時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

ゆめを紡ぐ雲

2015-10-30 | essay




おおきな空にきれいな雲がながれる。

谷中霊園の上空。

台東区の住人なのに「夕やけだんだんって、初めて歩くよ」という ともだちZちゃんと
谷中界隈の雑貨屋さんをぶらぶらしながら
ふと見上げたきれいな雲に「おお~~」とふたりして声を上げる。

谷中辺りは、高い建物がないから
東京なのに大きな空がみえて気持ちがいい。

日暮里の繊維問屋街で布と革を仕入れた後
昔の同僚(&元タップ仲間(笑))のZちゃんと待ち合わせ。

彼女は、久しぶりに会うたびに
どんどんキャリアUPしていて頼もしい。

卒婚後、ひとりでふたりの娘を育てている彼女は
年を重ねるほど、逞しくそしてなんだか雄々しく神々しくなっていく!!

ふたりで恵比寿のダンススタジオに通い、タップに夢中になっていたのは
まだお互い22、3歳くらいの乙女の頃~。
いっぱいいっぱい夢を語り合っていたものだ。

互いにすっかりオトナになってしまったものだけれど
逢えば相変わらず互いの夢を語っては、
いいねいいねえ!と、どんどんアゲあっちゃうってのは・・・
やっぱり中身はぜんぜん変わってないってことなのかも。

出逢った頃からずっとバイタリティーの泉の枯れることのない彼女は
いつもずっと先を見据えてグイグイ上手に世の中の大海原を泳いでいく。

すっかり逞しくなった彼女をみていると
わたしもドリーミーなことばっかり言ってないで
ひとりでもちゃんと生きていけるような雄々しさを
今からでも身につけなくちゃなあ・・・とか
ちょっと、考える。

まあ、Dreamer なのはわたしの持って生まれた性質だから仕方がない。
ま、いっか(笑)

わたしと彼女が決定的に違うのは
わたしがただの夢想家なのに対し、
彼女は夢を「ぽわん」としたもののままにせず、
どんどん現実的に形にして積み上げていく努力を惜しまないところ。すばらしいなあ!

いつもいい刺激をビシバシと
わたしのゆるんだココロに注入してくれるZちゃん。
来月から、彼女は初めて中学校の「せんせい」になる。
わたしからも精一杯のエールを!!オキバリやす~♪




 


ANDREA と ARIANA のハーモニー

2015-10-28 | MUSICのこと



この度のアンドレア・ボチェッリの新作アルバム「CINEMA」

これは!!!

20世紀の名作映画音楽をボチェッリが唄うという
なんともゴージャスかつ潤沢な素晴らしい一枚。

わたしには特別な映画「ドクトル・ジバゴ」。
ララのテーマをフランス語で!(バックにはバラライカも聴こえます)
そして、これまただいすきな映画「イル・ポスティーノ」のテーマをイタリア語で!
ボチェッリが唄ってくれるとは、なんというシアワセ。

ヘンリー・マンシーニの名曲「ムーン・リバー」も
哀愁の「ゴッド・ファーザー」のテーマも
ボチェッリが唄うとこうなるのか~~。

そして、今をトキメク歌姫アリアナ・グランデとのデュエットがこれまた素敵。

ボチェッリとアリアナがねえ・・・!

イタリアのテノール歌手・ボッチェリの声に一目、もとい一耳ボレ?をしたのは
赤ん坊だった娘を胸に抱いて寝かせつけていた時。
「Con Te Partiro」(君と旅立とう)
ニンゲンの唄声に、あんなに感動するなんて自分でも驚くほど。。。

あれからもう13年。すっかり彼の唄はわたしの中に沁み込んでいます。



そして、その赤ん坊だった娘が成長し、
一昨年初めてすきになって彼女が買ったアーティストのアルバムが
アリアナ・グランデの「Yours Truly」なんだなあ~。



そのふたりのデュエット。なんだか勝手ながらとても感慨深い。
デュエット曲「デボラのテーマ」のPVがまたなんともイイ感じ。
アリアナが東京の街を、
ボチェッリがフィレンツェの街をバックに唄う声が重なる・・・世にもうつくしいハーモニー。
(you tubeでも観れます♪)

このアルバムのプロデューサーは
あのデビッド・フォスター。
なあるほど。 という感じです。

「映画音楽」 改めて、いいですねえ。

アンドレア・ボチェッリ。
ポップスもいいですが、王道のオペラの名曲の数々ももちろんすばらしいです♪


 


