時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

「すき」の心理学

2012-02-29 | essay

 

すきなもの すきなこと すきなひと。

ココロを健康に保つための必要不可欠な栄養素。

すきキライによる行動の選択は、子どもには許されても
オトナの場合は、いろいろと制約される。
さまざまな抑制がかかるからだ。
そりゃそうだよね。

すきだからって、そればっかりってワケにもいかないし
キライだからって、避けて通るわけにいかないこともある。 

すきなひとに「すき」とは言えなかったり
キライなひとだからって「キライ」と言っちゃあ、身も蓋もない。

それでも、好ましいものには接近し、
好ましくないものは回避するというのがニンゲンの本能というもの。

オトナだからって、本能と直感を閉じ込めて
常識だけに囚われてしまってはカラダとココロによくないよね。

すきなもの、すきなこと、すきなひとを
今、たいせつにしたいものです。
あとで、悔やんだりしないように、ね。




桃とBONBORI

2012-02-28 | essay



この季節が廻ってきて、娘と一緒にお雛さんを出す時間がすき。
自分が母とこうして一緒に飾っていたようにね。

毎年娘のお雛さんを出す時に、わたしのお雛さんも一緒に飾っている。
だんだんガタがきて、去年はガラスケースが自然崩壊してしまい、
今年は、お内裏様のえぼしが、髪の毛と一緒にぽろりん。
憐れなお姿・・・あなた、ヅラだったの~。

飾った翌日、あれ??
と思ったら、いろんなお人形が飛び入り参加していました~。
娘のアレンジ。にぎやかでたのしいね。



この雛人形を、わたしが生まれた時に買ってくれたのは、
人形好きだった 亡き伯母、ちゃこのおばちゃん。

ちゃこのおばちゃんも、ひなまつりの時期には
いろんなお人形さんやぬいぐるみをひな壇に並べていたんだよなあ。

娘の潜在意識の中に、ちゃこのおばちゃんがささやきかけたのかも?
なあんてね。
でも、そんなことも ないとはいえない。

わたしの人形好きは伯母ゆずり。
娘の中にも、わたしを通じて伯母が生きているってことだよね。

とても子ども好きだったのに、子宝に恵まれなかった伯母。
わたしを我が娘のように慈しんでくれたちゃこのおばちゃん・・・。
だいすきだったのに、わたしが8歳の時に、若くして亡くなってしまった。。。

きっとどこか遠くから、わたしの子どもたちの成長を見守ってくれているはず、って信じてるんだ~




 [ *娘のお雛さん* 染川宗進さん作 奈良・一刀彫り ] (白鹿園にて一目ボレ!)




Billboard Liveの夜

2012-02-27 | MUSICのこと



ずっとすきなアーティストのひとり。
J.D.サウザーのライブを初めて聴きに行ってきた~。

J.D.サウザーのMusic仲間、カーラ・ボノフとの
アコースティック・デュエット・ライブ in Billboard Live Tokyo

J.D.サウザーは、無二の独特な美しい歌声。カーラ・ボノフも正統派の歌姫。
ふたりの声が合わさると・・・それはそれは極上のハーモニー。
唄って、そのひとの人生の深さもかなり反映しているよねえ。
こんなにまろやかな円熟したハーモニー、熟成した大人のおふたりならでは。
若年にはムズカシイでしょう。

長年ずっと聴いてきたそのままの生歌と、そのあまりに素晴らしい声に、
今って現実?まさか夢?って自分に再確認しちゃいました。
しかも今回はひとりで聴きに行ったので、リアルタイムの感激を持て余してしまったくらい。

それにしても、J.D.サウザーって、もっと気難しいひとってイメージがあったのに、
なんてお茶目なオジサンなんでしょう。めちゃカッコイイうえに行動がカワイイ。
ギターの音がちょっとハズレても、それはそれでご愛嬌。

ここビルボードライブでは何度も演奏しているせいか、すっかり庭って感じで
かなりリラックスしていらした様子。
カーラとの積年の友情の温かさも伝わるような、ほのぼのとした本当にいいライブでした~♪

ふたりとも何度も special song だって言いつつ唄った「Best Of My Love」が印象深かったなあ。
欲を言えば、ずっとだいすきな、わたしにとってのspecial song 「The Last In Love」も聴きたかったけど!

