わたし宛に、時折り届く白い封筒。
母の学生時代の たいせつなともだちだったひとからの手紙。
母を亡くした後、そのひととの手紙のやりとりに
たくさん たくさん元気づけられた。
そのひと自身、いくつもの深い痛みを乗り越えてきたひと。。。
悲しみを共有してくださり、いつも温かく見守ってくださった。
以来、季節ごとに 山陰の海の町から届く あたたかな手紙。
いつも封を切るたびに、ありがたくて涙がでてしまう・・・。
身内以外にも、こうして母のことを思い出してくださるひとがいるという幸せ。
娘のわたしたちのことまで 気遣ってくださる優しさ。
久しぶりに届いた白い封筒。いつもの達筆な文字。
関東の余震と原発事故の影響の心配をしてくださる、こころの温度の伝わる手紙・・・。
きちんとした手紙を書く機会がすっかり減ってしまった昨今。
返信をしたためるひと時は、わたしの雑多な生活の中の 束の間の神聖な時間。
いただいた手紙はいつも、母の笑顔の写真の傍にしばらくお供えしておく。
もうすぐ 母の七回忌。
郵便局までとぼとぼと歩いていたわたしの廻りを
突然 ふわりと 懐かしい香りが包み込んだ。
ああ・・・、だいすきな、この世で一番だいすきな、沈丁花のかおり。
いつの間に、もう咲く時期がきていたの?
毎年、この香りがあちこちで漂うのを楽しみにしていたのに
そんなことまですっかり忘れてしまっていたなんて。
やっぱり、ちっとも、平常心じゃなかったんだね。
誰もが きっと少しづづ いつもの自分じゃなくなっているんだと思う。
そりゃあそうだよね。
でも、たいせつなことを 取りこぼして生きているんじゃもったいない。
だいすきなひとたち、だいすきな唄、だいすきな香り、だいすきな景色。
たいせつなものを 見失ってしまわないように
力いっぱい 抱きしめて 進もう!
だいすきな沈丁花の香りに 袖を引かれて、目が覚めた気持ちだよ。ありがとう!
いろんなこと 祈りながらも、自分は元気をだそう。
あたらしい芽だって ちゃんと芽吹いてる。
桜も もうすぐです。
不安をひとりで抱えるのには 限度がある。
なるべく、ひとと話をして気持ちを共有することは
こころに涌いた灰色の雲を、いつの間にか外に排出させてくれる作用がある。
普段、たいていどんなことでも、ひとりで答えを出すタイプのわたしだけれど、
今回に限っては、いろんなひとと話さなければ とてもひとりじゃ抱えられない。
収束の見通しのたたない原発事故。
こころにダイレクトに伝わってくる被災地の方々の計り知れない不安とこころの痛み・・・。
ともだちとの繋がり、暮す町の顔見知りのひとたちとのつながり。
少し話して、笑って手を振るだけでも、こころがふわっと軽くなるのを感じる。
ひととひとの繋がりは、本当にありがたいこと。
こういうときに誰も話すひとがまわりにいなかったとしたら・・・
そういうひとりぽっちのお年寄りもいるだろうに・・・と思うだけでこころが痛いよ。
被災地以外でも、悲惨な映像によるストレス障害を患うひとが急増しているという。
こころがあまりに繊細にできていると、そういうこともあるに違いない。
わたしも平常心をこころがけてはいるのだけれど。
9歳の娘が、ふと 何かの拍子に
家が流されて一番かわいそうなのは
おじいさん、おばあさんだよね。と言い出した。
「だって、赤ちゃんや子どもは まだ少ししか生きてないから思い出も少ないけど、
おじいさんやおばあさんはその家で長~く生きてるから なつかしいものがいっぱいあったのに
全部、ひとっつも、なくなっちゃったんだから・・・!」
そうだよね。ほんとうにそうだよね。
そんなこと、憤りながらもしみじみ言う娘に、またもやはらはらと泣いてしまうわたし。。。
子どもだってたくさんのことを感じている。
オトナは、自分に手一杯な時には、つい子どものハナシは後回しにしてしまいがちだけれど、
こんな時こそ、子どもともたくさん話そう!話させてあげよう。 と、母、反省。
「普段」の時間が必要だよね。
娘とさんぽに出たら、遊歩道の桃が満開でした。
ちゃあんと、地球の時間は動いてるんだよね。
今日をたいせつに。
自分にできることから、わたしも動こう!
