時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

いちねんの終りに

2009-12-31 | essay
早いもので00年代も今年でおわり。
明日から10年代の始まりなのね。
思いたって、部屋の模様替えをし始めたら、
あっちもこっちも気になって終わりそうにない!
ま、いっか。続きは来年でね。

今年の大晦日も子どもらと夫と共に、
テレビをみながらUNOなどしつつ夜は更け、
ゆく年くる年を観てちょっと厳かな気持ちになって
近所のお寺の除夜の鐘に耳を澄ますことだろう。
家族がそろって無事に年を越えられる。。。
それだけでもう十分しあわせなんだよね。

勉強ギライなマイペースでも、
ちょっと気難しくて頑固でも、
極端にシャイで泣き虫でも
元気でいられたらそれでよし!としよう。

一年分まとめてありがとっ。


こころの整理になるかな…と綴りはじめたこのエッセイ・ブログ。
思いつくまま、気のむくままに一方的に綴っているだけなのだけれど、
こころの引き出しの中身を文章にすることって、
いまのわたしにはすごくいい処方箋だったみたい。。。
とても良いこころの風通しになったような気がする。
(虫干しかな!?)
PCが苦手なわたしの背中を押してくれたR師匠、ありがとう!

ご縁があって[時間のしずく]を読んでくださった方、
たまたま今初めて見てくださった方も、こころからありがとう

いつも新しい気持ちで新しい一日をたいせつにしていきたいな。
来年も良き一年でありますように


母の口癖

2009-12-30 | essay
冬の夜のお風呂がすき。
熱~いお湯にとっぷりと浸かると
自然と口をついて出てくるコトバ。
「ごくらく~~~」

そういえばこれ、母の口癖だったなあ。
小さい頃お風呂に一緒に入ると「ごくらくごくらく~~」って
いつも言っていたなあ。母もお風呂がだいすきだった。
しかし、寒い夜のお風呂にはこのセリフしかありませんなあ。

この前、娘が学校の図書室で借りてきた本にも載っていたっけ。
「おじいちゃんのごくらくごくらく」という絵本で、
おじいちゃんがお風呂に入るたびにやっぱり
「ごくらくごくらく」と言うのだ。

この本、娘がいい調子で音読しているなあ、と思ってたら
途中でふと止まり、「もう読まないっ」と投げ出して
オイオイ泣き出した。あらら、もしや。
やっぱり。。。おじいちゃん、亡くなってしまうお話なのね。

おじいちゃんの、小さい孫の男の子もやっぱりお風呂で
「ごくらくごくらく」と言うのだ。

ニッポン人にはお風呂は極楽なのだなあ。
いつか娘も知らず知らずに言うはず。
「ごくらくごくらく~~~」

「ホテル・カリフォルニア」

2009-12-29 | MUSICのこと

イーグルスの「Hotel California」
すきだったこの曲を、高校の時に英語の授業で
T.Teacherがラジカセを持ち込んで唐突にかけてくれた。
文法の説明のためだったのだけれど、
当時はそんな授業をする教師はまだあまりいなかったので
すごく斬新に感じたものだ。

80年代終わりのころだったかな、
東京ドームでの年越しカウントダウンライプに行った。
お目当てはヒューイ・ルイス&ザ・ニュースだったのだけれど、
他にもそうそうたる顔ぶれのミュージシャンの
カウントダウンだった。
そのなかに、あのドン・ヘンリーもいて、
そこで、あの名曲「Hotel California」を初めて
生で聴いてしまった!!
夢をみてるみたいめちゃくちゃ感動

今でもあの名曲が流れると、先生の授業のラジカセと
あの年越しの生歌を思い出す。
どちらも、人生の中のほんの一瞬の出来事だけれど、
たいせつな、繋がっている時間のひとしずく


絵本「ちいさいおうち」

2009-12-28 | 本 のこと

映画館で「カールじいさんの空飛ぶ家」を
娘と観ていて「ちいさいおうち」を思い出していた。
家の辿る運命は全然違うけれど、
周りにビルがどんどん建っていく状況は同じ。

