この季節になるとあちらこちらの道端で揺れるオレンジ色の花。
街路樹の根元や、路地の雑草に混ざって咲く可憐なその姿。
この10年くらいで、特に増えたような気がするね。
毎年、この花を見かけるたびに、なんていう名前なんだろう・・・と思いつつ
わからないままだったのだけれど。。。
ある日突然 答えが降ってきました。
mさんのblog記事に
あのオレンジの花のかわいらしい写真が!
「ナガミヒナゲシ」という名前なんだそうです。
こうして、図らずもふいに謎がとけるフシギ。
おもしろいなあ。 ありがたいなあ。
先日てづくり仲間のkさんと行ってきました。日本ホビーショー2014。
東京ビッグサイトへ行ったのは、思えば初めてのこと。
なんだか、でっかいのねえ。
「なんか天井の穴にヒュ~と吸い込まれそうだよね」とkさん。
うんうん。なんだか巨大なカニロボットみたいだ。
と、おのぼりさん状態なわたしたち。
いくら埋め立てた土地とはいえ、無駄に広い。なぜに?
昔、十代の終わりから二十代の初め、家族でモノレール沿線に暮らしていたころ
この辺りにはまだなにもなかった。
ゆりかもめはもちろん、天王洲アイルの駅も出来ていなかった頃のはなし。
お台場、といえば 「ウィンドサーフィンの場所」って認識だったし
有明コロシアムがぽつんとある感じだったかな。
大井ふ頭の先端あたりの堤防へ自転車を飛ばしてよく行った。
あのころは、あの辺りも倉庫と草っぱらしかないような場所で、
釣り人もまばらな堤防に
寝そべってのんびりと海を眺めたり
本を読んだりしている時間がすきだったんだ。
時々、当時飼っていた猫を自転車のかごに乗せて連れて行ったりもしていたなあ。
Google mapで、ビッグサイトあたりを見てみたら
寝そべって海をみていたあの堤防の視線の先あたりに位置することがわかった。
そういえば、いつでも赤い大きな工事のクレーンが視界の先の海の向こうに
みえていたような気がするなあ。
さて、時を現在に戻して、ホビーショー。
とてもおもしろい展示会でした。
いろんな作家さんのすばらしい作品に大いに刺激を受け
制作意欲をじわじわとかき立てられました~。
来月の恒例のてづくりイベントに向けて、いざ始動です。
娘におみやげのニットゴムと、
いい感じの麻生地etc. 購入。
さあ、何つくろうか!
山本有三記念館のお屋敷を堪能し、ランチでおしゃべりのあと、
電車に乗るまでに小一時間ゆとりの時間が生まれた。
この度初めて降りた「三鷹駅」。
mさんと、どんなお店が入っているのかなと駅前ビルへ立ち寄ってみると・・・
こんなところに美術館が!