一晩に2ステージのレストランライブだから、短時間だと割り切っていたのだけれど
思いの外長く90分弱くらい?たっぷり聴かせてくれて、大満足。

今回誘ったのだけれど、子どもを預けるのが難しく、一緒に行けなかったMちゃん、(周りで唯一のJ.D.好き)
今度は一緒に行こ~!


すきなものをためらっているほど人生長くな~い!
小林秀雄曰く、同じ流れる「時間」でも、生かすことも殺すこともできる。 だよね?

たまには、ココロにも たっぷりの栄養をね 


 

 


映画 「ミツバチのささやき」

2012-02-25 | 映画 のこと



洋画の好みが似ているMさんNさんと、「ミツバチのささやき」を観に行った。
最近、ふたりの仕事のシフトと、うちの定休日とがうまいこと重なるのでとってもありがたい!

1973年制作のスペイン映画。
ずっと以前一度だけ観たことがあって、何だかフシギな感覚と、
女の子の可愛らしさがすごく印象に残っていた作品。

牧歌的な風景がとてもうつくしい。
でも、とてつもなく深い闇を背後に持つような危うい美しさなんだな・・・。
1940年代、内戦後のスペインの田舎町ということだから、
きっと社会情勢的に何か深いものを内包しているのでしょうね。
謎が謎のまま象徴的に描かれていて、それぞれで読み取りなさいというような哲学的な映画だ。

隋所にみられる、のどかなシーンの数々は、
昔テレビで観ていた「ムーミン」の村を想わせるような、なんともフシギで寂寥感のある独特なムード。

いい映画なのだけれど。。。

どうして~~!?この映画、耐えがたい程の睡魔に襲われる~~。
全体の映像が暗く、夜のシーンも多いせいかな? 何度となく こっくり、こっくり。
一緒に見ていたともだちも船漕いでいるし、どこからともなくオジサンのいびきまで聞こえてきたよ。
集団睡眠映画か~?

映画館でこんなにまで眠くなるのは、わたしには珍しいこと。
確かに前夜、「たみおのしあわせ」を深夜まで見入ってしまって寝不足ではあったのだけれど。

半眠しているような頭で観ながらも、
子どもたちが、焚き火の上を飛んで渡るシーンでは、
あ~、昔の服は綿とか羊毛100%だから、あんなに火に近づいても燃えたりしないんだなあ・・・
なんてことに、改めて感心してしまったり。
現代みたいにフリースや化繊の服であんな遊びをしたら、どえらいことになるもの。

うつらうつらしながらも、やっぱりこころの深いところに
映像が焼きつくような・・・もう一度観たくなるような・・・。
やっぱり すごい名画ということなんだな。

アナ役の少女、ほんとうに可愛らしい。
1973年制作で、6~7歳ってところだから、あれ?もしかして同年代ってことか。
その後の出演作品を探して観てみることにしよう!



16歳

2012-02-24 | essay



息子が16歳になった。

なんだか、感慨深い。
15歳ってまだ「子ども」な気がするけれど、16歳という響きは、なんともくすぐったい。
もう引き返せない大人の入り口を キミはさっさとくぐって行くんだね。

生まれたてのキミを、この手で初めて抱いたのは、ついこの前のことのようなのにね。
キミはもちろん覚えていなくても、赤ちゃんだったキミのことわたしは全部覚えているよ。
ちっさな口をいっぱい開けてあくびをしていた表情や、泣き出す寸前の息の吸い方も、
ぜんぶわたしの記憶の中の宝物だよ。

自分ひとりで大きくなったような気がしちゃうんだよね、このくらいの年頃って。
それはわかるよ。わたしにも16歳の時があったんだもん。
ついこの前みたいに思えるんだけれどなあ。