名作「ちいさいおうち」は1942年バージニア・リー・バートン作
1954年岩波書店発行。

子どもの頃は、絵がかわいいなあって思っただけだったけれど、
長男が小さい頃に、図書館でこの本にまた出会って、
なんだか身につまされる思いがした。
だって・・・途中の、ビルに囲まれてしまうシーンが
まるで我が家なんだもの。

わたしがお嫁に来たときは辺り一帯商店と民家だったのが、
今や、再開発計画で周り中が高層マンションと化してしまった。
蔵づくりのすてきな古い家がたくさんあったのに
すっかりなくなってしまってとても残念に思う。
この絵本では、最後はハッピーエンド。
子孫が、都会の真ん中で廃墟になっていたこの家を見つけ、
また田舎の丘に移築してあげて暮らし始めるのだ。
いやはや、我が家はそうもいきませんがな。
ビルの谷間のちょっとかわいそうな「ちいさいおうち」なのだ。
商売上は、孤島みたいな一軒家でむしろ目立っていいのだけれどね!

バスが通るたびに揺れ、強風のビル風にも揺れながら
耐えてくれている我が家。
隙間風だらけでだんだん古びてきたけれど、
せめてきれいにしてあげなくちゃね。

さあ、おおそうじ~


パイとスパイス

2009-12-27 | essay
スーパーのレジで順番を待っていると、
金額を言われた年配の婦人が、かなりの確率で
「え、いくら?」と聞き返すのをよく耳にする。
耳が遠くて聞こえないのではなく、それは習慣みたいなもの。
レジのおねえさんから、一瞬イラッと電気が走るのを感じてしまう・・・
年をとっても、若いひとをイラッとさせないおばあさんに
わたしはなろう、と今から思っていたのだが。。。

先日次男とめちゃ混みのケンタッキーで商品を受け取る際に、
おねえさんが「パイは横に入れてあります」というので
「え、パイは頼んでないのですが…」とわたしが言うと、
明らかにイラッと電気を放電して「は?パイじゃなくてスパイスです!」
と突き放すように言う。
(クソ忙しいのにこのおばはんっ!)って目が言ってるし。
「ごめんなさい・・・」と謝って店を出て、
次男に「だって、パイって聞こえたんだよお~」って話すと、
「おねえさん、スパイスってはっきり言ってたよ」とサラッと言う!

が~ん。ヤバイ。これは「ス」が聞こえない一種の老化現象?
もしくは若者にしか聞こえないというモスキートボイス???
なわけないか。
今からもうもたもたしてるようじゃこの先たいへんだ~。
ゆる~い脳を鍛え直さなくっちゃね~

来年の抱負がもう決まりましたな!

ともだちの娘

2009-12-26 | essay
おなかに居るときから、
楽しみにしていたともだちの赤ちゃん。
当時わたしはまだ一人暮らしで、
生まれたての彼女がかわいくてかわいくて
戸越銀座から川越まで、暇を見つけては遊び行って、
いじくりまわしてはふわふわの彼女に癒されて帰ってきた。

そんな彼女ももう17歳。。。
先日高校の修学旅行でパリへ行き、
お土産を持って遊びにきてくれた。

「mikoおばちゃんがすきそうだなって思って!」
って大判のポストカードとフランスのお菓子あれこれ。
よくわかってるね~!
チョコレートも「紙のデザイン可愛くて絶対好みでしょ!」
という。泣けるなあ。
以前わたしがスイスのチョコレートの可愛い包み紙を
並べて額に入れて飾っていたのを彼女がとても気に入り、
カラーコピーしてあげたことがある。
それをちゃんと覚えていたんだね。
彼女がまだ小学校1年のころのことなのに。
おだやかにしなやかに育って、わたしも嬉しいよ♪

