時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

すてきなヒトの秘密

2013-08-31 | essay



健康長寿な著名人の方々の話の端々に
いつも ちらちらと見えるキーワードは。

  「好奇心!!」

これが健康長寿の一番の秘訣とみた。

まどさんも、寂聴さんも、日野原先生も
好奇心のかたまり。

「なんでかな?」
「どうなってるんだろう?」
「WHY?」
「おもしろそう!」
etc.

そして、健康長寿のお年寄り万人の共通点は
ユーモアのセンスがあるということ。

好奇心とユーモア。

そりゃあ、長い人生楽しいことばっかりじゃない。
それでも、次にはなんかイイコト起きるかも、って期待を持てるかどうか。
小さなわくわくする気持ちをたいせつにすること。

生きることを、生きている今日を楽しもう ってココロが大事なんだな。

これは見習おう!

 

 


つながり。

2013-08-30 | essay



もうひとりの、わたしの大きなムスメ。
もういない親友の遺したムスメ。

二十歳のKちゃんと時々逢ってしゃべる。
今回は、以前アノ子とも行っていた婦人科へ。
昨年来一緒にガン検診に行くことにしたのだ。
パパさんには喋れないことだって、「娘」にはいっぱいある。

ママの代わり・・・には及ばないけれど、
身近な同性のおとなとして、いつでも頼れる場所でありたいよ。

アノ子と何度か入ったイタリアンのお店。
今は、アノ子のこの子とランチを食べながら
あれやこれやとお喋りは尽きない。

時間は巡って巡って、ひと回り。

そうか・・・ちいさな赤ん坊だったあなたも、
アノ子がパパさんと出逢った年齢に もうなるんだね。

アノ子とパパさんとの出逢いも、ついこの前のことのように覚えているのにな。
なんだか、感慨深い。

ひととひと、巡り合って繋がって、そこからまた新しい出逢いが生まれる。。。
Kちゃんのシアワセを、アノ子の分もプラスして祈ってるよ。

アノ子のいない二度目の夏も もうすぐ終わります。





おおきな空の木の下で。

2013-08-29 | essay



ムスメの夏休みラストの日、スカイツリーへ。

浅草橋の江戸っ子Zちゃん母子と一緒に。
彼女らは、ご近所なのに、人が減ってから・・・と思って
まだソラマチにも足を踏み入れていなかったのだと言う。
近いって、そんなもんかもねえ。

空いてたら昇ろっか~、とアバウトな待ち合わせ。
やっぱりね、平日だけどやはりまだ夏休み。
当日券は1時間半ほど並ぶというので
あっさり止めて、ソラマチをぶらりぶらり。
あら、こんなことろに、プラネタリウムを発見。
せっかくなので、「銀河鉄道の夜」という上映の回に入ってみました。

ムスメらはキレイな映像に見入っていた様子。
わたしはというと、ぐ~んと動く半円の映像に酔いそうで目を瞑っているうちに・・・
心地よく眠ってしまいました。zzz

  

「あ!」
と言いつつ、カメラを反対側に向けたムスメ。
なあるほど~。影を撮りたかったのね。
ソラマチ8階の屋上よりムスメ撮影。

 こっちはわたしのケータイにて。

湯気のような雲です。

しかし、真下から眺めるとさすがに大きい。
それにしても、白っぽいので空と雲になんとなく馴染んで
色彩的には違和感を感じない。

ふと、思いを東京タワーへ・・・。
あの赤さ・・・今でこそ見慣れてしまったけれど
出来上がった当時はさぞや強烈な印象を受けたことでしょう!
青い空に赤い赤い大きなタワー。
今更だけど、なんで赤なんだろな?

彼女の小学生最後の夏休み、終了です。

 


記憶の中の夢

2013-08-29 | essay




遠い夢は、遠い記憶と溶け合う。

夢か真か?

