なんだかすっかり忘れていた。
わたし、中学3年で洋楽に目覚める前は
さだまさしの唄 がすきだったんだ。
いつだったか、しばらく振りに会った中学時代のともだちに
「さだまさし スゴイすきだったよね~~!」と言われて
え~??そう??ひとの記憶に残るほど?? と、とても驚いた。
で、記憶の底へと泳いでいくと。。。
そうでした そうでした。
フォークギターにハマっていた姉の影響もあり、
一時期、スゴイ聴いていたんだ。
LPだって買ったし、中学時代 文芸部で真面目に詩を書いていた頃は
さだまさし好きな仲間と一緒に歌詞の「詩」に傾倒していたものです。
最近CMで、さだまさしのとても懐かしい歌が流れてきて
ちゃんと聴いてみたくなって検索してみた。。。
「道化師のソネット」
これって、さだまさしが制作?出演?した映画「翔べイカロスの翼」の主題歌。
この映画は、忘れちゃあいけません。青春の(?)1ページ。
だって、人生初のWデートで観た映画。
中学2年生。新宿の映画館だったかなあ。
サーカスが舞台のこの映画。なんだかもの悲しいお話だったな。
そうそう。この映画を観た後、わたしどうしてもどうしても一輪車をマスターしたくて
誕生日に父に一輪車を買ってもらったんだった。
あの頃はまだ、小学生の一輪車ブームも到来していない時代。
しかも、中2から一輪車ってのはさすがにちょっと恥ずかしくて
乗れるようになるまでは、夜な夜なひとりで家の前の道路で練習してた。
10mくらいは乗れるようになったかな。
こうして こんな風にあの歌を聴きながらそんなことを想い出していたら
なんだか不思議なもので・・・
あの住宅街のしいんとした夜の道と夜風がこころに甦ってきたよ。
あの頃飼っていた猫がいつもわたしの練習に付き合ってくれて
自分は自分で勝手なことしながらも、傍にいてくれたんだった。
月夜と猫と一輪車とわたし。。。
あの男の子は、どんなオジサンになっただろう???
「道化師のソネット」
とてもキレイで切ないメロディーと詩のコトバ。
13歳ですきだった歌。
時を重ねて、47歳で聴いてもやっぱりすきです~、この歌。
笑ってよ~ き~みの~ため~に~
色鮮やかな頃を過ぎたら、今度はしっとりとオトナ色になる紫陽花。
以前はキレイな青や白や赤紫の時にしか目を惹かれなかったのに
近年アキアジサイの存在を知ってからというもの、
この味わいのある色合いの紫陽花がとても気になる。
梅雨のひと時、脚光を浴びる紫陽花。
実は、夏の暑い陽射しの下でも枯れることなく
人知れず密やかに咲き続けているのだ~。
秋がやってきて涼しい風が吹く頃には、
装いも新たに、ビロードのような深い深い色合いの花に変化を遂げる。
まるで女性の一生を見ているみたいだなあ。
この先、ビロードのようなとろみと深みのある女性に変身できるかなあ。
そうありたいものであ~る。
「明日は明日の風が吹く」 って
母の口癖だったなあ・・・と、ふいに思い出す。
明日はみんなに平等に用意されたまっさらな一日。
自分のスペースを綺麗に整理整頓し始めた我が家の次男坊クン。
カタチから入るタイプな彼。 そろそろいろいろ始動開始か(???)
