タバコなんて嫌いなのに
夢の中で、スパスパとタバコを吸っていた。
何か忙しく仕事をしながら、指が焦げそうなくらいギリギリまで忙しなく吸い続ける。
昔見たことのあるフィルターのないやつだ。
目に入る視界的には、それは自分の手らしいのだけれど
どうもそれは自分ではない誰か別のカタチの違うジブン。
でも確かにタバコの味が口に広がっていたことを
目が覚めてからも思い出せる。
カタチの違うジブン。。。
夢の無意識の世界で、浮遊した意識だけ誰かと入れ替わってしまったのか???
それとも、カタチの違う遠い過去のジブンの記憶の欠片?
ほんのワンシーンだけのふしぎな夢だった。
ジムで知り合ったひとが、旅に出るので休会するという。
レッスンで顔を合わせた時にちょっと話すだけの間柄なので
根掘り葉掘り聞いたりはしなかったけれど
しばし、旅気分に便乗~。
東欧方面への旅なのだそうだ。
妙齢のきらきら輝く女性。旅慣れていらっしゃる様子だ。
またここに戻ってきます!っておっしゃっていたから
次に会えたら旅のハナシを聴かせてもらおう。
旅かあ~~~!
わたし、しばらく旅に出ていないなあ。
行きたい場所はてんこ盛りにあるのだけれどな。
まあ ここに現実のセイカツがあるのだからそれは仕方のないこと。
密かに「ひとり旅計画」でも練ってみようか。
とりあえず、どこでもドアがここにあったなら・・・と夢想でもしておきましょうか。
ポストまで行ったら、いい夕焼けの予感が。
そのまま空の見える場所までちょっと足を延ばす。
とても久しぶりに夕焼けに追いついた。
風が色をゆっくりと混ぜてゆく。なんてきれいなんだろう。
首が痛くなるほど空をみるのは、なんだかとても久しぶり。
明日も地球が穏やかでありますように。
めまいがした瞬間に写したってわけじゃないんだけれど
カメラがめまいを起こしたような
知らぬ間に撮れてた偶然の一枚。
くらくらしてしまうけれど
ぐるりと円を描いていておもしろい。
自分もこうして知らぬ間に
地球と一緒にいつでもぐるりと回っているのねえ。。。
なあんてことを思わされた偶然の一枚でありました。
めまいと言えば・・・
ヒッチコックの「めまい」めちゃすきです。
世にも珍しい、素晴らしい体験をしてきました。
目の前で、今まさに詩人から詩が生まれ落ちる瞬間を目の当たりに・・・!
だいすきな谷川俊太郎さんと、覚和歌子さんの対詩ライブへ
ムスメを連れてお邪魔してきました。
代官山「晴れたら空に豆まいて」にて行われた今回のライブはvol.4とのこと。
vol.3の終わりを受けて、お二人それぞれ数行ずつ交互に作詩。
皆の目前で、PCを通してスクリーンに言葉が生み落とされていきます。
コトバが紡がれる瞬間って
何ともふしぎなことに時間がとまっているよう。
本物の詩人って時間を自在に操れるのかも・・・と思ってしまいそうなほど
ちょっと他にない ふしぎな時間の経ち方でした。
初めてお会いする谷川俊太郎さんは
TVなどで拝見した通り、とてもおちゃめですてきなヒト。
覚和歌子さん、わたしは不勉強なために「千と千尋の神隠し」の歌詞しか知らなかったのだけれど
とても聡明でテキパキとした男前な女性で、生まれくるコトバもとても清々しくカッコイイ!
そして、気の合ったお二人の掛け合いが
これまたなんともおもしろくて、とても温かな心地よい空気の回流する空間でありました。
客席から飛ぶ さまざまな質問も、とても真剣なもの。
谷川さんと覚さんの、その受け答えの中のコトバがまたとても勉強になることだらけで
改めて、「詩」というものはなにか、考えさせられ、学ばせてもらう貴重な時間となりました。
一緒に行った中学生の娘は、教科書の中のお気に入りの詩「明日」や
いろんな絵本でお馴染みの谷川俊太郎さんご本人にお会いできたことだけで満足していた模様。
質疑のやり取りの内容は彼女には少々難しかったようで
時折、贅沢にも谷川さんの声を子守唄に舟を漕いでおりました(笑)
全て終えてから本にされる予定とのこと、とてもたのしみです。
そしてこの対詩ライブ、ぜひ続きもお邪魔して聴きたいな~。
ムスメも、この時過ごした貴重な数時間を、大人になってから改めて
感慨深く思い出す日がきっとあることでしょう!
貴重な体験ができたことに感謝です。
ああ たのしかった~!