昔見た忘れられない夢を
時間が経過してからふいに想い出すと
それは、本当に見たかのような映像となって
脳の中で再生される。

フシギだ。

「天が降り
地表が捲れあがり
川も海もゴウゴウと
音を立てながら
何処かへ流れ墜ちてゆく
 
全ての終焉がここから見える

私はひとり 断崖に立ち
ピンク色の雲に乗って 去ってゆく
レイヨウの群れを
じっと 眺めている 」


これは、二十代の頃にみた夢。

この夢の中でわたしが立っていた場所は、
当時まだ家族と暮らしていた街。東京湾の埠頭の見渡せるとある高台。
あの頃はまだ自転車を飛ばして
海沿いの倉庫の隙間の空き地を通って海辺へ下りることもできたものだ。

けれど、この夢から数年経ち、別の街へ引っ越した後、
この辺りは再開発によってすっかり姿を変えてしまった。

レイヨウの群れは、空を飛びはしなかったでしょうけれど。

夢の世界は確かにどこかと繋がっている。。。

って思うとオモシロイ。


 


Smoke Gets In Your Eyes☆J.D.サウザー

2013-08-28 | MUSICのこと



映画「Always」の中で(三丁目じゃなくてスピルバーグ の方ね)
J.D.Souther が唄う 「Smoke Gets In Your Eyes」 すきだなあ。
先日初めてお会いしたともだちのともだち MoさんもJ.D.サウザー好きで、
昨年同じbillboard Liveでの
ライブに行っていたと知ってビックリ!
こういうの オモシロイね。

「煙が目にしみる」 本家はプラターズ。
亡くなった母のお気に入りで、よくレコードをかけていた曲。
プラターズ版は、わたしは未だに聴くことができない。
前奏が流れるだけで、すぐそこに母の面影があまりに鮮明に蘇ってしまって
泣かないで最後まで聴く自信はまだこれっぽっもないから。

懐かしい「曲」ってものは、
その頃漂っていたとり巻く空気までそのまま一緒に
目の前に再生してくれちゃうよね。
時に懐かしく、せつなく・・・一瞬にしてその時間へ連れて行かれて戸惑ってしまう。。。

J.D.サウザーがあの独特な声で唄う「Smoke Gets In Your Eyes」は
また別の味わいがあって格別なんだなあ。

こちらはだいじょうぶ。

それにしても、この映画は隠れ名作だ。
晩年のヘップバーンの最期の作品でもあるしね。

恋人が死んでしまうストーリー・・・という反則モノだけれど、
お涙頂戴映画に終わらないのは
リチャード・ドレイファスのちょっとトボケタ、コミカルな名演のお蔭。
このころのホリー・ハンターもとっても可愛い。

そういえば、リチャード・ドレイファスと言えば、
(未知との遭遇とかが有名だけれど)
わたしは1989年の「のるかそるか」(Let It Ride)が一番すき。
競馬場が舞台のハチャメチャ喜劇。
暗雲をも吹き飛ばすような爽快ムービーです。

そうだ、これ、「のるかそるか」久しぶりに観よう。
こうして思い出すってことは、
こういうワッハッハ映画を、本能が必要としているのかもね?



ちゃぽん。

2013-08-27 | essay



ちゃぽん。

静かな部屋に響く水音。。。

まさに 「蛙飛び込む水の音」

次男坊の飼い始めたトノサマガエルの遊ぶ音なのだ~。

わたし、大抵のイキモノは大丈夫なのだけれど
カエルだけは弱い。
イモリでもヤモリでもカナヘビでも触れるけれど
カエルだけは、どんなに小さいやつでも
今までの人生で、自分からは一度も1m以内に近寄ったことがなかった。

子ども時代に持っていた生き物図鑑も、
カエルのページをうっかり見ちゃうのが厭で
セロテープで封印していたほど。

イモリはかわいいけど、カエルだけはやめてくれ~というわたしに、
「それはキミの生き物に対する差別だからね。」と反論する息子。
まあね。。。それを言われちゃあまあ、そうだな。

というわけで、自分の家の中に大の苦手のカエルがいる!というありえない状況に。
甘いのかなあ。わたし。

でももう息子も小さいコドモじゃないのでね。
イモリの世話もきちんとこなし、愛しんでいる姿を見てるとね、
カエルの一匹や二匹でわたしがガタガタ言うのも何かチャウなあってね。

最初は遠くから、そしてだんだん。
今は、傍でガラスの水槽越しに眺めていられるようになったよ。
トノサマガエルは小さいしね!

