時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

キューピーの雛人形

2010-02-28 | essay
人形好きなもので、うちにはたくさんの
お雛様がいらっしゃる。

自分の団地サイズのお雛さん。
昭和初期の、母の形見のお雛さんと
大正時代の伯母の形見のお雛さんまでうちにある。
わたしが嫁にきた時の荷物は、
一軒の引越しと同じくらいあったような。。。!

それから娘のために、奈良で買った一刀彫のお雛さん。
あとひとつ。母から贈られた
キューピーのお雛さんがある。

これはとっても可愛い顔をしていて、
癒されるのだなあ。

お雛さんって、そもそも「婚礼の儀」なんだよね。
娘、8歳。嫁ぐ日なんてまだまだ考えられないけれど、
この前保険のCMで、バージンロードを歩く父娘の姿と
じゃり道を歩く幼いころの娘と父の姿が
交互にオーバーラップするシーンで、
思わずぐっときてしまった。。。
「いつかお嫁にいくんかな~さみしいな~」と一緒にみていた娘に言ったら、
「いかないよ!」と彼女はすでに涙をティッシュで拭いていた

もお~っ。涙もろいの遺伝しちゃったね~!
まだまだそばにいてハハを癒してね。

さよなら図書館

2010-02-26 | 本 のこと

この街で暮らすようになってもう17年。

よく足を運んだ、近くの図書館がもうすぐ閉館する。
新築のビルへ引っ越すだけなので
不自由はないのだけれど。。。

エレベーターもない古い文化会館の
4階にある小じんまりとした昔ながらの図書館が
わたしはすきだった。

よちよち歩きの子どもたちを励ましながら上った4階までの階段。

踊り場に動物の絵の小さな看板が置いてあり、
そこに向かって、その動物の足跡が階段に描いてある。
もうほとんど擦り切れてしまっているのだけれど、
きっと十数年以上前の図書館員さんが、
子どもが4階までがんばって階段を上る励みになるようにと
工夫を凝らして作ってくださったものなのだろう。

おかげで、お猿さんいるかな~?とか、次はだれかな~?
とか言いながら子どもと踊り場を目指していつも上っていた。
自分もおおきなお腹を抱えて、
息を切らしながら上った日々もあったなあ。

やっと4階につくと、いつも「図書館はアリさんの声だよ~」って囁いて、
小さな声で喋らせるのに苦労したものだ。

図書館は、たくさんの物語を内包する生き物のよう。
どの図書館も、その図書館だけが持つ、
そこにしかない独特の空気と時間がたゆたう。

今度の新しい図書館には、
また違った新しい時間が息づきはじめるのかな。

長いことおつかれさまでした。
たくさんの思い出をありがとう


アンドレア・ボチェッリ

2010-02-25 | MUSICのこと

7~8年くらい前、たまたま耳に飛び込んできた一曲の歌。

人間の歌声にあんなにこころを揺さぶられたのは初めてのこと。
アンドレア・ボチェッリの「Con Te Partiro」
イタリア語だから歌詞の意味も分からないままに
衝撃を受けるほど感動。。。
眠っている、赤ん坊だった娘を抱っこしたまま、涙がはらはらと。

世界的に有名な、イタリアの盲目のテノール歌手。
ANDREA BOCELLI アンドレア・ボチェッリ

洋楽ばかりだったわたしが
それ以来、すっかりファンになってしまった♪

サラ・ブライトマンとのデュエットの
「Time To Say Goodbye」で、より有名なこの曲。
わたしはイタリア語のソロのほうがすきだなあ。

今まで、もっと有名なひとのテノールの歌声を耳にしても、
こんなにふうにこころが震えることはなかったのに。
アンドレア・ボチェッリの歌声は格別。

なぜこんなにも素晴らしい声で
こころに伝わる音楽を発信できるのだろう?

