時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

ニンゲンズキ

2014-06-30 | essay



ニンゲンってやつは・・・!

わたしもニンゲンだけれどね、時に「ニンゲンッテヤツハ・・・!」って
歯痒く思うことがある。
ニンゲンはいつの時代も愚かで、そしてかわいい。

「性善説」を唱えたルソーに、(孔子もだっけか?)
座布団一枚!いや十枚?

生まれ落ちた時にはニンゲンはみな「善」。

いかに悪にまみれぬよう生きるか。
もしも、まみれることがあっても
いかに払い落して生きるか。

それもニンゲン次第。

全部、ぜーんぶ、自分次第なんだよね~~。
自分の人生、ひとのせいにしたってなんも始まらない。


一生懸命 は、ムダにはならないよね。


がんばろっと。 自分に喝!





ひたひたの水

2014-06-28 | essay



わたしはたっぷりヒタヒタのウェットなニンゲンだ。

うんと若い頃は、自分の中のウェット感が嫌で
竹を割ったようなドライな性格になりたいと憧れた。
でも、今はwetな自分もちゃんと肯定している。

だんだんと自分ってものがわかってくると
自分からこの水を取ったら
まるきり自分らしさが消えてしまうのだということに気づいて
いつの頃からか、たっぷりひたひた、結構! って思えるようになった。

ないものねだりより、持っているものをたいせつに。。。だね。

時にわたしは、わたしのこころの底にあるみずうみにちゃぽんと潜る。
そこは、記憶の海。 深く深くやさしい水。

つり池の家で産まれたうお座だしね?
水なしには生きられないよ。

おばあさんになっても、ゆめみる浮草でいようかな。
いくつになってもぷ~かぷかってのも
いいかもね~。

 

 

 


映画「チョコレートドーナツ」

2014-06-27 | 映画 のこと

「チョコレートドーナツ」 原題「Any Day Now」

これは来たらぜひとも観ようって思っていたのに
上映情報をチェックするのをすっかり忘れてた~。

ラッキーなことに、同じく洋画好きな友人が誘ってくれて
見逃さずにすみました。
とても久しぶりに映画館へ。

上映中だから詳細は書かないけれど・・・
実話だということを忘れずに、こころに刻みつけながら観る。


70年代のカリフォルニアが舞台。

ゲイバーのショーダンサー
お堅い弁護士
ネグレクト状態のダウン症の少年

それぞれに孤独な三人が出逢い、ひとつの家族になっていく。

アイ というもの。
家族 というもの。
こころをつなぐ ということ。

いろいろ考えさせられこころを揺さぶられる映画です。

同性愛者があからさまな差別を受けていた70年代・・・。
世間の目は冷たく、穏やかな三人の時間は長くは続かない。


「あんしん」ってものが
人間にとってどれほどたいせつなものか・・・

誰もに必要な、あって当然な安心して暮らす権利。

現在の日本に於いてもネグレクトの悲惨な事件は後を絶たず
罪のない子どもが今もどこかで
かなしいこころを抱えて暮らしているかと思うと・・・。

悲劇が起きる前に、たったひとりでも
気づいてあげられるように
ひとりひとりが無関心でいないようにしなくちゃね。


この、主演のアラン・カミング。
このひとの唄、このひとの演技・・・沁みます。
現実でも同性婚をしているというこのひとならではシンクロ感なのかも。

魂で繋がるアイに性別なんてもの、まったく関係ないとわたしも思う。

もしもうちの息子が将来カレシを連れてきても
わたしは No problemだよ!


映画「チョコレートドーナツ」
深い深いアイの映画です。





 


自分を外から視る。

2014-06-24 | essay



我が家の未だムズカシイ次男15歳。

先日、わたしにふいに言う。

「それにしても、キミって、どんだけ忍耐力あんの?
俺が親だったら、こんな息子とっくにイヤんなって殴ってるな。
いや、刺してるな。」

こわいわー(*▽*)

あなたもね、いつか親になったらわかるよ。
子育てっちゅうのは、忍耐の連続。
それでもね、たのしいこともいっぱいあるから大丈夫なんだよ。
人生一生修行だ~。

でもね。わたし、ちょっと安心したよ。
いつの間にか、自分をちゃんと客観視できてるじゃん。
外から自分を視るって、とてもたいせつなこと。

よっしゃよっしゃ。それでよし。

獲らタヌ計算だけは上手な彼は
バイトに行けるようになったら
最初のバイト代でわたしをステーキ屋へ連れて行って奢ってくれるらしい。
たのしみにしてるよ~。

義務教育&不登校を卒業したての通信制高校一年生。。。

もうちょっと、いろんなことに時間がかかりそうだけれど

 
「信じて待つ!」

これっきゃないっしょ!
V字回復はわたしの特技だから、ハハがんばるよ~。

 