おかげさまで、47歳にして積年の苦手をひとつ 克服しました。

ちゃぽん。あ、また飛び込んだ。
この音は、結構すきかも~。






 


昔のきせかえ紙人形

2013-08-26 | essay

 

昔の紙のきせかえってすきだなあ。

なんともいえない色遣いや、かわいいんだかヘンなんだか微妙な表情のイラストとか。

たまたまフリマで見つけた、昭和30~40年代の着せ替え紙人形。
ふしぎな色遣いだなあ~。

こちらは、わたしが小さい頃から持っている子たち。

 

結構大きめの厚紙の着せ替え人形。

この子らは、繰り返される引っ越しに長年開封される機会のなかった段ボール箱から
近年発掘されました~。 (昔の千代紙や、ぬりえの紙人形も一緒に!)

なんだか、このお花模様のエプロンとか靴の光沢感とか懐かしいなあ。
カワイイひざ小僧に入っている折れ線。
小さいわたしが何度も腰かけさせて遊んでいたのね。
奈良の幼稚園くらいの頃のものかな。

カワイイので夜長堂さんのペーパーとともに飾ってみました。
昔のモノって何とも味わい深いんだよねえ。

ひとにはただの古い紙切れでも、わたしにはタカラモノです。


 


大阪弁のひとりごと

2013-08-25 | essay



ひとり言が増えた。
動物や植物に、思ったことを口走ってる自分に気づく。

「そっち行ったらあかんって~」
って思わずアゲハチョウに注意してた。 アヤシイ・・・。

だって、ふわふわと公園の緑を離れて幹線道路を渡ろうとするんだもん。
注意しても行っちゃったけどね。

小学生の頃までは大阪のコドモだったせいか
なぜか、小さき者、弱き物に語りかけるのは自然と大阪弁になる。

時を経て、この先、誰にでも話しかける「大阪のおばちゃん」に
わたしはなっていくのだろうか?
そういえば近頃駅のホームとかでも知らないおばあさんに話しかけられて
しばらく世間話などすることが多くなった・・・。
小さい頃に刷り込まれた大阪人魂か。それとも、年齢的なものか?
知らずにウェルカムなオーラ出してる??

この前、裏道を歩いていたら
道路の真ん中で、ゲットしたばかりの大きなオレンジ色の実を
懸命に食べているヒヨドリのヒナのきょうだいに遭遇。

わたしが歩いて近づいて行っても、逃げるより食べたいみたい。
アンタがたの くちばしには、その実は大きすぎるんだってば!

そうこうするうち、わたしの後方から車が・・・。
車一台がやっと通れる裏道。スピードもゆっくりだったので
思わず手を振って車を止めちゃったよ。
「なにしてんのん! はよ、いき~!」 と追い立てると
やっと飛び立ったヒナたち。

車には、深々と頭を下げておきました。
いやあ、わたしの子じゃあないんですがね。
すっかり親鳥のきもちになっておりました。

あの食いしん坊ヒヨドリきょうだいが元気に成長するよう願います。
ひとり言も、エスカレートしないよう気をつけることにいたしましょう。

 

 


ココロの枠

2013-08-23 | essay

なんだろうねえ。

やさしいココロが生きにくい世界。
もの想うココロが育ちにくい世界。

「みんなちがってみんないい」って、みすゞさん詩のいいコトバを
小学校の教科書でも習うのにな。

ちょっと違う想い、ちょっと違う個性。
それがそれぞれの持ち味なのにね。

真っただ中にいる思春期のココロは
まだまだ柔らかなはずなのに
凝り固まって頑なになった部分が邪魔をして
なかなか自分を取り巻く世界の全体像が見えにくいもの...