午後七時半の月

2015-10-26 | essay


今夜の月はハッとするほど うつくしい。



光の輪が虹色に輝いて
なんてキレイなんだろう。

持ち合わせたガラケーではこれが限界。
見たまんまに、目でシャッター切れたらいいのになあ~。念写~~!ないか~。

なにかが降りてきそうな月でした。

 


木枯らし一号を眺めながら。

2015-10-25 | MUSICのこと

木枯らし一号が吹きました。

あんなに暑い暑いと連発していた夏の日々が
遥か遠い異国のことだったように思えるほど、一気に寒くなりました。

「木枯らし一号」・・・
でも、春の風は「春一番」
木枯らし1番とは言わないねえ。なんでやろ。

ニホンゴっておもしろいなあ。。。なあんてぼんやり考える。

風が激しい日曜日の午後。
人通りが少なく誰もドアを開けて入って来ない。
ひとりで店番しつつ刺繍をちくちく。

一週間前の今日は緊張MAXの一日。とある試験に臨戦!
一週間前の明日はホール&オーツのライブだったんだなあ。。。
と、ガラスの向こうで風に踊るケヤキをぼんやり眺めながら
ライブの熱気をこの時計の音だけの静かな店内に思い浮かべる努力をしてみる。

彼らは木枯らし1号の吹く前に日本を発ち
今頃は常夏のハワイか~。

そう言えば、4年前の日本公演後も同じくハワイへ飛んでいたっけ。
ハワイのトッド・ラングレンの素晴らしい自宅で収録したLive From Daryl's House
のライブ映像はDVDにして販売してもらいたいほどよかったっけなあ。
LFDH、以前は初回から全部のエピソードを観ることができたのに
近年、アメリカでTV放映にもなったからなのか
最近のエピソードのみしか観れなくなってしまってとても残念。

ずっと以前のエピソードで、
トッド・ラングレンと掛け合いで唄う「Wait For Me」は格別!
「Wait For Me」は、彼らの音楽に出逢ってからずっと特別だいすきな一曲。

(you tubeでは観れるので貼ってみます。
おすきなひとだけ飛んで行って聴いてみてください。
まだTボーンが元気だったころのLFDHの映像です。)
https://www.youtube.com/watch?v=9NekaojZPzM

木枯らし一号を眺めながら
思考を勝手に浮遊させていたら・・・

「Wait For Me」にふわりと着地しました。



 


10年。

2015-10-24 | essay



てしごと好きな仲間と、手探りで始めたモノづくりのお祭りイベント。
気がつけば10年という時間が経っていました。

毎回たのしく開催できるのも
共に歩む仲間がいてくれてこそ。
ひとりでは出来ないことも小さいチカラを寄せ合えば「できること」になっていく。

ありがたいことだなあ。。。と改めてこころから仲間に感謝です。

この10年。あっという間のようでも
個人的には(それぞれに)それはそれはたくさんの出来事があり・・・。
それでも一度も開催を見送るようなこともなく
毎年春と秋の年2回10年間続けてこられたのは
ほとんど奇蹟に近いことなのでは~!?と思ったりしています。

メンバーそれぞれの家族の理解と健康。
そして何より!たのしみにして足を運んでくださるお客さまの存在があってこそ!
10周年、本当にありがたいことです。

まわりのすべてに感謝~~~です(^▽^)/

 たのしい一日をありがとうございました♪

 


ホール&オーツ LIVE @武道館 2015♪

2015-10-20 | MUSICのこと



2011年2月の武道館ライブから4年。。。

姉とふたりで堪能してきました~。
Daryl Hall & John Oates ライブ♪

もうなにも語ることはありませぬ。
至福。

彼らがたのしそうに演奏している姿に
こちらも幸せなキモチ。

1980年、高校生のころから
数えること35年・・・!?
ライブに行くたび、つくづく彼らのオンガクと出逢えてよかった。。。
と実感します。

会社帰りのスーツのオジサン率がめちゃ高く
ほぼ同年代からそれ以上の人々でぎっしり埋まる武道館。

同じ気持ちの積年のファンがこんなにいらっしゃるということに
なんだかホッとしてしまう。

ライブのメンバーは、Live From Daryl's House のお馴染の顔ぶれ。
なんともアットホーム感があっていいですねえ。
サックスのお茶目なチャーリーのソロが相変わらずイイ音で、カッコよかったなあ~。

ずっとずっとこうして皆にDREAMを注いでいてほしい、最強のR&Bデュオ。ホール&オーツ。

これからの活動もとても楽しみにしつつ、
年齢を全く感じさせないけれどしっかりすっかり還暦を過ぎている彼らの健康を
こころの底から祈ります~!