以前、図書館で見つけた彼の自叙伝を読んでみた。
なるほど、あのおおらかな歌声は
お人柄からにじみ出るものなのだなあ。。。と納得。

彼の歌うものはどれも素晴らしいけれど、
ヴェルディの「女心の歌」は最高。
この歌を聴くといつも俄然元気が湧きでてくる!

彼はいろんなアーティストと共演しているが、
アルバム「AMORE」では、なんと夏川りみ
ともデュエットしている。
「ソモス・ノビオス~愛の夢」彼女の歌声がとてものびやかに
ボチェッリの声と混ざり合って、これもとてもすてき~♪

母がカンツォーネをよく聴いていた影響からか
「帰れソレントへ」が子どもの頃からだいすき。
アルバム「INCANT」にこの曲が入っている。

アンドレア・ボチェッリの歌う「帰れソレントへ」は。。。
もうっ、コトバにできないっ

うっかり屋のわたし…。
あろうことか、あれほど生歌を聴きたいと思っていたのに
去年の初来日公演に気付かず。。。
つくづく自分のボケさを悔やんでいたら、
次の4月に一夜限りの再来日公演が!
あぶないあぶない~~またうっかり逃すところだった。

ボチェッリのファンは周りには全然いないけれど、
ひとりでも行っちゃうよ!

もう今からワクワクしてしまうなあ


花束と箱入りチョコレート

2010-02-24 | essay
五年生の次男のクラス懇談で学校に行ったら、
よそのお母さんに、突然「ハッピーバースデー!」と
ささやかれた。
びっくりして「なんで知ってんの!?」と尋ねたら、
息子さんが、うちの子に頼まれて、
わたしの誕生日プレゼントを買いに行くのに付き合ったのだという。
そういえば、Mくんと買い物に行ってくるねって言っていたなあ。

懇談会から帰ると、「はい、おかあちゃん!」と
なんとだいすきなチョコレートBOXとハーゲンダッツのバニラが!
泣けるなあ
そういえばしばらく前から、やたらとチョコの話と
ハーゲンダッツの中で何味が一番すきかって話をしていたっけ。

しかし、お年玉から使ったとはいえ、
800円くらいは散財しているよ~

自分でもよそへのお遣い物にしか買わない箱入りチョコレートを
11歳の息子からプレゼントされるなんて思ってもみなかったよ。
嬉しいやら、戸惑うやら。
でも今度はお金を使わなくていいからね~

彼は、真ん中っ子らしく、我が家で一番自立心が強い。
もうだいぶん前から、「俺、早くひとり暮らししたい!」などと言う。
彼は三人の中で唯一、へその緒も早くとれたし、
おっぱいも自ら断乳した強者の赤ん坊だった。
本当に早く手元から巣立ちそうで淋しいよ・・・。

もっとゆっくり大きくなってほしい次男なのであった。

娘からはかわいい手作りの花束とお手紙

期末試験中の長男は、同じ誕生日なので!同じ日14歳に。
ジャスト30違い!自分の歳を忘れなくていいわ~。

やさしい気持ちをありがとうね。

子どもの成長って、ほんとうにあっという間なんだなあ

奈良人形のおひなさん

2010-02-23 | essay
八年前、三番目に初の女の子誕生。
初めてのわくわくするお雛さん選び♪
なかなかこれだ!って思うものに出逢えず
先延ばしになっていたときに、
待っててよかった!と思えるお雛さんに出逢った。

娘が一歳三カ月の頃、
奈良に一家で旅行したときに、
引き寄せられるように立ち寄った、一刀彫のお店。
奈良市内の《白鹿園》。
ここの木彫りの小さなお雛さんにひと目ぼれ

奈良人形と呼ばれるこの一刀彫は、
いにしえの頃より伝わる伝統工芸とのこと。
詳しく知らなくても、もうこの一体4センチほどの15名様に
すっかり惹かれてしまった。

それに、実際にこのお雛さんを彫られた、
優しいお人柄の人形師の染川宗進さんと
直接お話しをしながら人形を選べるところがまた魅力だったのだなあ。
年月が経つほど、木に味わいが出てくる、と聞いて
こころは決まった!

