今年のさくらは、あれよあれよと言う間に満開になりました。
そんなに咲き急がないで
もっとゆっくりしてってね~。
ふしぎな夢をみた。
ラグナダという町にいるわたし。
案内人のおじさんが
「ここは昔、ボート置き場だった場所を埋め立てたんだ。」と説明してくれる。
古いボートがたくさんひしめく構図が浮かぶ・・・。
ここで、目覚ましのベルで目覚めた。
目覚めてすぐに、忘れてしまわないように
「ラグナダ、ラグナダ・・・」と呪文のようにつぶやく。。。
後に、ラグナダという地名が本当にあったらオモシロイな
と検索してみたら・・・あらまあ。ありました。
現実の町ではなくて、なんと
「ガリバー旅行記」に出てくる不老不死のひとが暮らす村が
「ラグナダ」というのだそうだ。
へえ~!わたし、ガリバーは絵本で読んだ小人の国の話しか知らないよ。
「ガリバー旅行記」では、いろんな国へ旅するらしい。
これはちょっと、
ちゃんと読んで「ラグナダ」へもう一度行ってみなきゃね。
お待ちしておりました。
ルネ・マグリット、13年振りの大回顧展です。
開催2日目。混雑は覚悟の上だったのですが。
あれ?拍子抜けするほど空いていてびっくり。
ま、時を同じくしてここ新美術館では「ルーブル美術館展」も開催中だものね。
2002年のBunkamuraも
1988年の国立近代美術館も
マグリットといえば、常にごった返しの人の波の中で
絵を眺めていた記憶・・・。
こんなにゆっくり観れるなんて思ってもみなかったので
とってもありがたい。週末はそうもいかないかな。
マグリットと言えば、あれ。というほど有名な「大家族」も
「空の鳥」も
昼と夜が同居した「光の帝国」シリーズの一枚も
あれも、これも
またこうして観ることができてうれしいなあ、初めて観るのもいっぱいだなあ・・・と
マグリットの世界観にどっぷり浸りつつも
出口のサインを目にした時に、なんだか物足りなく感じたのは・・・
そうなんです・・・。
とてもすきな「心の琴線」と「無限の感謝」が2枚とも
今回は来ていなかったから~。
贅沢な不足感です。
春休みということもあって、小学生の姿も多かったかな。
マグリットは、風景画や古典的な宗教画と違って
騙し絵的な不思議な絵画なので、子ども目線でもオモシロイはず。
でも、さすがの夢想家マグリットも、やはり戦争の影響が色濃くでる時期があり・・・。
少々グロテスクな作品も一部あるので、繊細なお子様にはご注意を。
マグリットはだいすきな画家だけれど
実は、この辺りの作品はわたしも苦手です。
シュルレアリスムの定義は広いのでしょうが
わたしは、陰よりも陽のシュルレアリスムがすきなんだな。
久しぶりに、こうしてたくさんのマグリットの絵を目にすると
自分がすきなマグリットの作品はほぼ後期の
1950年以降のものが多いことに今更ながら気がつきました~。
思えば、マグリットの絵に出逢ったのは確か中学生の頃。
画集か何かで最初に目にした作品は、靴と足が一体となった絵。(「赤いモデル」)
それ以来マグリットの絵を目にするたびに
だんだんと引き込まれていったようです。
不思議なもので、記憶を辿るとオレンジ色のドアを同時に思い出すのです。
それは、中学の美術準備室のドアの色。
美術の先生がとてもオモシロイ先生で、
オレンジ色がすきだからという理由で、美術室のいろんな部分を
ペンキでオレンジ色に塗り替えてしまったのです。
今思えば、公立中学なのに自由のきく時代だったのだなあ。
煙草も教室ですぱすぱ吸っていたしね!
あのマグリットの絵を目にしたのは、オレンジ色のドアの向こう・・・だったような?
あの先生の所有物だったのかもしれません。
時間を約35年分も遡ってしまいました~。
さて、時間を現在に戻しましょう。
マグリット展は2015年3月25日~6月29日まで国立新美術館にて開催中です。
春休み中に娘とも行けるかな~!?
「画集付き前売り券」でゲット!