不要だという学校の資料やノートが床に山積みに。
もったいないので、ノートから使い残した白紙のページを切り取っていたら・・・
現国のノートに 谷川俊太郎の一遍の詩を見つけた。
息子が授業で書き取ったものらしい。
思わず、じっくり読む。
なんだか・・・じんわり。。。
キタナイ息子の字で書かれた 美しい詩。
このギャップがまたいい。
じんわりと、ココロに入ってきました。
こうして、思いがけなく出逢う詩って
これまた よりココロに響くものです。
ノートから切り取って よく見えるところに ぺたんと貼っておいたら、
「な~んか見覚えあると思ったら、あれオレが書いたやつじゃん。」 と 息子。
ちゃんと勉強してたんだ~。って自分で感心しとる~。 あのさ~、過去形にしないでね。
この詩 「明日」 から
改めて、彼のこころに何か届くといいなあ。
[ 明日 ]
谷川俊太郎
ひとつの小さな約束があるといい
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友だちの新しい表情
ひとつの小さな予言があるといい
明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
<曇りのち晴れ>天気予報のつつましい口調
ひとつの小さな願いがあるといい
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ
ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へ開いてくれる
だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ
生きることができる
ひとつたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる
昔ながらの・・・お馴染の党が完全復活。。。
そしてとうとうTPP交渉参加も始まってしまった。
遅れて参加した上に、「聖域を守る」と 豪語する・・・。
ニッポンは、今も昔も 井の中の蛙。
汚染水が海へ。
東電は今更公表したけれど
だからって時間は巻き戻せない。
流れ出てしまったものは
もう誰にも回収できない。
みえないけれど、ぐるりぐるりと世の中が元通りになっていく。
何かを踏みつけにした上に立つ「安定」なんて、マヤカシでしかない。
ヒトの創った原発が、ヒトの手には負えない怪物だったということが
こんなに酷い傷を伴って証明されたというのに。
ひょうひょうと、再稼働の計画を進めていく・・・。
そんな大人をしっかりと視ている子どもたちの眼差し。
人間は「慣れ」に弱い。
なんだか生ぬるい風に捲かれて
思考能力を奪われて
もうそれで仕方がないのだと思う・・・そういう錯覚に陥りそうで怖い。
でもそれは、自分の思考じゃないよね。
心して、ひとりひとりが自分の目で見てきたこと、感じたことを
忘れないように。。。
冷たい水をバシャッとかぶって
生温い空気に喝!だね。
シャキッとね。
二十二歳の頃に、「胎児は見ている」(T・バーニー著1982年発行)
という本に出逢った。
それからしばらく生命のフシギや胎児の能力や神秘にとりつかれてしまった。
まだ結婚も出産もヒトゴトなOL時代に
胎児の持つ凄いパワーを知ってしまったわたし。
自分も、そして周りの誰もが
そうやってたくさんのひとに生命を守られ
一人前に成長してここに存在していることは、
奇跡と言っていいほどなんだ!
ということに気づかされ、人生観まで変わってしまった。(ような気がする)
苦手な上司のオッサンも、最初は赤ちゃんだった・・・と思えば
何だかかわいらしくさえ見えてくる、という技を編み出したのもこの頃だ。
「すごいんだよ!神秘的だ~!」
と、本に感心するわたしに 同僚たちは、
「いいカアチャンになりそうだ」 と笑ってたっけなあ。
あれから月日は過ぎて三児の母となったけれど
イイカアチャン とは言い難いなあ。。。
≪ 胎児は、ちゃんと聞いているし 感じているし 記憶している ≫
自分が高校生の時、体育館で教育映画が上映された。
スクリーンに映し出された、堕胎児の映像にひどくショックを受けたことを覚えている。
一瞬しか見ていなくても今も忘れられない。
キューピー人形みたいな ほんの1~2センチのニンゲンの手のひら・・・。
胎児はすでに人間。痛みだってちゃんと感じる。
喫煙やアルコールで胎盤から送られる酸素が減れば
苦しげに顔を歪めるという・・・。
出生前診断が物議を醸しているこの頃。
無責任なことは何も言えないけれど。
たいせつな命。。。
どこのどの子も、今ある自分を、たいせつにしてほしいよ。
記憶をどこかに置き忘れて、すっかり忘れてしまっていても
自ら苦しい思いをして懸命にこの世に生まれてきたのだから。
思春期になって、すっかり生意気になって
親に酷い口をきいたって
なんだかんだがあったってね
最初はか弱い赤ちゃんだったんだもん。
これもあれも、逞しい大きな成長だって思っておこう。
初めて聴いた胎内の心音の思いがけない力強さ。
超音波映像のちいさなちいさな体の中で
一際大きく自己主張する心臓の拍動を
「母」は決して忘れないものだから。
「胎児は見ている」 T.バーニー著
この先、いつか母になるひとに ぜひ読んでもらいたい本です。
久しぶりに近所の公園の中を通ったら、
懐かしい甘い甘い香りが。
ああ、クチナシの花の時期なのね。
思わず近づいて・・・
花ではなく、葉の裏をチェック。
魅惑の昆虫、オオスカシバの幼虫がいないかなあ??と探す。
わたし、小学生前半のころは 昆虫少女。
いろんな虫を捕まえてきて飼ったり、絵を描いたり。
珍しいゾウムシが見られると聞いては
少し遠くの林へともだちと冒険に出かけたりもしていたなあ。
「オオスカシバ」はフシギな昆虫。
子どもの頃には存在も知らず、初めて遭遇したのは
長男が同じく昆虫少年だった十年ほど前、この公園でだった。
初めて見た時は、不穏なその動きに警戒したものだ。
ブンブン鳴る羽音はスズメ蜂か??というくらい大きいし、
そのホバリングする姿は、思わず 「まさかハチドリ??」 と見紛うほど。
当時6~7歳 好奇心旺盛で、
生き物を捕まえることには動物的能力を発揮する長男が
捕まえて、しっかり観察。 (キャッチ&リリースね)
彼が図鑑で調べてやっと「オオスカシバ」という「虫」だと判った。
クチナシの葉を餌に成長するので、
クチナシの木に、ツノのある大きめの幼虫を見つけたら
そっと見守ってあげましょう~。
オオスカシバの魅力は、
キレイな黄緑色の羽毛の小鳥のようなその体と
他の昆虫とは全く違う、何か言いたげなその眼差し。
「チョウ目スズメガ科」 なので、
蛾じゃ~ん、って言われちゃあ それまでなんだけれどね。
虫好きな子ども(&元子ども)には魅惑の昆虫なのだなあ。
毒は持たないので、チャンスがあったらぜひ接近してみましょう!
