時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

東京のジャングル

2022-06-29 | 展覧会・アート のこと
コロナ禍で行けずにいた場所は数知れず。。。

先日、数年振りに会う約束をしたトモダチとどこへ行こうかと思考を巡らせて、
ふっと脳内でピントが合った場所は…
ずっと前から気になりつつ行ったことのなかった
「岡本太郎記念館」!

南青山の閑静な場所に建つ岡本太郎の生家であるこの記念館。
辿り着いてまずその庭の佇まいにびっくり!
東京のド真ん中にジャングルだ。

視線を感じて見上げれば
二階のベランダからは太陽の塔が庭を見下ろしています。
太郎氏のかわいいオブジェが所狭しと置かれたこのお庭。バナナのような実のなっている木からびろ〜んと伸びる花?までまるでオブジェ。

友がスマホをかざして調べたところ「バショウ」という植物で、バナナのような実は食用には向かないらしい。とわかりました。

ジャングルのような庭で太郎氏はあんなことやこんなこと考えていたのでしょうね。




館内のアトリエは天井が高くとても賑やかな空気感。
描きかけのものなのかキャンバスが壁の棚にぎっしり。
作業机の上の道具類にも惹かれます。





あちこちにまだ太郎氏の情熱の欠片が潜んでいるようでありました。

企画展の展示は「赤と黒」
怖いくらいの迫力でこころに迫ってくるようで、太郎氏の内面が垣間見えるような…







記念館を出て、裏道に出られるかなと奥へ進んでみると行き止まりでしたが。。。

カッコイイ裏門を発見。
これは必見ですね。
やっぱりこれも赤と黒。
太郎氏を象徴する色なんだなぁ。

初めて足を踏み入れた「岡本太郎記念館」
圧倒されてしまいすっかり太郎氏の熱気に当てられてしまった。
次回はもっと隅々まで観よう、と出口でもう再訪を考えているのでした。

青山辺りに明るいトモダチもここは初めての場所。
少し奥まった住宅地に建つ立地がまた秘境感があっていいのだな。

蔦の絡まる老舗喫茶店で
数年ぶりのあれやこれや。
話は尽きない午後でありました。


あんな時間
こんな時間
いつでも新品の時間
ちゃんと味わっていきよう。













朝のひかり

2022-06-26 | essay

日曜の朝、5時にぱっきり目覚めてもう眠れそうにないので、朝ごはん前に朝散歩。

近所のお寺の蓮の花がひらいたかなぁと、この前から気になっているのだ。
まずは蓮をチェック。
まだですね〜。
去年も時々見に行っていたのに見逃したのだ。
今年こそ咲いている姿をみたいなぁ。

近所をぐるっとウォーキング。
隠れて咲いてる野良紫陽花。
恥ずかしがらずに顔を見せて。
間もなく工事が始まるこの駐車場。雑草たちの立派な立ち姿も見納めかな。


朝6時で既にこの陽射し。
暫く高温が続くらしいですね。。。

気をつけましょう!




表現者たち

2022-06-23 | 展覧会・アート のこと

どんなことも、初めてのチャレンジってものはココロオドルもの。
ひょんなことから、先日とあるギャラリーのグループ企画展にわたしの本革コラージュ作品も展示させていただいた。

たくさんのお客様に来廊いただき、作品を観ていただく貴重な体験となった。

ギャラリーに出展しているたくさんのアーティストさん方と知り合い、言葉をココロを交わす。
年齢も来歴も様々な人々。
アートの表現方法も様々。
見ず知らずのわたしたちを繋ぐ共通点はただひとつ、
「表現したい」というキモチ。

なんてシンプルで潔いんだろう。
真摯にアートに向き合う姿勢は老若男女みな同じ。

長くものづくりをしてきて、「商品」と「作品」の間で揺れ動き葛藤があったのだが、今回の経験で答えをもらった。
アートであろうと道具であろうと表現することになんの境界線もない、ということ。

