時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

映画「アバウト・タイム」

2015-01-31 | 映画 のこと

洋画好きともだちN&Mさんと
今年初の映画観賞へ。

「アバウト・タイム」2013年イギリス映画。
監督はリチャード・カーティス。

リチャード・カーティスといえば
だいすきな「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」
「ラヴ・アクチャリー」などなどの監督。

面白くないわけはない映画です。

クスクス・ぽろぽろ・・・のラブ・コメですが
いろいろ、いろいろ・・・
ものを想わされる映画でした。

自分に自信のない主人公ティム。
この一家に生まれた男は代々タイムトラベルができる能力を持つ、
と、21歳の誕生日に父に告げられてから
彼の人生は変わって行く。

失敗をするたびに過去に戻り、やりなおして
人生をよりよいものに変えていこうとする主人公。

そうしていくうちに、
愛するということの意味、人生の意味に気づかされていく。。。


タイムトラベルかあ・・・。

わたしにも、戻りたい時間はたくさんある。
取り戻したい時空間もたくさんある。
それは現実には叶わないことであることももちろんわかっているし
今までの時間をなかったことにしたいとも思わない。

それでも、誰にでも戻りたい時間、もう一度過ごしたい時間というものがあるもの。

この映画は、やさしく、そしてじわじわと
現実を直視すること、
いかに今現在の何気ない時間を愛しんで生きるか・・・
という、当たり前なんだけれど つい忘れがちなたいせつなことを
目の当たりにひろげて観せてくれる。


アタマではわかっていることなんだけれどね。
改めて、こころにごーんとドラを鳴らされたような気持ちです。

この監督の映画っていつも
人物設定が、とても愛すべきちょっとズレたひとが多くて
何とも親しみが湧く。

この映画では、なんといっても父親役の、ビル・ナイがいいですね。
彼なしには、こういう味わい深い映画にならなかったことでしょう。

ハートフルないい映画を観ると
こころの芯の部分がじんわりと温められる感じ。。。
遠赤外線的映画?

だから映画って すきなのかも。


子に従え・・・?

2015-01-28 | essay



お馴染みの、夫のこころない(でも悪気はない)コトバに
ギャイのギャイのと反論して
プンプンしているわたしに

料理をしながら黙って聞いていた次男坊が一言・・・

「キミさ、もう何十年も一緒にいて
ああいう性格だってわかってるじゃん。
ギャーギャー言っても意味ナクネ??」

・・・息子よ。アンタの言うとおり。わかっちゃいるんだけれどね。

そういえば。
昔、夫のともだちにも、同じようなことを言われたっけ。

「何年一緒にいるんだよ?ヤツには怒ったってしょうがないよ?」 って笑われた。
彼の方がよっぽど伴侶に向いている。

まったく進歩していないのはわたしも同じか・・・。

どんなことでも
サラリとかわして、とっとと風に乗っけて流してしまえる術は
いつになったら自分のものにできるのだろう?

黙って知らん顔なんて
そっちの方がストレス溜まりそうだけれど

老いては子に従え・・・ですね。

ちょっとはわたしもクールなオトナに、今からでも成長しよう。(笑)

 


夢の中で開けるドア

2015-01-27 | essay



この家に嫁ぐまで、いろんな町のいろんな「家」で暮らしてきたのだけれど

夢の中で、自分が帰る家はいつでも

最後に家族全員で暮らした「あの家」。

もう引っ越してから三十年も経つのにね。


一人暮らしの頃に見た夢でも
ベビーカーを押しながら子どもと帰るシーンの夢でも
鍵をがちゃがちゃと開ける夢でも
現在の大人の自分なのに
いつでも「ただいま~」と開くのは、あの町のあの家のドアなんだ。

母が元気な頃、母も夢の中でよく「あの家」に帰ると言っていたし、
姉も同じようなことを言っていた。

フシギなものだ。

わたしたちにとっての「家」は
何十年経とうが「あの家」なんだな。

あの家には、家族のたくさんの想い出が詰まっている。
いいことも、良くないこともあったとはいえ、
かえがえのない「家族」の時間が積もっている場所なんだよね。

もしかしたら・・・「あの家」のほうでも、
わたしたちを懐かしく想ってくれているから
いつまでも夢に出てくるのかもしれない。。。?