そのともだちとは、同期入社で辛苦の日々を
共に過ごした浜松町のとある会社で出逢った。
この会社の理不尽さに立ち向かって共に戦った同志。
そんな逆境で出逢ったせいかな、とってもウマが合い
いつの間にか長年の心友となっていた。(悪友かな)

たまたまお互い落ち着いた場所が電車で駅六つの距離だったので、
家族ぐるみの付き合いがずっと続いている。
子どもたちが小さい頃はしょっちゅう行き来して過ごしていたので、
小さい頃は、わたしをほんとうに「おば」だと
思っていたらしい!かわいいねえ。

子どもたちが大きくなってからは、
大人ふたりで会うことがほとんどになってしまったけれど
子ども同士5人の間では、今でもいとこに近い感覚みたい。

この前「あたしに何かあったら、子どもら見てやってね」
と半分冗談で彼女が言いだし・・・。
縁起悪いこと言って泣かせないでよね
実家も遠く、女きょうだいのいない彼女の本心なのだ。。。

おっしゃ!mikoおばちゃんに任せときっ!
って、わたしがお先ならあなたよろしくね


Merry Christmas

2009-12-25 | essay

子どもにとってのクリスマスは、「サンタさんの来る日」
御馳走とケーキを食べて、ワクワクしながら眠りにつく夜。
わたしも子どものころ、夜中に目が覚めて会っちゃったら
どうしようってちょっとコワい気持ちもあったなあ。

サンタさんは、国境なきしあわせの使者。
次男がふと素朴な疑問を口にした。
「サンタさんって誰も会ったことがないはずなのに、
どうしてああいう服でああいう格好って世界中みんな知っているんだろう?」

本当にそうねえ。
誰も会ったことがないのに、誰もが知っているひと。
誰もが覚えてないだけで、ピュアな赤ちゃん時代に会っているのかもヨ?
ね!見えないだけでいるんだよ。(ちょっとホラー?)

おとなにもプレゼント置いていってほしいよ~


なんでも顔に見える癖

2009-12-24 | 本 のこと

どっから見ても、アヒルの顔そのもの。
トイレによくあるタイプのドアロック。
そう思って見てるひとって
いったいどのくらいいるのだろう???
しかも、こういうのを作った人は
アヒルに見えて可愛いゼって秘かに
思いつつ作っていたりしないのかな。

子どものころから、いろんなものが
顔にみえてしまう癖がある。
小さい頃住んでいた家の洗面台の、
溢れないようにふちに開いている穴が
どうしても口に見えてしまって、
自分が洗面台を使うたびにコップで
水を飲ませてやっていた。
二つの蛇口がちょうど目のようで、
横楕円に少し笑ったように見える口が
とっても可愛かったのだ。
そんなことをいつか友達に話したら
「そんなのmikoだけだよ~!」と
大笑いされてしまった。
でもきっと他にもいるはずよ~。

長男が小さい頃に見つけた写真絵本。
「まちにはいろんなかおがいて」佐々木マキ著
これはこれは!!
マンホールも、滑り台も、鉄棒だって
ちょっと見方を変えれば、顔、顔、顔。
とっても楽しい!
ほら、同じことをおもっているひとがいるんだ。って
うれしかったな。

長男もこの本がだいすきで、毎日開いて一緒に眺めた。
この本の影響で、おさんぽしていると、
よく「あのいえ、かおみたい~!」と
いろんなところに「顔」を発見していたっけ。

彼も、なんでも顔に見える癖を持つおとなになるハズ!?


door

2009-12-23 | essay
古いドアがすきだ。
真鍮のドアノブがついていたらよりだいすき。
けれども、近頃すっかり減ってしまった。

二十代、目黒の小さい出版社勤めのころ、
仕事であちこち街をよく歩いた。
道々、レトロな建物のドアに出会うたびに
「いつかドアばっかり写真に撮ろう!」って
思っていた。けれども日々は過ぎ・・・。

