時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

庭deキャンプ

2010-07-30 | essay
   
  


無人島生活に憧れる次男が、ともだちと
子どもだけでキャンプに行きたいと言い出し、
それはまだ早い、と押し問答しているうちに、
頑固次男はなんと、うちの庭でならいい?
と妥協案を出してきた。
うちの「庭」といっても、猫の額ほど。
うちとおじいちゃんちの間の「隙間」と呼ぶ方が正しいかも。

まあ。ものは試し。

泊めるのはふたりまで、火は使わない、騒がない、という約束で許可。
夏休みに入って早速ウキウキと準備する息子。

2畳ほどのテントを広げると、もういっぱいいっぱいの庭。
かなへびやらバッタやらカマキリやら。。。
生態系の出来あがっているこの小さい庭。
以前長男がスチロール箱に作った池のようなものには、
先日、ヤゴも生息していることが判明したところ!

地面から1mくらいは、環境的には野山のキャンプと変わらないかも!?
大きく違うのは、見上げたら四方には、山々の代わりに
高層マンションがそびえているということ!

あちこちのお宅の窓から丸見えのテント。
気にせずこんなところで寝られるのも、小学生最後のこの夏くらいかも。

花火、夜の虫採り。止まないおしゃべり。
結局3人で夜明かししたらしく、朝にはぐったり。

憧れの徹夜が、こんなに体に堪えるものだと身に沁みて分かった模様。
プールに行く予定を諦めて、それぞれ自宅に帰って泥のように眠っていた~。

この子たちも、もう小学校最後の夏休みなんだなあ。
きっとこの「庭キャンプ」の夜を、この3人の6年男子たちは
遠い先に懐かしく思ったりするんだろうなあ。

彼らが、そしてどの子も、健やかにいくつもの夏を
これからも過ごしてゆけますように。。。




彼女のつくえ

2010-07-29 | essay
       


約10年ぶりに遠方のともだちmちゃんに逢った。

彼女とは、20代半ばに三田の派遣バイト先で出逢ったのだけれど、
お互いのアパートが近いこともあり、
夜もしばしば部屋を行き来して、夜更けまで喋ったり大笑いしたりしていた。

わたしはねんどの立体イラストの仕事、彼女はジャズピアノの仕事を
お互い暗中模索で始めたばかりで、夢は無限に広がっていたっけなあ。

そんな日々の中、彼女が古い机を拾ってきて、
仕事をサボってまで、やすりをかけ、ペンキを塗って
やっと仕上げたすてきな緑の机。

仕上げたのはいいけれど、置く場所がない。。。と
わたしに譲ってくれた。

以来、わたしのお気に入りの机。
わたしが使い、長男次男とまわって、今は末娘が愛用している。

先日逢った時に、
「なつかしいもの、見せてあげるよ」と写メを見せると、
mちゃん、「ぎゃー!」と大興奮。

だいじに使ってくれていて嬉しいよ、としみじみ言ってくれた。

ものに歴史あり。。。

お互い住む場所も変わり、ゆめはかたちを変えていったけれど、
こころの中身はちっとも変わらないものだ。
あの頃、彼女に薦められて聴いたジャズやボサノヴァのアルバムも
今も変わらず聴いているしね

大きな変化といえば・・・子どもの数か。
彼女とわたしで合わせて7人!

ふたりで狭いアパートで笑い転げていたころは
想像だにしていなかったものねえ。

あんな時間、こんな時間。

ひとつぶひとつぶの時間のしずく。。。

たまには一粒、手のひらに乗せて
日差しに透かして見てみるのも面白い。
あの時間はあの時のままに、きっと今もきらきらしているよ。

あれも自分、これも自分。
あしたのわたし、あたらしいわたし。





Are you angry???

2010-07-28 | essay

       


どっから見ても、なんか文句言いたげな「おっちゃん」にしか見えない。

しばらく前から気になっていたんだ。

娘の英会話教室の壁の片隅。

 ケータイでカシャ。

なに撮ってんの?と聞かれて、印籠のごとく見せてあげる。

「ほら!おっちゃん!」

みんな「あははは!みえるみえる!」


笑顔って伝染するんだよ~


砂の美術館

2010-07-27 | 展覧会・アート のこと

鳥取でピアノの先生をしている従妹のEちゃん。
時々、懐かしい鳥取の風景をケータイに送ってくれる。


      


鳥取といえば砂丘!
この写真は砂の美術館という、サンド・アート展からの
一枚を送ってくれたもの。
今年のテーマは「アフリカ」ということらしく、
見事な砂のアフリカの動物たち!
素晴らしいなあ!観てみたい。