何故か知らねど、ハーモニカの音色ってすきなんだなあ。
だいすきなハーモニカおじさん・トゥーツ・シールマンス氏、この夏亡くなられたのね。。。
90歳を過ぎての最後のアルバム「90Yrs.」は本当に素晴らしい一枚。
オリジナルでもカバー曲でもどの曲も
トゥーツ・シールマンスのハーモニカにかかれば気持ちがよいのだけれど、
特にすきな曲はブラジルプロジェクト2に入ってる「TRAVESSIA」という
ブラジルのシンガーとの一曲。
それに、しんみりと聴かせてくれる「OLD FRIEND」もだいすき。
音楽って、人生の「彩り」なのかもしれないなあ。
音楽で人生はよりカラフルになる。
音は色なんだなあ。
思えば、わたしの人生に「ハーモニカおじさん」を連れて来てくれたのは
20代の頃に知り合ったmちゃん。(今は東北で四人の男子のお母ちゃん!)
あの頃ジャズピアニストのたまごだった彼女が貸してくれたお薦めCDの中の一枚が
トゥーツ・シールマンスの「FOR MY LADY」だった。
いろんなきっかけでいろんな音がわたしの人生を彩ってくれているんだなあ。
ありがたいことだなあ。
おんがくも出逢いなんだな。おもしろいものだ。
トゥーツ・シールマンス氏のハーモニカの音色は唯一無二です。
どうぞ安らかに。。。
きっと いつも探している
納得させてくれるコトバを
漠然とした問いの答えを
生きることは
問うこと
正解がなくとも
こころが納得するまで
生きることは また
そのままに受け入れること
毎日色の違う雲を浮かべていても 空が空であることを
わたしがわたしであることを
きみがきみであることを
自ら問うこと と
問うことをやめにして受け入れること
長い坂道の途中で 行きつ戻りつ 探している。
先日、古本市ですてきな写真集に出逢った。
「SNOWFLAKES」
雪の結晶にはロマンがあるなあ~。
どうしてこんなふうにいろんな形に出来上がるんだろう?
どうしてこんなふうにシンメトリーにうつくしく作られるんだろう?
すごくふしぎだ。
雪の結晶のホンモノの現物を見たのは
19歳くらい、初めて行ったスキー場でのこと。
わたしの黒っぽい手袋の上に舞い降りた雪が本当に結晶のカタチをしているのを目にした時
まるで見えるはずのない妖精をみてしまったような、ものすごい驚きだった。
きっとわたし、雪の結晶って肉眼でみえるものだとは思っていなかったんだな。
顕微鏡レベルでしか見えないものと思い込んでいたのだと思う。
あの時の驚きと感動は、今でもここに想い出せるほど強烈な体験だ。
最近、そんなふうにこころの底から驚くような新鮮な体験ってあったかいな?
いろんなことが当たり前になりすぎちゃうのは、もったいないなあ。
本当は、そこにもここにも感動のタネは埋まってる。
ちょっと、目からウロコを自主的に落として(?)
あたらしい眼差しで周りを見てみましょうかね~。
雨まじりの日曜日、中学校の体育祭が行われた。
三人の子どものそれぞれの運動会・体育祭に
長いこと足を運んできたものだけれど
気がつけば、末娘も中三。これが最後の体育祭。
こうして地元のいろんなひとと、次から次へと顔を合わせて
立ち話をするような行事は最後なんだなあ・・・と思うと
ちょっと感慨深い。
同じく今年がラストのお母さんとしみじみとそう語り合う。
小さなころから知っている男の子たちは見上げるように大きくなって
組体操の掛け声はもうほぼオッサンだ~。
なんだか、大きくなったいろんな子を見ていたら
みんなの成長に おばちゃん、ちょっと涙がでちゃう。
この先、それぞれの道へと進んでいく子どもたちの輝く未来を
勝手ながら応援したいキモチです。
どの子もどうかしあわせに。。。
多摩川の河川敷。「もみじ市」にお邪魔してきました。
年一回のこのすてきなイベント。これまでなかなか都合がつかず今回初めて訪れることができました。
ものづくり仲間のkさん&mちゃんといっしょ。
夏が名残惜しさにチカラを振り絞ったような暑い一日でしたが、
時折川を撫でて吹いてくる一陣の風が心地よい河川敷の時間。。。
洗練された作家さんたちのさまざまな作品やアンティークなどなど、ゆったり並んだ市です。
すてきな作品。おいしいたべもの。川を渡る風。草いきれ。
「もみじ市」いいですねえ。
そして、この青空の下、芝生に座って聴く高野寛さんのライブも何ともキモチのいいものでありました。
そうだったのか~~~。
怒りも自分のものだったのか~~。
とある講演を聴きに行き、思いっきり我が身を振り返ってしまった。
そうか。そうだったのか。
怒りは、他者の言動がきっかけで起こることが多いけれど、
それに対して不満に感じる自分が自分を怒らせているわけなのか。
怒りの所有者は自分。
わたしはずっと「怒り」をひとのせいにしていたのだなあ。
気づかせてもらって有難いなあ。
自分のものだから、自分でケリをつけるよう 気をつけたいと思います。。。!
