古本屋さんにぶらっと立ち寄るのがすき。
思いがけなく素敵な本に出逢えたり、懐かしい絵本を見つけたり。
神保町界隈もすきだけれど、西荻界隈もお気に入り。
この前、西荻のとある古本屋さんで、たまたま手にした本。
谷川俊太郎の詩集 「すこやかに おだやかに しなやかに」
この方の詩は、やさしいことばで子どもたちに語りかける。
長男が小さい頃、絵本「もこもこもこ」がだいすきで、
何度も図書館から借りていたっけ。
この詩集のなかから、気に入ったすてきな詩をひとつご紹介します。
「ことばのとおりに」
読むだけでは美しいことばもただの文字
しゃべるだけではりっぱなことばもただの音
ことばのとおりに行うとき
ことばのとおりに生きるとき
あなたはほんとのあなたになれる
私はほんとの私になれる
波紋のようにこころにひろがる
かみなりのようにこころをゆるがす
こころから生まれてこころにとどく
ことばの力はこころの力
多すぎることばはさわがしい
こころの底の静けさがことばのふるさと
谷川俊太郎詩集「すこやかにおだやかにしなやかに」より
彼の逸話は数限りない。
数々のトラブル話は名誉のために置いておくとして、
まず、とにかくワンマンだった上に秘密主義者。
家族を驚かせようと企むことも多かった。
たとえば、休日にみんなに出かける用意をさせ、車に乗せるが・・・、
行き先は絶対明かさない。到着してのお楽しみというわけだ。
スパイじゃあるまいし、「泳ぐ準備をせよ」とかのミッションだけ。
近くのプールかと、わくわく車に乗り込むが、走れども走れども着かない。
結局半日以上も車を走らせて海まで行っちゃったこともあった。
着くころには、あまりの遠乗りにみんなグッタリ。。。
小学5年の大晦日。「一泊の準備をせよ」とのミッション。
一家5人で出発するも、行先はもちろん謎。
夕方出発し、レストランで夕食をとる。
え?お泊まりは?? 父のみぞ知る。。。。
やがて、東京タワーの見えるどこぞの道路に
唐突に駐車したまま、暫し待機。
「どこいくの?」「どこでねるの?」と、質問しても
「待てばわかる」のみ。
あの夜の、車のガラス越しにひたすらじっと見つめていた、東京タワーの灯りを
今もはっきりと思い出せる。(あの頃はまだ照明が輪郭の点々だけだった)
またもや唐突に、「そろそろだ」と発車する父。
着いたのは・・・日の出桟橋。
少しのちには船上のひととなったわたしたち。
なんと、「船上から見る、大島初日の出ツアー」の一員となっていた。
船中一泊。明けて、船から無事初日の出を拝み、
翌日、皆で三原山に登っているのであった・・・!
(姉はひどい船酔いでダウン~)
今思えば、断然ありえなーーい。
子どもとしては、ちょっとはスリルがあったけれど。
しかも、もっとありえないことに、行き先を知らされていないのは
子どもだけでなく、母もだったということ!
はあ~~(ため息)引きずられっぱなしの母・・・。
究極の亭主関白。
やんちゃなままオヤジになった父・・・
60になった途端、自分勝手に家を出て、さっさと第二の人生を始めた父。
どうしても納得のいかない、許せないことがあまりにたくさんありすぎて
何年も連絡を取らない時期もあった。
けれど、近年、彼も大病を乗り越え、少しまるくなった。
なんだか怒っているこっちが馬鹿らしくなってきて、
不思議なことに、いつの間にか許してしまっている自分がいた。
いまは、それも必要な時間だったんだ、と思う。
もうすっかりおじいさんのくせに、「ボクは永遠の38歳だから!」
という、相変わらずの Funny man
大阪に暮らす父は、先日の誕生日も琵琶湖で友達とパーティーを
していたらしい。(いったいどんなトモダチやねん!と突っ込みたくなるが。)
人生を大いに楽しんできた父の生き方は、間違ってはいなかったのだろう。
周りは大~いに振り回されてしまったけれどね。
憎みきれないロクデナシ!だけれども、たったひとりのわたしのオヤジさん。
いつまでも元気でアホなこと言っててもいいよ!