子どもの頃は、毎年夏休みを母の故郷、鳥取で過ごした。
たくさんの親戚や知人が出入りするオープンな日本家屋で、
Eちゃんとは、夏だけの姉妹のように一緒に成長してきた。

美しい山陰の砂浜。松林。因幡の白兎。そして砂丘。

こうして、夏になるとまたあの頃のように子どもに戻って、
今はなきブルートレインに乗って鳥取に行きたくなるよ。  


「ま、いっか」のススメ

2010-07-26 | essay
             



「ま、いっかー。」

わたしの口癖らしい。

ちょっとした失敗をしたときも、
やろうと思っていたことが出来なかったときも、
子どもの成績表を見た時なども、
ホントによく口をついて出てしまうコトバ。

でも、これ大変便利なコトバなのだ。

だって、突き詰め過ぎると苦しくなることだってあるし、
決して「諦め」じゃなくて、気持の転換が必要なことだっていっぱいある。

「ま、いっか~」って語尾を下げてはだめ。
ちょっとマイナス方向へこころが向いちゃう。

ぜひ「ま、いっかー」と
語尾を上げて、かなり大きめな独り言で言ってみることを
オススメします。

これで、たいていの小さい凹みは解決。

しかし、このまえ娘が
算数のドリルを解きながら、わからないところを
「ま、いっかー」と飛ばしていた。。。

や、よくないよくない!!
へんなとこで似ないように~。




たいようちゃん

2010-07-25 | essay
                 



自分が小学校に入学したとき、
登校班の班長さんだった六年のおにいさんが
わたしに「たいようちゃん」というあだ名を付けて
妹みたいに面倒をみてくれた。

いつも前髪をきゅっとちょんまげにして、
広いおでこをピカッと出していたせいだったのだけれど、
わたしはその一年間、毎朝「たいようちゃん」と呼んでもらったおかげで、
なんだか自分があったかい太陽になったみたいな気持ちになって、
すこしだけ引っ込み思案がなおったような気がするんだなあ。

もしもあのとき、班長さんに
いやなあだ名を付けられていたりしたらどうだろう???

きっとわたしこんなふうに懐かしく思い出したりもしないだろうし、
太陽のモチーフをトレードマークみたいに
すきになったりしていないかもしれない。
 (写真の太陽は、ローマで一目ぼれした小さな真鍮製の壁掛け)

ちょっとの期間の縁でも、ひととひとの繋がりはふしぎなものだね。
そして、コトバは生き物なんだってこころから思うのだ。

あのおにいさん、全然顔は思い出せないのだけれど、
あのひとこそ、太陽みたいな笑顔だったことだけは覚えているよ。

この前、ともだちのメールの「己のコトバ、ひとにこそ生きる」って
名言に感動したのだけれど、まさにそうね。

あのおにいさんはきっと覚えていないでしょう。

なのに、「たいようちゃん」はわたしの中でず~っと輝いているよ。

ありがと。班長のおにいちゃん!!
(今頃は、笑顔の似合うなにわのおっちゃんね!)




小さなすてきな雑貨屋さん

2010-07-24 | essay
kさんに、かわいい雑貨屋さんがあるからいってみない?とメールを頂いた。

うちの店は定休日。夫は健康診断。子どもらもそれぞれに予定アリ。
よっしゃ、今なら出られるよ。と、即お出掛けすることに。

夏休みなのに、こうしてひとりで家を出られるって、
子どもたちが大きくなって、手が離れてきたってことなんだなあ、としみじみ思う。



      


こ~んなすてきなお店が、こんなところにあったなんて知らなかった!!
2年まえから週3日オープンしてらっしゃるそうだ。

鉄製(?)の空色のドアがすてき。

とってもセンスよく並んだ雑貨や器。
かわいいボタンや紙物、などなど。

そして、幸運なことにちょうどcafeもやっている日だったので、
なんともおいしいケーキをいただきながら午後のティータイム。


    

このおうち型のお皿、すごくすき!!
おことわりしてから、写真を撮らせていただいた。

怒涛の夏休みの、束の間の休息のひととき

お店のおねえさんもとっても感じのいいお方だし、
ほんとにすてきなお店だなあ。

八月いっぱいは、買い付けに外国に行かれるとのこと。
秋になったらまた行っちゃおう。

     

