時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

視線をたどる。

2012-06-30 | essay

  いろんなところに「かお」を見つけてしまう、という癖アリ。

 小学校の体育館に鎮座するヤツ。 一度顔に見えちゃうと、もうずっと「かお」にしか見えないんだよ~。

 ちょっとニヒリスト風なハニワ顔がいいんだな。

この体育館は、週に一度の合気道の稽古場所。

日常のなかの、非日常。
真面目に稽古をしていると、あ、今、めっちゃ集中してたなあ、わたし。って 後から気付く。

いろんなことで ぱんぱんになってる頭をカラッポにして無になる こういう瞬間って、とっても貴重な時間だ。

武道を習うのは、四十半ばにして初めてのことだけれど、
やはりピリっと自分を律する時間を持つってのは気持ちのいいものなのですなあ。

娘のオマケとして一緒に習い始めて、もう2年!? まだまだ初心者。いつまで続けられるのやら~?
それでも もうすぐ昇級試験だ!がんばろう。

この場所は間もなく耐震工事に入るので、跳び箱ハニワくんとも暫しのお別れです。

 

 


最初の夏雲

2012-06-29 | essay

まだ梅雨も半ばなのに、庭からふと見上げた空には立派な入道雲が。
暑い夏もすぐそこです。

 
このところ毎週金曜夜に行われている首相官邸前での再稼働反対デモ。
ようやくマスコミも取り上げざるを得なくなってきた様子。

さすがに 今夜の7時のNHKニュースでもサラッと言及していた。
それでも、着々と再稼働の準備は進められている。
3号機は、あさって7月2日には臨界に達し、予定通りに作業が進めば8日にはフル稼働なのだそうだ。

「臨界」ってコトバも、もう怖くてニュースで聞きたくないよ。
どうしてこんな恐ろしいことが公然と押し進められてゆくのか。。。

一日本人として、とても恥ずかしい。
取り返しのつかない間違いを、もう起こしてしまった日本なのに。
福島第一原発だって、まだちっとも予断を許さない事態のままなのに。

なにが一番たいせつなのか、コドモにだってわかってる。
安全に暮らせてこその「経済」。
いのちあっての「日本」だよ。。。

デモに参加された方々には頭が下がります。
直接参加は難しくても、日本全国に想いを同じくする人間は大勢います。
ニンゲン以外の動植物だって、喋ることができたなら、断固反対を叫んでるよね。人間だけの地球じゃないんだもん。

「ひとり」は ちっこいけれど、ひとりひとり皆がきちんと考えて、諦めずにいれば、やがて大きな力になるはず! と信じよう。。。


       



ジェットコースターとチョコレートボックス

2012-06-28 | essay

  


人生はジェットコースターのようなもの。上がったかと思うと急降下。それでも楽しい。回るだけのメリーゴーランドじゃつまらない。

  と言ったのは、「バックマン家の人々」の中のおばあさん。

人生はチョコレート・ボックスのようなもの。開けてみなきゃ中身はわからない。

  と言ったのは、「フォレスト・ガンプ」の中のおかあさん。



映画って、ある意味「哲学」ですねえ。


人生には、いろんなことが起こる。 山あり谷あり。。。一難去ってまた一難。

それでも、悲喜交々さまざまなテイストを味わうのは、「生きてる」ってことの重要なスパイスだもんね。

一歩一歩。 ひとつひとつ。 一段一段。


ちょっとくたびれちゃったら、ぽいぽいっと荷物を投げ出して、草の上でお昼寝だ。

少しぐらい汚れたってかまわないよ。 草の匂いは、コドモの頃のきもちを鮮やかにここに連れてきてくれる。

編んでもらったお花の冠を髪に乗せて、お姫様のような気分になったのは いくつの頃だったかな。

あの冠を上手に編んでくれたひとは、誰だったろう?

あの西の町の川沿いの土手には、今でもたくさん花が咲いているだろうか。

ゆらりゆらりと 記憶の海を漂う。。。    そんな時間も いいものです。


ともだちの 一枚のきれいな空の写真に こころをふわりと持ち上げてもらったり、

ゴハン食べてしゃべろう!ってか~るいコトバが灯火に見えたり、ね。

みえなくても、こころに架かる橋・・・。  ありがたいことです。


              




反抗期少年のココロ模様

2012-06-25 | essay



去年、逝ってしまったたいせつなともだち。
彼女のふたりの子どもたち、大学2年のKちゃんと高二のYくん。
久しぶりに揃ってうちに遊びにくることに。
家庭料理は久しぶりなあの子たちのために、頑張ってご馳走をこしらえた。

