時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

艶やかな夜桜饗宴

2022-03-31 | essay

今年もその艶やかな咲きっぷりをみせてくれてありがとう!

枝垂桜とソメイヨシノの見事な饗宴。
仕事帰りに今年も夜桜見物。

やはり未だマスク姿です。
もうそのお姿も見慣れてしまった〜
疫病退散祈願!!

3月も今日で終わります。


Pink, Yellow and White

2022-03-29 | essay
偶然、桜がとてもすてきに咲いている場所をみつけた。

ピンクと黄色

ピンクと白

この街に嫁にきて早くも約30年。
長く暮らしているようで、実はまだまだ新参者なんだなぁ。

あたらしい発見にときめく春です。




flower power

2022-03-26 | essay

先日、久しぶりに会いに来てくれたともだちから花束をいただいた。


ラナンキュラスというお花なのだそうだ。初めて知った。
ありがとうKちゃん。
ふわふわのドレスみたいな子たち。
日を追ってより大きくふんわりとそのドレスを膨らませている。
なんてきれいなんだろう。
お花は、束の間夢の国へと連れて行ってくれる魔法を持ってる。

世界が時計を逆回しにして
愚かな誤ちをまた繰り返している。
わたしたちニンゲンは知恵も知識ももう充分すぎるほど持ち合わせているはず。
それなのに何故こんなにも非人道的な侵略が行われ、そして狂気だとわかっていて誰もそれを止められないのか。。。
もどかしい日々が過ぎていく。

どうか一刻も早くこの戦争に終止符がうたれますよう。。










ポップコーン劇場

2022-03-24 | essay


丘の上のポップコーンの木。
今年もぽんぽんと弾け始めた。



仕事へ向かう坂道。
自転車を漕ぎながらいつも見上げるすきな木。

一年を通して劇的に変化する彼女は、日々変わりゆく季節を如実に伝えてくれる。

秋の終わりにすべて葉を落とし、冬の間潔い姿で凛と佇む姿はなんとうつくしいことか。

そして、ある春の日に
唐突にポップコーンのような花をぽんぽんと開いて見る者を驚かせる。

花を開かせ終える頃には若葉を芽吹き、黄緑色のうつくしい薄衣を纏い、その色を徐々に色濃く変化させていく。

わたしが勝手に「ポップコーンの木」時に「いってきますの木」と呼んでいる彼女は、多分コブシの木。

これからも下界のニンゲンを見守っていておくれ〜。





メンタルブロックってコトバに想う。

2022-03-22 | essay

こころの中の思い込みから生まれる意識の壁を「メンタルブロック」と呼ぶそうだ。

また、アクセルやブレーキが勝手に作動してしまい自分のこころをコントロールできない状態をいう。

いかにメンタルブロックを外すか、というセミナー等もあるらしい。

そりゃそうだ。
そもそもココロを自分で自由にコントロールしようなんて
考えるから不自由に感じるんじゃないか?

そう考えるわたしが能天気すぎるのか。
ココロは気ままなものだもの。
自由にさせておいたらいい。

なるようになる。
なるようにしかならない。

こころに自由を許して
こころの声を聴く。
それが一番自然なことなのではないか?

そんなに身構えなくていいんじゃないかなぁ。
あくせくしないで自分の歩幅でのんびりいこうよ。





ロシアの青い花瓶に黄色いフリージアを。

2022-03-21 | essay

ロシアのグジェリ焼の花びんにフリージアを一輪。
青と黄色をみると、自ずとウクライナを想う。
戦争が一刻も早く収まりますように。
遠い国の話ではない。
地球は今や小さな運命共同体だ。

青と白が爽やかで、いつの間にかすきになっていたこのグジェリ焼。
イワンのばかのワンシーンの置物は昔母が買ってくれたもの。
花入れはわたしが亡き友にかつてプレゼントしたもの。
お人形の表情が何だか彼女にそっくりで、見つけた時に笑っちゃったものだ。
あれはまだ20代の頃だ。

数年前にわたしの元に里帰り。今は彼女の形見としてわたしがたいせつにしている。

二つともかつて銀座の大通りにあったロシアの民芸品店「白樺」で購入したもの。
(小さなマトちゃんは数年前アンティーク屋で出会った子)

バラライカの実物に初めて出会ったのもあの店だ。
母と銀座を歩くとふらりとよく立ち寄ったものだ。
当時はまだU.S.S.A、ソビエト連邦だった頃、異国情緒漂うあのお店が何故かとてもすきだったんだ。。