以来毎年、この時期になると丁重に丁重に扱って飾っている。
(子どもたちには決してキタナイ手で触らせないっ!)
娘は小さかったから、このお店のことを覚えていないけれど、
大人になって奈良に行くことがあったら
訪ねてみてほしいな~

映画「Spanglish」

2010-02-22 | 映画 のこと

「スパングリッシュ」2004アメリカ映画

白人社会とヒスパニック系社会との狭間に揺れるメキシコ人母娘。
典型的な裕福な白人家庭の情緒不安定な母に翻弄される娘。
淡々としたハート・ウォーミング系の映画なのだけれど、
ちょっと盛り沢山過ぎて消化不良気味な感も少々あり。

けれども、そんな中、キラリと光るシーンが

子どもの性質を、確固たる口調で褒められ、
父親役のアダム・サンドラーの言うコトバ。

 「あの子の良さをわかっているつもりだけれど、
  ひとに言われるとすごくホッとする」

このセリフに共感!!

子育ては自問自答の連続。
その子の良さを親としてわかっているつもりでも、
こころは揺らぐ。
そんななかで、家族以外のひとから
我が子の良さを、そのひとの言葉で語られると、
ほんの短い言葉であれ、とても救われる気持ちになることがある。

うちの長男は筋金入りのマイペースで、
周りと自分を比べることもなければ、
焦るとか、悔しい、とかそういう感情の発露が
全く見られないタイプ。

親としてはもっとも歯痒いタイプの子どもかも。
やればできる(かもしれない!?)のに、
スイッチがはいらない。

六年生の時に、近所の算数教室の先生
(教職を退職されたシルバーご婦人先生)に
少しそれをこぼしたことがあった。

すると先生は、きっぱりと
「おかあさん、○くんはだいじょうぶ。
こういう素直な子は、この先に必ずのびるから!
勉強だけ出来ても、こころが曲がっている子も
たくさん見てきたからわかるの。
私は○くん、とても楽しみよ。」
と話してくださった。
額面通りにそのまんま受け取る性格のわたし。
先生のコトバに思わず泣いてしまった。

どんな親でも、我が子の良さをちゃんとわかっていても
いつだって、これでいいのか、間違っていないか、
手探りで進むだけ。

そんなときの、啓示のようなひとことは
親にとって、トンネルの先の明り。
渇きの中の一杯の水のよう。
あの時の先生の言葉にこころから感謝している。

彼のスイッチは、いまだ明瞭にONには
なっていないのだけれどネ!
半ONや半OFFとかもアリだってわかってきたから
少し俯瞰な目線で見ていられるように
親としてちょっと成長したかな。

ワン・シーンのセリフで、そんなことをあれこれ想い出した、
映画「スパングリッシュ」だった。


マロングラッセ

2010-02-21 | essay
わたしにとって特別なお菓子、マロングラッセ。

だいすきだけれど、特別なお菓子だから
自分で買っては食べない。
ひとり暮らしを始めた頃からだったかな、
誕生日になると母が毎年贈ってくれるのが恒例になっていた。
わたしにとって、2月だけの特別スイーツなのだ

母が亡くなって、最初の誕生日。。。
マロングラッセを贈ってくれたのは。
わたしのおねえちゃん。
母のあとを引き継いで毎年わたしに
あの特別なお菓子を食べさせてくれる

ちょっと心配症で、女王様なお姉様
いつもありがとっ。
子どもの頃は、絶対服従の姉だったけれど、
おとなになってからは、何でも話せる心友

う~ん、美味しい!
しあわせだ~


とり と しずく

2010-02-20 | essay
ものづくり☆ダイスキ。

春と秋の年に2回、友人たちと
《一日だけの雑貨屋さん》というイベントを開催しているのだけれど、
来週末は、大きなイベントに初めて参加することに!
 (2月27日*所沢MUSEにて*第40回手作り雑貨マーケット!)