 


エア・シャッター

2014-06-23 | essay



時に、とても上手にさらっと
話に幕を下ろすひとに遭遇する。


わたしは、そういうのをエア・シャッターと勝手に呼んでいる。

 はい、ここまで。

無言で伝わるやわらかな拒絶の波動。 

みえないシャッター。お見事。


わたしにはできない芸当だ。

ある意味、その術、ちょっとうらやましい。

 

 


とおくてちかい電話。

2014-06-21 | essay



次男が、「ちーばあちゃんの命日って、いつ?」
なんて、珍しいことを訊く。

「え?明日だよ」 というと

めちゃ驚く次男坊15歳。

「さっき、ちーばあちゃんと電話で話す夢みた・・・・」

母が亡くなったのは彼が小学一年生に上がったばかりの頃。
夢をみたのは初めてだという。

電話でなんて言ってた? と訊くと

「おれは、ちーばあちゃんだとわかるんだけど、向こうはおれだとわかってないみたいでさ。
人探しをしているんです。 って言うんだよ。あとは覚えてない」

ひとさがし・・・?
それはナゾだけれどね。

きっとアンタのこと心配して夢に出てきてくれたんだよ。

その続きはこっちにね・・・って願って夕べは眠ったのだけれどな。

わたしにはかかってこなかったなあ、おかあさんからの電話。ざんねん。

  母の命日をだいすきだったあじさいが毎年彩ってくれます。

 


 


ストレングス・アプローチ

2014-06-20 | essay



独学で勉強している教本のなかに
「ストレングス・アプローチ」というコトバがでてきた。

ソーシャルワークにおいての「ストレングス」は、
誰もがもつ「潜在能力」「強み」という意味で使われている用語。

問題状況や、抱える弱さ にではなく
そのひとの持つ「強み」に目を向ける。

なるほどなあ。

子育てに於いてもそうよね。
ここがダメってとこをつついて叱るより
できてるところ(ストレングス)に目を向けて褒める~。

うんうん。そうありたいものだ。

さて、自分の中のストレングスって、どんなとこだろな。
ちゃんとみつけて、認めて、自分のこともアゲてあげなきゃね~。

   



「ないたあかおに」 in ドレミファブック

2014-06-19 | 「ドレミファブック」 のこと

 ドレミファブック第5巻のB面は

「ないた あかおに」のおはなし。原作・浜田廣介



鬼だけれど、村人たちと仲良くなりたいあかおにくん。
そんなともだちの願いを叶えるために自らワルモノを演じて
村人とあかおにの仲を取り持つあおおにくん。



村人たちと楽しく過ごすうちに
ふと、あおおにくんに会いたくなるあかおにくん。
雲に乗って岩山の上のあおおにくんを訪ねてみると
ひっそりとした家の入口にはあかおにくんへの貼り紙が・・・

「あかおにくん。ぼくときみとが いったりきたりしていては
むらのひとたちは きみわるく おもうに ちがいありません。
そうかんがえて ぼくは いまから たびにでることにしました。
いつまでも むらのひとたちと なかよくしてください。
きみのともだち あおおに。」

「ああ、あおくん。」
なんども手紙を読み返し、
はらはらと涙を流しつづけるあかおにくん・・・・ 

というおはなし。

子ども心に、あおおにくんとおかおにくんの友情がうつくしく
あおくんの過ぎるほどの優しさがこころに沁みて一緒に泣きそうになりながら
なんどもレコードを回したものです。

大人になってこの話を改めて考えると

それでいいのか!あおおによ!
とか ツッコミたくなって、いろいろ雑念入りでものを思ってしまうけれど
このおはなしは、穢れのないこころを持つ純粋な友情物語。

そして
わたしにも、ともだちのひとりに 「あおおにくん」がいる。
わたしは「あかおにくん」当事者じゃないけれどね。

どんな出来事があってそう思ったのかはもう覚えていないのだけれど
いろんな場面で彼の中に「あおおにくん」をみたわたしは
「ニンゲンだけど、このヒト あおおにくんだ・・・!」 と密かに感動したものです。

別名「青おにくん」の彼とはもう20数年来のこころの友。
今は遠く南の島に住む青おにニイサン。
すてきなかわいい伴侶を得てしあわせに暮らしています。(な!)