赤ちゃんの頃から家をよく行き来していたので、彼らとうちの子たちは、いとこ同士のようなもの。
これで5人の子どもたちが久しぶりに顔を揃える。って思ったら・・・
うちの次男坊、ご飯になっても帰宅せず。
友達と遊ぶから遅くなる。とメール。

彼は反抗期真っ只中だ。何でも気に入らない。可哀相なくらいモガイテル。でも、それも成長のうちだ。仕方がない。

中学時代、ヒドイ反抗期で親を悩ませていたYくん、大学生になって親の扱いが上手になったKちゃん。
反抗期OB・OGのふたりが、反抗期に於けるコドモの思考傾向を生レクチャーしてくれた。

そりゃ、ホヤホヤのOBだもんね、ふ~~~む。なるほど~。そうなのか~。と、とっても参考になった。
傍では、ウチの高二長男が、にやにやしながら、そうそう、と頷く。
あら。なんだよ、キミもそうだったのかあ。ま、そりゃ親に直接は言わないもんだよねえ。

「今、何言っても聞かないからね。そのうち気づくから、放っといたほうがいいよ。
あの頃のオレ、もうチョー恥ずかしいもん」
「でも、ガチで一度しめといたほうがいいかもね。」と、ほんのちょっと前の反抗期時代を振り返るYくん。

おもしろいものだなあ。
ひと夏前に急逝してしまったアノ子と、互いの反抗期息子のグチを言い合っていたのは、ついこの前のこと。
アノ子とはもう喋れなくなってしまったけれど、こうしてアノ子のコドモたちと
あれやこれやと語り合う時間が廻ってくるフシギ。。。
血縁はなくとも、縁あってこうして繋がれるシアワセ。。。 

団らん中、絶妙なタイミングで、壁のボードから紙類が突然ザザ~っと落ちてきて、
皆で顔を見合わせてニンマリ。 「ママかもね~」と Yくん。
きっと、アノ子もそばにいたに違いない。ミエナイけれどね。

それにしても。「な~んで、若いあたしらが育児の話してんだろね~!!」と、Kちゃん。
いやホント、すっかり育児相談みたいになっちゃっていて、笑っちゃいました。

この個性豊かな5人のコドモたちが大人になってゆくのを見るのがとても楽しみ。
頼りない母ちゃんだけど、後ろで見守っているよ~!


 



 


お箸の「じゃらじゃら感」

2012-06-20 | essay

            

親のありがたさって、離れて暮らして初めて気づくもの。
ひとり暮らしをしていた20代。
ひとりで暮らすぞ!って意気込んで家を出たとかいうわけではなく、
仕事の関係で、父が家族で暮らしていた品川のマンションを売って大阪への引っ越しを決めてしまったため、
既に会社勤めだったわたしはアパートを見つけて東京に残った、というだけなのだが。

大阪の両親の家に、家族5人集まることが年に数度あった。

家族揃って食べる夕飯の後片付け。。。
普段は、アパートでたった一膳のお箸を洗う日々。
久しぶりに五人分のお箸をじゃらじゃらとまとめて洗っていた時にふと涙が出そうに・・・。

家族で暮らしていた頃は当たり前だったこの五膳の「じゃらじゃら感」が懐かしく、
しみじみと「家族なんだなあ」って思ったんだ・・・。
あの時初めて家族のありがたさに気づいたのかもしれない。
そして、もうこうして五人一緒に暮らすことはないんだ・・・ということに気づいて、せつなくなってしまったことも覚えている。
あんなに感傷的な気持ちになったのは、仕事やレンアイ事情にこころがくたびれていた時期だったのかもしれないけれどね。

時間がぐるりと廻り、今は夫とわたしと三人の子どもの五人家族。
時々、同じようにじゃらじゃらと占い師よろしく五膳のお箸をまとめて洗いながら
あの時感じた気持ちを懐かしく思い出すことがある。

そして、こうして「家族」でいる時間も永遠ではない ということに気づかされる。

泣いたり笑ったり怒ったりケンカしたり、思うようにいかないこともたくさんあるけれど
どんな日もその日限りの一日。もう一度同じ日は巡ってこないんだよね。
何気ない毎日をちゃんと味わって暮らそう。

そしてまた時間は廻り、子どもたちが巣立ち、いつか五膳のお箸が二膳になる日がくる。
時にはみんなで集まって、お箸をじゃらじゃらと洗いながら、
きっとわたしは、またあの時と同じ気持ちを思い出すのだろうなあ。






