母のお墓参りの鳥取の旅。
姉とわたしは羽田から。父は大阪から。
ほんのひと月前に大阪の病院で手術を受けた時には
しっかり病人らしい顔をしており
まさかこうして翌月に一緒に鳥取の地を踏めるとは思いもしなかったのだが。。。
さすが、悪運の強い父!
毎度危ないところを切り抜けて
奇跡的に快復を遂げる父の「鳥取、早く日程決めて!」というツルの一声に
つい乗せられてしまう姉とわたし。(弟は残念ながら都合がつかず。)
でもね、そうね、行ける時に行っとかないとね。
さすがの父も、高齢の親戚たちも、そして自分も、持ち時間は永遠じゃない。
待ち合わせた鳥取駅で
遠くに見つけた父に大きく手を振る。
あれれ? 近づいてくる父のそばにはもうひとりオジサンが。。。?
姉と小声で 「え?だれ?きいてないよ?」 ??
それもそのはず、父もびっくり!駅でばったり出くわした父の従弟とのこと。
仕事で東京から来ていた従弟にバッタリ会うとはなんという偶然。
わたしたちは初対面。
二十年以上前に父の伯母夫婦である、今は亡きご両親にはお逢いしたことがあった。
幼少時、父はその家でも育てられていた時期がある。
「あんたのお父さんは苦労したんや・・・」と呟いたそのお爺さんの言葉を思い出す。。。
次の飛行機で羽田へ帰るというそのおじ様とともに駅の喫茶で暫しのお茶の時間。
並んで座るふたりを見ながら、血の繋がりのフシギ・・・をまたも想う。
父方のお墓に三人でお参りしたあと、
父が子ども時代を過ごした城下町を親子3人でそぞろ歩く。
へび道みたいな細い路地。山裾の鬱蒼とした墓地。
変わるものと、変わらないもの。。。
子どもの頃、ともだちが住んでいたという家。
いつも通っていたという路地。
勉強しにきたという山の岩穴。
80歳の父の子ども時代があった町。
ほとんど姿の変わらないのんびりとした静かなこの町。
それでも戦中、戦後という激動の時代、ここにもやはり違う空気が漂っていたのだろう。
父の親族はもう随分前にこの町を離れ、東京へ。
現在はお墓が残っているだけ。
赤ん坊の頃に満州で父親を亡くし、母親とは引き離され
小説になりそうなほど複雑な半生を送った父。
父が祖父母や親戚たちと共に暮らした想い出の家も今はもう影形も無く、その土地は今では駐車場に。
かつて暮らした土地に立つ、年老いて尚、少年のような父。
ユカイな不良オヤジ。呑みトモダチはほとんど20代~40代だと云う。
毎日をたのしんで、いつまでもいつまでも元気でいてほしいものです(^-^)