けれども、ちょっと俯瞰から自分の居る世界を見降ろすコツを掴めば、
自分を絡め捕って、閉じ込めているのは
誰かのみえないチカラや、世の中の矛盾などではなく、
自分のココロなのだと気づく。


それに気づいて、自分のココロの枠を少しずつ外すのは、
難しいけれど、自分にしかできないことなんだよ。

そして、それを子どもたちに伝えたくても
コトバを使って伝えることは、これまたもっとムズカシイ。

だんだんに、自分のココロで解っていくしかないんだよね。


どんな場面でもね、自分のココロひとつで、ちょっとずつ変えていける。

慌てなくても、時間がかかっても、失敗しても、大丈夫だから。
取り返しのつかないことなんて、この世には
ほんの一握り。
そんなに多くはないよ。
生きてさえいれば、大抵のことは、なんとかなるもんなんだよ。

せめてそれだけは、そのまま呑み込んで
ココロのどこかに置いといてほしいな。。。と願います。


   

 


IWAGOさんの「ネコライオン」

2013-08-22 | 展覧会・アート のこと



動物写真家 岩合光昭氏の写真展 「ネコライオン」へ

ライオン好きな娘を連れて。

動物園のライオンのいろんな仕草を観ていて、
大きいネコみたいだなあって常々思っていたんだ。

この写真展では、ネコとライオンの同じ仕草の写真が並べて展示されている。
うんうん、似ている。
そういう格好するよね。みてみて笑える~~ぷぷぷ。
ってな感じで、観客それぞれ、にこにこクスクス鑑賞できるたのしい写真展だった。

岩合さんの写真って、すうっと動物のきもちに溶け込むように写されているよね。

昔、わたしも、動物写真家になったなら・・・って
夢想していたことがあるんだなあ。
子どもの頃、「聞き耳頭巾」がとてもほしかったわたし。
いろんな動物と、ココロで会話が出来る能力があったりしたら、
サバンナとかで誰にも撮れない動物写真を撮ってみたいものだなあ~~なあんて
空想していたものだ。

もしや岩合氏、聞き耳頭巾を手に入れた???(笑)

いやはや。つくづくわたしの人生、いろんな部分、空想夢想で埋まってる。

まあ、いっか~!
スカスカなとこには、ふわふわな空想を詰めとけば丁度いいねー。


    

 



月は輝く

2013-08-21 | essay



「月は輝く」ってロシアの曲、すきだったなあ。
昔、バラライカを習っていたころの練習曲。

そういえば、「月の輝く夜に」も、最近観てないなあ。
あの映画、だいすき。マイベスト5に入る一本だ。

月は不思議な力を持つ。
月は、地球からの距離も周期的に変化しているんだって。
最近まで知らなかったこと。
最も近い時、最も遠い時、それぞれに影響も違うのだそうな。

最も近い時期の満月ってのが、あのスーパームーンってことか。
(前回のも知らずに見て驚いちゃったのだけれど。)

「月の輝く夜に」に出てくる、あの大きな満月も
そうか、スーパームーンだったのかも。

月をみて あれこれと。
思考の波にプカプカと漂う夜。

月をみて。 星をみて。 雲をみて想ふ。

きれいだなあ・・・とココロが感じるささやかな時間をたいせつにしたいものです。
たとえどのような状況にあったとしてもね。
ココロの置き場所は自由自在です。

 (月曜日の月)

 


別世界の白鳥たち

2013-08-19 | essay



我が家の雑然とした生活とは縁遠い美しきバレエの世界。

娘のともだちのバレエ発表会へ。
バレエのことはまるきりわからないわたしが観ても
ここのステージは、「発表会」レベルではなく
演出の統一された素晴らしい「ショー」

お邪魔するのは一昨年に次いで2度目なのだけれど
わたし、既に娘のともだちNちゃんの個人的なファンです。
彼女の踊りはなんというか・・・格別。

もちろんみんなそれぞれに素晴らしいのだけれど
知ってる子 ってことを省いてみても
なんていうのかな、バレエの精が降りてきているみたいな・・・。

何が違うのか・・・勝手に分析しながらフィナーレまで全部観ていたら
勝手な見解だけれどちょっとわかってきたよ。

バレエは途轍もないほどの練習量を重ねてこそな、厳しい世界。
大抵の子は、その踊る姿にガンバリが滲んでみえてしまうものだけれど
Nちゃんの場合は、その華やかな笑顔のせいなのか
はたまたブレのない軽やかな動きのせいなのか
ステージの上では、血や汗や涙の滲むガンバリをチラっとものぞかせないんだな。