何気ない一言で、こころが救われたり、
逆に、鋭くこころに刺さることもある。
小学校五年の時。クラスの女の子の言った一言が、
生まれて初めて、自分という人間の内面を見つめるきっかけとなった。
彼女はひとこと、「mikoちゃんって、怒らないから好き!」と笑った。
彼女はきっと褒め言葉で言ったのだろう。
そして、わたしが、深読みしすぎる偏屈な子どもだったのかもしれない。
でも、わたしはすべて見透かされたような、凍るような気持ちになった。
転校生だったわたしは、うまく立ち回らなきゃと、
子どもなりにきっとがんばっていたのだと思う。
からかわれる大阪弁を必死でみんなと同じ標準語に直して、
(二年間位は家と学校のバイリンガル)
いつでもにこにこみんなの言うとおりにして、感情を抑えていたことに
その一言で、気づかされた。
「そうか!怒ったっていいんだ。」
わたしの外枠をはずしてくれた彼女に、こころから感謝している。
セキグチサン。親しくはなかったから、もう消息は分からないけれど、
もしもどこかで逢ったなら、ありがとうって言いたいな。
魔法のコトバ。
もちろん、そんな一言を覚えているわけはないけれどね!
子どもだっていろんな想いを抱えて生きている。
自分がそういう子どもだったから、わかるよ。って伝えたいけれど。。。
子どもたちから見れば、わたしもただの大人のひとり。
伝えるコトバを見つけるのはムズカシイ・・・。
しかし、大阪弁。直すことなかったよなあ!
いまも大阪弁を聞くと、なんだか、ホームって感じでホッするのだ~。
な~んにも当たったことがない。
なので、十数年前のある日、まるで期待感もなく
公募にハガキを出してみたら・・・
とある地方都市の駅前再開発ビルの名づけ親になってしまった~!
正にビギナーズラック。本当にあるんだ~~。
ネーミングが採用されただけでも光栄なのに、
副賞は、バンコク・プーケット・ペアご招待!!
もともと、詩のコンクールの為に初めて買った公募雑誌だったんだけれど、
結局、詩は応募せず、数あるネーミング公募の中のひとつに
たった一枚だけハガキを出した。
いやはや、これもなにかのご縁なのね。
訪れたことのない街なのに応募していいのかしらって思いつつも、
たまたま家にあった、古いイタリア語辞書のなかから
ぴたっとくることばを見つけたので、ハガキを出してみたくなったのだ。
しかも電話番号を書き忘れたらしいわたし。。。
電話連絡ができなかったそうで、わたしの名前が載った新聞が
同封された採用通知に、本当に、と~っても驚いた。
縁もゆかりもなかったその地方都市・・・
たった一枚のハガキで繋がるフシギ。
なんと、オープニング・セレモニーにご招待くださり、
恐れ多くも、知事、市長、地元出身の有名人の方々と並んで、
テープカットまでさせていただいちゃった。
すご~く緊張したけれど、本当に、とっても貴重な体験をさせていただいた。
友達には、「一生分の運を使っちゃってんのー!」
なんていじわる言われたけれど!(そうだったら困る~)
ネットで、今ももちろん立派にそびえ建つ姿を見ると、
なんだか、遠くに隠し子でもいるような(!?) 不思議な気持ち
地元の人々は日常的にその名を口にしているんだ、と思うと何だかくすぐったい。
子ども達に話しても、昔話みたいでピンとこないようだから、
一度家族であの街に行ってみたいな~
おまじないみたいな言葉。
「ローマの休日」で、あまりに有名な「真実の口」
ご多分に漏れず、ローマに行った時に
手をさし入れてきた。
グレゴリー・ペックがだいすきなわたし。
実物に触れることができて嬉しかったなあ。
このお顔、古代のマンホールの蓋だったという。
おしゃれな蓋だこと。
みんなに触られてつるっつる。
この有名な真実の口は、
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口通路に
置いてある。
この教会、中に入ると。。。
外のポピュラーさとは打って変わって、ひっそりとした空気が漂う。
教会内部全体の地味な色合いがかえって厳か。
そして、足元のモザイクの床がなんとも素晴らしい!
