かなり近づいて見入ってしまいました。
「瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ」という絵も
まるで3Dですか!とでもいうように、この頭蓋骨が前面に押し出されているように見える。
それというのも、着ている服の繊維の流れが
四方からこの頭蓋骨に向かって描かれているから・・・?
すごい視覚効果です。
印刷物ではあの光の流れは写しきれないものなのねえ。
印刷物で見た絵と、本物の絵の差をこんなにも著しく感じたのは
このエル・グレコが初めてかも。。。
そして、さらにドド~ンと圧倒されたのは
展覧会のラストに飾ってある、あの「グネグネ感」の大御所「無原罪のお宿り」
この3mを超える大きな祭壇画も、光の使われ方により
なんとも不思議なムード。天使の翼はどこから見てもこちらへ突き出して見える。
エル・グレコの祭壇画は、見上げた時の比率を計算され尽くして描かれており、
このグネグネのねじれ感こそが、見上げる者に臨場感を与えているのだと
実物を観て実感いたしました。
音声ガイドのヘッドホンを付けていらっしゃる方は
この絵の前で皆一様にしゃがんで観ていらしたので
きっとそうアナウンスされているのでしょう。
なので、わたしも追従。
そうでなくとも、本能的に低い真下から観たくなってしまう絵なんだなあ。
なるほど。その通りでした。
低い位置から見上げてこそ この絵は生きてくるのですな!
また、エル・グレコは、祭壇画を描くと同時に祭壇衝立の設計や、
設置される礼拝堂の採光を考えるなど、建築家としての一面も持っていたそうで、
展示されていた、建築の本に書きこまれた直筆の哲学的な文章もとても興味深いものでした。
自然の採光のもとで目にするエル・グレコの祭壇画・・・
それはそれはまたなお優美なものでしょうね。
旅に出るなら、ぜひ一度トレドを訪れて
グレコの見た空と光を感じてみたいものです。
旅に出たいな~。
小島一郎氏 「津軽」 の中の一枚。
20代の頃、ともだちに誘われて観に行ったギャラリー。
小島一郎氏の作品展。
写真から洩れ出てきそうな北国の冷気と、空の幻想的なコントラストに
とても衝撃を受けた。
うつくしいモノクロの北の世界。
この一枚に特に惹かれて、しばらくこのページを部屋に飾っていたっけ。
先日、東京都写真美術館で「いつかみた風景」展を観ながら
ふと、小島一郎氏の写真を思い出していたら・・・
館内のミュージアム・ショップで、平置きしてある小島氏の立派な分厚い写真集を発見!
近年、青森県立美術館で大きな展覧会が開かれていたのね。
帰ってから、やっぱり写真集を買えばよかったなあ・・・と、いつも一歩遅れて思うんだな。
次回、写真美術館を訪れたら手に入れてこよう。
あの時に写真展を観たのは何処でだったかなあ、ポストカードをとって置いたはず・・・と探してみたら
やっぱりありました~。この写真もとてもすきなんだなあ。
写真展は1994年の新宿だったんだね。
あの時連れて行ってくれた、今は遠くで暮らす彼女に久しぶりにメールをしてみた。
一枚の写真と出逢う縁。
写真を思い出して、彼女と繋がるのも これまた縁。
写真の中の切り取られた一瞬の空、空気、影。
流れ続ける時間の中で、瞬時に選ばれた時間の切れ端。
永遠の今。。。ふしぎだなあ。。。
上野公園の桜。暖かな日差しに花をほころばせ始めました。
今年は早いですね。
開花しているのは、よく陽の当たるところだけみたいだけれど
咲きはじめって、なんだかとっても おめでたい気持ち。
散りゆく時も それはそれで うつくしくてすきなのだけれどね。
沈丁花と、考えるひと。
いつの間にか沈丁花も咲き始めました。
いろんなことがあっても、ふっと 肩の力を抜かせてくれるような・・・
こころをふんわりと柔らかく包んでくれる だいすきな香りです。
にっぽんばし。道はここからはじまる。
主要国道の起点なのであ~る。
すごいなあ。
浮世絵にだって描かれていた日本橋。
ここを歩いて通るのはすごく久しぶり。
しかもこんなふうにちゃんと眺めて歩くのは初めてかも?