ないたあかおにの物語の中の「あおくん」もきっと新天地で
しあわせに暮らしていることでしょう! 
   




ふしぎな麦畑

2014-06-17 | essay



2週間ほど前、道に迷ってチャリでしばらく走っていたら
目を疑う光景に思わず足を止める。。。住宅街の中にぽつんと麦畑が!

なんだかふしぎな光景。この辺で麦栽培なんて聞いたことないよ。
しかもこの若葉の時期に黄金色?

自転車をとめて、しばしふしぎな麦畑にみとれる。
ここは…風の渡る異国のひろいひろい麦畑・・・と夢想~。

ふと我に返る。
おっと早く家に帰って店を開けねば。

娘が玄関にどーんと忘れていった上履きを
学校に届けに行った帰り道、気持ちのいい朝の空気に
つい遠回りして知らない道へ入ってしまったというわけなのでした。

道に迷うと、思わぬ光景に出会えて面白いんだよね。

でもあのふしぎな麦畑には、きっともう辿りつけないことでしょう。


あの黄金色のナゾをTVが教えてくれました。
この時期のものは「秋まき小麦」というんだって。
ちょうどニュースでどこかの麦畑を収穫している映像が流れていました。

     
     もう日差しは夏ですね。




コエドの雑貨市

2014-06-16 | essay

 

川越ハンドメイド雑貨市 というイベントが開催されていると知り
旧友三人でコエド散策。
川越の新名所「蔵里」他、スタンプラリー型90店参加の手づくり市。

  蔵の町は熱いスポットです。



以前吉祥寺の青空個展でお逢いしたすてきな器作家さんにばったり再会。
普段使いのかわいい器が魅力です。作家さん本人もすてきなおねえさん♪

しばらく行くと、今度は数年前に同じ雑貨店のBOXに作品を並べていたガラス作家さんにもばったり。
作品はすっかりファミリアーなのだけれど実はご本人とは初対面!
その後、今度はおさんぽ中の川越在住帽子作家のまきちゃんにも街中でばったり!

大きなてづくり市って、こういう「わ!」っていうバッタリの出逢いもまた楽しいのだなあ。



たっぷり堪能したあと、お昼はぜひ行きたいと思っていた「大黒屋食堂」へ。

実はここは、子どもたちも小学生時代毎夏お世話になっていた陶芸家の先生が
最近開いた食堂なのです。
先生は川越老舗のお米屋さん「大黒屋」の娘さん!大黒屋食堂はお米屋さんのお隣です。

からだの喜ぶきちんとおいしいお食事。さすがお米屋さん!
たいへん、おいしくいただきました。



箸置きが一輪ざしになってる~! お料理の器はすべて先生の作品。

陶芸をしつつ、おいしいものやさんも開くなんてすごいなあ。。。

そうかあ。。。なるほど!お邪魔してものすごく納得。
器とお料理は運命共同体のようなもの。
水と魚の関係なんだな~。
水を得て魚がスイスイと泳げるように、器もお料理をのせてこそ、よりいきいきと輝くのね。

ともだちの食べていたパスタもおいしそうだった~。またお邪魔いたします!

ぐるりと菓子屋横丁辺りまで雑貨屋さんの出展作品をみたり、お茶を飲みに涼んだり~。
かしまし三人むすめ(え?)の
充実の小江戸散策の一日でした~。

川越は何度訪れてもあたらしい発見があって、たのしい街です。

  

 

 


ひみつの交換日記

2014-06-13 | essay



「交換日記」って、今の女子にもまだ健在なのね。

中学生になった娘がクラスの新しいともだち4人で交換日記を始めた。

メールやらラインやら電子文字ばっかりの世の中、
なんだかこういうアナログなのって ちょっとほっとするなあ。

ゆうびんにほとんど縁のない現代っ子にはかえって新鮮なのかな。

わたしが中学生の頃も、女子同士の交換日記がとても流行って
いろんな子とノートを回し合ったものだ~。
すっかり忘れていたけれど、お蔭でお気に入りだったノートの表紙まで思い出したよ。

台所でテーブルにノートを広げて
カラフルなペンでなにやら書いている娘に

「どんなこと書いてんの??みせてみせて!」 って 言ってみたら

目をまんまるにして、「見せるわけないじゃん!」 と 即却下。

え~~、ちょっと前までなんでも見せてくれてたのにな~。
まあ・・・、そっか。そうよねえ。
わたしも中学生の頃にそんな友だちの私信を親になど
絶対見せてなんかいなかったよなあ。
というより、交換日記を書いていることすら
あの時代の親たちは知らなかったのではないか?

