時に、とてもわたしに必要なこと。
日なたの芝生に寝ころんで太陽の温度を
瞼に感じること。
たっぷり浴びた太陽はわたしのからだの中のこころの奥深くまで
じんわりじんわりと浸み通り
さまざまなちいさなわだかまりを溶かしてくれる。
・・・ような気がする。
背中の下の大地からは、名前のつけようのないエネルギーが伝わってくる。
・・・ような気がする。
地面と太陽、そして木の温もりから
わたしは充電されて動いているのであった~。
(気は持ちよう。)
この充電で数カ月は動作可能(?)
本能のままに~~。
うちの三人きょうだいの一番下は、おんなのこ。
上のふたりの男子の反抗期・・・
真っ向から闘ったりひらりとかわしたり、
まあ どの家庭にもありがちなUP&DOWNな日々をすり抜け
サバイバーのような母、わたし。
でも、へたり込まずにここまで来られたその陰には
かわいいかわいいムスメの癒しの救いがあったから…
と言っても過言ではない。
おんなのこってものは、
思いもかけないようなカワイイカワイイことをしてくれるものだ。
やさしいお手紙を書いてくれたり、かわいい絵も描いてくれる。
わたしが泣いたり落ち込んだりしている時には、すぐに気づいて
ちいさな手で背中をぽんぽんたたいて慰めてくれたりもしたっけなあ。
一緒に出掛けても、すっ飛んで消えちゃったりしないし
ゆっくりおしゃべりも楽しめる。
男子ふたりの後の女の子だからよりそう思うのかもしれないけれど。
反抗期男子との不毛な闘いのあと、何度娘を抱きしめて
「あ~~あんたを生んでよかったヨ~!」
と頬ずりしたことか!
まあ、振り返ってみれば、ムスメには失礼なハナシでね。
そのために産んだわけじゃあもちろんないのよ~。(?)
そんな彼女もあっという間に12歳。
春には中学生だ。
わたしの天使だったムスメも、だんだんニンゲンらしくなって
反抗期の片鱗がちらちら・・・と。
いよいよ今度はこの子の番か。
ついこの前、ハタ!とそう気づいた時
うわあ・・・もう余力が残ってないかも。。。。。。って思ってしまった。
いかんいかん。
それは親のエゴってもんでね。
彼女の自然な成長の証しだもの。
最後のあなたの反抗期こそ ちゃんと見守ってあげましょう。
実は最後が一番盛大だったりして!
おニイの真似して壁に穴開けたりしないでね~~(^。^;)
ちゃんとおいしいごはん。
ニンゲンにはとてもたいせつなことよね。
でもついつい手抜き・・・もとい ワンパターン簡単料理ばかりの毎日。
国立にある カフェ「ひよこ豆」さん のお昼ごはん定食は
きちんと、本当にきちんとひと品ひと品、まじめにおいしい。
くにたち訪問率の上がったこのところ、
他のお店を開拓する気持ちがまったく起きないほど
ひよこ豆さんのお昼ごはんにすっかり惚れてしまいました。
といっても、ともだちmさんにはじめて連れて行っていただいたあと
別のともだちを連れて2,3度お邪魔しただけなのですが。
夜は名前が変わってBARに変身するみたい。
よるのメニューもとてもとてもおいしそう。
ちゃんとおいしいごはん をいただくと
自分ももっとちゃんとまじめなごはんを作ろう!
と、エイエイオーな気分になります。
そういうきっかけ、重要ですね。
[カフェひよこ豆さん 東京都国立市北1-12-2]
ともだちから送られてきた一枚の写真。
なんて幻想的な空!
最初にわたしのガラケー画面で観た時には、
何か模様を加工して写真に乗せたのかと思ってしまった。
スマホはなんでもできるんだなあ~なんて勝手にのんきに思ったら・・・!
車の窓についた霜の結晶だと言うからびっくり。
朝靄のなか、自然の作りだす時間限定のうつくしい模様たち。
朝の凛とした冷たい空気まで伝わってきて
しゃきっと背筋がのびるような気持ちです。(ありがとうkyちゃん!)
なつかしいものが出てきた。
わたしの宝物箱。このペコちゃんの缶は、アンティークのものではなく
1980年代に販売された復刻モノ。1951年生まれてないし!
ここに子どもの頃の宝物を入れたのは
高校生の頃。引っ越しの準備をしている時に特別なものだけここに仕舞ったのだった。
しばらく前に懐かしグッズの入った開かずのダンボール箱から発掘。
幼いころに父からもらったすてきなブローチ。
わたしたち娘にボーイッシュな服装ばかりさせていた割には
こういうカワイイものをおみやげに買ってきてくれたのもいつも父。
ピンクの服なんてほとんど着たこともないわたしには
このブローチのピンク色はアコガレ・カラー。
今、手に乗せて見てもあのころ感じたふんわりとしたアコガレの乙女感がちゃんと甦るからフシギ。
カワイ過ぎてたいせつにし過ぎて、多分一度くらいしか着けていないはず。
ふたつ上の姉とお揃いの服を着ていたようなころに
ブローチもお揃いで着けてどこかへお出かけしたような・・・曖昧な記憶しかない。
ブローチを手に乗せて眺めては、「かわいいなあ。こういうおねえさんになりたいなあ。」って
夢想していたことはよく覚えているんだけれどな。
もう少し早くこの宝物箱、ちゃんと中を開けてみればよかったなあ。
娘がもっと幼い頃にカワイク着けてみたかったなあ。
もう12歳の娘にも、このブローチは可愛らし過ぎて
着けてくれそうにない。
この缶の中には、オバQの鉛筆キャップ、りすの形の消しゴム、
パンダブームの頃のバッジなどなど、いろいろ入ってる。
ひとつひとつに想い出がいっぱい。約40年物だ。
こうしてみると・・・ 思えば遠くへきたもんだ~~~!?