わたしがこうして革を切りミシンを踏んでいる時間、あの彼女はケント紙にひたすら鉛筆を走らせ、あの彼は和紙に岩絵の具を乗せ、あの若者は点描画に点を入れ続ける。

それぞれの表現の時間。

どこから来たのか、何処へ向かうのかひとりひとり全く違うけれど、
こうしている今も何処かで彼らが鉛筆を、筆を、握っていると思うとなんだかチカラが湧いて来るのである。

そして、表現はなにもカタチのあるアートに限らない。
ダンスであれ武道であれ、はたまた料理であれ走ることであれ、自分がしたいことをすることがイコール表現するということなのだと思う。

「表現すること」は「生きること」とひょっとしたら同義語なのかもしれない。

あたらしい経験にこころから感謝であります。





ミントデザインズ @SPIRAL

2022-06-21 | 展覧会・アート のこと

先日トモダチと待ち合わせたSPIRALですてきな展示に遭遇!
「ミントデザインズ」大百科

流行りのファッションに疎いわたしが知らなかったのは仕方がないとしても、
こんなに魅力的なデザインの数々今までどこかで出会っていなかったのがフシギ。
アバウトなわたしのことだから、名も知らず過去にも観ていたに違いない。

コドモのカタチのなんと可愛らしいこと!





暫し、ここSPIRALが出来た当時の20代の自分にタイムトリップしたよなひと時でありました。

(ミントデザインズ展は終了しています)


経年変化と経年劣化

2022-06-19 | essay

新しい花と時間を経た花。
珍しく共存している紫陽花を見た。
まるで、孫を陰で見守るおばあちゃんのよう!なんと優しい風景なんだろう。

手入れされている紫陽花は、花の盛りを過ぎると無情にもすっぱり伐り取られてしまう。

紫陽花は、伐らずにおくと少しずつ色彩が渋く濃くなり、その後、花弁を散らすことなく段々と色を落として最後には自らドライフラワーのようになってゆく。
その姿をみるのがわたしはすきだ。

その変化してゆく姿にもそれぞれのうつくしさがあると思っている。

それは経年変化を愉しむ皮革のようでもあり、
ニンゲンの一生とも似ている。

瑞々しい若さだけを美とする見方は、あまりにも浅はかだ。

老いて深みや滋味を増す…。

自分もそういうニンゲンでありたいと
実は密かに思っている。
経年劣化を自然の経年変化と捉え、
カラカラのドライフラワーの潔いうつくしさをココロに携えたお婆さんになろうと、もう大分前から決めている。

健康維持には努力を惜しまず、経年変化を楽しみましょう!




おおらかなお医者さん

2022-06-16 | essay


我が家のかかりつけのお医者さん。
ご病気らしく暫く休業されるご様子。。。

毎年健康診断でもお世話になっており、
診断結果を「はい、合格!」っておおらかに言い渡してくださる先生。。
いつもホッとして足取り軽く家路につくのが恒例だったんだけどな。

おおらかな(大雑把ともいう)お医者さんって案外いないもの。
気難しい医者より、そのくらいの人の方が気負わず話しやすくていいとわたしは思ってる。

早くお元気になられますように。

とりあえず健康診断、行くとこ探さなきゃ。




風に揺れるホニャホニャたち

2022-06-12 | essay

少し前のこと。

きっと今頃綿毛になっている…とふいに思い出し
この風景が見たくて自転車で遠回り。
風にそよぐホニャホニャたち。
なんと平和な光景なんだろう。

このホニャホニャたち
名前は知らなかったのだけれど友人が「チガヤ」だと教えてくれました。
白い綿毛の景色の中、
キバナコスモスが仲良く揺れる姿に
なぜだか遠い子ども時代の夕方の家路が浮かんできて
時間もそして距離もつくづく遠くまできてしまったものだなぁと
しみじみ想い入るのでありました。




男の子の色/女の子の色

2022-06-07 | essay

時代は少しずつだけど
ちゃんと変化している。

子どもの世界でもジェンダーレスな世の中に少しずつなりつつあるのを肌で感じる。
特に「色」の世界に於いて。

例えば幼稚園の上履き。
昔はゴムの部分の色が男子が青、女子は赤がほとんどだった。
最近カラーのバリエーションが増えたこともあって、男の子の中にも違和感なくピンクの上履きを履いている子も数人いる。