ドレミファブック*絵の魅力

2012-06-19 | 「ドレミファブック」 のこと



お馴染み、知る人ぞ知るレコード付き絵本:ドレミファブック(1970年代初頭 世界文化社発行)には、いい音楽が盛りだくさん。

そして、こどものココロを刺激するいい絵も、実に盛りだくさんだったのだ~。

当時、「ドレミファブック」の発行にあたり、この企画の担当者さん方がどれだけ心血を注いでいらしたか
そうそうたる顔ぶれの作詞・作曲・挿絵の先生方のお名前の連なりを見れば、ここからでも想像ができる。

子どもたちに、最高にいいものを与えたいという思いを込めて編集されたことが
絵本を開けば、レコードに針を落とせば、ちゃんと伝わってくる。数十年後の今でも。

ドレミファブックで育った大勢の元チルドレンの、端くれのひとりとしてお礼を言いたいくらいです。
たくさんのたいせつなことを、ドレミファブックの中の歌や絵から教えてもらったような気がします。

ココロに残る絵は、挙げて行けばきりがないけれど、
中でもこの絵にはものすごくものすごく引き込まれていたものです。
「ぐるーん・ぽん」という体操の歌のために描かれた、安野光雅氏の数枚の絵。上の絵はその中のひとつ。

自分がかけているレコード盤と同じ絵なのに、なんと 捲ると海があるんだよ!
こんなフシギな世界が繰り広げられて描かれていることが、子ども心にスゴイ衝撃だったのだなあ。
小学校1~2年生の頃、レコードもかけずにこの不思議な絵の数々に眺め入っていたことをよく覚えている。

安野光雅氏の描くフシギな絵とは、それから数年後に引っ越した町で
ともだちと毎週土曜の午後、バスに揺られて通った図書館で再会する。

絵本「ふしぎなえ」と、「ふしぎなサーカス」 これは名作中の名作。
今でもこの絵本を開くと、あの町のちょっと薄暗い図書館の匂いと、
ものすごく沈み込む大きな古いソファーに座ってこの絵本のページをめくる小さな自分を思い出す。
あの頃すごく仲良しだったあの女の子と一緒だったから、あれは四年生の頃だったんだなあ。


なにも先入観を持たない小さな頃に、絵を眺めていろんなことを想うって、ものすごく贅沢な時間。
外でも十分遊んでいたのに、こういうゆとりの時間もたっぷりあったということは、
昔の子ども時間って、現代よりもゆっくり時間が流れていたような気がしちゃう。

DVDやゲームの目まぐるしい映像に慣れっこになっている現代の子どもたちにこそ、
そんなふうにゆったりと流れる時間を、たまには持たせてあげたいものだなあ。








1111

2012-06-18 | essay



先日、編集画面の「ブログ開始から××日」という欄にふと目が行って、
お~もうすぐぞろ目!と気付きました。

というわけで今日は開始から1111日。毎日書いているわけではないけれど
一千近くも書きたいことがあったわけだ・・・わたし。  と、改めて振り返ると自分でもびっくり。

こころの中のいろんなものをひっぱり出して、ココロの風通しをしよう と、綴り始めたのが三年前。
勝手なことを書き綴ってきたわけなのですが、
こうしていろんな想いを文章にすることは、ココロの整理整頓に本当に役立ちました。
結果論ですが、文章を書くことは有効なセルフセラピーになる、と実感しています。(我流ですが)


お顔は見えませんが、いつも読みに来てくださる方、たまたま何かのキーワードから流れ着いてきてくださる方、
時に怒りをぶつけ、時に過去へタイムスリップ、時にはナキムシでドリーマー。
思うまま~気ままな、わたしのひとり言的散文を読んでくださり、こころから感謝しております。

自分自身、「カキコミ」は苦手なので、コメント欄はあえて設けず
どなたさまにも気軽に読んでいただけるようにしておりますが、
時に友人から、コメント欄も設けたらいいのに~!といわれることもあり・・・。

もしも、とっても「モノ申したい!」という場合には、左のブックマークより声をお聞かせ下さいませ。
試験的に「お便り箱」というメール欄を設けました。
クリックすると、簡単なメールフォームからメールが送れるようになっております。
お便りはもちろん公開されません♪   (お便り箱はそのうち消滅する可能性アリ!です)

いつまで綴るのか? 風の吹くまま、気の向くまま~なエッセイではありますが、
これからも、気が向いたときにお気軽にお立ち寄りくださいませ。

1111日 ゾロメ記念日に。    Thanks!