ライトを浴びる彼女は、もう完全にプロフェッショナルの域。
天性なんだなあ。 華のある彼女、この先もとても楽しみです。

学校の授業のプールを見学してまで
バレエの為に肌を焼かない、徹底ぶり。
ステージ後、うちの真黒娘と二人並んで写した写真は
白鳥と黒鳥ほどのコントラスト。これはなかなかのツーショットです。

11歳。それぞれの少女の夏。
小学生最後の夏休みも残りあと僅かです☆



        





 


猫がないた。

2013-08-18 | essay


電車の中で、瞬間うつらうつらしていたら

静かな昼下がりの車内に 「にゃあおおおお」 一声 大きな猫の声。

え?夢? ハッと目を上げたら 
前の座席の乗客一同の視線が一様に左方向を向いていた。

ってことは、ああやっぱり夢じゃなかった。 本物の猫なんだ。

乗客の皆さんの、好奇心の浮かんだ同じような表情がなんだか面白かった。


日常の中の、ちょっとした非日常な光景。
この上なくすきです。


  

 

 


「暗なきところで逢えれば」 米田知子展

2013-08-17 | 展覧会・アート のこと



ともだちとの待ち合わせまで たっぷり時間があったので
気になっていた写真展へ。

「米田知子 暗なきところで逢えれば」

みえているものみえないもの。
物や場所がもつ記憶や歴史。。。

その一枚の写真の持つみえないストーリー。

なんだか、その感覚 すごくわかる。
みえなくても、すべての場所には 過ぎた時間が積もっている。

長閑でうつくしい風景も、作品説明を読むと
そのみえない空気の重さに悄然としてしまう・・・。

写真の、みえないチカラって すごい。

サハリンとラップランド地方を映した映像作品も
とても不思議な世界だった。

実は、映像作品(10分位)を観たのは二度。
一度観て、写真展の出口に向かいつつも
さっき感じた気持ちってなんだろう・・・って
確かめたい気持ちが沸々と湧いてきて
もう一度暗幕の向こう側の映像室へと戻ったのだった。

大きなスクリーンに映し出される真夜中の雪の街道。
街灯の光の中、動くものは ただ降りしきる細雪だけ。
“永遠に何の変化も起こらない”  と 思わせる風景の中、
突如近づいてくる大きな光。

ホワイトアウト・・・
通り過ぎるトラック。
疾風の巻き上げる雪煙り。

ひとしきり舞った雪煙りが収まると・・・
また静かに降りしきる細雪だけの時間に戻る。


これからやってくる時間 過ぎた時間
そして、まさに今、目の前を通っていった時間。

このトラックの光と疾風に
過去~現在~未来~ の一連を一瞬にして考えさせられてしまった。

今、わたしは「今」にいる。
一瞬後はそれは過去になる。

けれど、わたしはまた次の今にいるわけで・・・・・・・・・
こうしてココロとカラダが実在している限り、
次から次へ、「今」の連続に生きている。
わたしがわたしのこころで何かを感じられるのは
常に「今」なんだ。 今だけ。

コトバにすると、まどろっこしいけれど
直感的な一瞬の思考がわたしの中を通り抜ける。

ひとりぽっちの映像作品室の暗がりの中で、
最初に観た時に漠然と感じた自分のきもちを
ちゃんと確かめることができた。

思いのままに考える・感じる時間。
ひとりになる時間って、ヒトにはやはり必要なんだなあ。


降りしきる雪の映像を観ながら、今自分がどこにいるのか
うっかりわからなくなりそうな・・・

さっきまでの、灼熱の街がひどく遠くに感じる 写真展でした。


東京都写真美術館にて 2013年9月23日まで。



 


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