きれいなきれいな 青い空。
おおきなおおきな雲が浮かんでいた。
ひとと話して、別れるとき
「またね」 ってコトバが こんなにも 不確かなコトバだったなんて
今まで気づかなかった。
アタリマエなことなんて なにひとつない。
空の雲が 二度と同じかたちに浮かぶことがないように
同じ時間はめぐってはこない。
あたらしい一日。
こころに風を通して、空の青さを自分の目で確かめよう。
まだ時折り余震の続くなか、六年生の次男も無事卒業式を終えることができた。
「卒業式、出来てよかったねえ」 と、会うひと皆、同じ思い。
この大震災と原発事故以来、当たり前なことがすべて、有り難いことであると
より身に沁みて感じる。それは今日本にいるひと皆共通の思いだろう。
六年間、次男が通った小学校。
なんと、彼が一年生からお世話になった担任の先生方、
ひとりも転任されておらず、式に勢ぞろい!
公立の小学校でそれはかなり珍しいことらしい。(先生もビックリ!)
歴代の担任の先生方をひとりひとり眺めて、思いはこの六年間を遡る。
先生方の泣きそうな顔に、こちらもつられてナミダがこぼれてしまう。
卒業生の子どもたちが声を揃えて大きな声でいう。
「ひかり 輝く 無限の未来へ!」
2週間前までならば、ありきたりな卒業式らしいこのフレーズ。
なのに、この言葉に涙があふれて止まらない。
ほんとうだよ。
子どもたちには「無限の未来」が約束されていなくてはいけないんだよ。
この子たちに、大人は未来を約束してあげられるのだろうか。
ここのところ、涙腺がオカシクなっちゃった。
テレビを観て、わたしがここで泣いたって
なんの足しにもならないってわかってはいるのだけれど。
9歳の娘にすら、「おか~ちゃん!泣いちゃうんだからニュース見るのやめなヨ」
と言われてしまう。これは子どもにもよくないよね。
卒業式の行われた体育館。今日の最高気温は10℃。
たった2時間でも底冷えのする寒さだ。
北の、もっと寒い避難所の体育館で毎日を過ごす人々を想うと
言葉を失ってしまうよ・・・。
今、わたしが心掛けていることは、
なるべくひとと話して、気持ちを分かち合い内側に溜め込まないこと。
平常心をたいせつにすること。
過剰な心配をしないこと。
こんなときこそ、おとなは大らかでいなくちゃね!
卒業式後、担任の先生を囲んでワイワイ大騒ぎの彼ら。
何十年か後に、「卒業の年は大変だったけど、日本がひとつになって
乗り越えたっけね~」って、元気に集う姿をこころに描いてみるのだった。
だいじょうぶだよ!
根拠はないけど。 きっとだいじょうぶ。
原発事故の報道を耳にして、
ずっと以前によく聴いていた佐野元春の唄が
じわじわと、こころに浮かんできた。
原発に警鐘を鳴らすあの唄。
ウィンズケール スリーマイル・アイランド チェルノブイリ
すべては警告どおり
あまりにもそのとおりで、歌詞の全ては怖くて語れない。
命懸けで作業をしてくださっている方々には頭が下がります。
けれど・・・、ニンゲンの手に負えない怪物を作ったのもニンゲン。
なんで こんな危ないの 作ったの?
子どもの素朴な問いに 答えられないよ。
音楽は、こころの薬。
こころがざわざわと揺れて眠れない夜には
「Imagine」をリピートで。
この唄は、生ける者、逝きし者すべてのタマシイを鎮めてくれる力を持つ。
感傷でなく、静かな望みをこころに呼び戻してくれる。
音楽には音楽にしかないチカラがある。
そのチカラを使える人々はすばらしいと思う。
ぜひ、そのチカラで世の中に希望と平和を!
わたしは、といえば・・・、節電と微々たる募金と祈りのみで心苦しいのですが。
せめて、周りの子どもたちの安全を守るため、下校パトロールに出向いてこよう。
こんな時期に不審者情報が・・・。
募金箱を盗むヒト、災害用倉庫の物資を盗んで転売するヒト。。。
人とは思えないニンゲンも、かなしいかな、この世には存在する。
ひとの善の部分を信じて地に足をつけて歩こう。
大震災から4日後、被災地を想い、一分間の黙祷に始まった長男の卒業式。
卒業生代表の挨拶のなかに、
「国」というコトバが出てきて、大人の涙を誘った。
この、想像もしていなかった日本の惨状に、
15歳の彼女は、国がひとつになって乗り切ろう、と語った。
こうして揃って卒業式が行えること、
こうして皆で泣いたり笑ったりできること。
15歳の彼らも、仮想ではないこの現実を、身をもって受け止めている。
「これから」 の彼らが「国」について思いを馳せ、
この国から消滅しかかっていた「愛国心」を胸に燈す時、
わたしたちの時代には無かった、なにか新しい大きな力がこの国に涌いてくるようで
とても、とても頼もしく思うのだった。
大人は今こそ姿勢を正して、子どもたちのために明るく道を照らそう。
自分も他人もたいせつにし、ひとを思いやり、譲り合う、助け合いのこころを、
わたしたちも先人たちから教えられてきたはずなのだから。
時間は巻き戻せないから。。。 前を見て生きよう。
おもいやり。たすけあい。ゆずりあい。日本人がずっとたいせつにしてきたこと。
自分のそばで、自分のできることを。
さむいさむいと言いつつも、春がきていたんだねえ。
線路脇の土手に菜の花が。
この竹は抜かれずに育ってもうすぐ1歳かな?