「マリー・ローランサン展」のポスターをみつけて
入ってみることに。
三鷹市美術ギャラリー「マリー・ローランサン展~女の一生~」
いわさきちひろがこよなく愛したローランサンの絵。
数年前にちひろ美術館で観たかわいらしいローランサンの絵と違い
こちらは優雅な女性らしさを集めたもののよう。
寂しげな儚い表情の女性が多い。
mさんが呟いた、 「きれいで不健康そう」 というコトバが正にぴったり。
ローランサンの絵は、どれも全部グレーがたくさん使ってあって
みずうみの底にある別世界みたい。
きらいじゃないけど、わたしは 部屋に飾りたい とは思わないかな。
こちらまでみずうみの底のような静謐な気持ちにさせられてしまう。
観ているうちに、グレーのせいだけじゃなく
あの光のない瞳のせいだと気づく。
気づいてしまったら、
どれもこれもダークな瞳に白い絵の具でぽちっと光の点を描いたなら・・・・
という妄想に遊んでしまった。
いや、でも、目に光があったらもうマリー・ローランサンの絵じゃなくなるね。
もはや芸術への冒涜ですね、すみません。
油絵よりも、むしろシンプルなエッチングの方が魅惑的な
今回のローランサン展でありました。
最後に飾ってあった晩年の彼女の写真。
おばあちゃんになっても絵筆を握っているローランサンが
キッチンからそのままアトリエに座ったようなエプロン姿で
ちょっとおちゃめな表情で振り返っている。
波乱万丈な人生であっても、やさしく柔らかなタッチで女性を描き続けた
マリー・ローランサン。
しあわせを自分で掴み、愛の溢れる充実した人生だったのだろうなあ・・・
何故だかこの一枚の写真にほっとした気持ちになって
展覧会を後にしたのでした。
三鷹市にある「山本有三記念館」へ。
「空気ノキヲク。」のmさんが以前すてきな写真を撮ってらしたこの御屋敷。
春の温かな陽射しの中、写真さんぽへ出掛けてきました~。
大正15年に建てられたこの洋風建築の旧山本有三邸。
この時代の他の邸宅と同様、戦後は進駐軍に接収され
山本有三氏が実際に暮らしたのはほんの10年余りのこと。
その後国立国語研究所として利用され、東京都に寄贈されたのちには
「有三青少年文庫」として長く運営されていたそうです。
当時の写真パネル。
文化的な歴史に彩られたこの有三邸は、何とも風情があり
けして煌びやかでなくしっとりと落ち着いた温もりの伝わる御屋敷です。
階段も、漆喰の天井飾りも、アーチ状の窓・ドアも、なんという品の良さ。
ドア飾り、錠などなど、あちこちの細部がうつくしく、とてもとても魅かれます。
この御屋敷は庭園も素晴らしい。広すぎず狭すぎず、なんとなく日本人にしっくりと丁度いい広さ。
白と薄桃色のはなみずきが光に透けてとてもきれいでした。
葉の萌ゆる桜の巨木も。桜の季節もいいでしょうね。
テラスのこのさざ波のような階段も魅力的。
入口の門がとても可愛らしい造りになっています。おとぎの国の城門のよう。
ご近所なら、毎日さんぽしたいわ~。
ブロニカで撮った数枚の出来上がりもたのしみです。
東京都三鷹市「山本有三記念館」はJR三鷹駅から徒歩15分ほど。
川沿いのつつじの道をまっすぐ行くと右手に現れます。
なんとも気持ちのよい、きみどりの風カヲル初夏一歩手前の一日でした。
mさん!ありがとうございました。
20代前半に転職入社した今はなき小さな出版社。
かなり個性の強いひとびとの集まりで毎日がお祭り騒ぎのような
不思議な会社だった。
初期の女子メンバーで数年ぶりに集合。
実はそのうちのひとりが病から仕事に復帰した快気祝いの集まりなのでした。
今回集まったのは7人。
ほとんどが 転職組なので、同期というわけでもなく
部署も編集・制作・経理・営業とさまざま。
年齢もほぼ同年代だけれどさまざま。
同じ時代に同じ場所で同じ空気を吸う・・・ って、これもご縁なのね。
これまたバラバラと別の会社に移った後も
時々OG会として集まって飲んではいたけれど
それぞれに子育てやら、結婚・卒婚やら多忙な30代にはなかなか集まれず、
近年やっとゆっくり集まれるようになったところ。
40代って、再び「自分」を生活の真ん中に持ってこれる時期なのかもね。
それにしても、出逢って四半世紀以上の時を経て
こうして仕事仲間で集えるって貴重なことなのかも。
あの頃、みんな20代だったのに
一人前のおとなのつもりでいたよねえ。
すんごいガキだったのにねえ と笑いながらも
今も実際あまり変わっていないところがまたいいのかも。
そうは言っても四半世紀。
それぞれの上に、ひとことでは語れないさまざまな出来事があり、
変わらないように見えても、そのココロは強く逞しく雄々しく!なっているよね。
そのままその道のスペシャリストになっているひと、
別の道へ進んで極めているひと、さまざまな道。。。
根なし草のように漂ってまだ途上にいるのは・・・わたしだけか?