そうだ、昔と明らかに違うのは、
それぞれのプロフィールに「プリクラ」が貼ってあるらしいこと!


末っ子ってもんは、どうもいつまでもチビッコに思えちゃうけれど
いつの間にかこの子もシシュンキ突入ね。。。

わたしもそろそろ子離れしなくちゃなあ。 
なんだかサミシイけれどね~。

  

 


苔に魅かれる

2014-06-11 | essay

 

苔がすきだ。

苔と出逢うと、こころがすう~っと落ち着くのがわかる。

子どものころからそう。

どうしてなのかは わからなくてもいいよ。

「すき」 に理由なんかないもんね。

 あたらしい芽。がんばってるなあ。

 

 


谷川俊太郎さんが教えてくれたこと。

2014-06-10 | 「ドレミファブック」 のこと

先日、サワコさんの朝の番組に
詩人・谷川俊太郎さんがご出演!

谷川俊太郎さんの詩にも
そうとは知らずに「ドレミファブック」で幼少の頃に出逢っていたんだよねえ。

だいすきだったのは「月火水木金土日のうた」



無条件にたのしくなれる歌。
おとなも、子どもの頃のように大いにあそんだり大いにわらったりが必要ですな。


そして、その真逆・・・ 「うちゅうせん ペペペペラン」
とてもひとりでは聴くことができなかった あのなんとも寒々しい風の吹くお話もまた
谷川俊太郎さんの作品なんだなあ。

  

今観ても、この挿絵はコワイよ。
子どものころとても怖かったのは仕方がないよねえ。
それでも、しっかりこころに根付くお話だったなあ。

ところで、谷川俊太郎さんは
阿川佐和子さんとは遠い御親戚とのこと。
「しゅんちゃん」と呼ぶサワコさんもかわいらしいけれど
昭和6年生まれだという谷川さん、
フシギなことにお年をまったく感じさせないサラっとした春風のような佇まい。
“ココロは年をとらない” ということを、
目の前に証明してくださっているようだ。

だいすきな まど・みちお先生もそうだったけれど
ホンモノの「詩人」の方々は、
そのからだのなかに「コドモの自分」をそのまんま生かしておくことができるのかも。。。
そんな感じがいたしました。

なんとも軽妙で心地よいテンポのお話ぶりに
改めて、すっかり魅了されてしまいました。

     
        

 

 


モノクロームのトーキョー

2014-06-08 | 展覧会・アート のこと

 お店の休みに、ようやく行けました!

「桑原甲子雄の写真 トーキョー・スケッチ60年」 世田谷美術館。

会期ぎりぎり。よかった~行けて。

以前、他の展覧会で桑原甲子雄氏の写真を目にする機会があり、
ぐいぐい引き込まれる写真の数々にすっかり魅せられてしまいました。

以来展覧会を待ち焦がれておったわけなのでありました。

東京の昔の姿をさくさくと切り取った写真は
何気ない一瞬を 現代にそのままポンと届けてくださるような。。。
泥臭い、気取らない、まんまのトーキョー。

晩年のご本人の撮影散歩の風景を写した映像が
ロビーに流れていたのだけれど
驚くことに、街を写すテンポはすこぶる速い!

立ち止まった瞬間にもう撮っていて、さっと歩き去る。
すごいなあ。写真家の天性なのだなあ。
考えてるんじゃなくて感じてシャッターを切る。といったかんじ?
いや、感じた瞬間に一瞬にして計算もされているのか??

展覧会の中の解説に、ひとつの被写体に数回しかシャッターを切らないとあり、
このご本人の映像を観ていて、ああ、なるほど・・・と納得。

「時間」の瞬間急速冷凍保存みたいな、軽妙な写真の数々は、
こうして軽快ステップで次々と撮られていたわけなのですなあ・・・。

桑原甲子雄さん。
すばらしい、ニッポンの写真家です。

 「麹町区馬場先門二・二六事件当時」

(戒厳令下、事件翌日、憲兵に見つからないようトンビ(外套のようなもの)の下から撮ったものだそうです。)


 


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