今みたいに、ケータイや小型デジカメのない時代。
カメラを持ち歩いてパシパシなんて、
観光客か、プロのカメラマンくらいだったもの。

子育てに浮かれて過ごしているうちに、
浦島太郎状態。。。
気づいたら、わたしのすきな
古い建物はどんどん姿を消し、
古びた趣のあるドアも
あまり見かけなくなってしまった。

古いドアは、それ自体なぜかとても不思議な魔力を持つ。
― 秘密・約束・思い出・未来・希望・そして過去 ―
さまざまな言葉の鍵を秘めたドア。

「いつか」なんて自分が作り出さなきゃ永遠にこない。
「今」たいせつに思うことは、今すぐ抱きしめよう、ね


銀座・奥野ビルディング

2009-12-22 | 古い建物 のこと

娘と松屋のキューピー展を楽しんだあと、
クリスマス定番のMIKIMOTOのツリーを娘に見せてあげよう
って思って行ってみたら、なんだかすごい人混み。
人に圧倒されて、ちら見だけで退散。
さあ、この人混みを避けられる楽しい場所は・・・

そうそう。ずっと気になりつつまだ訪れたことのなかった
「奥野ビル」(旧銀座アパートメント)へ行ってみよう!
と思いついて、歩き出す。確かここを曲がって、二筋目辺り・・・。
娘に「おかあちゃん、また道に迷うよ?」と警戒されながらも
思いのほかすぐに発見!だって一目でわかるし!

  

画廊がたくさん入っているだけあって、
ひとの出入りがぱらぱらとあり、初めてでも入り易い。

中に入ると・・・しんとした、静謐な佇まい。
ただよう空気が違う。
この建物が建てられたのは1932年。昭和7年頃だという。
こんなすてきな建物をこうしてたいせつに維持していらした
方々。ただただ尊敬いたします。。。

    

珍しい手動式エレベーター。
こんな銀座の真ん中に手動式エレベーターが残っているなんて。
以前ヨーロッパを放浪したときに、何度か遭遇したけれど、
こんな身近にずっとこうしてここにあったのね。
貼られた黄色い注意書きを読み、娘と一緒にドキドキしながら
重たい手動のドアを明け、次に中の蛇腹のドアを引く。
中に入ってまた順に手で閉めて、とりあえず一番上まで
上がってみた。

  

最初はここの空気を怖がっていた娘だが、
怖いもの見たさからか(?)、ずんずん奥へ。
どのドアが開けていいドアなのか、
どこまでが行っていいエリアなのか
よくわからず、あっちへふらふらこっちへふらふら。
もう、ここのムードにすっかりのまれちゃって、
ふたりですっかり高揚しながら探検気分。

しかも、ここに階段があるのに、踊り場の窓の向こうに
もうひとつ階段が見える。なぜ???
地図の読めないわたしにはこの建物の構造が脳に全く描けない。
エッシャーのだまし絵の中にいるみたいな錯覚に陥る。

  

ひっそりとした薄暗い廊下や階段に
ここに暮らした様々なひとびとの思いが
音もなく積もっているのを気配で感じる。

  

ケータイカメラではなく、ちゃんと一眼を
持っていればよかったな。今度はきっと持って行こう。

画廊もちょこちょこのぞかせていただいて、
娘もすっかりお気に入りの様子。
帰り道には「ちょっとコワイけどおもしろかったねえ~!!」
と、彼女にはキューピー展よりも印象深かったようだ。

いままでなぜ来たことがなかったのだろう?って
ふしぎに思うほど、こころ惹かれる空間。
すぐにまたあの空気に触れたくなりそうだ。

  
          [管理人室?]