虫アミと虫カゴの夏。。。
麦わら帽子が誰よりも似合っていた我が家の虫少年も早や17歳。
またもや受験生の夏。
現在の全国の虫好き少年少女たち! 待望の夏本番はこれからです。
時に
「あ~~~ ゲ~ジュツが足りない!」
って、脳とココロの栄養不足を感じることがある。
そんな時は、休みの日に展覧会へひとっ飛び。
今回は、思い立って東京都写真美術館へ。
写真作品のつくりかた という展示へ。
美術館保有作品の選りすぐりの数々が惜しみなく展示されている。
光と影の創り上げる芸術。すきだなあ。
植田正治、奈良原一高、濱谷浩
ユージン・スミス、マン・レイ、ユーサフ・カーシュ etc.etc.
アングル、焦点、光のあつかい、暗室作業 というブロックに分けて展示されている。
写真を勉強しているひとには、いい学びの場所になると思います。
ややこしい技術的なことには開眼していないわたしのように
ただ 「あ、コレ スキ」 って鑑賞するだけの方にも十分見応えあり。
しばし立ち止まってしまう いい写真にたくさん出逢えました。
感性と本能だけで(尚且つオートフォーカスのみ)しか撮らないわたし。
でも、時間の切れはしを捕まえるのってたのしいよねえ。
すきだから撮る。すきだから描く。すきだから観る。
たのしい って自分が思えたらそれで十分です。
ここの空間、結構ツボだ~。
あえて、モノクロです。(すぐ感化される)
東京都写真美術館入り口から。
うちの次男坊。
今度はラーメン道へ。(?)
先日、本格ラーメンをスープから作って
晩御飯に家族みんなにふるまってくれた。
チャーシューは以前から何度も挑戦して
かなり上手になってきたところ。
タコ糸を巻くのも、もうお手の物。
料理好き男子、いつもネットでレシピを見つけてはちゃちゃっと作る。
現代っ子だなあ。
今回のラーメン。
スープは、鶏がらやら野菜やらなんやらからダシを取る白湯スープ。
思ったより白濁しなかったらしいけれど
初めてにしちゃあ、上出来上出来!!
わたしゃ、ラーメンを元から作ろうと思ったことなど
人生で一度もありません。。。
で、出来上がりはこちら!!
煮玉子は間に合わず!
翌日にしっかり味の浸みた煮玉子を美味しくいただきました。
なんだっていいんだよね~。
自分で何かを創り出すって たのしいこと。
中三・自分探し遭難中の彼。
今後の進路、ラーメン店で修業ってのもいいんじゃん? って言ってみたけど、
料理は趣味にとっておくのだそうだ。 ふ~ん。
「今度は麺も全部手作りしてえ。」 と、完璧主義の息子らしい一言。。。
やりたいことをやりたまえ~。
どこへだって行きたまえ~。
キミの踏み出すその一歩は、キミの未来への道なのだ~。なあんてね。
ま、何はともあれ、
めちゃ美味しかったのでまた作ってちょうだいな!
道徳が「教科」になる、という話があるそうだけれど。
教科にするには、評価が必要となるのだそうだ。
道徳の成績???それって何だか可笑しな話だよね。
感じ方や受け取り方って ひとそれぞれ。
考え方だって 千種万様。
何が正答で、何が誤答かなんて
ひとつひとつきっちりと 数学みたいに答えが出るわけないよね。
わたしが小学生の頃は、確か時間割の中に「道徳」って時間があったなあ。
本好きな子どもだったせいか、道徳の本に載っている読み物が結構すきだった。
感動的なお話とか、倫理的なお話とか。
授業の内容は覚えていないけれど
読み物としては国語の本より興味深かったことは覚えている。
でもさ、本来「ドウトク」って、
友達や、周りのオトナや、自然、本、マンガなどなど
生活の中のいろんなものから学ぶもの。
わたしの場合は、小学生ではアニメの「ムーミン」や児童文学。
そして近所のいろんな年齢の遊び仲間から。
中学生の頃はマンガの「ブラック・ジャック」から、たくさん学んだような気がするよ。
今振り返ってみても 「ブラック・ジャック」は、まるまる道徳です。おすすめ!