まあね、それぞれだからね。
(わたしはまだ成長途上ということで!?)
逢うたびに凄まじくキョーレツな刺激をもらえるたいせつな仲間です。
こうなったらみんなで一緒に還暦祝いも、出逢って半世紀祝いの会もしよう!
と誓い合う 頼もしいアラフィフ女子のわたしたちなのでありました。
元気な顔がみれてホッとしたなあ。
いろんなガタのくるお年頃。とりあえず、健康診断は行っときましょう。
かわいいのみっけ。
めちゃかわいいんだけどね、
「イースター」っていつの間にか「うさぎ」と「たまご」だけで
イベント化されつつあるけれど。。。
果たして、イースターとは何ぞや。説明できるひとってどのくらいいるんだろ。
わたしはできない。
「復活祭」というキリスト教の行事。としか知らない。
宗教行事なのに、なんだか軽薄に扱いすぎないか?
なんでもかんでも商業ベースに乗せすぎ~。
乗せられすぎ~。
どうしたら 涙をとめることができるのだろう と
途方にくれるひともいるなか
泣くための「涙活」とやらに集ってわざわざ泣くひともいる。
涙はストレス解消にいいとはいうけれど
それは思わず知らずこころが動かされて流れる涙や
悲しみを軽減するために自然に流れる涙に於いて、なのではないのかな。
泣くことがない というのは 「じゅうぶんしあわせ」ってこと。
予期せぬ病と闘い、生きるために勇気を振り絞って治療に挑むひともいるなか
美容のためだけにメスを入れるひともたくさんいる。
なにがエライとかエラクナイとか
誰が正しくて誰が正しくないとか
そういうことではなくて
それぞれの真逆の立場のひとも世の中には居るってことを
忘れずにいたいものだよね。
十人いれば十色。
千人いれは千色。
それぞれの色をじゅうぶんに発色できればそれはスゴイことだと思うんだよ。
それだって、一生かけてもじゅうぶんに出来るひとは少ないと思うし。
他のひとの色を羨んだり
他のひとの色を無理に変えようとしたり
ひとは兎角欲張りになってしまいがちだけれど
ありのままの自分を
ありのままの相手を
ちゃんとまるごとそのまま 認め合うことから
始めたいものだよね。
ほんとはね。
なかなかむずかしいことなんだけれどね~。
アマリリスの花が咲きました。
いただいたこの水栽培セットのポットに
夫がめずらしく甲斐甲斐しくお水をあげているなあ・・・と思っていたら
にょきにょきと背が伸びて
突然驚くほどの大輪の花がどーんと開きました。
アマリリスって、こういうゴージャスな花だったんだねえ。
今までそういえば知らなかったんだなあ、わたし。
アマリリスの歌はかわいいメロディーだから
勝手にもっと小振りの ちまちまっとしたお花なのかと思ってたよ。
ユリに似ているけれど、ヒガンバナ科なんだそうです。
またひとつ あたらしいことを知りました。
そら豆のこの収納感。
ふわふわのぴったりサイズの安心感。
なんてすばらしい。なんてかわいいんだろう。
起してごめんね。 という感じ。
自然って、上手いこと出来ている。
ああ!世界はうつくしい。
あっさり塩茹でして宇宙をまるごといただきます。
高野寛さんのライブへ。下北 mona records
高野さんのライブはこの数年来何度か聴きにおじゃましているのだけれど。
いつの時も なんとも爽やかで あたたかいんだなあ。
さらさらとした春風に捲かれるような高野さんの唄声。
「All over, Starting over」 の唄のことばに
しみじみと 過去・いま・未来をおもう・・・。
10年先の自分は、10年先の世の中は、ここからはまるでみえないけれど
目の前の今日を ちゃんとかみしめて味わって生きませう。
しかし、久々のスタンディングは・・・ちとキツイお年頃なのでありました~。
雪さくら
凛と萌ゆ。
桜みたいな・・・つつじ?
