時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

森のくうき

2013-11-29 | essay

 森の中のともだちの家へ。



 ここは別世界。車の音も聞こえない。

鳥の声。 木々の葉音。それだけの世界。
街とはまるきり空気が違う。 胸に森のしっとりとしたいい空気をいっぱいに吸い込む。。。

こうして、彼女の森の家でゆっくりお茶を飲んでふたりで話していると
不思議と時間の過ぎるスピードがだんだんゆっくりとたおやかになっていく。

教職に復帰して忙しい日々を送る彼女と、
こうしてのんびりおしゃべりするのはとても久しぶりなこと。

いろんな時間。
それぞれの時間。

時折交差する 様々な 温かな時間。

いろんな時間をちゃんとだいじに
ココロの温度を感じながら生きていけたらシアワセなことだな。
と、
しみじみと思う あたたかな秋の一日なのでありました。




夢で会うひと

2013-11-28 | essay



少女のころ、雑誌の占いかなにかで、

「夢にすきなひとが現れたら、
それはそのひともあなたを想ってくれているということです」
というくだりを読んで、ささやかに勝手にシアワセになっていたものだ。

本当のところは、今でももちろん解らない。
けれど、大抵は自分自身が気にかかっているひとが
夢に現れることが多いものだ。

それでも、時に、うわあ、どうしてこのひとの夢??
って思うひとが夢に現れることもある。

そういう時には、やっぱりちょっと気になって、
なにかあったのかな?
わたしに何かできることがあるのではないかな?

なあんて お節介なことを思ってみたりする。

連絡のできるひとなら
「夢に出てきたよ~げんき?」って、メールをするのが常だ。
先日、夢をみたわけではなく、ふと 元気かな  って思って
久しぶりにメールをしてみたともだちにまで

「また夢にみた?」って言われてしまった。

しかし、アドレスもわからないような懐かしいひとの夢をみると
しばらく気にかかってしまう。

そんなひととは、きっと近いうちにどこかで接点を持てるような気がしている。
そう思っていると、本当に逢えたりするものだ。

ひととひと。目にはみえない ココロの回線で
呼んだり呼ばれたり。

電磁波だって目にはみえないもんね。

別次元の、そういうココロの回線って、きっとあるに違いない。
って思ってみると、ちょっとおもしろい。

 
      

 


数の横暴

2013-11-27 | essay

数が多いからって、「正しい」わけじゃない。

そこんとこ、忘れちゃだめだよね。

多数決は、民主主義のルールのひとつだけれど
だからって少数をスッパリ切り捨てていいわけじゃない。

重大なことを、周りを切り捨てながら傲慢に進めるやり方。。。

独裁型民主主義?そんなコトバはないかもしれないけれど、
「数」という みえない暴力を振るう民主主義は、独裁主義となんら変わらないよ。

自分たちの国。ニッポン。
流されないよう気をつけて
しっかりみていなくちゃね。

               

 


 


緩む思考

2013-11-26 | essay




寒い朝。
ふとんから出たくなくてまどろんでいるうちに
知らぬ間にいろんなことを考えてる。

解けて緩んでる思考。

自分のまんまがそこに見えるような、ニュートラルな状態の思考。

あ、これ 
お風呂にのんびりつかっているときと
おんなじだ。

こういう時、ほんとうの自分が見えちゃったりするんだよね。

 


おちゃめな怪物

2013-11-25 | 古い建物 のこと




先日。mさんと一緒に国立散策中に、綺麗な銀杏並木に誘われて一橋大学の敷地内に入って行くと・・・

とっても好みの建築物がど~んと、出迎えてくれた。

これはこれは!写真とかでは見たことがあったけれど
こんなふうに誰でもお散歩していい場所にあるとは知らなかったよ。



一体、いつごろの建築物だろう??昭和初期?明治?
と、帰ってから調べてみたら、昭和2年創建。
設計は伊東忠太氏という建築家でした。

このロマネスク様式の「兼松講堂」。
アーチの柱を取り巻く魅惑的なガーゴイル的怪物?動物?のレリーフがあちこちに。



 

 鬼瓦風。

ヨーロッパの建物にくっついてるような悪魔的なおどろおどろしさはなく、
なんとなく丸みがあっておちゃめなんだな。

この伊東忠太さん、代表作は「築地本願寺」と知って、あ~~納得。
築地本願寺も、ちょっとフシギで面白い動物たちのレリーフがあちこちにあるものね。

 

ガラス越しにのぞくと、これまた良い感じのアーチと階段が続いてる。



この講堂、とても魅惑的。機会があったらぜひ内部もじっくり観てみたい。
あちこちに怪物モドキが散りばめられているのかな。探してみたいものだなあ!

