思えば、20代の頃、強く いつか「なにものか」になりたい って望んでいた。
しか~し、あれよあれよという間に人生50年。
あの頃思っていた「なにものか」にはなれていないけれど
なにものかになんてならなくてもいいんだってことに
いつの間にか気づいていた。
じぶんはひとりしかいない。
あの頃のわたしが掲げてた幻の「なにものか」は自分ではない「誰か」だった。
じぶんがじぶんらしく懸命に生きていれば、
それがもうとっくに「じぶんらしいなにものか」になってるってことなんだなあ。
ナニモノカはわたしのマボロシの理想像だったのね。
でもまあ、悪いことでもない。
若い時はガムシャラに走ることもたいせつ。
たとえマボロシだとしても、上を向いて目指す何かが必要でもあるものね。
少年よ、大志を抱け!?
いつの頃からだったか、自分で自分に課した「ジブンノワクハズシ」。
年齢が上がると共にいとも簡単になってきたような気がする。
たいへんにみえても
たいていのことは
案外何でもないことなのであ~る
(本当にたいへんなことはもっと次元が違うのである)
自分の枠を外すってのは
大層なことではなく
自分を俯瞰から眺めること。
「ありゃまあ、たいへんそうね~、アンタ」
「でもまあホドホドによくやってるよ、アンタ!」
と、自分を外から眺めて 自分をホメル。
誰かにほめてもらいたいとか、ねぎらってもらいたいとか
そりゃあそれもとっても大切で、嬉しいことだけれど
そんなの待ってばかりじゃいつもいつも報われるとは限らない。
人生の陽が暮れちゃう。
おてんとさまは見てくれてる。
とりあえず自分をほめておこう。
せっかちなわたしには、手っ取り早い自己充足方法なのであ~る。
ドレミファブック1巻のB面は「バンビ」
可愛くてとってもすきだったなあ。
夢の広がる絵ですねえ。今こうして改めて観ても、なんてすてきなんでしょう。
丁度その頃、わたしは奈良のコドモで
鹿はファミリアーな存在のイキモノだったせいか、ドレミファブックの中でも特にすきなお話でありました。
奈良公園で、ピンクやオレンジのビニール製のバンビを何度買ってもらったことか・・・!
なつかしいなあ。足に車が付いてるのを部屋の中で連れ回してペットのように可愛がっていたものです。
ドレミファブック。。。
幼い頃、たくさん大切なことを教えてくれた貴重な絵本とレコード。
色彩溢れる素晴らしい絵の数々をじっくりと眺めながらレコードを聴いて過ごした日々は
わたしのココロの根っこにしっかりと沁み込んでいます♪
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世界文化社:ドレミファブック 第1巻
ドレミファ童話「バンビ」原作/F・ザルテン 文/小林純一 絵/武井武雄 語りて/樫山文枝
NHKで紹介しているのを見て
わ、これはみたいぞ。と 覗いてきました。「活版TOKYO2017」in 神保町。
いいですねえ。手作業ってやっぱり味わいが違います。
紙モノずきとしてはたまらない品々にクラクラ。(会場の熱気にもくらくら)
つるぎ堂さんで購入したポストカード。
とってもツボなイラストの数々、全種類コレクションしたいくらいでございました。
いつか とか 今度 とか どこか とかじゃなくて
いま、ここ、を ちゃんと味わっていきよう。
明日は明日の風が吹くけれど
今日吹く風は、今日だけのもの。
明日は ここには吹かない。
そして、昨日の風を もうここには引き戻せない。
ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。。。
絵本の持つ力ってすごい。と改めて実感するこの頃。
幼稚園の預かり保育は、日によって人数が違う。
数人のこともあれば20名を超えることもある。
プール遊びも始まり、日中十分遊んだ子どもたち。
だんだん疲れもでてきて、仲良く遊んでいたかと思えば、あちこちで衝突が起きがちな夕方。
あまりにざわざわと不協和音が漂いだした時には・・・絵本の出番!
「さあ、絵本読もうかなあ~~」と一冊の本を開いて
読み聞かせをはじめると・・・さっきまでの喧噪がウソみたいに静まり
みんな目を輝かせて絵本に集中する。
子どもたちは皆、本能的と言ってもいいくらい絵本がすきだ。
そして、瞬時に物語の世界に入り込むのが上手だ。
まだ生れて3年~6年。オトナと違って、現実の世界と物語の世界の距離はとても近いのだと思う。
その純真無垢な瞳を見ていると、どの子も我が子みたいにとってもいとおしくなってしまう。
どの子も今の真っ直ぐなココロを忘れずにオトナになってほしいなあ・・・とこころから願う。
なかなかムズカシイことだけれどね~。
ちなみに昨日読んだ絵本の中の一冊は
みんなだいすきな林明子さんの「はじめてのおつかい」♪
風が吹いて運ばれてくる。
あたらしい空気。
あたらしいけれど心地よい空気に捲かれる。
この温度・・・、知ってる。
こころのアンテナが自然にキャッチする信号は
本能的に自分に合ってる。
大事なことは目にはみえない。
みえないからこそ、その温度を感じることがたいせつなのかもしれない。
頑なのココロには、なにも響かない。
いつの時も、やわらかなココロでいたいものだなあ。。。
ふわふわと水面に浮かぶうたかたのように
どこまでも流れのまま・・・な人生もいいかもしれない。
昔のシゴト仲間のトモダチと久しぶりに呑む。
二十代で出逢ったトモダチなのだけれど、ふしぎなものでなんというか
こんなに時間が経つともう幼なじみみたいなキモチ。
たくさんの記憶の共有。
思えばもうあの頃からほぼ30年も経つのねえ。
テーブルに互いの記憶を並べてみると
パズルのピースみたい。
欠けてた記憶が補われてテーブルの上にキラキラした時間の記憶が
3Dみたいに浮かび上がる。おもしろいものだなあ。
戻りたいわけでもないけれど、いずれにせよ決して戻れない時間。
ひとつひとつがいとおしい時間たち。
経営コンサルを生業としているトモダチからは
会うたび、なるほどなあ!と目からウロコ!なアドバイスのシャワーを浴びる。(タダでごめん・笑)
まったりペース、面倒くさがりのわたしの脳の回転数がほんのいっとき
ちょっと上がる。
日々進歩。いろんなことを具現化して日々を生きているヒトって
いい顔をしている。すっかりおっさんでもね。
互いの生存確認をするためにもたまには顔をみてしゃべるってたいせつなことだなあ。
日々経験。毎日をちゃんと味わって生きよう。
先のこともわたしなりにちょっとは考えよう。。。
そんなことを改めて思わせてくれる古いトモダチに感謝、である。