名前も知らないお花。かわいい黄色。
柊は若葉でもしっかりぴんと張っているんだね。力強い。さすが鬼除けの葉だ。
枝と枝と枝で。 なにやら内緒のハナシ? 聞いてみたいものだなあ。
いつもは歩かない道をあえて歩いてみると、
いろんな発見があっておもしろいからすきだ。
線路沿いに歩いてゆくと、線路の先にぽっかり開いたプラットホームが見えてきた。
その景色に、すっかり忘れていたことを思い出した。
わたし、電車の一番前に乗って、次の駅が見えてくるのを
ぼ~っと、見ているのがすきだったんだ。
仕事で毎日目まぐるしく動き回っていた時代。
仕事帰りの電車の一番前のガラス窓が空いていたら、そっと側に立つ。
夜の線路の向こうに、煌々と明るいホームが見えてくると、
なぜだかホッとして、だいじょうぶ、明日もがんばれる、って
元気が湧いてきていたんだよねえ。
現在のわたしが、遠いここから眺めると、
その頃の自分がとても客観的によ~く見える。
こころのイタイ恋と、気の張る仕事にがむしゃらで、
ストレス満杯だったことにも気づかずに過ごしていたんだなあ。
ニンゲン、時にはがむしゃらになる時期も必要なんだけれどね。
「明るいホーム」に救いを見い出すほど、ってのはあまり健全な精神の状態とはいえませんねえ。
それでも、暗い線路の先に明るいプラットホームが近づいてきて、
電車を待つたくさんのひとびとの顔がみえてくる瞬間って・・・、結構いいもんです。
運転士さんにとっては緊張の一瞬なのかもしれませんが。
「見たいかも。」って思った方には、効果アリです。お試しあれ。
ついでに、何かたいせつな「光」も見っけちゃえたらもっといいですねえ。
一番最初の雪の記憶は、奈良の団地で暮していたころ。
生まれて初めて、積もった雪を見た。あの団地の頃だから、3歳か4歳の冬。
いつもの団地の芝生が一面真っ白なのがうれしくて、
何を思ったのか、リカちゃん人形を取りに戻って
雪の中を一歩一歩、歩かせてみたのを覚えている。
リカちゃんの足が膝までサクサク沈んでいたから
積雪4cmってところかな。
リカちゃんが歩くとものすごい広大な雪原に見えておもしろかったなあ。
記憶の仕組みって面白い。
たまたま、POOKAという雑誌をぱらぱらと読んでいたら、
絵本作家の酒井駒子さんが子どものころ暮らしていたという団地の写真が載っていた。
それがわたしが暮していた奈良の団地にちょっと似ていて。
まあ、団地ってのはどこも似ているのだけれど。
外は折りしも3月の雪。娘が傍でリカちゃんで遊んでいる。
それで、こころの奥のほうに仕舞い込まれていた、団地+雪+リカちゃんの記憶が
8mmフィルムみたいに甦ってきたのだった。
記憶の映像は、アングルも低い。
わたしの目線もこんなふうに低かったってことなんだなあ。
記憶はひとりひとりの宝物。
こころに、キーワードを打ち込むだけで自在に浮かぶたいせつな思い出たち。
想い出に浸るにはまだ若すぎるかもしれないけれど、
忘れてしまいたくない、たいせつなこころの中の映像を
今のうちにバックアップしておけないものかなあ、なんて思ってしまう。
もっともっと年を重ねてゆけば、そんなことに抗わずに、
忘れていくことが自然なこと、って思えるようになってゆけるのかもしれないね。
最近は卒業式でもめっきり歌われなくなってしまった、「仰げば尊し」
この曲はなんと、アメリカで1871年に作られたものだ、と研究者が発表したらしい。
誰もが日本の曲だと思っていたよねえ。驚いた!