入口までのアプローチも凝っていてかわいい

     「Cha-tu-cha(チャトゥチャ)」 所沢市元町4-12
      ぜひチェックしてみてください




おれさまロボット

2010-07-23 | essay

朝、「ロボットつくろっと。」と、娘が突然工作を始めた。

その名も [おれさまロボット]

     

おなかには、「おれさまは せかい一のロボットダー」と書いてある。

頭の中には、耳から接続されている糸電話が収納されていて、
シューズボックスだったボディーは、
ぱかっと冷蔵庫みたいに開く、宝物入れなのだそうだ。

うちの三人さんは、皆、小さい頃から工作好きなもので、
あらゆる廃材をとりあえず捨てずに溜めておく。

なぜか、ひとりが作り始めると制作意欲が伝染するようで、
溜めておいた廃材は一挙に作品に生まれ変わる。

ま、その後のゆくえが問題なのだけれどね。

この「ロボちゃん」はなかなか可愛いやつなので、
だれにも邪険にされず、今のところ、玄関で見張り番の任務に就いている。

しかし、なんで「おれさま」かなあ??
しかも靴下はいてるし~。



マグリットの太陽

2010-07-22 | essay
   
     


もう昔のはなし。

わたしが嫁いだ翌年、
父が家を出た。

残される母のために、
そして家族の終わりの日をきちんと見届けるために、
当時両親の家のあった大阪へ向かった。

テレビで映画を観るときにどっかり座っていたリクライニング・チェアも、
小さい頃からサイドボードの中に鎮座していた
美しい赤いベネチアングラスのセットも、
どこへ引っ越してもリビングの壁に掛かっていた、
父がNYで買ってきた大きな油絵も、
次々と部屋から消えていった。

ちょっとそこまで出掛けるように、気楽な様子で手を振り出て行く彼を
シニカルな笑顔を浮かべて見送る自分がとても嫌だった。


残していったガラクタを整理していたら、
父が以前熱中していた、彫金のデザイン帳がでてきた。

パラパラとページをめくる手が止まる。。。

父が何年も前に、ノートに描きつけたラフ・スケッチが、
わたしがすきなルネ・マグリットの絵の模写に他ならなかったから。

森の向こうに落ちたはずの太陽がぽっかり手前に浮かんでいる、
というシュールな一枚の絵。

彼とマグリットの話など、一度もしたことはなかったのに。

同じ一枚の絵に
偶然にも、時空を超えてこころを動かしていたとは。
こんな妙な廻りあわせをなんと呼べばいいのだろう。

その時はじめて、どうしようもない悲しみに捲かれてわたしは泣いた。

わたしが、まぎれもなく父の娘であるということに。

父が、「家族」の時間をすべて捨て、他の道を選んだという目の前の事実に。


   


もう遠い日のはなし。。。
母が亡くなってもう五年…、父とは近年やっとわだかまりが解けたところ。

それでも、この絵をみると
今でも、あの日のわたしの「こころ」がこの太陽のように
ぽっかりと浮き出てきてしまうのだ。



映画 「 ひなぎく 」

2010-07-21 | 映画 のこと





1966年 チェコ・スロヴァキア作
映画「ひなぎく」

[幻の60年代女の子映画の決定版!]というコピーと
斬新なパッケージに惹かれて、図書館のビデオ・コーナーで
借りてみた。


ストーリーはともかく、(!)
映像がとってもおもしろい。
1966年、わたしが生まれた年。
なのに、全然古臭さを感じさせない斬新さ。

ふたりの主人公のオンナノコがつぎつぎと
勝手気ままな、わけのわからん好き放題なことを
してゆく映画なのだけれど、
お化粧にしても、ファッションにしても、
いまの女の子にも十分そのまま通用しそう。

映像の色がカラーからモノクロームに、
青や黄や緑一色へと、次々変わったり、
スライド写真を見ているように
目まぐるしく画面が移り変わったりもする。

これはもう映画というより
コラージュ・アート!?

ドアと錠前が次々と映し出される場面はすきだな。

この映画は公開当時、チェコ・スロヴァキア当局に睨まれ発禁処分となり、
このヒティロヴァーという監督は、一時期活動を停止させられたという。

ふうん。そうなんだ。
女の子たちに好き勝手な振る舞いをさせることで
自由を主張していたのかな。
冒頭の、戦闘シーンが織り交ぜられているシーンも
なにやら、反戦モード・・・?