 ドアノブの色の、時間の積り具合も、いい按配です。



ひととひと、場所とひと、思い掛けないいろんなバッタリ!
たのしいミラクル・チャンス、たいせつにしたいものです。



 


店内交叉点

2013-11-23 | essay



お客さま商売の醍醐味。
最近ちょっとだけ わかってきた。

袖摺り合うも他生の縁。

毎日、いろんな初対面。
束の間の、人生が交差する瞬間・・・
改めて考えると、日々たいへん貴重な体験をしているってことなんだな。

時計の修理を預けにいらしたお客さまと
束の間、話をする。

時に、その時計に纏わる昔の話をしてくださるご年配の方もいらして
そこからどんどん、扉の奥へと深く拡がるその方の過ごしてきた人生の話になることもあり
時間を忘れてお話に聴き入ってしまう。

話の糸口がなんだったのかは覚えていないのだけれど、
先日、もうすぐ90歳になられる というお客さまが、
終戦直後のシベリア抑留の体験談を話してくださった。
こうして、その目で見てその手で経験された実体験の話を聴くことは
戦争体験者の方々の高齢化が進んだ今となってはたいへん貴重なこと。。。

暫し、わたしも平成の現代に戻るのが難しいほど 引き込まれてしまった。
そのおじいさんの、二十歳前後頃の話。
聴いているうちに、そのお顔にとても精悍な若者の面影がちらちらと見えてしまうほどのリアリティ。

壮絶な体験をも生き延びて、今こうして元気でいられるというのは
そのひとの持つ生命力の強さなのだろうな。

たくさんの辛いことを呑み込んで、にっこりとほほ笑むそのおじいさんの優しい笑顔から
強力なパワーを分けていただいた心持ちになりました。

ほんの束の間、まったく別の人生がクロスする特別な瞬間。
一期一会。
たいせつにしたい、ひとつぶひとつぶの時間です。

  



青と黄色。そしてシロ。

2013-11-22 | essay

 

 

日暮里の革問屋さんへ出掛けたのだけれど、
車窓から見える、あまりにきれいな秋空の青。。。

仕入だけじゃもったいない良い陽気。
そうだそうだ。ちょっと二駅先まで。

上野公園の銀杏の木々もきれいなきれいな輝く黄色。

あお・きいろ・あか 暑いのも寒いのもちゃんと季節があるからなんだよね。
いろんな色を見せてたのしませてくれる木々。
あ~きれいだなあ。
いろんなことに感謝したくなるほど
こころの中まで温かな暖色で満たしてくれる木々の色。
ありがたいことです。

で。
ここまできたら、次はシロ でしょ。

 水中の毛並み。生まれるあぶく。

近すぎておなかのアップしか撮れません!!
シロいこのこは・・・お気に入りのホッキョクグマのデアさん。
目の前にぐい~んと寄ってきて、初めて近距離で目が合っちゃった。ますます惚れちゃうなあ。

 夢中で遊ぶ逆立ちデアさん。

 水から上がると意外にスマートなのよ。

 気持ち良さげに泳ぐ姿は
あまりにかわいらしくて、いくら眺めても眺めたりません~。

デアさん目当てだけの、初めてのおひとりさま動物園。
温かな小春日和の平日のこの場所は、都会のオアシス。
陽だまりのテーブルで、駅で買ったパンを食べながらのんびり周りを眺める。

小さなこどもとママさん。お年寄りのグループ。おとなの女性同士。写真愛好家。外国人旅行者。
それから、ちょっとさぼっちゃた風のサラリーマン。
誰でも行ける、ほんのり温度の違う時間の流れる「大きな公園」ってところですね。