真ん中の麒麟像がカッコええなあ。
現存しているこの橋は1911年(明治44年)のものだそうだ。
つくづく、この屋根状態の首都高・・・・・圧迫感ありすぎだよね。
このうつくしい橋の設計師も彫刻師も空の上から・・・
「見えないし!!」 と残念に思っていらっしゃることでしょう。
現存する同潤会アパートは、もうここ上野下アパートだけ。
1929年(昭和4年)竣工のこのアパートも、取り壊しが決まったそうだ。
そりゃあ・・・縁もゆかりもないよそのお宅には違いないのだけれど、
戦火も逃れ美しく現存する歴史ある建築物が消えてゆくのは、たいへん忍びない。
一目最後に見ておきたくてそっと眺めさせていただきました。
魅惑的な奥の階段・・・。入ってみたいけれど居住者以外は立入禁止。そりゃそうよね。
塀の穴にも歴史あり?
同じく同潤会青山アパート(現・表参道ヒルズ)には、晩年雑貨屋さんやら洋服屋さんやら
いろいろ小さなお店が入っていたから中へ入ることもできたっけね。
風情のある階段を、時間の層を感じながらゆっくり上るのがすきだったなあ。
今はもう形のないあちこちの建物・・・。
古いビルの階段の冷たい手すりの感触をてのひらがまだ覚えてる。
過去がこいしいわけじゃないけれど
時間の積もった味わいのある建築物には、かけがえのない魅力がある。
古い建物は、設計したひと、築いたひと、暮らしたひと、
そして流れた時間が作り上げた大きな芸術品。だよね。
カタチあるものは、いつかはなくなる。
いつの時代も、モノもヒトも同じこと。
わかってはいるのだけれどね。
春のはじまりのこの日、薄桃色のはなびらが淡く儚く見えました。
「三井家のおひなさま」展 ともだちに誘われて三井記念美術館へ。
立派な立派なお雛様。
江戸~昭和初期のおひなさまがとても状態も美しく優美なお姿で並んでいる。
そして、お道具も立派でかわいいことかわいいこと!
むすめが見たら絶対リカちゃん遊びに使いたいって言うでしょうね。
ぼんぼり(雪洞って書くのね)も、本当に火が入れられるようになっていて
コレ単体でも欲しいくらい~。
古いおひなさんには、お目にかかる機会もあるけれど
こんなふうに髪もきちんときれいで、いろんな飾りも欠けることなく保存されているものってなかなかないよね。
広々とした収納場所がある大きなお屋敷のお雛様ならではです。
昔のおひなさんは表情がたいへん豊か。
眺めているうちに、面白いことに気付いたよ。
五人囃子の五人の男子、どのお雛さんの五人囃子もそれぞれに表情から見える性格が違う。
太鼓のひとはどのひとも、一文字に結ばれた口がきりりと勇ましく
真ん中の男子は一番の美男子。
そして横笛のひとは、なぜかみなさん三日月形の目でへらへらと笑っている。
どうやらお酒が回っているらしく目元が赤くなっている男子もいらしたわ~。
おもしろいなあ。横笛さんは三枚目ってお約束なのね。
雛人形って、ひとつひとつが人形師の手創りだもんねえ。
それぞれにたくさんの想いを込めて創られたのでしょうね。
うちの屋根裏にも、実は大正と昭和初期のおひなさんが眠っている。
今は亡き母と伯母のおひなさん。
飾る場所がなくてこの10年程出してあげていないんだなあ。(ごめんよっ)
来年は、ぜひ全員集合で飾ってあげることにいたしましょう。
1927年(昭和2年)開業の地下鉄銀座線。
上野のお隣「稲荷町駅」の出入り口は、なんと86年前の姿のまま!
近代建築好きともだち、Yさんに言われて振り返って見るまで全然気づかなかったよ。
なるほど~アールデコ調のデザインがモダンですてき。
1927年かあ~。タイルとかは張り替えてあるようだけれど
ちゃんとそのまま使っているってことがまた粋ですね。
上野方面の入口。
浅草方面は丸窓。
円の内側は昔のままのタイルかな。
様々な歴史とともに時間の積もった昔の建築物たち。
あちこち街の中でひっそりと 今日も時間を重ねます。