わたしの誕生日を選んで生まれてきたキミとわたしの年齢差は、きっかり30年。
自分の年を忘れたくても、一緒に誕生日を迎えてしまうと忘れようがないなあ。

わたしの16歳はもう30年も前のことなのねえ。
夢うつつに生きてるうちに、30年かあ。
ひとつひとつ思い返せば、そりゃあ、あり過ぎるほどいろんなことがあったけれど、
こうして振り返ると、いいことばっかり思い出すものなんだね。

彼のこれからの人生。
どんなふうに、おとなになってゆくのかな。
自分の道は自分で見つけながらしっかり歩いていってね。

巣立ってゆくまで、わたし いつでも後ろにいるよ







Mailの温度

2012-02-22 | essay




半年前 突然逝ってしまったアノ子とは、互いに「ちょっと聞いてよ~」って
電話やメールで頻繁につながるのが長年の習慣になっていたので
彼女のいない生活に、わたしはまだ慣れることができない。

親しいひとの死に慣れてるひとなんてどこにもいないよね。
わたしの痛みはわたしのもの。誰かにぽいっと渡したりはできないよ。

彼女と話をしたくなって、もうイナイってことを新たに思い知らされる。
「あんたに聞いてもらいたいのに~!! なんでイナイのよ!」って
時々 空に向かって怒ったり泣いたりしてしまう。

わたしがそう思うように、アノ子の子どもたちはもっともっとママと話したいことがあるだろう・・・。

アノ子の子どもたちとも時々メールや電話のやりとりをしているけれど、
近頃は情けないことに、わたしの方が元気をもらっているようなもの。

大学生活を楽しむムスメのKちゃん。。。
「寂しいけど、それ以上に色んな経験ができてるから、すごく毎日充実してるよ!」ってコトバに
わたし、すごくすごくほっとして、あ~よかったよって、頼もしく思ったり。

「みこおばちゃんのメール、密かに『保護』してるんだ」ってコトバに
またまた泣かされて、なんだか慰められてしまったり。

あの子たちも、しっかり前を向いて先へ先へと歩いてるんだもん。
わたしも、足踏みばかりで立ち止まっていないでがんばるよ~!







焼き団子のかほり

2012-02-21 | essay


思い立ったら、夜中でも料理を始める 中一・次男坊。
料理もストレス解消なのかもね?

火の元だけ注意して、あとは勝手にやらせてはいるけれど。

夜ごはんの後に、突然焼き団子を作ると言い出した。
先日家庭科の授業で作ってきたばかり。
そういえば、長男も中一の時にそんなことがあったなあ。兄弟だなあ・・・。

「上新粉ある?」って、いきなり言われてもそんなもんないよ~って戸棚を開けたら、あった。

夫が数日前に、すいとんを作ろうと買ってきていたモノ。 血筋か?

勝手にせっせと作る次男坊。
焼きあがったら、家族にも少しずつ振る舞ってくれました。

反抗期男子はとてもムズカシイ。 それでも、こういう時間もあるところがカワイイ。

ちょっと固かったけど、おいしかったよ!

 




「ドストエフスキイの生活」 小林秀雄著

2012-02-20 | 本 のこと



以前古本市で見つけた、小林秀雄著「ドストエフスキイの生活」
これは昭和22年発行版。初版は昭和14年。太平洋戦争のほんの数年前に書かれたものなんだなあ。

ドストエフスキーの作品は、ずっと以前に読んだ「貧しき人々」と、
去年の夏にどっぷりはまった「罪と罰」の二作品しか読んでいないのだけれど、
この小林秀雄の書いた、ドストエフスキーの生涯を綴った伝記は
まさにドストエフスキー本人の生活を克明に目の前に繰り広げてくれ、
彼の一生を辿るうちに全部の作品を読んだような気になってしまうほどの重厚感のある本だった。