いつなくなったのかは不明だけれど、いつの間にか何かのブランドビルに建て変わってしまった。

いまでもあの店が夢に現れることがある。
決まって、お店を目にして「あぁまだあったんだ、良かった。」と安堵する夢。

もうない場所。
もういないひと。
想いを残すと夢に現れる。

知らぬ間に寂しいキモチを夢で補っているのかもしれないね。










五木寛之氏のブルー・スエード・シューズ

2022-03-20 | essay

五木寛之氏の講演をONLINEで拝聴。
「捨てない生きかた」

近年、五木寛之氏のことばがとてもこころにしっくりくる。
「断捨離」と聞くだけでストレス、捨てることがストレスとなるわたしに正にぴったりなお話。

「縁のない物は自然に消えていく。」
「捨てられない物はその人と共にいたいのだ。」
わかる。とてもわかります。

物にもそれぞれ物語がある。だからわたしも捨てたくない。

物に限らず、ひととひとの関係もまた同じ。
「太く契らば浅く契れ」
熱っぽい付き合いは何処かで躓く、薄く長い付き合いが大事と仰る。 
友を捨てない生きかた。確かに。。。
何だかいろいろ腑に落ちる。

「摂取不捨」という言葉が仏教の教えにあるそうだ。
この世のすべてを見捨てず救い上げることをいうのだそうだ。

国を捨てざるを得ない人々、国に捨てられた人々。
ウクライナ問題にも言及され、濃く深く勉強になる講演でありました。

*****************
わかるわ〜聴いてみたいわ〜という方がいらしたら、
「五木寛之 講演 捨てない生きかた」とかで検索してみてください。2022年4月11日まで無料視聴できるそうです。
わたしは2度も聴いてしまいました〜!
ブルー・スエード・シューズのお話などなど、五木さんのお人柄がとてもよく伝わります。



黙して語る。

2022-03-19 | essay







ピンク きいろ ピンク きいろ…

自然の色はなんてうつくしいのだろう。
花はちゃんと自分の出番を知っている。
教えられなくとも自分の色を持っている。

黙ってたくさんのことを教えてくれる自然。
植物も動物もその生を全うしようといつでも生きることに一生懸命だ。

さて、ニンゲンは?
同じ地球のイキモノなのに
何故ニンゲンだけがいつまでも愚かな争いと破壊を繰り返すのか。。。

地球に勝手に線を引き、我が物顔で使うニンゲン。
地球にとって明らかにお荷物なのは、他ならぬわたしたちニンゲン。

戦火で焼かれる野の花、森の木々。
そして…罪なき子どもたち。。。

誰も望まぬ戦争を始めるのはいつだって一部の権力者。
抗う術もなく渦の中にいつの間にか引きずりこまれ翻弄される。

TVが映し出す焦げた街は過去の戦争ではなく、2022年の今日だ。
戦争はニンゲンを獣にする。

小さなチカラでもひとりひとりが出来ることをしよう。
募金でも祈りでもいい。
こころを寄せていたい。















上野リチ展へ

2022-03-17 | 展覧会・アート のこと

上野リチ展
三菱一号館美術館







ここは建物も見応えがあり、すきな美術館のひとつ。

ぽっかり予定が空いた午後、思い立って「上野リチ展」へ。

素晴らしいデザイン。
繊細で愛らしい七宝飾箱。
見事な刺繍。
どれもこれもたいへん魅力的。

七宝飾箱に魅せられて、欲しいくらい〜〜って思って観ていたら、ミュージアムショップに再現された紙箱が可愛らしく並んでいた。
なんと中にはかわいらしいビー玉の飴ちゃん。



コロナに、侵略戦争。。。
昨夜は大きな地震もあり、何が起きてもおかしくないカオスなご時世。

それでも憂いでばかりでは人生の時間の無駄遣い。
やりたいことがあるならば、惜しまず時間を使おう。

今日は明日のリハーサルじゃない。(だれかの言葉だったかなあ?じぶん?)

今日を生きよう。
だいじに生きよう。



モンキチョウの旅立ち

2022-03-15 | essay

突然の3月の夏。
半袖で歩けるほどの気温上昇に
今年初のモンキチョウがふわふわと舞うのをみました。

あたらしい春。

二年前、入学式もコロナで中止になりフェードインした娘の学生生活も今日で卒業。
卒業式もオンライン。
本人たちは学校で視聴。

保護者向けにはyoutubeとのこと。時代だなぁ。。。

3月は旅立ちの月。
終わりと始まり。
ひとりひとりの人生の節目に幸あれ!と祈ります。



あたたかな木版画展へ

2022-03-12 | 展覧会・アート のこと
久しぶりに娘と街へおでかけ。

まず、以前てしごと絡みで知り合った友人たちのポップアップイベントへ。
コロナ前に連れ立ってランチに行ったのが最後だったから約2年ぶりの再会。
驚かせようと思って連絡せずに行ったので、ワ~!キャ~!の嬉しい大騒ぎ。
こうして会えるってしあわせねぇ。
後から娘に「JK並みの喜び合い方だったよ」と笑われましたが。