折り紙でもそう。
保育中、折り紙の箱を出してきて
使いたい色を訊ねると、近年「ピンク」を選ぶ男の子がかなり増えた。
女の子も「黒」や「青」を普通に選ぶ。

わたしが幼稚園のシゴトに就いたほんの5〜6年前はまだ、子どもの世界でもピンクは女の子の色という認識の子どもが多かったように思う。
男の子がピンクを選ぶと周りの子が冷やかす、という構図がまだ残っていた。

「色に男の子の色、女の子の色なんてないんだよ?すきな色を選んでいいんだよ」と、何度となくそう言ってからかう子をたしなめた覚えがある。
けれども、気づくと今ではそんな子はもういない。

園児の彼らは生まれてまだ3年から6年。
育つ世間の風潮がそれだけ変化しているということだ。

少なくとも園児の年齢に於いて色の世界はかなり自由になった。

男の子がシースルーのかわいい靴下を履いていても周りの子は気にしていない。
戦隊モノの水筒を気に入って使っている女の子も普通にいる。
すきなものの自由の幅が拡がるのはとてもいいこと。
小さいうちにこうしてジェンダーフリーな感覚が体に馴染むと、きっと己にも他者にももっとずっと寛容になれるはず。
この先の社会は確実に良い方向へ変わっていく。

きっと、園児の親たちも柔軟な感覚の世代にシフトしていっているということなのだろう。

少しずつ少しずつ
生きづらさを抱えた誰もが生きやすい世の中になるといい。





6月6日に雨ザーザー降ったので!

2022-06-07 | essay

珍しく6月6日に雨ザーザー降ったので。

思い立って預かり保育の子どもたちに
かわいいコックさんの絵描き歌を教えてあげた。
今日預かった20人全員知らなかった〜。
そりゃそうか。
私が小さい頃は知らない子はいないくらいポピュラーだったんだけどなぁ〜!

初めてでも興味津々。
年長さん何人かは真似して上手に描けた。
園児の親御さん世代は20代から40代前半くらい。
その世代が子どもの頃にはもう歌われていなかったということかなぁ。

昭和の香り漂うかわいいコックさん。
伝承していきたいものです!

ところで、この「かわいいコックさん」って最終形はもしかしておサル?

ナニモノなのか
実はわたしも知りません〜。


かわいいコックさん絵描き歌

「棒が一本あったとさ
棒じゃないよ葉っぱだよ
葉っぱじゃないよカエルだよ
カエルじゃないよアヒルだよ

6月6日に雨ザーザー降ってきて
三角定規にヒビいって
あんぱん二つ豆三つ
コッペパン二つくださいな
あっという間にかわいいコックさん♪」


蒼い6月の花

2022-06-04 | essay

額紫陽花のつぶつぶがかわいい
紫陽花の6月。

あたらしいことにチャレンジしてあたらしい人々に出逢う。
そんな高揚した気持ちの底で
時折わたしのココロの奥の湖が蒼くさみしくさざめいていることをちゃんと知っている。

あたらしいチャレンジを見てもらいたいのは、やっぱり今でも亡くした母なんだなぁ…と気付く。

子どもの頃、引っ込み思案で恥ずかしがりやだったわたしに、
褒め上手な母はいつも自信を持つチカラを与えてくれた。

母が満面の笑みで眼を丸くして、心の底から感心して褒めてくれる姿。。。
そんな母がわたしはだいすきだった。

わたしは今でも尚、母に感心して褒めてもらいたいんだなぁ。すっかり大人のくせにね。

母が空に消えたあの6月からもう17年も経つ。
母のすきだった紫陽花を見るたびに涙が溢れていたあの頃を想う。

紫陽花を見てももう泣かないよ。
今では、どの紫陽花も母の面影とともにわたしに懐かしさと温かさを届けてくれる。

さあ
あたらしい一日。
一歩一歩日々成長だ。








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