近年、どこの展覧会の画集も、表紙がすごくハード。。。(流行り?)
立派で素敵な装丁なんだけれど・・・重いんだなあ、これが!
今年最初にみつけた桜の花は、六本木・国立新美術館の敷地内でした。
国立新美術館の敷地内に、この一角だけ古い空間が残っています。
昔の大きな建物のほんの一部、入口部分のみを残したということ。
この建物は、元旧陸軍歩兵第三連隊兵舎。
二・二六事件の将校たちが、あの雪の早朝、
ここから出陣して行った・・・という歴史を持つ場所。
若い桜の木は、そんなことはつゆ知らず
今年も花を手向けます。
場所に積もる時間。
どんな場所も、見えるものだけしか目には映らないけれど
そこには、たくさんのみえない時間が降り積もっているのです。
自分が、そこに立って居るというその一瞬の時間も
次の瞬間にはもう過去のみえない時間。。。
さくらを眺めるように、時にはその場所のみえない空間に想いを馳せて
廻る時間を見つめてみるのもいいものです。
ご縁があって、自分の作品が遠方へと旅立つと
行ったことのない街も、自分の足で踏みしめたような気分になる。
知らない街で、お逢いしたことはないその方が
わたしの手が生み出したBAGを肩に
闊歩する図をこころに描く。
足どりが軽くなる「ひとつの理由」になれたらウレシイナと思う。
作品が無事届くまで、子どもをひとり旅に出したような気持ち。
到着の、あたたかいお知らせをいただくと
心底ほっとして
モノとヒトのご縁に
こころの温度がふわりと上昇する。
モノヅクリのしあわせ。
ひととひとのご縁のしあわせ。
ああ、しあわせだなあ。
能天気でばかみたい。って思われそうだけれど
しあわせだなあ~って 言ってると
ちっこい幸福がころころと
磁石みたいに吸い寄せられて集まってくるような気がする。
すべてがバラ色!みたいなのを「しあわせ」というのだと
昔は思ってしまっていたけれど
いつからか、わかってきました~。
全然バラ色なんかじゃなくて、自分があちこちほつれてキズだらけでも
ほんの刹那、ふわりと感じるココロのぬくもり・・・
それが、ちっこくてもひとつひとつの「シアワセ」なんだということを。。。
って・・・あんた誰?って感じですね。
宗教家でもなんでもないのだけれどね~。
自分自身、そういうキモチを忘れないように
書き留めておこうと・・・(^。^;)
(このブログ、健忘録になってきております)
それにしても、うんと若い頃よりも
ささやかな小さなコトにも
こころが大きく反応するようになった気がする。
感動しすぎるし、涙もろいし。
これが、まるくなるっていうことなのかな。
あ?それとも更年期??
まあ、どっちだっていいやね。年齢を重ねるって案外すてきなことだなあってことも
わかってきました。
女性ボーカルでは、サラ・ヴォーンが昔から一番すき。
彼女の声からは、ひとを落ち着かせるアルファー波かなんかが
出まくっているに違いない。
このところ、スリープタイマーをかけてサラ・ヴォーンの声を子守唄に眠る。
真夜中に目覚めて眠れなくなったときは
「I've Got Crush On You」をリピートで。
歌詞はちょっと脇に置いといて、声とリズムがなんとも心地よいのですねえ。
この曲が入っているのは、
サラ・ヴォーンがガーシュウィンを歌う極上のアルバム
「Tne George Gershwin Song Book」
自分専用の鎮静効果のあるおんがくを常備しておくと、何かと便利(?)です♪
ともだちに、イベントのお知らせをいただき
行ってきました。
今月末に解体されてしまう昭和初期のお屋敷、旧高田邸。
「旧高田邸と国立大学町 85年の物語」というお別れイベントが行われています。
この日はちょうど、ゆる市という手づくり市が開催されていて
それもたのしかったのだけれど、ヒトが多すぎて部屋の持つ本来の佇まいを感じるのはムスカシイ。ざんねん。
医者であり作家であったという高田氏の書斎。
明るい二面の窓が素晴らしい。
ずらりと並ぶ鴎外全集。鴎外の「東京方眼図」も!(本物?ははじめて!)