あの町の「あの家」で暮らしたのは9歳から
18歳になったばかりの頃まで。
思えばたったの9年なんだけれどね。


つい先日
初めて、現在暮らすこの家に
「ただいま」って帰る夢をみた。

ここに暮らして21年。。。
やっと、ここが自分の場所って 思えるようになったということなのかな。

それとも、もしや「あの家」は・・・・
もう形を失くしてしまった、ということなのかもしれない。

何だか、遠くでおわかれを告げられたような
寂しいキモチ。

たかが夢。。。されど ゆめ です。 

  


きらきらと三日月。

2015-01-26 | essay



旧友おんなともだち3人での新年会は、Kちゃんの提案で
イルミネーションからスタート。



人工のヒカリの上には輝く三日月が。



ここ、西武園ゆうえんちのイルミネーションは全国でも5本指に入るそうな。
イルミネーションといえば、クリスマス。もう終わっていたのかと思いきや
バレンタイン辺りまで開催している様子。

カップルばっかり・・・というわけでもなく
わたしたちのようなオバサン、もとい、元女子数人組もいれば
大勢のご年配団体もいるし、一番多いのは若い夫婦&キッズって感じかな。

ひともそうは多くないし、今頃が一番見時なのかも。



実は一番こころを魅かれたのは、踊る光の粒ではなく、この場所。
水面に映るメリーゴーラウンドの照明。



水の中にある別の世界に吸い込まれそうなほどの美しさ。

写真ではあの幻想的な感覚までは伝わらないのがざんねん!

 きらきらを見降ろすおつきさん。

 

このあと場所を変え、お喋りは尽きぬオトメの夜は続くのでした~。


エネルギーのあるヒトの照り返しの恩恵

2015-01-23 | essay



ひととひとの縁ってものはほんとうに面白い。
ありがたいもので、行き当たりばったりのわたしの道の途上では
さまざまないい出逢いが待っていてくれている。

かねてから顔見知りではあった 同業者(?)のバッグ作家さんと
はじめてランチに出掛けることになり、しゃべるしゃべる!

彼女は積極的にSNSを利用して
どんどん販路を拡げている前傾姿勢な作家さん。すばらしい~。

片や、アナログなわたしは、
仲間とのイベントや、雑貨屋さんでの委託販売、
ハンドメイドサイトにちょっと載せるだけで精一杯。

今はネットの時代・・・ってわかっているけれど
Facebookなどに時間を割くのはどうも面倒くさそうで手がでない。

わたしは彼女を「スパークbさん」と呼んでいるのだが(笑)
そんな、常にスパークして輝いている彼女からちょっとオモシロイ企画のハナシが。

SNS食わず嫌いなわたしには
渡りに船みたいなお話なので
ちょこっと端っこに乗せてもらって漕ぎだしてみようかな~。

それにしても。
スパーク!するパワーのあるひとと時間を共にすると
エネルギーの照り返しのお蔭で、こちらまでスパーク!な気分になるからフシギ。(単純です)

ひととひと。もちつもたれつ。
エニシというものは、人生の重要なスパイスですね。


13年前の今日。25年前の今日。

2015-01-22 | essay



13年前の朝。助産院で元気に産声を上げた娘。
上のふたりは、産まれたてはちょっと青白い体だったのに比べて
この子は、産まれ出た瞬間から正にピンク色のまるまると太った赤ん坊で、
なるほど、「赤ん坊」と云われる所以はこれか!って三人目にして初めて納得。