都会の喧騒に疲れたオトナにこそ訪れてほしいマホウの国です。(オトナ600円也)



そして。やっぱりパンダさんもみちゃったわ。   

 


きいろときみどりの間に浮かぶ時空

2013-11-20 | essay

 



 あおいあおい空 きいろときみどりの間の銀杏の木。

くにたちの街。一橋大学構内の銀杏は今、見事な色合いです。

フシギなご縁でおともだちになったmさんに、
国立の街のすてきでおいしいお店をあちこち案内してもらいながら
あまりにキレイに色づく木々の写真を撮らずにはいられません。(といってもケータイ)
ちゃんとカメラを持っていけばよかったよ~。

mさんは、すてきな写真を撮るカメラマンさんでもあるので
バッグから現れたなんだか懐かしい「おとうさんのカメラ」的カメラで
しっかり立ち止まってじっくり構えてシャッターを切る。

ファインダーを覗いて、ピントを合わせる・・・そのゆったりと動きを止める時間。

そうだよね~。写真ってそうやって撮るものだったよね。
時間をたいせつに操るmさんの周りだけ、別の時空がふわりと取り巻く感じ。

すっかり忘れていた たいせつな「ゆとり」の時間を、思い出させてもらいました。

 



赤い天の川

2013-11-19 | essay

 

赤い天の川みたい。 焚火のおわり。

いつも夏に川遊びにいく渓流へ。秋の深まる季節に行くのは初めて。



  

焚火って、いいよねえ。 すきだなあ。

なんだか じんわりと こころの芯まで温めてくれるみたい。

みんな成長して、いつか離れて暮らしても
それぞれのこころに、いつまでもこの川が流れているといいな。

訪れるたび、いつもこころを解してくれる場所。







木のチカラ

2013-11-18 | essay



岩をも断ち割る?? 
木の生命力ってすごい。



岩の上で立派に成長した木。



大岩の上の木のベビーは小さなクリスマスツリーみたい。

このこの成長も、祈りたくなるなあ。

山の冬はもうすっかり始まっています。  





こころを奪われる瞬間

2013-11-16 | essay

「ありがとうございました。お気をつけて~!」
と、お客様をドアの外までお送りしたら、
西の空が濃い赤に色づいているのが見えた。

そのまま暫しビルの隙間の四角い夕空を眺めていたら
どうしようもなく今すぐに
なんにも遮るもののない大きな空が見えるところまで
飛んで行きたくなってしまった。

こころを奪われる赤い赤い空。

とはいえ。
店を放ったらかしにして
チャリを飛ばして行くってわけにもね。

オトナのわたしがコドモのわたしを制御する瞬間です。

こういう時に、「どこでもドア」があったらなあ・・・と
こころから渇望してしまうわけです。

  




 


終わりのはじまり

2013-11-15 | 本 のこと

「不登校」の子どもの
気持ちを想像して理解しようと努める。

わたしは親だから、所詮親のきもちとしての理解でしかない。

本当の核の部分は、本人じゃなけりゃあそりゃあ、わからないよ。

だって、わたしは学校へ行っていた子どもだったのだし、あなたはわたしじゃないのだから。

  「不登校になってみなけりゃわかるはずない」 

  「不登校になった時点で、もう終わってるからね」

彼のいろんな言葉をわたしなりに受け止めてきた。
彼の痛みや、やるせなさ、不安、ひとと違う道へ歩き出してしまった心もとなさ・・・
いろんな気持ちを、想像でしかなくてもわたしなりにわたしのことのように感じていた。

「学校へ行かないっていう、こころに正直な生き方を出来るアンタはスゴイよ!」
「不登校は勇気がいることだもん、アンタ将来大物になれるよ!」  って、励ましながらも

そんな甘いもんとちゃうよなあ・・・

彼は、大義名分を掲げて自らこんな険しい道を「選んだ」わけではないよねえ・・・
自然の成り行きでこういうイバラ道へ迷い込んでしまった・・・というだけなんだよな・・・
本人が一番苦しいこういう道を、誰が好んで選んだりするものか。。。。
などとアレコレ思いつつ、ちょっと俯瞰から眺める自分がいる。