配色といい、模様といい、芸術品のよう。
記念品を売ってらしたここの神父さん、なんだかたいへんにこやかで、
片言の英語で面白いことをおっしゃって、大笑いさせられちゃった!
地味な教会と愉快な神父さんとのアンバランスさが楽しい。
ローマ滞在中、散歩しながらほぼ毎日この教会を訪れた。
街の喧噪と、金ピカな教会に食傷気味(ゴメンナサイ)な心を、
ここのゆったりと流れる時間が、やさしく包み込んでくれるようだった。
ひとつ、残念に思ったのは・・・
ほとんどの日本人観光客が、「真実の口」だけ観て
教会内に足を踏み入れないこと。
大型バスからどやどや降りて記念写真だけ撮って、
またどやどやバスに乗り込んで、あっという間に去っていく。。。
「ツアー」だから時間に限りがあるのはわかるけれど…。
わたしもクリスチャンではないけれど、
訪れた教会に敬意をはらう気持ちは持ち合わせているつもり。
同じ日本人として、ちょっと、かなしかったな。
これから訪れる予定のある方は、ぜひ教会内もどうぞ!
あのすばらしいモザイクの床と、ひっそりとした空気が待っていてくれるハズ
「The Blues Brothers」 監督ジョン・ランディス 1981年公開
痛快ハチャメチャコメディなんだけれど、
音楽と彼らの生き様が最高にカッコいい。
ダン・エイクロイド扮する ELWOOD と
ジョン・ベルーシの JAKE の絶妙コンビにすっかり魅せられて、
公開当時、高校生だったわたしは、何度映画館に足を運んだことか!
周りの友達がみんな、ジャニーズの誰やら、チェッカーズやらに熱をあげる中、
わたしは学生カバンにホワイトマーカーで、ブルースブラザーズの
イラストを描いていたっけ。
(当時、革カバンをペチャンコに潰して落書きするのがなぜか流行)
ロードショーが終わってしまった後も、ぴあをチェックしては、
一都三県なら、どこへでもひとりで観に行った。
スクリーンに足を運んだ回数は、もちろん断トツ一位。
全編通してR&Bの名曲がジャンジャン流れ、
大御所のスゴイ顔ぶれが、随所にひょっこり現れる。
アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、
キャブ・キャロウェイ etc.etc.
若きスピルバーグもちょい役で出演!
みんなで楽しんで作った映画って感じが伝わってくる。
ジョン・ベルーシはこの映画の数年後、麻薬で亡くなってしまった。
つくづく、惜しいひとを亡くしたものだ。。。
後に、ブルースのアマチュアバンドをしている友達に誘われて、
「ブルース・ブラザーズ・バンド」の来日公演も聴きに行ってみたけれど、
あのコンビはもちろん居らず、なんだかちょっと寂しいライブだった。
ELWOODとJAKEのでこぼこコンビの生歌を聴いてみたかったなあ。
レコードやCDもお薦め!もともとコメディアンだった彼ら。
ひとを楽しくさせてくれる音楽だ。
この映画、今見ても本当に面白くてクール!
ちっとも色褪せていない。
いいものは時が経っても変わらないのね。
いまや、中二の息子もお気に入りの一本!
すきな映画は何度も観たくなる。
何年か経つと「あ、あれまた観たいな」って思う。
そんな、すきな映画のひとつ。
「バックマン家の人々」(原題「PARENTHOOD」)1989年
これは、ジャンルでいえば、いわゆるハートウォーミング・コメディかな。
バックマン一族の四つの家族の物語が群像劇的に綴られてゆく。
どこにでもありそうな、家族のさまざまなエピソードに
笑わされたり、考えさせられたり、ほのぼのしたり。
映画の中で、おばあさんが、人生をふりかえって
とても素敵なセリフを言う。これがすき。
「人生はジェットコースターのようなもの。
メリーゴーランドなんてただぐるぐる回るだけでつまらない。
わたしは、ジェットコースターのほうが好きだわ」
この映画を初めて観たのは、まだシングルだったころ。
今は、ムズカシイ年頃の息子を筆頭に三人の子の母となり・・・。
自分の生きる背景が変化してゆくと、
映画も観るたび、こころに伝わる部分が変化するのが面白い。
今は、主人公を演じるスティーブ・マーティン夫妻の、
子育てに翻弄される気持ちが、身に沁みて伝わってくる。
人生はジェットコースター!