  
          [Basement]


ローズ・オニール キューピー展

2009-12-21 | 展覧会・アート のこと

だいすきな、ローズ・オニールのキューピー展が
銀座松屋で開催されている。
1909年にローズ・オニールのキューピーの絵が初めて
雑誌に掲載されてからちょうど100年とのこと。

子どもたちにキューピー展観たいひと~??と
一応聞いてみたら、はいはーいと挙手するのは
もちろん娘ひとり。(シメシメ)
お兄ふたりは「お昼は買い弁代置いてってね~」
と、キューピーより買い弁。(注:昼食の買い食いの意
で、娘とふたりで銀座へお出かけ
男どもがいないと、お出かけもなんて楽なんでしょう!(ゴメンヨ)
近頃、娘とふたりだけってことが多く、
一人っ子ってこんなふうなのねえ、とゆとりを感じている。
電車の中でも娘は静か~に本を読んだりミニ折り紙をしたり、
自分は居眠りまでできちゃうよ。
こういうところで子どもの成長って実感するんだなあ。

で、キューピー展。
わたし、ローズ・オニールの原画を見るのは初めて
たくさんの原画や当時の雑誌、広告などなど、
どれもたいへん貴重なもので、実物が観れてしあわせ~。
しかもだいすきなビスクキューピーのそうそうたる顔ぶれ(?)
1910年代のかわいいかわいいいろんなアクションの
ビスクキューピーがこれだけ並んでいるのは圧巻
表情がどれも非常によく出ていて、どれだけ見ていても
見飽きることがない。

ローズ・オニールはキューピーの絵しかよく見たことが
なかったのだけれど、人間を描いている絵もすごく
見応えがあって驚いた。ひとの動きや表情がとても
オーバーアクションでユーモアに満ちていて、
からだの弾力が伝わってくるような絵だ。

娘もたっぷりキューピーを観て楽しんでいたようだから、
わたしのキューピーコレクションも
この先大事にしてくれるかしら~??

キューピー展、もう一度観に行きたいくらいなんだけど、
開催は24日まで!! キューピー好きなお方はお見逃しなく


魅惑の万華鏡

2009-12-20 | essay
万華鏡の魅力にとりつかれて、早十数年?
長男の一歳の記念に(自分に!)オイルワンドのタイプを購入。
あっという間に彼ももう中二。

十年くらいぶりに麻布十番にある万華鏡専門店の
「昔館」に立ち寄ってみた。
それこそ昔、何度かお邪魔した頃って、
まだ地下鉄が通ってなかった頃だわあ。
迷いつつお店を見つけて店内に入ると、
以前のままところ狭しと並ぶ万華鏡の数々にこころは踊る!
しかも、どのタイプも手にとって見せていただけるし、
お店の方が、いろんなタイプの見方をとっても親切に説明してくださる。
見ているうちに、万華鏡の博物館にいるような気分になってしまって
小一時間はお邪魔してしまっていた。
しかも、お話しているうちに、その方がなんと!
ずっと前にうちの近所の公民館の子育てサークルに
手作り万華鏡の先生としてお越しくださった方だったと判明!
次男が入園したような頃だったから、もう7~8年前のこと。
このだいすきなお店にいらっしゃるとは!
当時、別の方のご紹介でいらしたので、
全然気づかず失礼してしまいました
またお会いできて、なんだか嬉しかったなあ。。。

さんざん迷ったあげく、オイルチェンバータイプの
スコープをいただいて帰った。
たまには自分にもプレゼント
家に帰ったら結局子どもらが取り合ってのぞいていたけれどネ。

先日代官山で、山見先生のお店ものぞいて、
ペンダント型のテレイドスコープを購入しちゃったし!
またじわじわとわたしのカレイドスコープ熱、再燃

それにしても、ひとの縁ってフシギなものだ。
ひとって、「すきなもの」のくくりの無意識の世界で
繋がっているのかもしれないなあ。

少女の友展

2009-12-19 | 展覧会・アート のこと

立原道造記念館のおとなりにある弥生美術館。
「少女の友展」を開催中とあっては、
やはり素通りは出来ず!