イベントに向けての作品づくり
店番しつつ、ちくちくちく。
ひとつひとつ思いつくままに作るので
どれも世界で(!)ひとつだけ

何処かにいるまだ見ぬ誰かさんの
お気に入りの一点になれたら嬉しいなあ。


 
 とりモチーフシリーズ、本革アップリケのブローチとヘアゴム



 だいすきなしずくモチーフの本革ケータイケース


お近くの方は是非のぞいてみてくださいね。
80ブース参加の手作り雑貨のおまつりです

飴とベビーカーの頃

2010-02-19 | essay
ベビーカーを押さなくなってもう久しい。
末っ子がベビーカーを卒業したころは
なんだか手持無沙汰な気分だったなあ。

長男から数えたら十年近くベビーカーを押す日々を
過ごしていたわけだものねえ。

ベビーカーを手放したときに、
「もうワカイママじゃないんだなあ・・・」と実感した。
(あれ、もうとっくに?)

赤ちゃんを乗せてベビーカーを押していると、
街で見知らぬ年配のご婦人によく話かけられる。
皆さん、一様に「たいへんでわからないだろうけれど、
今が一番いい時なのよ~!」と
懐かしげにしみじみおっしゃる。
もうすっかりオトナになった息子さんや娘さんの
赤ちゃんの頃を想い出してらっしゃるのねえ。

今となっては、もうあの頃のおばさま方の気持ちが
よ~~くわかるわ。

わたしは「赤ちゃん好き」なタイプなので、
子育てを苦痛に感じたことはないのだけれど、
タイヘンな瞬間は多々あった。

長男が2歳、ふたり目の大きなお腹をかかえていたある日のこと。
普段そんなによそで騒ぐことのなかった長男が、
大型スーパーのなかで、我儘からとんでもなく大騒ぎして泣き出し、
ベビーカーにも乗りたがらず、わたしは荷物も抱えていて
にっちもさっちもいかない状態に。。。
なだめてもどうにも収まらない息子に、こっちまで泣きたい気持ち。

よくある光景なのだけれど、普段おとなしい彼ゆえ
こういう状況に慣れていないわたしに
周りの非難がましい視線がたいへん痛切に突き刺さる。

その時、ひとりの見知らぬご婦人がにこやかに
そっと近づいてきてくれて
「落ち着いてからあげてね」と
わたしの手にあめちゃんを2,3個にぎらせてくれた。
お礼を言うのがやっとで、すんでのところで本当に自分まで
泣き出してしまうところだった。

痛い視線もあれば、仏さまのようなひともいる。

今度はわたしの番。
ベビーカーの中のよその赤ちゃんをついのぞきこんで
にっこりしてしまう年代になった今、
あの時のご婦人のように
おおきなこころをひとに分けてあげられる人間でありたいな、と思う。

ベビーカー。
次に押すのはずっと先の孫のためかな??

シルバーカーが先だったりして?

街角の、とあるビル

2010-02-18 | 古い建物 のこと

  

  

    

  


ありふれた雑居ビルの立ち並ぶ街角。
そのなかで黙ってそこに建つひとつの古いビル。

それはふとわたしを呼び止める。

もう二度と巡り合えないかもしれない。

もしも次に通りがかることがあったとしても
もうそれはわたしを呼び止めてはくれないかもしれない。

わたしがわたしのカメラのなかにその姿を収めることに
なにも意味をもたないとしても

そうしてしまうのは
そのものの持つ意思に動かされたから。
それだけで、じゅうぶん。


シュタイン・アム・ライン

2010-02-17 | essay
スイスの絵描き、アロイス・カリジェ(1902~1985)
このひとの絵がすきで、以前スイスを旅したときに、
カリジェの絵を観にあちこち訪れてみた。
クールの美術館では、絵本「ウルスリのすず」の原画にご対面。