あの穏やかな春のような日差しのあの朝から13年も経ったんだなあ。。。

朝、娘がネットで「今日は何の日?」というようなページを
調べているのを横から覗くと、この日に起きた出来事が並べてあった。

  「東京・御徒町駅ガード下の道路が陥没、車4台が落ちる。
  地下では東北新幹線の上野−東京間の工事中で、
  業者の手抜き工事が原因。」

この道路陥没事故は、ひどく怖かった。
25年前の今日なんだな・・・

この日、目黒の会社から渋谷の取引先に出掛けていた。
山手線は全線不通。駅周辺にはひとが溢れ、復旧の目処は立たないという・・・。

当時はケータイもネットもない時代。
何がか起きたらしい。ということしかわからず
事故なのか事件なのかまるで情報もないまま
人の波は右往左往するばかり。

確か渋谷の駅周辺では例のあの「お面」を被った党が
パフォーマンスを繰り広げていたような頃だったと思う。

誰もが、「ただの事故」とは思わないほど、なんだか不穏な時代だったんだよね。
世紀末・・・この世の終わりが始まった・・・。
って感じるほどの出来事だった。

たった二駅なのに会社へ帰るに帰れず。。。
電話で上司に知恵を借りながらバスで遠回りしてやっと帰りついた長い長い一日だった。

25年前の今日。
13年前の今日。

ひとりひとりの上に、いろんな時間が積もってる。

13歳になった娘。
あとたったの7年で成人なのね!?

これから、彼女にも思春期の波がひたひたと押し寄せるんだなあ・・・。

まだまだ幼さの残る少女時代をしっかりこころに焼きつけておこう。





自分の中にないものを知る。

2015-01-20 | essay



自分に足らないところ。

それはそれはたくさんあるけれど

近頃とみに思うのは・・・・

丁寧に生きる姿勢のなさ。

持って生まれたものだから仕方がないとはいえ
わたしは、この上なく大雑把な上に楽観主義。

それ故に、見落としているたいせつなことや
思慮の足りないところが大いにある。と思う。

短所は、裏返せば長所でもそりゃあ あるけれど、
それにしても、
「なるようになるさ的思考」にも程があるというもの。

まあ、いっか~! ばっかり言ってないで
ほんとにそれでいいのかい??
って、自分で自分に問うことも必要だよねえ。

本能と感性に身を委ねることは、とてもたいせつなことだと信じているのだけれど
それは、裏返せば、「お気楽」ばかり追求しているということと何が違うというのか?
と問われたら、何も返すコトバがないな、ワタシ。

まあ、いいやんか~。たのしいほうがいいやん?
それはただの甘えなのか・・・?

真俯瞰から自分を見降ろしてみることが
必要なんだってことも、わかってはいるんだけれどねえ~。


姿勢を正して、丁寧にいきる。。。。

今、わたしには、キモチのシェイプアップが必要なようです。(もちろんソトガワも!)

 


30年越しのブラックジャック

2015-01-19 | 本 のこと



手塚治虫の「ブラック・ジャック」
今でも時々読み返すわたしのタカラモノ。

中学生でどっぷりハマってから、一巻一巻買い足して24巻まで集めた。

手塚治虫氏が亡くなり、完結をみないままに終わった「ブラック・ジャック」

なぜか勝手に24巻で終わっているものと思い込んで数十年。

なんと、25巻が最終巻なのだと知る~。(おそ。ファンとは言えませんネ)

ブック・オフでフツーに売ってたよ~。という次男坊に
買ってきてもらいました。
30数年越しのブラック・ジャック・第25巻。
装丁が昔のとちょっと違うのね。発行は1995年。
ラストだと思っていた24巻から約10年後に発行されていたようですね。

憧れの黒男さん、ご健在でした。(ブラック・ジャックの本名は間黒男です)
すっかり自分の方が年上になっちゃいましたが
ブラック・ジャックは、今でもすこぶるスキ。

ハツコイのヒトは幼稚園時代のスナフキンだったので
中学生時代の黒男さんは、差し詰めセカンド・ラヴですかね。

どうやら、自分は孤高の一匹狼(でも、その実、人情家)がおこのみタイプのよう?
現実とは・・・かなり、違います。


うちの子どもたちもハマったわたしのコレクション「ブラック・ジャック」全25巻。
世代を超える名作マンガ、ブラック・ジャックは永遠です。


  