学校へ行けてさえいれば問題はない とは思わないけれど、
不登校を美化するつもりも全くない。

だってこの先、明らかに、フツーに学校へ行っていた子よりも
生きにくいのは確かだから。。。

そんなことも、全部ちゃんとわかっているんだよね。本人はね。
だからこそ、不安になるし、イライラもするんだよね。

「わかるよ」 っていうと、彼は怒る。
「わかるわけないよ。不登校だったことないくせ!!」

そうなんだよね。そこなんだよね。そりゃね、わかるはずないよ。
でもさ、親だからやっぱり、痛みが伝わってわかるんだよ。
そりゃ全部はわかんないけど、あなたが思うよりはわかるんだよね。

この前、久しぶりに不登校に関する本で、興味を引く一冊に出逢った。
不登校を経験して大人になったひとの書いた本音の本。
これは、この先、本人にも読んでもらいたいな、と思ってる。

 「不登校、選んだわけじゃないんだぜ」貴戸理恵 著 

読みながら、何度も泣きそうになった。
この正直な本に書かれた支離滅裂さ、これこそが不登校そのものを物語っている。
学校に行かない子どもは、ひとつのパターンなんかじゃない。
子どもの数だけ違うパターンがある。

息子が学校へ行かなくなってから、たくさんの関連本を読み漁った。
だって、わたしだって不登校の親・初心者。
わからないことだらけで、親だって迷子になるよ。

まだ家の中の空気がピリピリしていた「はじめ」の頃は、
そういう本を読んでいることを彼に悟られることさえ警戒して
厳重にカバーをかけて読んでいた。

先日、その最近見つけた本をカバーもかけずに無造作に置いておいたら
彼が手に取って、
「いまさらこんなん読んでどーするの。最初の頃に読むならわかるけど。もう不登校終わるのにさ~。」
と、中学卒業を控えた冬を迎えた彼は、なんともお気楽に言ってのけるので、
「最初のころなんて、そりゃあいろいろ読んださ~!」と返すと

「知ってる。」 とひと言。。。。

う~ん。 そうでしたか。知っていたとは知らなかった。
わたしが思うより、彼はいつの間にかとっとと「大人」になってしまっていたのかもしれないなあ。

この先、大人になっても、彼の葛藤は、尽きることはないと思う。
選んだわけじゃなくても、良くも悪くも、学校へ行かないという道を歩いた事実と共に
彼はこれからの人生を過ごしてゆくことになるのだから。。。

けれど、親にはもうどうしてやることもできない。
彼も、親にどうこうしてもらおうなんて、もう露ほども既に思っていないようだしね。

彼がこの先、不安や葛藤を上手に自分のものとして付き合っていけるよう
親はこころから願うのみ。です。
それって、どの子でもおんなじことなんだけれどね。

せめて、陰でこっそり旗を振っておいてあげるよ~。






ちいさい恐竜

2013-11-12 | essay

     (in 水族館)

うちのムズカシイ中三次男坊の近頃の原動力は、爬虫類熱。

爬虫類のお蔭で、土日ならば、行きたい場所へ思い立ったら出掛けて行くようになった。
先日もひとりで2時間もかけて横浜郊外まで遠征。
爬虫類のいるショップが目的地。

この先、「高校生」になったら、バイトをしてお金を貯めて
イグアナを飼う環境を作るらしい。

なんでもいいんだよね。
自分が動き出したくなる 「すきなもの」。 それって大事だよね。

「すき」は、こころのパワーの源泉。
すきなもの、すきなこと さえあれば、生きていく原動力になる。
すきなもの の為に、いろんなことが頑張れるようになる。

よしよし。
ちょっとずつだけれど、彼の中で何かが動き出している。
朝陽に大地がちょっとずつ温められていくように
こころの温度も少しずつ上昇していく。

わたしは、保温効果をアゲるために反射鏡にでもなって
彼の夢を照り返してあげましょうかね~。




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