 武道館の上の三日月がとてもキレイな晩でした。


 


夢にみる。夢に出る。

2015-10-17 | essay


ともだちから
わたしの夢をみた とメールをもらった。

彼女が言うには、普段ほとんど夢を覚えていないのに
やけにはっきりしたわたしの夢をみたそうで
変わりない?って心配してくれてる。

夢にでてきたひとに連絡してみるってのは、
実はわたしには割とよくあることなんだけれど
その逆はあまりない。

案じられると、嬉しい反面、我が身に何か起こるのか?
とちょっと不安になるものなんだなあ?

いつかも、数年会ってないともだちの夢をみて
「夢にでてきたよ。どうしてる?」ってメールを送ったら

「夢枕に立った?とりあえずまだ生きてるよ!」
って返されたっけ。

夢は、摩訶不思議。

ゆめは、脳内のただの電気信号だと云う科学者もいるけれど
わたしは、夢の研究者の云う、
「ひとは眠っている間に夢の中の共通の場所で他のタマシイと交流している」という説に一票。

我知らず、夢の中の共通空間へ出かけて行って
夜な夜な誰かと交信しているのかも・・・って方がユメがあるよねえ。

本当は誰でも知っているのに
目覚めている時には決して解らない。
タマシイの奥に隠された秘密の通信手段。。。

なんか、それってちょっとわくわくする。
さ~て。今夜は誰に会えるかな~?


押しと引きとニュートラル。

2015-10-15 | essay



背中を押されてありがたいときと
逆効果なときがある。

押しと引き。
いまが背中を押すべきそのときなのか。
いや、もう少しか?

わたしより遥かに大きくなった息子の広い背中を
みながら自分に問うてみるけれど。

「PUSH」ってサインが点滅でもすれば
全力で背中をどついて押し出すんだけどな。

サインを読み間違って
どついてドボン では
信じて待っていた今までの時間を
無きモノとしそうでコワイ と感じる自分がいる。

彼の「成長の発現」を心待ちにし
自力で踏みだすのを
わたしは信じて
待っているのだけれど。

「どこかで背中を押さなきゃいけない」

と言う、休学中の彼の学校の先生のヒトコトに
久しぶりに揺れる。

直感と本能優先なわたし。
「答え」はいつでも結局自分のなかにあった。

わたしは実体験からだんだんにそう学んだけれど。。。

まだ16歳の次男坊には「答え」は大人から授けられるものなのか??

もうすぐ17歳。
もうオトナであり、まだコドモでもあり・・・。

先日、子育ての先輩に
「・・・何よりも、根拠は無くても、うちの子はちゃんと生きていける!できる!できる!と思うこと」
というコトバをいただいた。

いつの時代も、母は強し。

やはり、こころの底から無条件に信じる姿勢が
たいせつなんだなあ。

と、水辺で考えているうちに
ちゃぷんちゃぷん揺れていたこころも
だんだんに凪いでまいりました。 


クラシックなSF映画

2015-10-13 | 映画 のこと



SF映画はほぼ観ない。
でも古いSF映画はちょっとすき。

中でも、すきなのは
「地球の静止する日」(The Day The Earth Stood Still )
これは、1951年アメリカ映画。
(近年キアヌ・リーブス主演でリメイクもされています。観てないけれど。)

初めて観たのは、二十歳ごろの深夜放送。
あの頃、民放が深夜にヒッチコック映画など昔の名作を
字幕で放映してくれることがよくあり、真夜中によく母と一緒に観たものだ。