昨日の夕暮れ、雲の切れ間に現れ出た月は
自転車を飛ばして家路を急ぐわたしの足をも留めるほど
うつくしいものでした。
ほんの束の間、雲間に輝いたかと思うと
すぐに姿を隠してしまった大きな月。
今日が中秋の名月だなんて思いもせずにただ見惚れておりました。
いつの間にやら夏は過ぎ、もう9月も半分なのね~。
帰り道、こころにふわふわと湧き上がってきたのは百人一首の一句。
「・・・雲隠れにし夜半の月かな~」
けれども、思い出そうとしてもどうしても上の句がでてこない~~~。
夜になってから本を開いて、やっとスッキリ。
「めぐり逢いて 見しやそれともわかぬ間に 雲隠れにし夜半の月かな」 紫式部。
意味は、「やっと逢えたというのに、あっという間に(雲に隠れる月のように)
あなたはすぐに帰ってしまうのね」
この句は、恋する句のように思われがちですが、久しぶりに逢えた幼友達のことを詠った歌です。
今夜の中秋の名月はすっかり雲の向こうです。
昨夕の月。隠れる直前、チャリを停めて一枚!
なかなか善いニュースが聞こえてこない中、
久しぶりに ああ、よかったなあ・・・と思う。
「高速増殖炉もんじゅ、廃炉に向け最終調整。」
ようやくですね。
よかったね、もんじゅ君。
娘と行った「さようなら原発集会」暑い暑い夏の日でした。
2012年7月、代々木公園にて。もう4年も経ったんだ。。。
原発事故から五年半。まだまだ何にも終わっていません。
古本屋さん、古本市などなど古本の並ぶ場所ってとてもすき。
作家の名前をひろって歩いたり、漠然とタイトルを目を追ったり
はたまた、出版社名でざっくり見ていったり。
大きな古本市だとすっかり古本の海に潜ってしまい、ハタと気づくと
映画一本観たくらい時間が経っていて驚く。
それでもぜんぜんピンとくるものに出逢えない時もあれば
持ちきれないほどいっぱい出逢っちゃう時もあり、古本はまさに一期一会。
今回の古本まつりでは
小林秀雄氏が講演CDの中で、学生たちに(昭和40年代当時の学生ね)
読むよう薦めていた哲学者アンリ・ベルクソンの本を数冊見つけたのでチャレンジ購入。
岩波文庫の古くてめちゃ薄い本(100円也)なのだけれど、中身はぎっちりぎちぎちに詰まっています。
小林秀雄先生が講演CDで語ってくださる分には、ベルクソンにもたいへん興味が湧くのでありますが、
さあ、実際この哲学書、わたしに読めるでしょうか~。
ま、これもご縁。恐れず未知の山に分け入ってみようと思います。
小林秀雄氏と数学者・岡潔氏との対話本、1965年発行の「人間の建設」もみっけ。
「史上最強の雑談」ってコピー惹かれます。これまたとっても面白そうです。
読みたい本がわたしを待っていてくれているって思うだけで
勝手にわくわくしてきちゃう。
ちなみに今、夜な夜な読んでいる本は、
恩師T先生からいただいたサマセット・モームの小説解析書(?)「世界の十大小説」。
上巻の序文を読んだ後、最近読んだばかりの「ボヴァリー夫人」の章から突入。
ふうううむ。なるほどなあ。。。とても勉強になります~。
本はほんっといいですねえ^^
カウント・ベイシーの音楽を聴くと、いつもなんだか文句なしに元気が出てくる。
開催のたびにのぞきに行く「古本まつり」のレコードコーナーで
サミー・デイヴィス・Jrとカウント・ベイシーのアルバムをみっけ。
「OUR SHINING HOUR」という一枚。
アレンジはまたまたクインシー・ジョーンズ。
これは1965年リリースの輸入盤。
カウント・ベイシーは、いろんなミュージシャンと組んでいるけれど
サミー・デイヴィスとも共演していたのね~。
実はもう一枚、ヘンリー・マンシーニ のアルバムもみっけ!
ジャケットで、初めてお顔を知りました!
ムーン・リバーでお馴染みのひとも多いヘンリー・マンシーニは
映画音楽を広く手掛けていた音楽家。
だいすきな映画「ナタリーの朝」「いつも2人で」のテーマも入っていて
これはうれしいなー!ヘンリー・マンシーニご本人のピアノ・ソロがすてきです。
古いけれどあたらしい一枚。
何に出逢えるかわからないごちゃまぜ中古レコードのコーナーはまるで宝探し。
つい引き寄せられてしまう魅惑の空間です♪♪