それを楽しめるようにならなきゃね
(この映画、若き日のキアヌ・リーブスやら、キャストも結構スゴイ)
これは、麻布十番の万華鏡専門店「昔館」で
十年ほど前に購入したもの。
自分のモノとしては結構高価な御買物だったなあ。
これは、オイルの中のガラスビーズが移動するのを観るタイプ。
ガラス棒を取り換えると、いろんなカラーが楽しめるようになっている。
とても言葉では説明不可能な、ワンダフォ~~な世界が目の前を流れてゆく。
ただただ、気持ちいい~~
万華鏡は、見るたびに異なる美しい模様を観せてくれる。
ひとりきりの時間に、気持ちいい音楽を聴きながらのんびり眺めるのがすき。
ちょっとしたトリップ感が、爽快でいいのだなあ~
昔の記憶が、どうでもいいことまで
ぎっしり、こころの引出しに詰まってる。
これは、三歳の、これは五歳の、
そしてこれは八歳の。と、記憶がだいたいの年齢別に引き出しに入っている。
正反対に、夫はまるで昔のことを覚えていない。
子どもの頃のことも、いつのことだったかわからないという。
で、最近、私的大発見。
記憶が曖昧なのは、彼がずう~っとひと所に暮らしているせいなのかも。
生まれてこのかた、一度も引っ越しをしていない。
住む場所が変わるというのは、かなり大きい節目。
家が変わらなければ、記憶の区切りもつけにくいに違いない。
一方わたしは、父の趣味でもあった引っ越しを、
小さい頃から何度も体験してきた。、
その都度、たいせつなもの、ひと、場所と別れ、
新しい土地で再起動して生きてきた。
その分、記憶も、暮らした土地ごとに分類できるのだろう。
あれは、奈良時代のあの幼稚園だから4歳ね。とか
それは、大阪時代のあの小学校だから多分8歳だ。とかね。
ひと所だけに暮らしていれば、
確かにいつのことやら分からなくなってもおかしくはない。
しかも、物が捨てられない性分のわたしは、
思い出もしまい込む癖がついているのかもしれないなあ。
暮らした土地との別れは寂しい。
寂しさから、記憶を引き出しにしまい込むのだと思っていたが、
この前読んだ、ジェーン・オースティンの小説の主人公が
「覚えておくことは楽しいもの」と言っているくだりを
読んだとき、はたと気づいた。
そうか、きっとわたしもそうなんだ。
覚えておくことは楽しい。
思い出は全部、自分が歩いてきた確かな道。
ひとつも忘れずにたいせつにしたいだけなのかもしれないなあ。
つくづく、精神的よくばりなのでしょう。
ちひろ美術館。
すきな場所。
年に一度は足を運びたくなる場所。
近年は、末っ子の7歳の娘とふたりでぶらり。
今回は「ちひろとローランサン」という特別展示があり、
たっぷりと偉大な画家ふたりの作品の魅力を堪能してきた。
この美術館は、かつてちひろが日々暮らし、
素晴らしい絵の数々を描いていた場所に建つ。
館内に、アトリエが当時のままに復元されていて、
さっきまで座って描いていらしたような空気がいまだ漂う。
この復元された部屋が、娘もわたしもだいすきで、
いつも、他の絵よりも一番長くこの部屋を眺めているのではないかな。
「ちひろの庭」というお庭も素敵。
ここに来ると、庭を歩いてみたり、また絵を眺めたり、
図書室で絵本をぱらぱらと読んでみたり。
ここの空間を流れる、ゆったりとした時間がすきで、また来たくなるんだなあ。
館内のカフェもおしゃれでとても美味しい。
わたしはローズジュース(まるい氷の中に薔薇のつぼみが!)とキッシュ。
娘は信州ぶどうジュースとホットケーキ。
庭を眺めながらの~んびりいただく、平和な時間。
庭にある、少年とお馬さんのブロンズ像。。。(これもすき)