   

                         時間のしずく~time drops  : miko  


           


 


ぱらぱらブックス 「猫のきまぐれ」

2012-06-17 | essay



おもしろいの 見っけ。

いわゆるぱらぱら漫画のミニ本。お店で(日本百貨店さん)見本を手にとってぱらぱらしてたら
思わず声を立てて笑いそうになっちゃったよ。
ものすごく猫らしい仕草に、ぷぷっと吹き出しちゃいそう。

物ごころついたころから、うちに猫も犬もいて、
入れ替わりながらもそれぞれの猫や犬と密着生活を送りながらオトナになったもので、
こういう何気ない猫の仕草って とっても懐かしい。
こんなに猫らしい姿を描ける作者さんは、相当の猫マニアなのでしょう~。
と思ったら、ケースに「猫のストーカー」って書いてありました。納得!

これは、ちょっと凹んだときに笑わしてもらお。と、購入~。

世の中には、理不尽なこと、許せないこと、相容れないこともたくさんあって、
それに固執してキリキリしてばかりいると、どんどんココロが尖がってしまう。
妥協するのではなく、それはそれ。これはこれ。とココロの置き場所を
自分で自在に変えることができるようになったのは、やはり年を重ねたからなんだろうなあ・・・と近頃しみじみ思う。

どんなことでも、バランスが大事だね。

青幻舎発行 「猫のきまぐれ」 浅生ハルミン著  超!おすすめです。

    


過去からの警鐘を聴くチカラを。

2012-06-16 | essay

「人間はまったくバカだ」

「原発は安全だ、原発そのものに危険はない、ミスは起こさないから問題ない、って言った奴らは許せない!」

「大人は十分生きたから死んだっていいよ、でも子どもはまだいくらも生きてないんだよ!」


これは・・・現在のコトバではなく、黒澤明監督の1990年の映画「夢」の中のセリフ。
マーティン・スコセッシが出演していると知って、借りて観てみたのだが・・・。

「こんな夢を見た」で始まる、8話のオムニバス。黒澤氏の夢を映像化した作品だという。

6話目の「赤富士」 そばで他のことをしながらちょろちょろ観ていた高校生の長男も画面に釘付け。
「これって、今の状況と同じじゃん。予知!?」 と驚く。

富士山が噴火。そして6基の原発が次々に爆発を起こす。逃げ惑う人々の群れ・・・というシーンから始まる。

そして場面は変わって、主人公たち以外、人の消えた荒涼とした土地に色の付いた霧が立ち込める。

「赤いのはプルトニウム239、黄色はストロンチウム90、紫色のはセシウム137だ。
放射能は目に見えないから危険だと、放射能物質の着色技術を開発したってどうにもならない。
知らずに殺されるか、知ってて殺されるかだ。死神に名刺をもらったってどうしようもない。」 
今となっては、科学者でなくとも誰もが知っている名前が次々出てくる。

20年前の黒澤明監督からの警鐘。。。

大飯原発の再稼動も秒読み。
野田総理は他の停止中の原発の再稼動も追って検討してゆきたいみたいなことを公言しているが。。。

ちょっと、真俯瞰からこの状況を眺めてみると、安直だけど「ばか!!」ってコトバしか思いつかない。
福島の事故からたった一年。まだ家に帰れない、帰る見込みの立たないひとも大勢いるこの日本。
世界を揺るがす原発事故を起こした張本人の日本。
日本だけのものじゃない、ニンゲンだけのものじゃない空気を、海を汚した張本人が、
懲りもせずまだ原発を動かそうとしているというこの愚かさ。

まるい地球の上から見るくらいの俯瞰的な視野でよく見てごらんよ。と、エライひとに言いたい。
日本がどんだけ間違ったことをしようとしているかよくわかるよ。

この映画「夢」の最後のエピソードのなかには、理想郷が描かれている。
昔ながらの生活を営む自然のなかの村。
このなかで、語る老人のセリフひとつひとつが、現代人への戒めとなっている。
(しかも20年も前の、である!)