そういえば、卒業といえば同じく「蛍の光」も、スコットランド(?)の古い曲。
ずっと前にヴィヴィアン・リー主演の名作、「哀愁」(「Waterloo Bridge」1940年制作)の中で
この曲を聴いたときに、「うわっ蛍の光は日本の曲じゃないんだ~!?」
ってびっくりしたのを覚えている。
あのシーン、すごくすきだったなあ。
キャンドルライトのクラブの中、踊る美しいふたり。
このワルツの流れる中、キャンドルがひとつづつ消され、曲が終わると同時に真っ暗になる・・・。
一度観たら忘れられない、とってもうつくしい場面だ。
「Ferewell Song」ってセリフの中で言ってたような記憶・・・。 お別れのうただね。
3月は旅立ちの月。
もうすぐ長男と次男の小・中学校、ふたつの卒業式だ。
彼らは泣かないだろうけれど、わたしは泣いちゃうかなあ。
おっとその前に!スーツのスカートが入るかチェックしなきゃ!こわい。
こっちのほうで泣いちゃうかも。
ホール&オーツの武道館ライブから一週間経つというのに、
いまだ、わたし、半分くらい夢のなか。
子どもらに、いいかげんウルサイ!と電源落とされちゃうくらい鳴らしっぱなし。
そういうとこ、自分のオヤジさんに似てきちゃったなあって思う。
でも、オトナだからってすきなことを我慢するのは健康によくないからいいのだ。
思い返せば思い返すほど、このライブ、歴史に残るほどいいライブだったよ。
武道館満杯のファン、それぞれの積年の想いを胸に、
だれもかれもがなんて嬉しそう。
わたしも15歳で彼らの音楽に魅せられて早30年。
活動40数年の彼らだから、40年越しのファンの方もいらしたことだろう。
みんなそれぞれにすきな曲があって、
またその曲に伴うそれぞれの思い出がある。
そしてまた、ご本人さんたちにも、同じようにたくさんの時間が積もり、
それぞれの曲にたくさんの想いを織り交ぜながら唄っているのだろう。
「懐メロ」って言われたっていいサー。
みんなそれぞれに、たいせつに聴いてきた音楽。
年を重ねた分、唄う曲も味わい深くなり、
聴いているほうもぐっと胸の深い部分で聴けるようになる。
なんていうか、ただのパフォーマンスとしてや、
お金儲けのためとかの、興行的な「ライブ」じゃなくて
音楽がすきだから唄っているんだ、ってのが
ひたひたと伝わってくるようなライブだったんだよね。
こんなに大きな場所なのに、まるで小さなライブハウスにいるような気持ちに
なってしまうほどの密で濃縮された空気感。
彼らがどれほど音楽を愛してやまないひとびとなのか、は
ネット番組「Live From Daryl's House」での楽しげな様子をみればよくわかる。
興味を持った方は、ぜひご覧くださいませ。
つい最近、アメリカで優秀なネット番組に贈られる賞をもらったばかり。
それにしても、ずっとだいすきな「It's A Laugh」を唄ってくれたのはうれしかったなあ~。
それと、ジョン・オーツの作った「Las Vegas Turnaround」
70年代の曲なんだけれど、最近この曲すきだなあって思っていたところ。
ちょうど演奏されて嬉しかった~。
ジョンはダリルのそばで、いつも穏やかにギターを弾いているけれど、
彼のその存在感と、深い歌声は他の誰にもかえられない。
この先もずっとこうしてふたりで唄っていてほしいよ。
一緒に活動してきたT-Boneが去年突然亡くなってしまって、
今回のライブでも、きっと彼らも彼を想い出しながら演奏しているんだろうなあ・・・って
勝手に想像すると、何だか彼らの喪失感をどっと身近に感じてしまったよ。
ひとは永遠に変わらないままではいられない。
それでも、夢を与えてくれるミュージシャンは、永遠に唄っていてほしいよ。
日本公演のあと、彼らは今ハワイ公演を終えたところかな。
パワフルとはいえ、還暦を過ぎている彼ら・・・。どうぞお体をたいせつに。と願わずにはいられない!
どんなものであれ、すきって気持ちはとてもたいせつ。
「すき」は生きるチカラの源だよね。
壊れた時計を甦らせるのが、夫の生業。
今までにも、商売柄、映画やドラマなどに時代にあった時計を
貸し出し協力するご縁はあったのだけれど、
ドラマのロケに店内が使われるのは初めてのことだった。
この制作担当の方が、とても腰が低く物腰が柔らかで、
たいへん好感のもてる朴訥なお人柄。
実直なこの青年、ちゃんと食べる時間はあるのかな?睡眠時間はあるのかな?
と、つい夫と共になんだか肩入れしたくなっちゃう。
そんなにう~んとは年齢も違わないかもしれないのに、完全に親戚のおじ・おば目線だ。
何度か打ち合わせにいらして、しばらく喋って帰られたあと、
ほのぼのとした空気感を残していく彼を
夫といつも、「ほんとにいいひとだねえ」と称賛していたもの。
こういう人物って、ペースはゆっくりでも、必ず大成するはず。
無条件でひとに好かれ、揺るぎない信頼を得ることのできるニンゲン。
そうなろうと思ってなったのではなく、持って生まれた徳というものだよね。
うちの子どもたちも、いつかこんなふうに、よその大人にちょっとだけでも
そう思われるような大らかなニンゲンに成長していってほしいものだなあ、
としみじみ思うのだった。