そして、カリジェが描いた壁画のある
シュタイン・アム・ラインへも
チューリヒ滞在中に足を延ばしてみた。
この町は「ラインの宝石」という意味を持つ町で、
可愛い家々の壁がこれまた色とりどりに可愛らしく装飾されていて、
広場の真ん中に泉があり、まるで町ごと昔話の世界みたい。

オフシーズンでひと気のない町に、
突然4~5頭の馬に乗ったおじさん方が現れた時には
中世の世界にタイムスリップしちゃったかと思った!
広場の泉で馬に水を飲ませてから、また優雅に去って行った。
泉は飾りじゃなく、現代でも本物の馬の水飲み場なのだなあ。

カリジェの壁画は、ホテル・アドラーの全面にこまごまと
描きこまれていてとっても見応えがあった。
この壁画は意外に新しく、1956年に描かれたものだという。
中世の時代からここにこうして描かれてあったみたいに
とてもしっとりとした趣を持つ。

この町に降り立ったのはオフシーズンのしかもたまたま休日・・・
かわいい小さなお店がたくさんあるのに
ウィンドウから指をくわえて見るだけなのであった。。。!
詰めの甘さが、アバウトな旅の欠点。

でも、ひとつみっけもん。
この町に来る途中、列車の窓から偶然
ライン川の凄まじい滝が見えて、目が釘付けに!
帰り道にシャフハウゼンで途中下車して行ってみた。
(もちろん急いでガイドブックを調べて

穏やかな流れのイメージのライン川に
こんな曝流の滝があったとは驚き!
「ラインの滝」って有名な名所だったらしく、
滝に近づける遊覧船も出ていて乗ってみた。

圧倒される激流に、なんだかすっきりと
こころを洗われた気分だったなあ。

チューリッヒを訪れる機会があれば、
ぜひ、このシュタイン・アム・ライン&ラインの滝へ!

チューリッヒからは列車で小一時間ほどの遠足気分。
しかも、路線上ドイツの国土を一瞬通り抜けるのが
ちょっとおもしろかった。

「あ!今だけドイツ!」って瞬間をお見逃しなく。
もちろん、カリジェの壁画も!

「てんとう虫の歌」

2010-02-16 | essay
「てんとう虫の歌」
このアニメを懐かし~って思う世代はまさにアラフォー!

小二の娘に、面白いの借りてきて~と言われて
アニメのDVDコーナーをぶらり。

うわ~。懐かしいアニメもいっぱいあるのね。
思わず手に取ったのは「てんとう虫の歌」!
原作は「巨人の星」「いなかっぺ大将」の川崎のぼる氏。

両親を亡くした七人きょうだいが
貧乏にめげず力を合わせて明るく生きるハチャメチャコメディ。
いかにも昭和のひととひとの繋がりが
今よりもっと密で人情味に溢れていた時代。

一話一話とても味があって、つい引き込まれちゃう。
二年生の娘もどっぷり!
五年生の次男も「ありえね~!」とか言いながらも
一緒に観入っていた。

小学生がバイトしながら子どもだけで暮らしてゆくなんて
もちろんありえないけれど、六年生の長女月美を母がわり、
五年生の長男火児を父親がわりに、
きょうだいがいろんな問題を起こしながらも力強く生きてゆく

なんか、いいねえ。生きる力がみなぎっている。
現代の子どもにもこういうアニメを放映してほしいものだなあ。

今のアニメを非難するつもりはないけれど、
あの時代のアニメのように、
子どもたちへのメッセージみたいなものが
ダイレクトに伝わってこないように思う。

「てんとう虫の歌」みたいに、泥くさいけれど
等身大の子どもを描くアニメこそ
子どものこころにストレートに入るんじゃないかなあ。

うちの子たちが観るアニメをちらちら観ていると、
一部、ほのぼのとしたものもあるけれど、
闘って切ったり切られたりして流血ものが多いし、
女の子向けのは恋愛絡みが多すぎ!
なんだか、視点がオトナなんだよなあ。
オトナのファンを対象に製作されているとしか
思えないものが多すぎる気がする。
まあ、商業的ないろんな要素も絡んでいるのでしょうが。

