時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

空と風と。

2010-12-29 | essay

     

ともだちが、わたしのことを「平成のサザエさん!」と笑う。

「え~、なんでぇー??」と訊ねると、
あちこちの店先やその辺で、ワハハと笑いながらお喋りしているわたしを
よく見かけるからだって。

そうかなあ?? ま、あちこちで怒ってるよりいいよね。

確かに、おっちょこちょいだってことは自覚しているよ。
この前も、駅まで行って財布を忘れてきたことに気がついた~。
 (優しいダンナ様が届けてくれたけど!)

やっぱり、サザエさん・・・?
でも、裸足で駆けてはいきませぬ!


今年もたくさん笑って過ごせて、すべてに感謝です。

そして、わたしの拙い文章を読みにきてくださってありがとうございます。
「ご縁」というものは、不思議なものですね。
また来年も、気持ちが向いたら読み流しにいらしてくださいませ♪

2011年も、みんなワハハと笑って過ごせますように。
周りのみんなが健康でいられますように。
世界中の国々全部が平和への一歩を踏み出しますように!

よいお年をお迎えください 

                    miko [・・・時間のしずく・・・]

  


おんなのこ時間

2010-12-28 | essay

 

娘のクッキー作りを手伝う。
おともだちにあげるための練習版。

お兄ちゃんふたりは、さすがにここまでカワイイクッキングはしないので、
なんだか新鮮だ。
今更ながら、女の子を持ったんだなあ・・・と実感したりする。

そういえば、自分もうちのキッチンで、
ともだちと一緒にクッキー作りをしたっけなあ。
甘~い香りの「おんなのこ」の時間。

女の子を育てるって、もう一度一緒に女の子の時間をなぞるみたいで、
ちょっと初々しい気持ちを思い出せたりもしちゃうものなのね。(現実は置いといてっ。)

サンタさんから届いた、リカちゃんのおともだち「マリアちゃん」の箱を開けるのも
一緒にわくわく!

自分のほうが欲しかったりして~。


闇の向こう

2010-12-27 | essay

 

闇の向こう側。

五年半前の母との別れは、とても急なものだったので
わたしにはなにもこころの準備が出来ていなかった。

子どもたちもまだ幼く、命を育てることに一所懸命で
「死」という言葉が入り込む余地などない穏やかな日々に悲しみは突然やってきた。

一寸先は闇。
悲しみは、突然やってくるもの。
ノックもせずにドアを突き破って、悲しみは上がり込む。

けれど、だんだん、解かってきた。

「一寸先は闇」
それは、先の見えない恐怖。真夜中の暗がり。
おろおろしても、じたばたしても、怖くて震えても、泣き明かしてもいいんだよ。
だって、それは自然なこと。

でもね、その先には、必ず明るい朝がやってくる。
どんなに真っ暗闇でも、少しづづ夜明けはここにもやってくる。

いろんな悲しみを越えてきた母もよく、「明けない夜はないよ」って言っていたっけ。

時間はかかるけれど、どんな大きな悲しみだって
呑み込んで自分のものにしてしまえるって、やっとわかった。
自分のほうが呑み込まれそうにみえる時期があっても、
それはただの幻影だから、悲しみに負けてしまわないで。

「一寸先は闇」 この言葉を少しだけ肝に命じておくことは必要だけれど、
二寸先は光、って思うことにしておこう!

だからね、まだ起きてもいないことを、あれこれ憂うことなかれ。君よ。

もしも、闇に巻かれることがあっても、ちゃんと出てこられるよ。
一歩一歩手さぐりでも真っ直ぐに歩いて行けば、必ず出口は見つかるから。

だいじょうぶだからね。

  


遠い空のしたで。

2010-12-26 | essay

歌って、誰かを思い出したり、流れていたその時の空気の冷たさや匂いまで蘇ってきたり、
すごい力を持っているよね。

わたしがここで誰かを思い出すように、
どこかで誰かが、ときにはわたしを思い出してくれる。。。
とてもしあわせなこと。

遠い空の下で。
  ありがとう!