旅人が老人に問う。
「明かりはどうしているんですか?」 「ろうそくがある。」
「夜は暗くないですか?」 「暗いのが夜だ。星も見えないような明るい夜はいらない。」
このコトバがとてもこころに残ります。

あ。ところで、スコセッシは何話目かのゴッホの役で出演していました~。
スコセッシがきっかけとはいえ、この映画を偶然今観るってのもまた・・・。ふしぎな縁です。

こういう、たいせつなメッセージ。もっと生かされてもいいはず。
人間は愚かなイキモノだけれど、愚かであることに甘んじちゃいけないよね。

警鐘に耳を傾ける力を、こころで考える力を、これからを生きる子どもたちには養ってもらいたいと切に願います。






ニーケーゴーヨンマル

2012-06-15 | 古い建物 のこと

   

秋葉原と御徒町の間の高架下に出現した「ものづくりの街」 工房とショップが立ち並ぶ ≪ 2k540 ≫

ここへ徒歩で来られる町に暮らす、ものづくり好きなともだちZちゃんに、「面白いから行ってみ!」と以前から奨められていたスポットなんだ。

梅雨の中休みの晴れ!な上に定休日とくれば、家になんか居られません。
そうだ!あそこだ!と思い立って、仕事がお休みだったともだちkさんをお誘いして行ってみた。

秋葉原駅から5分くらいかな。 見えてきました。 

高架下って、昔の鉄骨感が結構すき。それがこんな白い白い不思議な空間に。

  

反対側を振り返ると、昔通りの光景だ。おもしろい。


 すてきなお店がいっぱい。なかでも、この「日本百貨店」さんは、いいわあ。

レトロなムードを持つ、たのしい日本のイイものがいっぱいだ。

 草木染めの「MAITO」さんのストール。わたしには手の出せないお値段だったけれど、素敵でした~。

 「遊食家 Boo」 にてお昼ごはん。バジルクリームソースのハンバーグ、美味!!

2k540 とってもいい感じの開放的な空間。 しかも高架下なので、雨の日でもOKね。
御徒町にいるとは思えないフシギな空間です。

ところで2k540って、なんの意味? って思ったら、ショップ・ガイドに書いてありました。
鉄道用語では用地を起点からの距離「キロ程」で表すことから、起点の東京駅から2k540mということで名付けられたということ。

あたし、2k540m店が続いているのか?と思ったよ。と言ったら、
いつも冷静なkさん、「それは長すぎ。それじゃ駅を突き抜けてるよ!」
そうだよねえ。駅と駅の間の高架下なんだから2k540mなわけないのよ。
そんだけあったら都内なら3駅くらい歩けちゃうよね~。
わ。3駅でほんとに東京駅だ!

2k540 またのぞきに行ってみよう! 

         



時計の音と水滴の音

2012-06-13 | essay




中2の次男がPSPにyahooの画面を出していてビックリ。
わたし、ゲームの機械がネットに繋がるってことも知らなかったよ。

「オカアチャンのブログの名前なんて~の」とPSPで試しに検索しようと彼が聞く。

「ジカンノシズク だよ」 と言うと、  クックク・・・・と笑われた。

「恥ずかしくて打てねえ~!!なんかこう、カッコよく英語とかにしなよ!」 だって。

ちぇ~っ。失礼な奴だ。
悔しいけど、ハズカシイとまで言われちゃーなあ・・・!
というわけで、しばらく前にタイトルの後ろに「time drops」と付け加えてみたわけなのです~。
(って、そのまんまやん!)

でも、横文字にすると、高野寛氏の曲のタイトルと同じ! と、勝手にちょっとうれしかったりするのでした~。


時計のコチコチコチと時を刻む音。
ぽたんぽたんと落ちる水滴の音。

どちらも同じ みえない時間のたてたオトです。      時間の雫   Time Drops







こどもの声

2012-06-12 | essay



10歳の娘が、ニュースを見て怒ってる。

野田氏が大飯原発の再稼動を「私の責任で」とか言っちゃってるのを聴いて。

「また事故が起きちゃって、もし人が死んじゃったら生き返らせてくれるって言うのかよー!!」 と語気荒く。

こどもにだってわかることだよ。

原発稼働ゼロのこの状態を保って、ひとつひとつ廃炉にしていこうよ~。それだって何十年とかかるんだもん。


「間違ったものを作っちゃったけれど、危ないのでもう止めにします」って、

子どもたちに向けて堂々と言ってくれる正しい大人になってよ。野田さん。

あのまま、管さんが総理でいたとしたら・・・?
どんなに大きなみえないチカラがマグマのように蠢いているのだろう・・・と思わずにいられないよね。
管さんが総て正しいとは思っていないけれど、少なくとも原発再稼動に関して国民投票は実現したのではないか。。。?