それにしても
「道徳」の時間はあってもいいとは思うけれど
評価をしちゃあイケナイと思うなあ。
ちょっとそれって違うよねえ。
「ひまわりってさ、本当にみんなで太陽のほうを向くんだねえ。かわいいねえ。」
小学校の花壇に並ぶひまわりを見回ってきた夫が、今更ながら感心している。
彼はなんだかずう~っと小学校の役員さん。
ひまわりを植えるプロジェクトも彼らの発案なのだ。
「でもさ~。180度反対向いてるのが一本だけいてさ、
あれ、うちの子みたいだなあって思ったよ~。」
ガラにもなく そんなメルヘンなことを言い出した。
そうだよね。
はみ出したり、そっぽ向いたり
大勢いれば、ちょっとはそういうのがいて当たり前なんだよね。
というより、むしろアナタも十分そういうタイプでしょうが!
典型的なマイペースB型の夫君。
いつも、どんなトラブルも どこ吹く風?という具合に、動じないタイプ。(ただの鈍?)
それは、長所であり短所でもあるのだなあ。。。
まあ、それでもちゃんと大人になって、こうして少しは世の中の役に立っているのだもの~。
いいんだよね~、そっぽ向いたって、はみ出したって。
無理してみんなと同じにしなくたって。
必要を感じれば、ひまわりだってそのうちに自分で太陽のほうを向くはずだからね。
Take it easy !
義務教育中なのだけれど、
「おれ学校辞めたから」と、すっかりリタイアしてしまっているうちの14歳次男坊。
彼のことで、定期的に心理相談員さんと面談している。
本当は、息子が話をしに行くべきなのだけれど
彼は、「俺は相談することはないから行かない」と、
まだ一度も顔を出したことはないのだ~。
近頃は「また行くの?よく話すことあるね~」 だって。
あの~~~??もしもし?
誰の相談だと思ってる?
実際わたし、何をしに行っているのかわからなくなる。
だって完全にわたしのカウンセリング。
お蔭さまで、毎回あれやこれやと話しているうちに
気持ちの整理がついていくのがわかる。
とてもありがたい一時間です。
いろんなことにメゲないわたしに
相談員さんが素朴な疑問を投げかける。。。
「期待して、期待通りにいかなくて、がっかりして。
その繰り返しでおかあさん、しんどくないですか?」
え???
そりゃあ、しんどいですよね~。しんどくないヒトがどこにいますか??
でもそれは、わたしサイドの勝手な期待ですから。
上手いこと期待通りにいくわけはないわけで。。。
だから、また自分の気持ちを
こう、よいしょと、入れ替えてサポートするんです。
相談員さんは、「その、気持ちのV字回復がすごいです。」と誉めてくださったのだけれど。
わたしはそのV字回復ってコトバがすっかりツボにハマり、
大笑いしちゃったのだけれど、
そんなに心配されること自体が、とても思いがけないことだったので
「大丈夫」じゃ、だめなんだろうか???
と、かえって心配になってしまった。。。
そりゃあ、山あり谷あり、人生イロイロ。
でも、それはそれ。これはこれ。
なんとかなるもんさ~ って思うしかないことってあるもんね。
彼は学校には行っていないけれど、
人の道に外れたわけじゃないしねえ。
なぜわたしがそんなに回復できるのか、
まだ不思議に思ってらっしゃるようだったので
「わたし、Dreamerだから?じゃないですかね~?」 って答えたら
今度は相手がウケて笑う。。。。
だって、人生にはどうにもならないことだって
いっぱいあるもんね。
それでも、期待や希望を捨てないこと。
ドリーマーなくらいで丁度いいんじゃないかな。
もちろん、真剣に話すこともあるのですよ。
でもね、大笑いして相談室を後にすると
わたし、束の間でもすっかり快晴!になって帰ります。
さすが、プロですねえ。ありがたいことです。
卒業するまでに彼がちゃんとご挨拶に行けるのかは未知数ですが、
(オレは用がない・・と言うカワイクナイ息子です)
いつか、彼がしっかり自分の道を歩き出し、一人前の大人になったら
お世話になった相談員さんにその姿を見てもらいたいなあ。。。
と、フワフワと夢を(妄想か?)膨らますわたし・・・やっぱりDreamerなんだなあ~。ま、いっか!