「ママとふたりのクリスマス」 ドレミファブック

2010-12-24 | 「ドレミファブック」 のこと

子どもの頃、クリスマスが近づくと、ドレミファブックの別冊「クリスマス特集」のレコードをよくかけた。
その中で、とてもすきだったのが「ママとふたりのクリスマス」という曲。

ちょっとさみしい曲なのだけれど、慎ましやかな幸せのあふれるこの歌と絵がだいすきだったなあ。

三人姉弟の真ん中で、母を一人占めする時間なんてなかったせいか、
こんなふうな穏やかな二人きりのクリスマスにちょっと憧れもあったのね、きっと。
贅沢な無いものねだり。

でも、世界中には二人きりどころか、一人きりの子どもだってたくさんいる・・・。
病院で、施設で、様々な場所で一人きりのクリスマスを過ごす子どもたち。

みんなにあたたかな夜が訪れますように。
 Merry Christmas


  「ママとふたりのクリスマス」

          作詞/若谷和子 作曲/服部公一 絵/柏村由利子

  ちいさな かわいい ろうそくで
  ママと ふたりの クリスマス
  まどから みている ほし ひとつ
  それでも たのしい クリスマス

  ちいさな オルガン ならしては
  ママと ふたりの クリスマス
  かべには ゆれてる かげ ふたつ
  それでも たのしい クリスマス

                            [世界文化社 ドレミファブックより]1969年

 


水のある場所

2010-12-23 | essay

  

突然、池、出現。夕べの雨の仕業。目を疑うほど大きな水溜まり。

ここは公園のグラウンド。島みたいなのは投手の立つところね。

「テレタビーズ」のワンシーンみたい。
船でも現れるんじゃないかしら、みるみる消えてゆくんじゃないかなと、思わず近づいてみる。

時間限定、幻の湖畔のさんぽ。

水のたっぷりある場所に、今すぐ行きたくなっちゃったなあ。


雨の境目

2010-12-22 | essay

   

一度だけ、降る雨の境目を見た。

目の前の風景の半分だけ雨が降っているという不思議な光景。
奈良に住んでいたころだから、3才か4才の時。
団地の5階のベランダから、母と一緒に見たその景色を鮮明に覚えている。
感動屋の母が、「mikoちゃん!見てみ!見てみ!」って大騒ぎしていたんだ。

そして、ほんの十数秒後くらいには、残りの景色も全部雨になった。

後々、「あの雨は面白かったねえ」と母が思い出して話をしていたから
くりかえし追体験することで記憶に焼きついたのかなあ。

あの日、あの時、ほんの一瞬の時間のひとしずく。

ぽたん。ぽたん。ぽたん。
時間のしずくは止まることなく、記憶へとカタチを変えてこころに積もってゆく。。。


おんなともだち

2010-12-21 | essay

  

高校時代の女友達三人の忘年会。
15歳からのともだち。
いつ逢っても、何だか笑いっぱなしのこのメンバー。
箸が転げても…って頃に出逢ったせいかな?
何の話をしていたのか、お腹が筋肉痛になりそうなくらい笑った。

ガハハと笑うのって、本当に健康にいいらしい。
確かにね、眉間に皺を寄せて肩を落として黙りこくっているより、
笑うって、何だか全身運動だ。暑くなって血行までよくなるよ。
精神衛生的にも、たいへんヘルシー!

涙が出ちゃうほど、こころから笑い転げる時間ってたいせつだよね。
誰にでも、いろんなことがあるものだけれど、ね。

お互いの健康のためにも、こうしてときどき逢って笑い転げましょう!
たいせつなMy Old Friends


野鳥のごはん

2010-12-20 | essay

    

ぽつん、とひとつ。熟れた柿。

小鳥のために残してあるのね。

  