こちらは、自分の母世代のおばさま方がわんさか。
母に見せたかったなあ。。。
まさに母が少女だった時代の乙女な世界。
中原淳一の描く表紙の少女が、夢見る瞳でたたずむ。
しかしこの「少女の友」、戦中・戦後も休むことなく
発刊されていたというのだから驚きだ。

戦争が本格化し始めると、夢見がちな乙女を描く中原淳一は
降板させられ、凛々しい少女の絵に取って代わる。
中原淳一の最後の表紙画の少女は、
彼の他の絵にはない凛とした眼力を感じさせる。

そして戦後はまたふんわりと希望を胸に抱く少女の表紙画に様変わり。
その辺りの少女の表情の移り変わりがたいへん興味深かったな。

今回とってもこころ惹かれたのは、
松本かつぢの「月の見た話」の挿絵と装丁のすばらしさ!
松本かつぢは「クルミちゃん」などのかわいい絵しか知らなかったので
こんな緻密な絵を描くひとだったんだ~!とびっくり。
この繊細なペンの線画、装丁の色合いというか風合いというか、
もう、とにかくものすごく好み~!
お気に入りの、昔のチェコスロバキアの郵便切手に
どこか似ているムードを持っているみたいな気がするんだなあ。

やっぱりいいねえ。レトロな昭和の乙女チックな香り

「少女の友展」弥生美術館にて12月23日まで開催中!


詩人 立原道造

2009-12-18 | 本 のこと

立原道造(1914~1939)の詩がすきだ。

難しい言葉の羅列でなく、
等身大の想いを美しい日本語で
シンプルに綴るひと。

彼の短い生涯の中の、数年を過ごした東大のそばに、
「立原道造記念館」は建っている。
直筆の原稿の文字が、小さくてかわいらしい。
デザイン文字のような筆跡が彼の繊細な美学を物語る。
今回は道造の描いたパステル画も多数並べられていた。
お人柄を偲ばせる愛用品の数々も展示されている。
大正から昭和初期の重厚な趣をもつ遺品に想いを馳せる。

静かな静かな、この記念館。
このひっそりとした空間に漂う道造の儚い夢。
来るたび道造ワールドにすっかり浸ってしまう。

享年24歳。
死を前にした病床で、恋人に
「五月の風をゼリーにして持ってきてください」と
書きおくったという。。。

この言葉を何かの本で目にして以来、
五月の爽やかな青空の広がる日には、道造の詩集を開きたくなる。

どこまでも透明感のただよう、美しく穢れのない詩人。


むすめからの手紙

2009-12-17 | essay
いつの頃からか、わたしが夜にライブや飲み会で
家を空けるときには必ず娘が手紙を書いてくれるようになった。

深夜に帰宅すると、かわいい便せんに書かれた挿絵つきの手紙が
テーブルの上でお待ちかね。
出だしは、たいてい「おかあちゃんへ きょうはなかなかったよ。」
で始まる。かわいいなあ~。
最近は手紙に漢字も混ざるようになって成長を窺わせる。

しかも、手紙のとなりには必ず返事用の便せんがきっちりと置いてある。
なので、どんなに遅くなった晩でも、娘への返信を一筆したためてから
じゃないと眠れないことになっているのだ~。

上の息子たちはわたしにお手紙を書いてくれたことなんて
あったかなあ。。。
女の子っていろんなことが違って面白い。
男だから、女だから、という押し付けのないように
三人ともおんなじように育ててきたけれど
面白いほど男女の違いが出てくる。
男と女では脳の伝達構造が違うというけれど、
両方を育てていると、いろんな場面でそれを実感する。

息子たちが小さい頃は、ご多分にもれず乗り物がだいすきで
電車を見に踏切に通ったり、工事現場の工事車両を見せたり。
けれど娘は、ミニカーやプラレールが転がっている部屋で
育っても全然興味を持たず、姪っ子やともだちのお下がりの
女の子のおもちゃにはかぶりつき!フシギなものだなあ。
共通のおもちゃは、ぬいぐるみとレゴとアイロンビーズと
ゴム製の爬虫類くらいかな。

赤ちゃんの頃、娘がゴムのリアルながまがえるをくわえて
ニコニコしながらハイハイしていた姿には笑った笑った!
写真撮っておけばよかったな~!

かわいいお手紙。
たいせつにしまっておくからね

メッセージ♪

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