木のオーラ写しちゃった?
ただのケータイのカメラなんだけれどね。(ガラケーです)
太陽の光と木の生命エネルギーが呼応しあっているようだよ。
目にはみえない生きるチカラ・・・?をみせてもらっちゃったような。
黙ってそのまんま立っているように見えても、
樹木の時間はちゃあんと進んでる。
蝋梅のかわいいまんまる満月もほころびはじめました。
くにたちの「SAKKA no ZAKKA」さんへお邪魔したら
すてきなすてきな店内個展に遭遇!
工房mieさんの「ウツワとコモノ展」。
とてもコノミのコモノの数々にあっちもこっちも目移りしちゃってたいへん!
コトリのちいさな置物 (箸置き)に一目惚れ。
コトリさんたち、家に連れて帰りました~。
「SAKKA no ZAKKA」 さんは
国立にあるとても魅力的なきもちのいい雑貨屋さん。
ふしぎなご縁から、実はわたしの手から生まれる革コモノ&BAGも
昨年秋より置かせていただいております~。
ひととひとの縁。
モノとひとの縁。
すてきな出逢いって、あちこちに用意されているものですね。
SAKKA no ZAKKA さん
東京都国立市中2-3-6
http://sakka-no-zakka.com/
ぜひお店を訪れてみてくださいね。
末っ子、小六の娘。
いつの間にか友達との行動範囲も広がってきて
冬休みには、友達5人 電車に揺られて初めてスケート場へ。
去年の冬までは、お父ちゃんが伴走してくれていたのにね。
小学校の「よい子のきまり」とやらには、
「子どもだけで遊園地やスケート場には行きません」 とあるけれど
かわいいこには旅させよ、だ。
子ども達だけで行き先を間違えないように電車に乗ったり
知らない街で知らないヒトに道を尋ねて歩いたり
初めての冒険って小さいドキドキの連続。
子ども時代のワクワクドキドキの経験って少ないよりは多い方がいい。
そういうひとつひとつの実体験が積み重なって
これからの彼女の人生を作って行くんだなあ・・・。
近頃パリに憧れているムスメ。
友だちと、大きくなったらパリに行こう!と約束したのだと言う。
いいね!グローバルな人生!
友だちYはパリでパティシエ修行、
そして友だちNはパリのバレエ団に入るんだという。
「で、あんたは何すんの?」と訊くと
「あたしはエッフェル塔観て、フランスの本物のフランスパンを食べるんだよ!」
なんか、マイペースな答えにプッと吹いちゃったよ。アンタ、まるちゃんか?
どうやら、二人がそれぞれパリに住んでいる間に
ムスメは彼女らを訪ねる旅に行くってことらしい。
「だってあたしは日本でおもちゃのデザイナーだもん。」
と言い切る。
ああ、そうね、最近の彼女の将来の夢はおもちゃ(主にリカちゃん)のデザイナーなのであった。
なんか、いいわあ~。フレッシュな未来。
それぞれの夢に向かって邁進しておくれ、ガールズ!
成長をしみじみ頼もしく思う むすめ12歳の誕生日の朝なのであった~。
おめでとう。
生まれた朝もピカピカの冬晴れだったなあ。
助産院の温かな部屋の中、
陽だまりがなんてよく似合う赤ん坊なんだろう!
って思ったことをよく覚えている。
大きくなったら、パリで美味しい「フランスパン」食べておいで!
鮮やかな夢をよくみるほうではあるけれど、
夢の中で香りを感じるのは初めてのことかも。
夢の中で漂うとてもいいコロンの香り。
目が覚めてからもその香りをなんとなく思い出せるってところがまたフシギ。
夢だけに、夢のようなありえないシチュエーション。
やわらかな残り香。。。
正夢になることを祈ろうっと。
ひととひと。
どんな場面でも
誠意を持ってこころのコトバで話せば
伝わるものだよ。
って わたしは信じたい。
理解してほしいとか
同調してほしいとか
そういうことを求めているのではなく
こころの在りようを そのままに ただ知っておいてもらいたいだけ。
ひととひと。
そんなささやかな願いさえ
届かないことがあるということも もう十分わかってはいるけれど。
それでも わたしは信じることをまだ諦めたくはない。
この映画、名作だよねえ。
レンタルショップで見つけて約20年振りに観た。
「Paris,Texas」1984年(西ドイツ・フランス合作)
監督はヴィム・ヴェンダース。
20代の頃、初めて観た時は怖いくらい深すぎる愛のかたちに酷く衝撃を受けた。
40代。歳を重ねた今、また違う観点から観ている自分に気づく。
「夫婦」とは何だろう・・・。
親子の絆・・・。
兄弟の根っこの繋がり。
いろんなアイのかたち。。。
何度観ても、 深い映画には、こころのいろんな部分を揺さぶられるものだ。
誰にでもね、ちょっと変わったところがあったっていいと思う。
それがニンゲンというもの。
「普通」って、何をもって定義するのか、それこそひとそれぞれ。
普通を求めるあまり、波風立たせずフラットに生きるのは、
何もものを考えない ということなのかも。
それは 味気ない。
人生、時には 寄り道も遠回りも必要かもね。
ばーん!と「今月の標語」とかが書かれたカレンダー。
昔はジジムサイって思っていたけれど。。。。
近年、こころに沁み入る~。
年齢的なものなの?