作家ドストエフスキーの生きた時代の歴史的背景や、とりまく思想的環境、
当時のロシアの荒涼とした世相など、いろんな意味でとても勉強にもなった。

毎度少々本に入り込み過ぎるわたし。
「罪と罰」では 夜な夜なラスコーリニコフとともにペテルブルグの街を彷徨った上に、
この「ドストエフスキーの生活」では、この癇癪持ちで神経が細いのに我が強い作家の生涯を
一緒に巡り終えた今、なんだか、少々くたびれちゃった。

小林秀雄の書く伝記ものって、それ程、そのひとのありのままの姿を裏の裏まで見せてくれるんだ。

偉大な作家ドストエフスキー、それでも ヒトの子。
ギャンブル狂いで女好き、お金には無頓着で、融通の利かない不器用なまでの正直さ、
そして借金の依頼の手紙文の女々しさ・・・。
文豪ツルゲーネフとの軋轢、などなど、正に生身の人間らしさを存分に感じさせてくれる伝記だ。

つくづく、本って面白い上にありがたいなあ。
自分をいろんな時代のいろんな場所へと連れて行ってくれる。

次は、ドストエフスキー 生涯最期の大作「カラマーゾフの兄弟」を読んでみようかな。
と、思っていたけれど・・・かなり宗教色の濃い作品のようだし、
ここにきて薄暗いロシアのあの時代は、ちょっともう食傷気味。

気分を変えて、今度は何か明る~くて軽~い本にいってみようかなっ。




 


 
 


クロッキーの幸運

2012-02-19 | essay




小学生の間で流行っているコト。

道を歩いていて、黒地に黄色文字のナンバーの車、「クロッキー」を3台見たら
願いが叶う というおまじない。

でも、そのあとに「ミドッシー」(緑地に白文字ナンバーね)を見てしまったら
その願いは帳消しになってしまうというシビアなルール付き。

ミドッシーは、タクシーやトラックみんなそうだもの。
クロッキーを見つけても、大概ミドッシーを見ちゃうんだ。
一体誰が考えだしたおまじないなんでしょね。

娘が、通りの向こう側をともだちと歩いていくのを見かけた。
道路に向かって、目の前に手をかざしながら歩く二人連れ・・・。怪しい。

奇妙な光景だが、あれはミドッシーを見ないように歩いているんだな。
あぶないあぶない。ぶつかるって。

最近わたしもうつっちゃって、ひとりで歩いている時にも
ついついクロッキーに目が行ってしまう。
でも、おまじないや占いは、イイコトしか信じないので、
「クロッキーだ、ラッキー!」でおしまい。

オトナは人生自体がシビアなので、ミドッシーは無視でよし!




やさしい共存

2012-02-17 | essay




桜の切りかぶに 笹の葉っぱ
場違いのようでも まあるく納まっているフシギ。

共存。。。自然界は厳しくも優しい。

さて ひとはどうかなあ。

建前とか、見かけ倒しとか、上澄みだけじゃなく、こころとこころを 寄せ合って生きていけたらいいな。






はるの気配

2012-02-16 | essay



「気配」って訓読みにすれば、気配りなんだ。

そんなことに改めて今気づいたよ。
だからって、なにってわけではないのだけれど。
ニホンゴを学ぶ外国人はタイヘンだろな。

春の気配がちら、と ちょっとだけ見え隠れする2月はわりとすき。

冬の間、お日様とは無縁な我が家の2階のリビングの窓に
きっかり立春からは 午後の数時間ぴか~っと陽が射すようになる。
向かいのマンションの14階のてっぺんから太陽が見えた瞬間、
部屋の中の温度がふんわりと上昇して春になる。

いつでもあると わからないもの。 なくしてわかる、ありがたさ~。

太陽の光って、本当に本当にありがたい。
きちんと、弧を描く角度が日々確実に上がってゆく。

春の気配。お日様の気配り? サンキュ~!!

公園の梅のつぼみも少しだけ膨らんでいます。

    

落ち葉の隙間に、はるを知らせる「小さな青い花!」 みっけ!