今改めて昔の良き時代のアニメを観て比べてしまうと、
この今の時代にこそ純粋に子ども向けのアニメを
作っていただきたいものだなあ、とつい思ってしまうのであった。。。

「てんとう虫の歌」は1974年~1976年まで二年間も放映。
道理で主題歌だって歌えちゃうはずだ!
近所のレンタル屋さんには4本目までしか置いてなくて、
娘は続きを観たくてしかたがないっ。
他のお店を探してみようかな~


上昇気流

2010-02-15 | essay
「いいよねえ・・・悩みなんてないでしょう!」
昔からよく言われるコトバ。

ありがたい!能天気に見えるなら、そんな結構なことはないよ。
でも暗に「阿呆」みたいには言わないでね~。

人間はひとそれぞれ表現の方法が違う。
例えば、転んで同じ傷をつくっても
泣き叫ぶひともいれば、黙って堪えるひともいる。

こころの痛みだって同じこと。
目に見えないぶん、外からはわからない。

けれど快晴の空みたいに、こころになにひとつ悩みのない人間なんて
誰ひとりいないよ。

それをどう扱うか、どう寄り添うかはそのひと次第。

下ばかり見て、つぎつぎに不幸の種を拾い上げ
不平不満をこぼしながら進むか、

前を向いて、ワッハッハと笑いつつ、浮かんでる小さな幸福の欠片を
控えめに胸に抱き入れながら進むか・・・、

それは、自分で決めること!

まど・みちお氏の詩

2010-02-14 | 本 のこと

詩人:まど・みちお

くすっ。と思わず笑ってしまう詩がたくさんあってだいすき。

先日とくダネでまどみちおさんの特集を観た。
ご本人が喋ってらっしゃるのをテレビで拝見したのは初めて。
短い時間でも、お人柄がしっかり伝わってきた。

100歳を超えているのに、あの機知に富んだ受け答え!!
ほんとうに素晴らしい。
いくつになろうと、やっぱりこころが柔軟でいらっしゃるのだなあ。

どんなことにも「WHY?」って思うことがだいじなんだね。

子どもと読もうと思って図書館で借りてきた詩集「いいけしき」。

とても考えさせられた詩をひとつご紹介。
じつに、はっとさせられる。
時には、立ち止まって考えるこころを持たなきゃね。


***************************************

 「 虹 」
              まど・みちお 

 ほんとうは
 こんな 汚れた空に
 出て下さるはずなど ないのだった
 もしも ここに
 汚した ちょうほんにんの
 人間だけしか住んでいないのだったら

 でも ここには
 何も知らない ほかの生き物たちが
 なんちょう なんおく 暮らしている
 どうして こんなに汚れたのだろうと
 いぶかしげに
 自分たちの空を 見あげながら

 その あどけない目を
 ほんの少しでも くもらせたくないために
 ただ それだけのために
 虹は 出て下さっているのだ
 あんなにひっそりと きょうも
  
****************************************


バスにのって。

2010-02-13 | essay
あれはいくつの頃だったのだろう。

母と一緒にバスにゆられていたあの頃。
小さい子は運転のお邪魔になるからと、
決して運転席の後ろの席には座らせてもらえなかった。

あのバスの座席の色は明るいキミドリ色。
伊丹のちゃこのおばちゃんの家に行くバスだ。

ある日、母がもうおねえさんだからと
あの憧れの席に座ることを許してくれた。

あの時の誇らしいきもち。
あの気持ちは今でもそのまんま想い出せる。

できるだけおねえさんらしくいられるようにと
微動だにせず、きちんと座っていた。

右側の隙間から見える、スイッチを操る運転手さんの右手。
魔法使いの手のように見えたっけ。

弟が産まれて「おねえさん」になった頃だったのだろうか。

4才か5才の小さなワタシ。

明るい日射しのバスの中、
キミドリ色の座席の上、
目に見えるほど、ひとまわりこころが大きくなった瞬間の記憶。


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