今回、図書館でDVDになって並んでいるのを見つけて
久しぶりに観た。

静かな静かな反戦映画だったんだなあ・・・と改めて感心してしまった。

いつまでも愚かな戦争を続ける地球にある日舞い降りた宇宙人、クラトゥ。
平和的な方法で、全地球人に戦争を止めるよう警告を試みるクラトゥ。しかし、地球人は・・・。

この映画に込められた願いは
60年以上経つ2015年現在も実現をみない。

同じ人類同士なのに、ころしたりころされたり。。。
相も変わらず愚かな戦いを続けるニンゲン。

宗教や人種の壁なんか越える英知も能力もニンゲンはとっくに持っているはずなのに。

近頃の、中東を巡るロシアとアメリカの不穏な動きも時代を逆行するようでコワイ。

このモノクロ反戦SF映画になんだか深く考えさせられ、
DVDを観た晩に、ロシアがアメリカを空爆する夢まで見ちゃったよ~。いやだなあ。

今こそ、クラトゥさんみたいな宇宙人が
全地球人の目を醒まさせに地球へ舞い降りて来てくれないかしら。

なあんて。そんなことくらいしか望めない自分もまた
愚かなニンゲンのひとりだなあ。

高い空を見上げて
それでも漠然と、地球の平和を願う秋のひと時なのでございました。


 


リセットさせてくれるたいせつな映画

2015-10-10 | 映画 のこと

いつ観ても
わたしをまっさらなキモチにしてくれる映画。

それは、
誰もがすきな「ローマの休日」
(Roman Holiday 1953年アメリカ)

高校生の頃、TV放映で観たのが最初。
初めて観た時から、何度観ても
この映画には、ココロをアゲてもらえちゃう。
曇ったガラスを拭いたみたいに
なんでもないコトも、とても新鮮に輝いてみえる。(単純だけど!)

図書館のDVDコーナーでデジタル・リマスター版とやらを見つけたので
久しぶりに深夜のおひとりさま上映会。

だいすきなヘップバーンのきゅーとな表情。
永遠の憧れのグレゴリー・ペックの渋いスマイル。

コンガラガッタ気持ちも
慌ただしい日常も
すっかりリセット。

初心忘るべからず~。

あたらしい気持ちで
あたらしい一日を。


 


耳をすます。

2015-10-09 | essay


娘のおまけで平日夜に週一回習っていた合気道。
中学生になってから、運動部との両立は難しく
彼女が退会する時にわたしも自動的に退会。

わたしだけ続けるという選択肢もあったのだけれど
大人の練習時間は日曜午後。店を毎週抜けるのは難しく・・・。
というわけで、一年半が経ち。
週に1度でも、あれは「運動」だったんだなあ と、やめてから実感。

うちの店番、わたしのてしごと。一日屋内にいることも多い日常。
慢性的な運動不足に「からだ」が小さくアラームを鳴らし続けていることに
気づいてはいたんだよねえ。。。

からだの声に導かれるように
一念発起、先月近所のジムに入会。

店を閉めて、娘を塾に送り出してから塾終了までジムへ。

運動って、ストレス解消の基本の「き」だったのね~。

ジムなんて、20代の頃、会社が法人会員になっていたジムに
ちょろっとしか行ったことがない。

どんなプログラムが自分に向いているのか
手始めにいろんなプログラムにチャレンジ中。

格闘技エクササイズのファイドウ。
いままでの人生で聞いたこともなかったけれど
これは、たのしそう!かなりの運動量なので減量効果にも期待。
運動音痴のわたしについていけるか・・・はギモンですが(笑)
とりあえず、一番後ろで真似をしています。

あとは、ヨガっぽいプログラムと、マシンで筋トレと水泳。
泳ぐのはすきなので魚になってゆ~らりゆら~り。プールでリラックス~。

こうして夜な夜なひとりで外出できるようになったとは・・・。
つくづく、子どもたちも手が離れたってことなんだなあ。
なんてことにも気づく秋の夜です。

からだの声、こころの声に耳をすますと
だんだんと、いろんな意味でいいバランスを保てるようになりそうです(?)

 (腕立てをする?うちのカメオさん。)


花のいろ、自分のいろ。

2015-10-06 | essay

 







こうして、たまにじっくり花を眺めたりすると
つくづく、自然の発色のフシギを感じるんだなあ。

この花は、黄色。
こっちは紫。
それはビビット・ピンク。 っていったい誰がいつ決めたんだろう?

自分の中に眠る色。

花は自分でも知らずにちゃんとその身に秘めた色を見事に発色させて咲く。

古今東西、あたりまえなことのようでいて
ほんとうは、ひとつひとつが奇蹟なのかもしれないよねえ。

自分の中にある自然色の発色。。。
自分の永遠の宿題です。

 


つみかさなるもの。

2015-10-05 | essay



北の国の収穫物から作り出された手づくりのおいしいものの贈りもの。
ふしぎなご縁で繋がる北国のおともだちから♪

からだの歓ぶものを摂取したいお年頃。。。
そんなわたしの思いを先取りしてくださったかのように
てづくり無農薬野菜から作られた、「ピカリリ」や
「しそジュース」「手作り味噌」などなど
とてもここらでは手に入らないからだによいものオンパレード!