今年のベビーリーフ
「石垣すみれ」ちゃん
さくらとおつきさん。みえるかな~
もみじの新芽とお花。
もみじにも花が咲くんだよ~。
近所の用事のついでにちょっとぐるりとまわり道。
芽吹きの季節っていいなあ。
期間限定のいろんな変化に出会えます。
これこれ。 おもしろいなあ この木。
この場所からだけ
枝が指をさしているように見えるんだ。
うっかりすると、どの木だったっけ? と見失う。
この指さす木は、さくらだったんだねえ。
いろんなあたらしいはじまりの季節。
さあ、わたしも歩いていこうか。
指さすほうへ。
もうずいぶん前に亡くなった父方の祖母。
懐かしいわたしのおばあちゃんの夢をみた。
おばあちゃんが一人で暮らしているという設定のアパートを
わたしはひとりで訪ねる。
年齢が巻き戻ってる。
おばあちゃんは60代。わたしはハイティーンってところ。
わたしが子どもだった頃、
江戸っ子ハイカラおばあちゃんだった彼女は
いつも気っ風が良くてパワフルで
ユーモア溢れる楽しいひとだったなあ。
一緒に暮らしたのはほんの一時期のことだったけれど
おばあちゃんと過ごした楽しい想い出はいっぱい。
わたしはおばあちゃんがだいすきだった。
そんな頃のままのおばあちゃんと
アパートのご近所仲間らしき人々と何だかわいわいとテーブルを囲んで
食事をしている光景の夢。
なんだろうなあ。。。屈託なく笑ってるわたし。ただただ たのしくて幸せな夢。
10代に戻りたいわけじゃないんだけれど。
おばあちゃんに逢いたくなったよ。
天国でもこんなふうにきっと楽しく笑っているんだね。
夢でもね、あのままの楽しいおばあちゃんに逢えてうれしかったよ。
もしかして、チョコ持ってお参りにきてよ って呼んでる??
小学生の頃、一緒に行ったお墓参りで
「あたしがここに入ったら、お線香はいらないから
フィンガーチョコお供えしてね」って笑ったおばあちゃん。
新宿のど真ん中にあるおばあちゃんのお墓。
たいてい、思い立ってふと寄ってみたりするので
急なお参りにはお線香も持たずチョコレートだけ買って行く。
(カラスが荒らすので、食べ物は供えて拝んだ後は持ち帰るのだけれどね)
そうだ、もうすぐ命日ね。
久しぶりに、だいすきだったフィンガーチョコを持ってお墓参りに行ってこようかな。
毎年人気者スターになる華々しい木もあれば
いつの日も変わらず揺るぎない姿でどっしりとそこに居てくれる木もある。
マンション建設が決まった古いお宅の敷地に立つ大ケヤキ。
今年も日に日に若葉を広げて、淡い黄緑色に染まりつつあるあの木は・・・
家屋の取り壊しと一緒に、やはり伐採されてしまうのだろうか。。。
街の中に立って、季節の移り変わりを教えてくれるこの大ケヤキ。
遠くからもよく見えるその木は、
夏にはそこにまるで山があるみたいに こんもりと緑色に街を彩ってくれた。
樹齢はわからないけれど、100年近くは経っているに違いない。
伐ってしまうのかどうか・・・持ち主のご主人に聞いてみる勇気はなかった。
聞いたところでわたしに何ができるだろう。
伐ることが決定してしまっているとしても、
きっと苦渋の決断だったに違いない・・・。
大ケヤキは?
木はきっとわかっているような気がする。
自分の行く末を。
長い長い間、共に暮らした人々が去り、電気の付かない家を見下ろして
もうちゃんと悟って受け入れているような気がするよ。。。
なんにも悪いことしてないのにね。
もしかしたら、木を残す方法をとってマンションを建てる ということもあるかもしれないよね。
これまで通りそのままそこに居られるように、ぎりぎりまでわたしも念じておくよ。