娘とそのともだちの夏休みの宿題のお供で図書館へ。
ついでに、わたしも書棚からあれこれ拾い読み。
難しい年頃の子を持つ親へ向けて書かれた、ある一冊の本を見つけた。
《 自分の子どもだからといっても、理解するのは難しい。
自分自身すら理解できないのが人間。子どものことをよく理解できると言う親は
自分の理解の枠に子どもを閉じ込めているだけかもしれない。》
ん~~~~。なるほどねえ。そうかもしれないねえ。
中2の我が次男坊。。。基本的にワケ分からん大変難しい時期。物想うお年頃。
そこでわたしも中学生の頃の自分に戻って、彼を横からの目線で見ると、ちょっと理解できる部分もある。
この本は、こう続く。
《 理解したいという自分と、理解できないという自分。この二つの自分に対して
片方を否定するのではなく、両方に折り合いをつけていくこと。
そして、子どもにその気持ちが通じるまで待つ態度も重要。》
霧の中を浮遊する息子のココロと追いかけっこしているような、
日々模索中のわたしには、たいへんありがたい啓示的文章だ。
《 理解できる、できないはさほど重要ではない。
大事なことは、十分にはできないけれど、理解したいと願う態度。》
願い・・・かあ。
いつの時代でも、親は願って見守ることしか、結局はできないのかもしれないね。
本は、時に「答え」を広げて見せてくれる。
まんま、鵜呑みにするわけではないけれど、つい窮屈になる思考の幅をぐんと押し拡げてもくれるし、
自分の中にはなかったさまざまな思考方法の道を示してくれることもある。
膨大な冊数の中で、出逢う本。出逢うコトバ。
こころがほんとうに必要とする部分を、うっかり取りこぼしてしまわないよう、アンテナを広げておこう。