国民ひとりひとりが、諦めずに正していこうという気持ちを持ち続けること。
それがとても大事だよね。





キレイな絵とおいしいカフェ

2012-06-11 | 展覧会・アート のこと



Bunkamura にて。
一階のギャラリーから溢れるローズピンクに引き寄せられて観に行ってみた。

蜷川有紀絵画展 「薔薇都市」 

和紙に岩絵の具をのせて描いていらっしゃるそうで、
平面なのに凹凸があるような錯覚のおきる、幻想的でフシギな絵画。
色合いのとても美しいオトナのファンタジーでした。 大粒のなみだが印象に残ります。。。


 ライブに行く前にkさんと落ち合って腹ごしらえ

Bunkamuraから松濤方面へまっすぐ。カフェ「ガレットリア」でおいしいガレットとクレープ。
おいしい上に、なんとも可愛らしいお店の佇まい。

kさんは、どこの街へ行っても素敵なカフェへと導いてくれるんだなあ。
彼女はカフェ探しの達人だ。しかも初めて行くお店でもちゃんと迷うことなく行き着けるところがすごい!
方向音痴のわたしにとっては、カミワザだ。
方位磁石とマップが脳に内蔵されているの~~~??
うらやましい限りです~。



≪ほつれ髪の女≫ レオナルド・ダ・ヴィンチ

2012-06-10 | 展覧会・アート のこと



高野寛氏のライブに行く前に、
せっかくだからすぐ近くのBunkamura「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展へ。

もう会期終了直前なため、案の定結構混雑していたけれど
やっぱり観に行ってよかった。

「ほつれ髪の女」は、美術史に詳しくないわたしが知っている限りのダ・ヴィンチの描く女性の絵の中で
最も人間らしいやさしい表情をしているような気がする。
1506-08年頃 板に描かれた小さな絵なのだけれど、とっても味わい深い奥行きのある絵だったなあ。

ダ・ヴィンチが弟子に指導したというコトバ。
「慎ましやかな女性を描くときには、頭を下げてあるいは斜めに傾げた仕草で描くと良い」
その教えの手本になるような絵だ。表情に慎ましさや奥ゆかしい気品が溢れてる。

「モナリザ」のイメージ画をたくさんの弟子や後世の画家が描いているのにもびっくり。
こんなにたくさんあるのねえ。  (ちょっと並べすぎてありがたみがなくなっちゃうけど~)
なかでも、「アイルワースのモナリザ」という絵の表情が一番よかったな。
とても美人で、ちょっとだけ口元に笑みが浮かんでいるところが可愛らしい。
これは、ダ・ヴィンチによる未完成作だという説もあるそうだ。

昔ヨーロッパを旅した時に、宗教画をたくさん見過ぎて食傷気味になったものだが、(ごめんなさい)
久しぶりにちゃんと観る宗教画の数々、なんだかとても美しかった・・・。
以前は人物ばかりに目がいってしまって気づかなかったけれど、
背景の自然や空や雲に視線を転じてみると、なんだかすごく開放感を感じるんだなあ。
ず~っと昔のダ・ヴィンチの時代の空。木々。風。 
時空を超えて、絵の中の雲を動かす風を感じてみるのも 面白いです。

15~16世紀からたいせつに残されてきた絵画の数々。
その時間の長さと、保存のご尽力を思うとちょっとクラクラ眩暈がしそう。
生で観れるって、奇跡です。

 ダ・ヴィンチ考案≪柳の枝の飾り文様≫





LIVE 高野寛+伊藤大助(クラムボン)

2012-06-09 | MUSICのこと

  

渋谷DUO 高野寛+伊藤大助(クラムボン) に行ってきた。

高野さんのライブは数度お邪魔しているのだけれど
伊藤大助さんはお初。わたしギターとドラムだけのライブって初めてかも。
でもエレクトリカルな機器を駆使しての演奏で、ふたりだけのオトとは思えない拡がり~。
ドラムのちょうどいい力強さのオトで、今回はとってもロックなライブでした。

高野さんの詩のフレーズ、時々どきっとするほど共感する。
このツアー中に作ったと仰っていた「太陽と月 ひとつになるとき」 よかったなあ。

高野氏のおんがく。 また聴きに行きたいな。って、ライブの帰り道に もう思う。

世の中には、理不尽なこと。ままならないこと。いっぱいある。
あ~たのしい!って感じることって、考えるチカラの源になるよね。
ココロはバランスが大事。怒りや悲しみを抱えてばかりいてはパワーのゲージがゼロになっちゃう。
「たのしい気持ち」で、ココロにエネルギー注入です。
ごちそうさまでした~♪




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