ともだちとの待ち合わせまで たっぷり時間があったので
気になっていた写真展へ。
「米田知子 暗なきところで逢えれば」
みえているものみえないもの。
物や場所がもつ記憶や歴史。。。
その一枚の写真の持つみえないストーリー。
なんだか、その感覚 すごくわかる。
みえなくても、すべての場所には 過ぎた時間が積もっている。
長閑でうつくしい風景も、作品説明を読むと
そのみえない空気の重さに悄然としてしまう・・・。
写真の、みえないチカラって すごい。
サハリンとラップランド地方を映した映像作品も
とても不思議な世界だった。
実は、映像作品(10分位)を観たのは二度。
一度観て、写真展の出口に向かいつつも
さっき感じた気持ちってなんだろう・・・って
確かめたい気持ちが沸々と湧いてきて
もう一度暗幕の向こう側の映像室へと戻ったのだった。
大きなスクリーンに映し出される真夜中の雪の街道。
街灯の光の中、動くものは ただ降りしきる細雪だけ。
“永遠に何の変化も起こらない” と 思わせる風景の中、
突如近づいてくる大きな光。
ホワイトアウト・・・
通り過ぎるトラック。
疾風の巻き上げる雪煙り。
ひとしきり舞った雪煙りが収まると・・・
また静かに降りしきる細雪だけの時間に戻る。
これからやってくる時間 過ぎた時間
そして、まさに今、目の前を通っていった時間。
このトラックの光と疾風に
過去~現在~未来~ の一連を一瞬にして考えさせられてしまった。
今、わたしは「今」にいる。
一瞬後はそれは過去になる。
けれど、わたしはまた次の今にいるわけで・・・・・・・・・
こうしてココロとカラダが実在している限り、
次から次へ、「今」の連続に生きている。
わたしがわたしのこころで何かを感じられるのは
常に「今」なんだ。 今だけ。
コトバにすると、まどろっこしいけれど
直感的な一瞬の思考がわたしの中を通り抜ける。
ひとりぽっちの映像作品室の暗がりの中で、
最初に観た時に漠然と感じた自分のきもちを
ちゃんと確かめることができた。
思いのままに考える・感じる時間。
ひとりになる時間って、ヒトにはやはり必要なんだなあ。
降りしきる雪の映像を観ながら、今自分がどこにいるのか
うっかりわからなくなりそうな・・・
さっきまでの、灼熱の街がひどく遠くに感じる 写真展でした。
東京都写真美術館にて 2013年9月23日まで。