次は気になっていた素敵な作家さんの個展へ。

柳本史さんの木版画展。
西荻のURESICA さんにて。
なんとも哀愁のあるやさしい画。。。
販売されている木版画はほぼ完売!
もう素敵すぎてたまりません。。。
娘と一枚ずつポストカードを選び、素晴らしい装丁の画集絵本を購入。
いいアートはココロの栄養です。

お昼ごはんは久しぶりに吉祥寺のすきなカフェへ。

数年振りでも、美味しいパスタもチーズケーキもきちんと変わらすそのままなところが嬉しい。

すきな文房具屋さん、古本屋さん、などお馴染みのお店にも行けて充実感満載の休日となりました。

ココロに栄養を注入。
こんなときこそ、たいせつです。


















ココロを潤してくれる香り

2022-03-09 | essay
とうとう咲きました。
世界で一番すきな香り。

仕事前のヨリミチ公園の沈丁花。
ぐ〜んと近づいてマスクをチョイと引っぱって待ちに待った香りを吸い込む。

ココロの底まで届きました。
あぁ〜乾いたココロが一気に潤うよう。

「だいすき」のチカラは偉大だ。
余りに嬉しいと
誰かに知らせたくなるのがわたしのサガ!
側で花壇のお手入れボランティアをしていらしたおばさまに思わず話し掛ける。

気さくなおばさま、暫しお喋りしたあと
「そういえば、もっと大きくて元気な沈丁花が向こうにあるのよ」と教えてくださった。

いつもは通らないその場所に行ってみると!
なんとも立派な沈丁花の低木。
ぽんぽんと花ひらいて正に香り始めたところ。

うれしいなぁ
これから暫らくはこっち側へも遠回りしてからシゴトに行こう。

不条理で凄惨なニュースにココロが縮こまりがちなこの頃。。

小さい「うれしいこと」をしっかり味わって、自分のココロに栄養を送り込もう。

沈丁花に感謝。
今ある日常に感謝。

花壇ボランティアのおばさまにも感謝!





投影?

2022-03-06 | essay

植物の枯れゆく美に
こころを奪われるこの頃・・・

それは自分の年齢的なものなのだろうか??

歳を重ねると繊細な自然のうつくしさにも気付くように出来ているのだろうか。
以前読んだ本の中に脳の成熟は50代だとあった。
そこからやっとモノゴトを繊細に、かつ柔軟に捉えることができるようになるのだという。

いわゆる侘び寂びがわかるようになってくる、ということか。

枯れゆくものは、終わりでありまた始まりでもある。
ぐるぐると廻る生命。

子どもたちが成長したことでバトンを渡し終えたような気持ちから枯れゆく植物に我知らず自分を投影しているのかもしれない。。。

いや、まだもうひと花もふた花も?咲かせたいのだがなぁ〜。



枯れても老いても
うつくしい植物たちに倣って気品だけは失わずにいたいものである。

日常に…感謝。



巡る北帰行

2022-03-05 | essay


あまりにきれいな青空に
自転車を停めて流れる淡雲を眺めていたら
踊るスワンたちが浮かんできた。

白鳥の北帰行が始まった
とTVが伝えていた。

白鳥のやって来る土地へ次の冬こそそのうつくしい姿を観に行こう!
と去年思っていたことを思い出した。
なんてこと。そのニュースを聞くまですっかり忘れていた。
気づいたらあっという間にまた季節が周った。

それでも白鳥たちはきちんといつもの時間を過ごし日本にやって来てそしてまた北へと帰っていく。。。

イキモノたちは真摯に生きることにいつでも懸命だ。
ニンゲンも同じ地球のイキモノなのにね。

見ることのできなかった白鳥たちの姿を雲がみせてくれた。

ヒトが忘れているたいせつなことを自然は教えてくれる。
そのサインにせめていつでも気づいていたい。







待ち焦がれるあの香り

2022-03-03 | essay

2月の誕生日にはいつも咲いている沈丁花が今年はまだ花開かない。

近年いろんなお花の開花が早まっていたものだけれど
どうもこの冬は久しぶりに冬らしい寒い冬だったということかな。

毎年待ち焦がれているだいすきな沈丁花の香り。
ココロをフワリと持ち上げてくれる優しくてやわらかなあの香り。。。

この不穏な空気を少しは和らげてくれるかな。

待ってるよ〜








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