年末、近所のタクシー会社さんが店にカレンダーを持ってきてくれた時
「わー!ありがとうございます。これスキなんです!」と喜んだら
若いお兄さん、戸惑ってらした。
・・・だよねえ。
一月の標語は、
『 苦手な事にも立ち向かう勇気が 新しい人生を切り開く力になる 』 というもの。
標語ってモンは、たいてい、当たり前なこと言ってるんだよ。
これも、めちゃ当たり前なんだけれどね、
気持ちが立ち止まっちゃってるような時には
響くんだなあ これが。
去年はいただくチャンスがなかったこのカレンダー。
実は一昨年の標語で気に入ったものを切り取って
昨年一年間トイレに貼っておいた。
トイレに貼るって辺りがしっかりオバサン化だな。
『 不平不満の言葉が出るのは 感謝のこころが足りないからである 』 というやつ。
一年間貼っておいたから、子どもらのこころにもちょっとは沁み込んだかな~。
毎月変わる標語も、すぐに忘れ去ることでしょうが
その時にちょっとでも、ふ~ん、そうかあ~ って思えたらそれでいいんだよ。
うちは無宗教だから、日常的にありがたいコトバに接するチャンスがあるわけではない。
この先、あちこちからありがたいコトバをチョイスして
上手い具合に自分のこころに沁み込ますチカラを
つけていってほしいものだなあ。
「そうだ!お母ちゃん!こうやって手を合わせて!
合気道の審査、合格してるようにカミサマにお願いして!」
と、娘が突然思い出したようにわたしに言う。
珍しいことを言うなあと思ってワケを聴いてみると、
先日、いろいろと体の不具合があって
わたしがエコー検査を受けに行く前の晩
娘がこっそりかみさまにお祈りをしてくれたそうで・・・(涙)
その後、検査の結果が問題ナシと判った夜に夢を見たんだ・・・と言う。
夢の中に、なんと フワア~と、かみさまみたいなのが現れて
「次はきみの番だよ~」 と言ったというのだ~。(ひえ~見てみたい~!)
で、自分に出る結果と言えば・・・!
先月受けた合気道の進級審査だ!というわけなのでありました~。
娘の言うとおりにギュギュ~っと手を合わせて「合格でお願いします!!」と神頼み。
果たして・・・
初稽古での結果発表~。
お見事、三級に進級です。お祈りが効いた!?
(わたしは練習不足でダメダメな為、今回は見送り~。)
娘の夢のなかの神様、ありがとさんです~。
今度はわたしの夢にもぜひご出演ください。
上野の西郷さん、なんか・・・向きが変わった??
って思っちゃったのだけれど、周りの建物が新しくなっただけだったみたい。
明治の頃からこうして立って上野の街を見下ろしてる西郷さん。
さぞや目に映る景色も変わったことでしょう。
西郷さん、今やパンダとご対面?
ココロの心地よさと幸せ指数って、比例している。
以前はもっともっと尖がって生きてきたような気もするけれど
年々、まるくなってきたようで
近頃は、如何にこころが心地よくいられるか?
ということに重きを置いて行動しているような気がする。
こころが心地よい。
という状態に自分を持っていくコツみたいなものが
自分なりにわかってきたのかもしれないね。
それはひとそれぞれに違うから
自分で感じ取るしかないのだけれど。
人生、誰にだっていろんなことが起こる。
意に反する出来事も多い。
どん底に突き落とされることもある。
逆境続きで自暴自棄になっちゃうことだってある。
それでも、どんな時でも
自分自身のココロだけは、自分で扱える「自由」の域にある。
何かに絡め捕られているような時でも
ココロだけは、どこまでもどこまでも空高く飛ばすことも
深く深く海の底まで潜らせることも
なんだって自由自在だ。
そう意識するだけでも
ココロに羽が生えやすくなってくる。
こころの自由さえ信じられず、自分をがんじがらめにして過ごすのも
それはそれで自由。
ここちよいココロは自分でつくる。
自分のココロを不自由にしているのは、自分自身なのかも?
ってことにちょっとでも気づいたら、しめたもの。
あとは、羽が生えてくるのを
すきな音楽でも聴きながらのんびり待つといたしましょうか~!