程よい広さの庭には、年月を感じさせる木々やその若木が。。。
既にかなり伐採されていたようですが。
85年という長い長い年月、少しずつこの場所に積もった時間は・・・
解体され、更地にされたらどこへと消えてしまうのでしょう。
しっかりしがみつく木。
石塀に絡まるツル植物の新芽が、哀れでありました。
解体前の公開は2015年3月25日までです。
3月の香り。
だいすきな沈丁花の香り。
この世でいちばんすきな香り。
2番目は
フリージア。
黄色のフリージア。
3月生まれの母がとても好んでいた香り。
ひまわりのようなまあるい笑顔の可愛いひとだったから
黄色の花がよく似合ってた。
当たり前みたいな顔をして春は
今年もこうしてやってくるけれど
当たり前なんてものはこの世にひとつもないってことも
もう十分わかってしまっているから
ふいに 何処からか流れてくる沈丁花の香りに
歩を緩め
何処で咲いているのかと
香りを届けてくれたその花の姿を
捜す ほんの少しの時間のゆとりを
たいせつにしたいものだなあ・・・
と こころから想う 新しい春です。
コラージュ油絵に挑戦中。
あえて、モノクロ。(色はご想像ください?)
わたしのすきな場所。
子どもたちが小さい頃からお世話になっていた絵画教室「つみき」。
今ではわたしが
たま~~~にお邪魔して「お絵描きの時間」を過ごしています。
月一回ペース、一年掛かりで去年初めての油絵を仕上げ、
今回はまだ2枚目の2回目。
コラージュはずっと前からやってみたかったこと。
捨てられずに手元にある、昔のちいさなガラクタや
昔の旅の想い出の切符などの紙モノをぺたぺたと塗り込めて行く予定です。
いつでも、わたしのやりたいようにやらせてくださる、懐の深い優しいせんせい。
わたしの頭のなかに漠然と漂っているイメージを
現実のカタチとして手から生み出せるようアドバイスをくださる。。。
陽の当たる教室で、キャンバスの中に埋没して過ごす数時間は
日常からは遠く離れた異次元のよう。
キモチはすっかりリセットされて
新鮮な自分を取り戻せるような・・・そんな感覚さえしてきます。
帰り道には、見上げる空の雲さえも
白い絵の具の筆の跡に見えてきてしまいます。(単純です。)
日常の中のほんのちょっとの非日常。
たいせつにしたい時間です♪
初公開!?こちらが一枚目。ドアだけ立体にしました。
ヘタでもいいのよ~。たのしい最初の一歩です。
耳って、開けっ放しなはずなんだけどな。
ふしぎなことに、開いたり閉じたりするんだな。
耳とココロって実は直結してるのかもねえ。
あれ? 耳に心で
あらやだ恥かしい?
苔のみどりのグラデーション。
もうひと月、経ったらきっともっとキミドリ色が殖えて
春のヒカリに明るい表情を見せるでしょう。
自然が創りだす 生きているアートには
なにびとも かないません。
自然は、厳しいけれどやさしい
身近な師匠です。
ウェラブル・ウォッチ。うぇらぶる・・・。
カタカナ言葉は増える一方ですね。
お年寄り目線で俯瞰からみてみると、
日本語はどんどん退化している?
先日、「のっぴきならない」って言ったら
ともだちに、久しぶりに聞いた!って笑われた。
そういう彼女も「くわばらくわばら」とか言ってる。(笑)
ちょっと前には普通に使われていた日本語も
こうして消えていくんだなあ。
名詞もカタカナにどんどん置き換えられていく。
そんな中、改めて気づく、変わらない名詞を見つけると、
ちょっと嬉しくなったりする。
そのひとつ。「下駄箱」
最早だあれも下駄なんか入れないのに
いまでも「下駄箱」というコトバは健在。
こういうの、なんかちょっとオモシロイ。
玄関の下駄箱。 学校の下駄箱。
小中学生の頭の中では、「下駄箱」は「ゲタバコ」ってカタカナなのかもね?
消えゆくニホンゴ。残るニホンゴ。
なんでもカタカナにしちゃうのも考えものですね。