「ピカリリ」 わたしには人生初のたべもの。
ピカリリってかわいい名前はどこのものなのだろうって調べてみたら
piccalilli は、英国料理で「インド風ピクルス」とのこと。へええ!
様々な種類の野菜の酢漬けなんですねえ。

野菜のいろんな味わいと程よい酸味のハーモニー。
手の込んだとても美味しい常備食のお料理です。

特製ピカリリをサラダにドレッシング代わりにのせたり
枝豆とチーズに合わせたり、肉料理、魚料理、どんな料理もたちまち超健康的なお料理に変身~!


(これは、真夏に撮ったもの。夏バテ予防にぴったりでした!)

しそジュースも、からだにすう~~っと沁み込むおいしさ。

からだにいいものは、ちゃんとからだが知っているのね。

ピカリリとしそジュースの秘伝レシピを教えていただいたので
わたしもがんばって作ってみよう!Iさん、ありがとうございました!
(ずぼらなわたしにも作れるかなあ~~)

つみかさなるもの。。。
日々、口にするものがからだになるんだなあ。

あたりまえなことこそが、とてもたいせつになってくるお年頃なのかもしれません。

 


人生最初のミステリ本を巡る想ひ出

2015-10-01 | 本 のこと



そういえば、どこから海外ミステリものを
あんなにわたしはすきになったのだろう・・・と
電車に揺られながらぼんやり考えていたら

ああ、そうだ。
あの!コナン・ドイルの「まだらの紐」だ。
と思いだした。

その本は、子ども向けのシャーロック・ホームズ シリーズの1冊。

今でも本の装丁を思いだせるほど、あの本は印象深い。
それもそのはず・・・

小学校3年生くらいの大阪時代のこと。
父が、とあるなんでもない日に
本屋さんの包みのお土産をわたしたち姉妹に買って帰ってきてくれた。

わあ~ありがとう~おとうちゃん!とわくわくしてそれぞれの袋を開けるわたしたち。

姉には、アイドル雑誌「明星」。
わたしには・・・ハードカバーのコナン・ドイル「まだらの紐」。。。。

アイドルにハマり出したふたつ上の姉は、はじめての「明星」に大喜び!
わたしはどんな顔をしていただろう?
きっと笑顔が固まったままでいたんだろうなあ。。。

「ウチもおねえちゃんみたいなんが欲しかった~~」とは
けっして父には言えず、

後で母にこっそり
「なんでなん~?なんでウチには男の子の読みそうな本なん??」
って泣きついたことを覚えている。

でも母は、もののわかるお母さん(?)だったので
「みこちゃん。お父ちゃんはあんたにぴったりやと思う本を
いろいろ探して選んでくれたんやと思うよ。」
というような言葉でなぐさめて諭してくれた。

果たして・・・?

父が選んだ「まだらの紐」は、
見事わたしのど真ん中を射抜くほど、衝撃的に面白かったのであった~!

それまで、「モモちゃんとプー」や「いやいやえん」などの
やさしい児童文学しか読んでいなかったわたし。
以来、時々子ども向けのミステリを自分でも選ぶようになっていった。
まだらの紐の次に衝撃を受けたのは、
やはり児童文学用に編集されていた、ポーの「モルグ街の怪事件」。

その後、謎解きのない普通の小説がつまらなく思えてしまうほど
ミステリ一辺倒に傾倒していったのは
中学生で読んだクリスティの「そして誰もいなくなった」から。
二十二歳くらいまでのその時期は、わたしの「ミステリー時代」と言ってもいいほど。

父は千里眼?

高校生の頃には、父の本棚はわたしの図書館のようになった。
今でも父とは本の好みが似ているみたい。

あの、いろんな意味で衝撃的な「まだらの紐」が
もしわたしの人生に入って来なかったとしたら???
のちに、アガサ・クリスティーにもあんなにはハマらなかったかもしれないなあ。

一冊の本が采配を振る。。。なんてこともある。
人生は おもしろいねえ。

あの時は、あの本をありがとうお父さん!
とはいっても・・・約40年前のハナシ。覚えてないだろうなあ~(笑)

 



 


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