 


古きよき日本映画

2015-01-16 | 映画 のこと



先日読み終えた高峰秀子著「わたしの渡世日記」。

無性に古き良き時代の日本映画を観たくなって
図書館のビデオコーナーへ。

選んだ一本は、昭和25年(1950年)小津安二郎監督「宗方姉妹」

対照的な二人の姉妹。古風な日本女性、姉役の田中絹代と
奔放な妹役、高峰秀子。

考え方が古いのよ!と妹に言われ、
姉の返すコトバ。

  「古くならないことが新しいことだと思うのよ」 

このコトバが、この映画のキーワードなのかも。

観終わったあとに、なんかすごいこと聞いちゃった気がする・・・と、
巻き戻してそのセリフをもう一度確かめちゃった。

さすが不朽の名脚本家です。

小津安二郎の映画は、ずっと以前にTV放映のものを何本か観たことがあるだけ。
それでも、原節子の上品な立ち居振る舞いや笠智衆のやわらかな演技に
日本の良き時代を感じ、魅せられたものだ。

そして、古い映画のもうひとつの醍醐味は
今はもうない建築物にお目にかかれること。
この映画でも、銀座界隈のいい感じの近代建築が随所に出てきて
見惚れてしまった。たった戦後5年の世の中・・・。
古い映画は、貴重な歴史的資料でもあるのですね。

 「いい映画は古くならない」 と、 実感させられた映画でした。

しかし・・・、一番脳裏から消えないのは、上原謙のにやにやニヤけた微笑かも!
あんなに終始ニヤけた俳優みたことなーい!!(しかも似合ってる~)

さあ、次はなにを借りてこようかな。

 

 


ハレノヒ

2015-01-12 | essay



成人の日。毎年この日は、うちの店の前をたくさんの色とりどりのチョウチョたちと
まだ着慣れないダークスーツ君たちが通っていく。

今年は長男のひとつ上の学年。

幼稚園の制服姿もついこの前のようなRくんや
いつもマンションのベランダから足をブラブラさせながらアイスを食べてたMくんも
よく公園でうちの末っ娘をおんぶして走って遊んでくれたYちゃんも
・・・成人式。。。
なんだか、おばちゃん、うれしい。

ひとつの街にこんなに長く住み続けるのは
わたしにははじめてのこと。
近所の子たちの成長をこうして見聞きできるって
こんなにたのしいものなのね。

どうぞどのこも
しあわせに。。。 と、祈らずにいられません。
 (近所のおばちゃんに祈られても困るか・・・?) 

これからのニッポンを たのむぜよ!若者たち!


ソワソワ・エンドレス

2015-01-11 | essay



自分の産んだ子が運転免許を取る!ってのは、何だか言い知れぬほど感慨深い。
(わたしは20年以上ペーパーですが)

車を運転するということは、
親の傘から出て、ひとりのニンゲンとして世間様に責任を持つということ。

お祖父ちゃんのロートル車の保険を変更して
この度、18歳長男の初乗り。
息子とお祖父ちゃん、ふたりでドライブへ行くことに。

超安全運転の夫の父。
2人で車に座ったまま全然出発しない。
???
どうやら、ひとしきりお祖父ちゃんの安全運転レクチャーが
車内で行われているらしい?

やっと出発したものの
無事帰ってくるまでどうもそわそわ落ち着かない。

彼が初めて幼稚園へ、園バスにさらわれるように初登園して行った日のことを
思い出す。

帰りの園バスが着くまで
なんだか数時間そわそわそわそわしていたっけなあ。 

このソワソワ感は、いくつになっても変わらない。


子育てって
ちいさい時はちいさいなりの
成長したら成長したなりの
シンパイゴトは尽きないものだ。

自分もこうして、あんな時もこんな時も
親に心配をさせていたのだろうね~。


かくして、モミジ&ワカバマークの二人組は無事ご帰還あそばされました~。ほっ。

 


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