梅雨明け早々毎日続く酷暑。
自転車で配達にみえた宅配のお兄さんに
「毎日この気温じゃたいへんですね~!」と言うと、
「ええ、もう、楽しんでます!」と 朗らかな笑顔で汗を拭く。
すばらしいなあ!
暑いのはどうにもできないから、もう楽しんじゃうっていう発想。
メチャ前向きで すきだなあ。
おかげでこっちも楽しくなりましたワ~。
そのあと行ったお肉屋さんで
「参るね~暑くて~」 というお肉屋さんのおじさんに
「ここはハワイ~。って思っとくしかないですね~!」 と わたしがアハハと笑うと
おじさんも 「あ、それいいね!そう思うことにしよう!」 と ガハハと笑う。
酷暑に対抗できるのは、もはや笑いしかない!?
とりあえずもうこの暑さは、笑っとくしかないね。
熱中症対策は、ばっちり怠りなく!
あとはココロにハワイアンのウクレレの調べでも流して、ワハハと笑っていきましょう。
なんと早い梅雨明け。
そして明けて早々の夕立がありました。
夏の風物詩・夕立ってすきだなあ。(ゲリラ豪雨は別ですが)
照る強い陽射しに光る雨粒の美しさ・・・ いいよねえ。
そしてこの 「ゆうだち せんたくや」 は
ちいさい頃だいすきだった曲のひとつ。
ゆうだち どしゃぶり せんたくや
おうちも どうろも きも くさも
ざあざあ じゃぶじゃぶ あらいます
ゆうだち せんたくおわったら
おうちも どうろも きも くさも
きれいな おかおで にじみてる
このページは、これまたすごいよ~。
作詞: まどみちお氏。
作曲: 服部公一氏。
絵: 安野光雅氏。
ゴールデントリオって感じ?
夏の夕立に いつもこんなにいい気分にしてもらえるのは
小さい頃によく聴いたこの歌のお蔭かもしれないね。
街中 ざあざあじゃぶじゃぶ 洗ってもらえちゃうんだもんねえ。
一緒にココロもさっぱりだよ。
ゆうだちせんたくやさん、ありがたいことです。
ひとりひとり みんな違う。
ひとりひとりが かけがえのないヒトなんだってことを
普段忘れがちだよね。
キミも あなたも かけがえのないヒト。
やたらめったら誰もそんなこと言ってくれないもんだ。
だから自分にもね、そう言い聞かせよう。
誰もあなたの代わりにはなれない。
わたしの代わりにも 誰もなれない。
自信過剰なのはハナにつくけど
「自分」ってもんは、この世でただひとり。ってことを
たまには思い出して、自分をたいせつに思う瞬間があってもいい。
誰だってひとりで生きてきたわけじゃない。
赤ん坊の時には世話をしてくれるひとがいて、
ご飯を食べさせて大きくしてくれたひとがいたから
今の自分がいる。
祖先の誰かひとりが欠けても
今の自分はこうして出来上がっていないんだよね。
いろんなことがあって
いやになっちゃう時にこそ、いのちの繋がりに感謝しよう。
「生きてるだけで丸儲け」ってコトバ、さんまさんの名言だったっけ。
誰ひとり 永遠の命をもつひとはいない。
イイこともワルイことも、生きてる今の時間を
自分らしくゆっくりと楽しんで過ごそう。
昔 会社で受けた自己肯定セミナーみたいなことを
書いてる自分がなんだかヘンだけど、
いろんな実体験を重ねると、
ほんと、「生きてるだけで丸儲け」って思うが勝ちだな
って気持ちになるもんなんだなあ。
自分は自分らしく。ありのままでね。
「映画」は、いろんな知らない世界を見せてくれる。
わたしには、本と同じく 世界を拡げてくれる貴重な文化の泉。
ヴィム・ヴェンダース制作の「レイン」 (Three Days of Rain 2003年アメリカ)
を観た。
降り続く雨の街
もの憂いジャズの音
それぞれの上に流れる時間
観たその時にはよく解らなくても、後々ふと考えさせられる映画ってあるよね。
この「レイン」はその手の映画。 (でも暗いなあ・・・)
ヴィム・ヴェンダースといえば。
「パリ、テキサス」だよね。 (Paris,Texas 1984年アメリカ)
あの映画、観たのは20代半頃だったかな。
ひどく深くこころに刺さって抜けない映画のうちのひとつ。
もう一度、観たくなっちゃったなあ。
40代の今観たら、受け取り方もきっと違うはず。
わたしは何を想うだろう。。。