   

まだまだ寒い日もあるけれど、ほんとうの春も、ちゃんと順々にやってきます。




底にあるもの。

2012-02-15 | essay





「親」って冠を被っていたって、ひとりのニンゲン。
傷つくことだって、くじけることだってある。
踏ん張って立ち続けるのは大変だから、たまには、弱音を吐いたっていいよ。

それでも・・・そうは言っても、子どもには「母親の笑顔」って重要な栄養素なんだよねえ。

六年余前。自分の母を亡くしたばかりの頃、わたし、気がつくと涙がこぼれていて
とても外に出られる状態じゃなかった。
その頃まだ小さかった子どもたちには元気に接していたつもりだったのだけれど・・・。

小学一年生になったばかりの次男と、台所でしゃべっていた時に
彼が突然、驚いたようにわたしの顔を覗き込んで、
 「おかあちゃん!わらってる!?今わらってるよね!」と
満面の笑みを浮かべて嬉しそうに言った。

・・・わたし、声を立てて笑ったのはきっとすごく久しぶりだったんだね。
彼のその笑顔には、ホッとした気持ちがいっぱいに表れていて、
この子、こんなにもわたしの表情に一喜一憂してくれていたんだ。。。と胸の詰まる思いだった。

きっとあの頃のわたしって、家族との生活の中に居ながらにして、知らぬ間にココロだけ離れて、
ひとりきりで深くて暗い穴の中に落ちていたんだよね。

あの笑顔が、あの時、わたしのココロを深い穴の中からヒョイッとこちら側に連れ戻してくれたんだよ。

子どもって、すごいチカラを持っている。
そして「母親の笑顔」は、子どもには家庭のお日様のようなものなんだなあ。

今や彼も、超生意気な反抗期真っ盛りの中一坊主。
でも、あのときのピュアな部分が彼の底にはちゃんとあると 信じてるからだいじょうぶ。
憎らしい口をきいたら、ヘラヘラスマイルで攻防してやろう!!

持ちつ持たれつ、これからも押したり引いたりしながら
お互いうまくやっていこうよね~!






All At Once

2012-02-14 | MUSICのこと




ホイットニー・ヒューストン。

最近は聴いていなかったけれど・・・
あの頃は自分がかけなくてもいつもどこかで彼女の歌声が流れていたよね。

「All AT Once 」 一番すきだったな。

大スターらしい「終わり」といえば、それまでだけれど。 まだ48歳だったとは・・・・残念です。

サラ・ヴォーンみたいに、年齢を重ねた深い歌声も聴いてみたかったな。。。







THINK!

2012-02-13 | essay




考えること。
面倒でも、イヤでも、考えなくちゃいけないコト。

考えないこと。
考えてもどうにもしようのないことは、潔く思考を放棄してココロを無に。

取捨選択。。。

どんな場面でも、その選択のバランスがたいせつなんだな。

わかってはいても つい逆の選択をしてしまうことも あるもんだ~。
まあ、しゃ~ない。そんな時もあるよ。
のんびりいこう。



 


2月11日の「ケン」

2012-02-11 | essay




子どものころ、家族で最後に飼っていた犬は、甲斐犬のケン。

建国記念日がくると、ケンを思い出す。

寒い夜、「ただいま」と 帰ってきた父の外套の胸元からぽろんと
黒い毛糸玉のように転がり出た子犬。

母に相談もなしに、突然ペットショップから連れ帰ってきた父。
突拍子もないことをする父の生態には、慣れっこだったけれど、
みんなで嬉しくて飛び上がったサプライズの思い出は、この夜がNO.1だ。

そして、建国記念日だから「ケン」とする、と安易に父が命名した。

ケンの本当の正式名は「黒鉄号」。由緒正しい血統だったせいか
たいへん賢く優しい、カワイイやつだった。

わたしが11歳の時にやってきて、18歳まで共に暮らしたけれど、
最期にちゃんとお別れができなかったことが、今でもココロ残り。。。

時は流れても、建国記念日には毎年、あのぽろんと転がり出た毛糸玉のケンとともに、
ちゃんと「家族」だった頃のあの特別な夜を、いつも懐かしく想い出してしまうんだなあ。


建国記念日の夜も更けてゆきます。





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