     この季節のあかい実って、本当にきれいな赤色。

つくづく、自然の発色ってすばらしいなあ。
毎年ちゃあんと、間違えずに赤い実をつける。
当たり前のようだけど、奇跡だよ。 

  「あかいとり ことり なぜなぜ あかい あかい実を たべた」

この歌をおもいだしちゃう。北原白秋の詩なんだよね。
小さいころ、だいすきだったこの歌。

こどもたちにも、眠る前におふとんの中でよく歌ってあげていたなあ。
うちの子らには、子守唄の中でこれが一番人気。

リクエストにお答えして、いろんな色に変えて歌うのだけれど
終いには「ええい!もうこれでおわりだからね!!」っていうほど、色鉛筆全色分くらい続くんだ。
ぐんじょう色やら、あかむらさき色やら、ね。ぜ~んぜん眠くならなかったよね。

子どもたちも、とおい先に懐かしく思うのかな。

いつか彼らが自分の子どもを持つ日が来るとしたら・・・
思い出して、同じように歌うのかな。


いろんな道

2010-12-19 | essay

すきか、そうではないか。

何事に於いても、究極はそこなんだな。

すきってのは、理屈じゃない。
説明の出来ないこころの作用。

だから、みんないろいろでいいんだよね。

100人いれば、100通りの道。


  


Don't Worry, Be Happy

2010-12-18 | MUSICのこと

 

「Don't Worry, Be Happy」 Bobby McFerrin のこの曲、
自分のなかのテーマソングってくらいすき。

くよくよすんなよ、ハッピーになろうぜ って、底抜けにお気楽な唄。

いろんなことがあっても、なぁに、大したことないさ。ってホントに気が楽になるよ。

この曲、1988年の大ヒット。

その頃、勤めていた会社が、事業の一環のイベントで、
鎌倉の由比ヶ浜に「海の家」をひと夏だけ建てた。

毎週のように週末になると、みんなでわいわい繰り出してそこで遊んで過ごした。
白とレゲエ・カラーのその掘っ立て小屋の海の家は、
U.S.Navyのひとたちもよく出入りしていて、
ジャマイカの浜辺にでもいるような開放的なムード。
そこを流れる時間は本当にスローリー。
レゲエの音楽がしっくりくる空間だったなあ。

その場所に、まさにぴったり似合う曲がこの「Don't Worry, Be Happy」だった。
ラジオからも、何度も何度もこの曲が流れていた夏だったなあ。
今でもこの曲、なんだか波の音が一緒に聴こえてくるような気さえしてくる。

あの頃って、まだ20代の初めで、ここから眺めると
危なっかしい「人生の真夏」って感じ。眩い太陽の季節だ~!

以来、今でもこのゆる~~い曲は、自分への癒しソング。
イントロの口笛が聴こえてくるだけで、余計な力が抜けて元気になれる。
お試しあれ 


分岐点

2010-12-17 | essay

      

人生初の、岐路。

典型的なのんびりマイペース型、B型うお座。長男14歳。
いよいよ、進路を決断する時。

自分の時代より、現代の高校受験って、イヤでも親との二人三脚。
反抗期男子と二人三脚って・・・!
親にも過酷だわ。

そんなこんなで、彼は人生で初めて迷っている。

迷うことは、考えること。
考えることは、ドアを探すこと。

彼の人生、親が決めるわけにはいかない。
進む学校によって、彼がこれから出逢う人々も異なるわけで、
先の人生も大きく変わってゆく。
だからこそ、自分で考えて進む道を決めるべき。

・・・けれど、オトナだからこそ見える、その先の道・・・。

塾長は「ここは、上手に親が誘導すべき。」だと言う。
そうなのか・・・?わたしも迷う。

助言はするけれど、最後に決めるのは自分自身であるべきなのでは?
ただの甘い理想主義なのかもしれなくても。

息子よ!!時は来たぜよ~。いざ!