昔、来た頃は、長男があの少年よりも小さかったのになあ…
と、十数年前に想いを馳せる。
改めて見たら、もう末娘も、
あのブロンズの少年よりずいぶん大きくなっていた。
時間は確実に流れているんだよね。
ささやかだけど、おだやかな、ちっさな幸せをたいせつにしよう。
自分が電車通学していたころは
改札に人がいるのが当たり前で、
朝には朝の、夜には夜の挨拶をして通っていた。
知らない人なんだけれど、顔見知り。って関係が
昔はあちこちにたくさんあって、
なんとなく誰もが世間と繋がっていたような気がする。
学生の頃、モノレール沿線で暮らしていて、
JRの浜松町駅の改札を毎朝毎晩通っていた。
挨拶を交わすうちに、ある駅員のおじさんと顔馴染みになって、
「いってらっしゃい」「いってきま~す」
「おかえり」「お疲れ様です~」とか
夜遅い時は「気を付けてね」とか
お互いににっこり言葉を交わしていた。
就職して、引っ越しもして
その改札を通ることがなくなって、数年経ったころ。
仕事で、浜松町の別の改札を通った時・・・
「あ!」「わあ!」ふたりして大声をあげてしまった。
あの駅員さん!
なんだろう、懐かしい友に再会したような温かい気持ち。
お互いに、名前も知らないのに
「元気だった!?」「お久しぶりです~!」と束の間、立ち話。
お元気で!!とお別れして、
そのまま、その後一度もばったり出会うことはなかった。
(おじさん、といえども、当時40前後。今もどこかの駅にいらっしゃるかなあ)
それだけのことなんだけれど、
わたしには、たいせつな想い出。
知らない人なのに、お互いを気遣うこころを持つって、
すごく大事なことだとわたしは思う。
そういうちっちゃな、やさしい気持ちがたくさん重なれば、
この干からびた世の中はもっと潤うんじゃないかなあ。
「知らないひと」でも、相手を慮ることができたなら、
争いも戦いも無意味に思えてくるのだろうに。
今の子どもたち・・・
知らないひととは話すな、と教えられ、
実際言葉を一言も交わさずとも買い物もできてしまう時代に暮らす。。。
ひととひとの縁や絆を体感しにくいシステムになってしまっている。
何だか何か間違っている道を進んでいる気がしてならないなあ。
便利さと引き換えに大事なものを失ってゆく。
自分の力で、学びとっていってくれるよう祈るばかり。
大人としての宿題、だなあ。
きまって眠くなる。
シャンプーの時と、
ドライヤーで乾かしてもらっている時。
髪を触られると、途端にとろとろ
子どものころ、散髪屋さんに行くたびに、
「この子寝てしまいますので…起こしてやってくださいね」(in関西弁)
と、母が申し訳なさそうに言っていた。
今でも、大きな鏡越しにそう言ってほほ笑む母の顔が浮かぶ。
それが余計、暗示になってしまったのかもしれないなあ。
それから、水面の反射が壁や天井に映り込むのを見ると・・・眠くなる。
これは条件反射。
小さい時に、釣り池の上に立つ家に住んでいたことがあって、
晴れた日には、部屋の天井一面に水面の反射がゆらゆらと揺れていた。
それを眺めながら、毎日お昼寝していたせい。
今でも、なんだか切なく懐かしい気持ちになって・・・眠くなる。
「キーン」と、遠くで金属を切る音もそう。
釣り池の家のお隣に鉄工所があって、いつも子守唄のように響いていた。
あとは、電車。これは誰もがそうでしょう。
でもわたし、ドライアイなのか、少し居眠りしちゃうと
涙がポロポロ流れてしまう。
うつむいて、涙を流す乗客の図。
これはちょっといただけない。
悩める「オトメ」なら絵になるんだけれど~っ!