当時のチェコ・スロヴァキアの情勢に通じていないと
この映画の根っこを完全に理解するのは現代人には
難しいのかもしれないね。

まあ、難しく構えて観るよりも、
わたしみたいに、たまたま惹かれて手にとって、
単純にアートとして観る方が面白いかも。

それにしても、ここに出てくるワンピース、
わたしも着てみたくなっちゃった。
すごくシンプルで可愛くて、着心地もよさそう。



フィットネス

2010-07-20 | essay
      

先日、ともだちRさんに誘われて、マシーンの並ぶ
お手軽なジムの無料体験に行ってきた。

体をほぐすのが目的で、決して筋トレではないというジムって、
とってもめずらしい。

う~ん、確かに体がほぐれて気持ちいい。

でも何だかちょっともの足りないような???

マシーンって、「もうだめ~!でもがんばるう~!」っていう
キツさがあるのが普通なのかと思っていたけれど、
ちゃんと関節に負担がかかり過ぎないように
ほどほどのところまで、って感じ。
きっと体にはやさしいのだろう。

慣れているひとは、自分でちゃっちゃと一通りこなして15分くらいで
お疲れさまでした~とお帰りになる。
このお手軽さはいいかも。

一回ごとに支払うチケット会員もあるのが魅力だなあ。
月会費だと結局行けずにムダにしちゃうんだな。

来月オープンする女性専用のジムにも体験に行ってみてから
考えよう!とRさんと約束。

お互い年をとっても、元気に出歩けるバアサン目指して
この40代のうちから鍛えておこう!と、
高カロリーのうな丼を食べながら
固く誓い合う昼下がりなのであった~。










夏まつり

2010-07-19 | essay

パソコンのモデムとやらが壊れて、
数日間まったくのアナログ生活。
初めて行く場所の路線を調べなきゃいけなくて
普段使わないケータイのネットで悪戦苦闘。
もちろんケータイからのブログのUPに至っては
ち~んぷんかんぷん。
つくづく、サイバー音痴な自分を再確認する日々となりました。



梅雨明け早速の夏まつり。

行燈行列。いつも見慣れた広場が幻想的な空間に。

      


      


大きな行燈に夢中でお絵かきする娘とともだちたち。
こういうひとつのシーンが、彼女たちのこころに今しみ込んで、
のちに思い出になっていくんだなあ。

いま、「子ども時代の夏」を過ごしている子どもたち。
あたりまえなことなんだけれどネ。

おとなとして、おおきなこころで見守っていてあげたいな。
自分がそうしてもらってきたようにね。

さあ、なつやすみ。

存分に遊びたまえ!

  (注:受験生の長男は除く!わかっておるのか~!?)







梅雨のオーロラ

2010-07-15 | essay
雨の上がった夕方。

空がピンクに染まった。

梅雨空に束の間のオーロラ出現!?


   

   

久しぶりに
いい夕焼けを観ると、こころの中まで
ももいろにしてもらえる。

しあわせってヤツは、空にも浮かんでいるんだねえ。





赤いけいとうと白いバラ

2010-07-13 | 本 のこと

    
    

小学校にケイトウの花が咲いていた。
赤いケイトウを見ると、なぜかいつも思い出しちゃう。
小さいころに読んだイソップ物語、
「あかいけいとうとしろいばら」(確かそんな題名)

赤いケイトウは、
そばに咲く、可憐でいい香りを放つ白いバラに憧れる。

「あなたは美しくていい香りで、すてきですね」とケイトウが言うと
白いばらは「わたしは長く咲いていられるあなたのほうがうらやましいわ」と言う。

美しいバラに羨ましいといわれ、心底驚くケイトウの花。

バラは、美しくとも命は短い。
ケイトウは、皆に愛でられるほど可憐ではなく、
いい香りも持たないけれど、健やかに長く咲いていられる。

そして、すぐにやってくる別れ。
「さようなら」
はらはらと散りゆく白いバラのそばで
涙をながす赤いケイトウ。

そのふたりの(二本の)挿し絵がとてもけなげで愛らしく、
キレイなこころを持つそのふたりのお話が、わたしはとてもすきだった。
小さいころ、この本を何度も読み返したものだ。


この寓話の美しさは、それぞれが羨ましく思うだけでなく
きちんと言葉にして相手を褒めているところ。

そして、褒められたことで自分の良いところを知る。

自分が自分らしくあること。
ひとを羨むことで自分を貶めないこと。

今は言葉に置き換えることができるけれど、
小さいころは、小さいなりに、コトバではなく感覚で
ちゃんと感じ取っているものだ。

けいとうはけいとうらしく。

自分は自分らしく、生きてゆけたらいいな。




メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