小学校の先生

2010-12-16 | essay

   

学校では、冬休みを前に教師と保護者の個人面談が行われる。

ここ数年、ありがたいことに小学校の担任の先生にはとても恵まれていて、
六年の次男も三年の末娘も、とても人間味溢れる魅力的な先生にお世話になっている。

娘の面談。宿題の日記に、リカちゃん遊びの話題がよく登場することから
すっかり「リカちゃん話」で盛り上がってしまった~。
赤いバッグタイプのリカちゃんハウス!ほぼ同世代なのだわね。
わたしの古いリカちゃんたちを見せてあげたいところだわ~。

第三子ともなると、親もだんだん面談慣れしてきちゃうよ。
この先生とは、ママ友として出逢いたかったなあ、って思うくらい人間的にすきな先生。

六年次男の担任は、カッコイイ女の先生。
長男も五・六年生の時にお世話になった先生でもある。

次男に、「面談にSも(長男)来るように言っといて!」って言ってくださるような気さくな先生。
次男の話が終わったら、長男の高校受験の話に。。。

ついこの前長男が卒業したような気がするのに・・・、と
顔を見合わせて月日の早さをしみじみと実感する。

以前長男の面談のたびに、先生が、「まだ間に合います!」
「小学校のいまなら間に合います!」「彼はやる気になれば出来るはず」と、
叱咤激励してくださっていたのを思い出したよ。。。

それなのに。あ~あ、あっという間に中学も終わってしまうよ・・・!

「そう言ってくださっていたのに、とうとうもう間に合いません~~
と、わたしが言うと、先生はにっこりと
「Sに、『先生はSを信じてる。』って伝えてください」と仰った。

うえ~ん。ありがとうございます。

ちまたでは、いろんな問題教師もいるようだけれど、
一生懸命な、いい先生ってたくさんいるよ~~


雲のアート

2010-12-15 | essay

雲のかたちをみることは、子どものころからのすきなことのひとつ。

ブランコに座ってともだちとおしゃべりしながら
かたちを変えてゆく雲をいつまでも眺めていたなあ。

どこにいても大きな空のみえる町だった。

今でも空を見上げると、無意識にかたちを探してしまう。
これは、オオハクチョウ。

これもおおきな翼を広げた軽やかな鳥。

重そうな、デブッチョ鳥。もしくは飛行機。



そしてこちらは・・・巨大なマンボウ!

時には、40度ほど視線を上げて空を眺めてみてください。

懐かしい「くじら雲」が出迎えてくれるかも


眠る純文学

2010-12-14 | 本 のこと

古本まつりで見つけた、昭和27年発行の小林秀雄著 「ゴッホの手紙」を読み終えた。

読んでいるうちにページがぼろぼろ外れてくるほど年季のはいった古い本。

ゴッホの遺した書簡の文学的な深い文章にも、そして小林秀雄の文体にも、
もうすっかり、こころを全部、鷲づかみにされて引きずり込まれてしまった。

読み終えてしまったら、なんだかあまりに空虚な気持ちになってしまい、
次にほかの本を読み始めてはみたものの、まるで入り込めない。

いい本に出逢うと、時にこういう気持ちになるのだ。

「小林秀雄」の文章に、またもや、もぐりこみたくなってしまった。

図書館へ探しに行こうかな、と思っていたのだが、
もしや、と我が家の本棚を探ると・・・。

ありました。

昭和40年中央公論社発行の「日本の文学」シリーズの43、小林秀雄の巻!
灯台もと暗し。宝の持ちぐされ。
おそらく父が揃えたのであろうこのシリーズ。どうやら並べて満足だったようで、
まったくの新古品。デッドストック状態。
こういう瞬間って、自分の物持ちの良さに、ブラボー!って言いたくなるね。

   

すごいねえ。45年もの時を経て、良い文章を渇望する娘の手で
まさに初めて開かれるこの奇跡!?
よくぞ、この時をじっと黙って待っていてくださいました。ありがとう。

しかも、本に挟まれている10ページほどの付録がまたいい。
昭和40年、小林秀雄と大岡昇平との、ぶっちゃけたいわゆるタメグチの生きた対談。

この対談のなかで、小林氏はこう話している。

「ぼくは人を説得することをやめて二十五年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ。
 人をほめることが、道が開ける唯一の土台だ。
 このごろ、人にはそれだけの道しかないように思っているんだ・・・(略)」

ますます、このひとの文章がすきになりそうだ。

まずは、「モオツァルト」からいってみようかな! 


メッセージ♪

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