「 とおい時間 」
あの街を ひとりで歩く
あそこにも ここにも
固まった記憶が 落ちている
それらは もう
私を引き戻そうとはしない
拾い上げて 抱きしめたりも
私は しない
ふたりで 腕時計を 一時間遅らせたあの日
街中の時間を 操れた気がしたね
もう 懐かしいだけの
とおい時間
きらきらしたまま
そこへ残してゆこう
もう 遠すぎて
輪郭も曖昧な やさしい時間の雫
「ルネ・マグリット」
だれでも一度は目にしたことがあるだろう。
不思議な絵を描くベルギーの画家。
彼の描く、ありえない光景と
圧倒的に普通な空との融合がすきだ。
彼の絵の中にあの青空がなかったら、
きっとそれほどすきにはなっていなかったかも。
マグリットが見ていた空を実際に自分の目で見てみたくて
ベルギーに行ってみたことがある。
ブリュッセルは近代的な大都会で、なんだかしっくりこない。
けれど、さすが地元!
美術館でマグリットの絵はたくさん見れた。
ブリュッセルから列車で小一時間。
ブルージュの町で、
「ああ、マグリットの空だ。。。」
って思えるような空をみた。
ブルージュはとても素敵な町だった。
散歩のためにあるような町。
中心にBelfort(鐘楼)が建ち、中世の町並みが
そのまま残っている。
鐘楼の狭い石の階段を、下ってくるひとと譲り合いながら
てっぺんまで登ると、カリヨンが鳴り出した。
カリヨンは、巨大なオルゴールのよう。
大きな鐘でメロディーを奏でる。なんとも荘厳な音色。
毎日をこの鐘の音と共に送れたら幸せだろうなあ・・・!
なんて思いながら、町を見下ろすと
はるか下に赤茶色の屋根がでこぼことどこまでも続いていた。
運河沿いにお気に入りのベンチをみつけて
のんびりと絵ハガキを書いたり、行き交うひとを眺めたり。
ちょっと住人になった気分でゆったり過ごせる町だった。
ブルグ広場から見た夕焼けの、それはそれは美しかったこと!
Belfortが夕焼けに映えて、一生忘れないような赤い空だった。
マグリットの絵がきっかけで、
こんな素敵な町に出逢えたことを感謝。
なにがなににどう繋がるか。
わからないのが人生の面白さだ。
出たとこ勝負(?)の迷路のような人生。
近頃、少々冒険が足りないな。
ぷらあっと旅に出たいものだなあ。
マイケル・ジャクソンのファンって訳ではなかったけれど、
やっぱり、彼は私達の時代のスーパースター。
TVから、彼のどの曲が流れても、あの時代のあのカラーを思い出す。
御茶ノ水の英語学校に通っていた頃で、
先生が「We Are The World」のVTRをクラスで観せてくれた。
ボブ・ディランのファンだった、アメリカ人の先生が、
「あんなグレートなひとが、歌い方を他の人に
指図されているのは、観ていられない!がっかり!」と
憤慨していたのが印象に残っている。(そうかなあ・・・?)
あの時代のトップ・アーティスト達が一堂に会するなんて、
何だか、感慨深くて、みんなで厳かな気持ちで観たのを覚えている。
あれから、二十数年??
確かうちにも・・・と探したらやっぱり出てきた。(なんでもでてくる)
「We Are The World」のビデオ。
わあ、6800円もしたんだ。
「このビデオの純益はアフリカ飢餓救済基金へ寄付されます」と書いてある。
改めて観ると、やはり偉業だ。
唄の素晴らしさはもちろんだけれど、
普段見れないような、素顔のお宝映像がいっぱい。
ビリー・ジョエルとマイケルのハグ!とか、
ダリルって、シャイなんだなあ、などなど。
しばし、時空を超えて80年代に戻って観入ってしまった。
マイケル、復帰してもうひと花咲かせてほしかったなあ。
本当の伝説の人になってしまったなあ。
「I'll Be There」が聴きたくなっちゃった。
わたしはジャクソン5の時の曲のほうがすきかな~。